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30話:池田直人さんの資産

 池田直人さんは1950年生まれ、国立の都立商業高校を卒業して18歳から30歳まで、地元の農機具の販売、修理の会社で、販売、経理、事務、営業をしていたが、社長が脳卒中で倒れて、40歳から、その会社の社長となったが、農機具の需要が落ちて30歳で閉店。しかし1980年、お父さんが400戸のワンルームマンションを日本医科大学永山病院の看護婦寮として作った。


 その後、年間1室、年間19600万円の収入を得ていた。しかし両親が、1980年に老人ホームに入って1987年と1990年に相次いで亡くなった。その他に、1989年に聖ヶ丘に多摩大学、1991年に都立大学、南大沢キャンパスの学生寮を1992年に7000万円でつくり年間、5000万円の収入が入ってくるようになっていた。


 池田直人さんには5歳年上の姉が1人いたが、既に米国人と結婚して、ハワイに移り住んで米国籍をとなり日本に帰って来るつもりはない様で、池田直人さんは天涯孤独となった。大きな500坪の土地に2軒の古家と800坪の田んぼ、畑、農園を持っていた。しかし1軒の大きな農家を賃貸住宅として貸し、広い農地は、近くの4つの工場の月極駐車場として貸していた。


 残されたのは、父の残したソニー株4万株、トヨタ自動車の4万株と父の名義の土地、建物、遺産の1千万円のみだった。しかし、池田直人さんも実際にどうなっているのか、詳細がわからないので、べて欲しいと依頼があった。そこで2005年3月17日、岩居と喜田さんと半田さんの3人が両親の残した、通帳、証券、株券、その他の証書を見て、鑑定して欲しいと言われ了解した。


 2005年3月20日、日曜、3人が池田さんの家に到着して2つの大きな段ボールの入った両親の各種の証書を火災・家財保険、郵便局、銀行通帳、株券目録、貴金属、宝石、名義の書類を種類別にまとめる作業を始めた。10時から始めて、12時に書類の分別が終了し、昼食の出前を取って、午後から書類の中身を調べることにした。郵便局の定額預金、定期預金の通帳が5冊、銀行の通帳が3冊が見つかった。


 更に。銀座の貴金属店の金地金5kgの預かり証書。その他、地図が出て来て、そこに書いてあった庭の場所を掘ると、陶器に10個の宝石、古い焼き物が入っていた。それらを掘り起こして、1部屋に陳列し終えたのが16時過ぎていたので、弁護士が、費用5万円かかるが調査しますかと池田君に聞くと、是非調査して正確な遺産の金額と申請方法も知りたいと言った。


 そこで、3月21日、祭日も3人で調べるために来る事にした。弁護士の半田一郎さんが、池田さんに調査費用が、かかるが調査するかと聞くとお願いしますと言った。その後、弁護士さんから、池田さんの御両親の戸籍謄本を取り寄せて関連書類がそろい、5月26日には、郵便局、銀行の預貯金が3500万円近くあり、宝石類の総額1千万円となった。


 これで池田さんの資産が5千5百万円となった。弁護士が、池田さんに、古物、美術品、陶器は、古物商に鑑定してもらい、金5kg、株券は自分の名義なので自由に売買したらと言われた。池田が、岩居に金、株について、高くなったら売るように指示して下さいと言った。その後、池田さんが、弁護士さんに費用の他に謝礼として10万円を渡した。

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