20話:昔の仲間で沖縄旅行2
9時過ぎに、酒臭い息をしながら、志賀君が来ると、岩居が、お前、酒臭いから、やっぱり俺が今日は運転すると岩居が言い鍵を取り上げた。10時にホテルを出て、高速道路南下して、首里城に11時前に入り、守礼門の前で写真を撮り、いくつもの門をくぐり抜け、最後に朱塗りの首里城にと着して、内部を見学した。その後、高台から東西南北360度、沖縄と東シナ海の素晴らしい景色をながめた。
そして多くの写真を撮って来た。12時半に首里城を出て、沖縄そばの店に入り、昼食を取た。その後、南下して、糸満の平和祈念公園をめざした。13時過ぎに到着し、大きな、ついたてのような石碑に、多くの名前が彫ってあり、見ると、全て、沖縄戦で亡くなった方々の使命だった。その数と言ったら、想像を遙かに超える数に驚かずにはいられなかった。
ここに刻み込まれた人々の死が、文字通り、日本の国のついたてになってくれたと思うと4人とも、自然に涙がこぼれた。すこし、落ち着いて、資料館に入ると、更に、惨たらしい遺品や数々の展示物があり、ハンカチ片手に涙をふきふき、何とか全部、見終えた。資料館の外に出ると、快晴ときれいな景色、どこまでも青い海と現実と理想を交互に見せられているような不思議な気持ちになった。
そして、近くのカフェで一休みして、車で、ひめゆりの塔へ向かい、塔の前で、拝んで、一礼した。そして、石碑に刻まれた使命を見ると、再度に涙が頬をぬらしたひめゆり平和祈念資料館にはいり、語り部の証言を直接聴くと、とても、運命の残酷さを思い知らされて、自分達が、どれだけ恵まれて生きているのかを思い知らされた。その後、糸満港に行くと、きれいなサザンビーチホテルが目に入った。
訪ねて見ると素晴らしい庭を散策して、素晴らしい海の景色を眺めながら、ケーキと紅茶と食べて、一休みして、那覇のホテルへ向かった。午後17時近くに那覇のホテルに到着し、一休みして、今晩、ケントスへ行こうと誘うと、行くことになった。夜18時に外に出て、軽く食事を取り、18時半にタクシーで那覇ケントスに到着し、メニューを見せてもらい、セットを頼んだ。
そのうちに、ステージに、若い女の子とリーゼントでビシッと決めた男性が出てきえ、ギタリストがチューニングして、少しすると、カラーに口紅に!、ビー・マイ・ベイビー、ロコーモーション、ロリポップなど時間を忘れて、聞き入って楽しんだ。沖縄の若者パワーってすごいと思い知らせた。時計を見ると0時近いので、店を出てタクシーでホテルにつくとちょうど0時だった。沖縄、最後の夜はこうして更けていった。
翌朝8時に金子と寺山がホテルのレストランで朝食をとっていると、岩居君が来て、おはようと挨拶して、食べ始め、9時15分前に志賀君が来て、珈琲だけを飲んで、俺、いつも朝食、食べないんだというと、健康に悪いと、みんな言われながら薄笑いを浮かべた。
ホテル出発は9時と言い、部屋に戻り、帰りの点検をして、9時にフロントで待つと、志賀君が精算して、車に出して来て、4人が乗って、9時半に那覇空港に着いて、レンタカーを返しに行き11時半発の羽田行きの飛行機で午後13時過ぎに到着し、旅費の最終精算をしてから、電車で帰っていった。やがて暑い夏を迎えた。そして、その年も12月16日土曜の午後15時から忘年会を開くと電話連絡があり、新橋に出かけた。




