妖精王子と悪役姫
ようやくアイシャのターンです。
【その夜、ベアトリーチェは部屋で一人、窓を開けて物思いに耽っていた。
明日、自分は糾弾される。婚約者のお気に入りの少女をいじめた罪で。きっと誰のエスコートも受けず、一人でパーティーに出かけた先で断罪されるのだろう。惨めに這い蹲って、嘲笑の中で婚約を破棄されるのだ。
この国の王妃となるべく、ベアトリーチェは幼い頃から己を殺して厳しい教育を受けてきた。親しい者と友情を育み、恋を覚える余裕さえなかった。せめて、婚約者とは上手くやっていきたかったのに。
彼を愛したばかりに、つまらない嫉妬で今までの努力は全て水の泡になってしまった……けれど、政略結婚の相手を想う事は罪なのだろうか? 真実の愛とは、正式な婚約者を蔑ろにしても許されるものだろうか。
ベアトリーチェにはもう、分からない。考えるのも疲れてしまった。
「ここから逃げたい?」
「えっ」
気付けば窓際に、誰かが立っていた。その者をベアトリーチェはよく知っている。辛い時、孤独な時に彼はいつでも現れて、彼女を慰めてくれるのだ。
「来てくれたのね、カランコエ」
「僕は半分妖精だからね。君が泣いている事もお見通しだよ」
「泣いてなんていないわ」
「嘘つきだね……お姫様」
二つの影が重なる。ベアトリーチェの瞳から、涙が零れ落ちた。そう、自分はずっと、泣きたかった。本当は婚約者の方を詰って、泣いて、責め立ててやりたい。けれど王子妃となるベアトリーチェには、それが許されなかったのだ。
「明日は僕がエスコートするよ。その時が来たら、返事を聞かせて欲しい」
「何を……?」
「君を攫っていいかって」
そう言ってカランコエは手の甲に口付けると、窓枠に飛び乗り、夜の闇へと消えた。
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「ベアトリーチェ、貴様との婚約を破棄し、私はユーリ姫と結婚する!!」
大広間に、カイル王子の断罪の声が響き渡る。
この瞬間を迎える時、きっと自分は絶望で心を壊してしまうだろうと覚悟していたのだが。ベアトリーチェは、驚くほど心が穏やかなのを感じていた。
いやむしろ、これで全てから解放されるのだ。
「――だって。どうする?」
「決まっているわ。承知いたしました、殿下」
いつも厳しい表情で周囲を威嚇していた彼女とは思えない、晴れやかな笑顔で一礼し、カランコエを伴いパーティー会場を後にするベアトリーチェ。そこへ立ち塞がったのは、彼女の父親。娘を駒として王子と婚約させ、出世に利用しようとしていた腐り果てた貴族。
「ベアトリーチェ、よくも我が家に泥を塗ってくれたな。お前など勘当だ! もう家族とも思わん!」
「畏まりました。ごきげんよう、お父様」
不思議だ、あれほど愛される事を願っていたのに、王子も父も、もうどうでもいい。何故こんな薄情な人たちのために必死になってきたのか、今となっては思い出せない。
その時、人気のない廊下で彼女たちを追いかけてくる者がいた。カイル王子を骨抜きにし、破局へと導いた元凶、ユーリだ。
「待って、ベアトリーチェ様! あなたの婚約者を奪う形になってしまって……だけどあなたさえ謝ってくれれば、私から殿下に許していただけるようお願いしておきますから!」
「あら、いいのよ。あの浮気者を引き受けてくれたんだから、むしろお礼を言いたいくらいだもの」
そう言って、絶句しているユーリをその場に残し、ベアトリーチェはカランコエとバルコニーに出る。カランコエは手摺りの上に立ち、ここで少しの間待っているように告げると、バルコニーから飛び降りた。
「カランコエ!」
「ベアトリーチェ、ここにいたのか」
