甘い夢
チャールズ様が部屋を訪ねてくる。仕事か大事な話でもあるのか聞くと、用はないのに来てはダメかと返された。別に断る理由もないので招き入れ、お茶を淹れようとする。今日クララはジャックに誘われ街へ二人で出かけていた。いつもお世話になっているからたまには息抜きして欲しかったので、送り出したのだ。
『いや、気を使わなくていい。ソファで寝転がるだけだから』
『はあ、ソファで……ですか』
『私の部屋じゃ寛げなくてね』
まあ、常時監視中ではそうなるだろう。ドアを閉めてしまってよかったのかと思ったが、聞けば監視の目を巻いてきたらしい。変な勘繰りはされたくないので、後でメイドたちにチャールズ様が転寝をしに来たと伝えておこう。
『アイシャ、膝枕をしてくれないか』
『…は?』
さすがは夢、チャールズ様も突拍子もない事を仰る。
夢は深層心理の表れだと聞くが……いや、私はこんな事望んでない。チャールズ様に膝枕だなんて、恋する乙女の役割だ。その辺り、色々すっ飛ばしたから私…
『…ダメか?』
『構いませんよ』
でもまあ、どうせ夢だし。頼まれれば否とは言えない。請われるまま膝に頭を乗せ、チャールズ様の