身を乗り出して下を覗き込もうとしたベアトリーチェに、後ろから声がかかる。どうやらカイル王子も追ってきたようだ。自分から婚約を破棄しておきながら、彼女の態度が気に入らなかったのか、いっそう不機嫌に見える。
「先ほどの態度は何だ。素直に罪を認めていれば、いくらか減刑を考えてやったものを……貴様は、私を愛していたはずではなかったのか!」
「ええ、だからこそユーリ姫に嫉妬し、殿下に不快な思いをさせてしまいました。お望み通り、婚約は解消して差し上げます。二度と顔を見せる事もありませんから、ご安心を」
にっこりと優雅に微笑む様から、本当に何の未練もなくしてしまったのだと察せられた。続いてベアトリーチェは、カイル王子の腕にしがみついているユーリに目を向ける。
「ユーリ嬢……さっきの続きだけれど、一応謝っておくわ。カイル殿下があなたを選んだのは、あなたが何物にも囚われない自由な人だからよ。だけど新たな王子妃候補として教育を受けて、誰もが認める王妃となった時……殿下はあなたに飽きるわ。
そういう人を押し付けてしまって、ごめんなさいね」
「「ベアトリーチェ!!」」
彼女の揶揄に激昂した王子の怒号に、誰かの声が重なった。階下では、皆が空を指差し騒いでいる。
「何だ、あれは……馬車が空を飛んでいる?」
「ペガサスだ、ペガサスが馬車を引いているぞ!」
彼らの言う通り、空を駆ける二頭の天馬が大型の二階建て馬車を引いてこちらに飛んできた。そしてベアトリーチェの前で馬車のドアが開かれ、中から現れたのは――
「カランコエ!」
「お待たせ。お取込み中みたいだけど、出直した方がいいかな?」
「ううん、もう彼らの事は終わったの。ねぇカランコエ、言ったわよね? 私を攫ってくれるって……あなたとなら私、どこへでも行ける。どうかこのまま、つれていって!!」
「いいよ、おいで僕のお姫様」
ベアトリーチェの伸ばした手を掴むと、引き寄せて抱きしめるカランコエ。そのまま馬車に乗り込もうとするベアトリーチェを、カイル王子は慌てて止めようとする。これを逃せば、もう二度と会えないと気付いたのだ。
「待て、ベアトリーチェ! 私は……」
「さようなら、カイル殿下。私はもう疲れました。あなたの婚約者である事も、悪役でいる事も……」
王子の手は振り払われ、目の前でドアがバタンと閉じられる。そして呆けている二人を残し、馬車は空の彼方へと走り去っていった。
数年後、カイル王子とユーリの仲は破綻していた。ベアトリーチェが指摘した通り、必死に王妃教育を受けて貴族らしくなったユーリを、王子は退屈だと感じるようになったのだ。禁断の恋だからこそ燃え上がった二人は、誰からも祝福される立場になるとだんだんと冷めていき……
王となったカイルは側妃を何人も娶り、時にはお忍びで城下へ繰り出し、卑しい身分の女にも愛を囁いた。ユーリはそれがベアトリーチェから略奪した事による因果応報だと認められず、現実から逃れるために酒に溺れ、若い兵士を部屋に連れ込むようになった。
そして最後は側妃の産んだ子によって強制的に譲位・隠居させられ、生涯満たされない空っぽの心を抱えてひっそりと生きたのだった。
同じ頃、王国にはこんな伝説が生まれつつあった。雲一つない夜に月を見上げると、そこには空飛ぶ馬車の影が見られると。
あなたも孤独を感じた夜は、お月様みたいに真ん丸なホイールケーキと紅茶を手に、窓から空を眺めてみませんか。今でも目を凝らせば、二頭のペガサスの手綱を引く妖精の王子と、馬車の窓から手を振る美しい姫の姿が見られるかもしれません。
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あとがき
この作品を、我が恩人マミー=ローファットに捧ぐ。
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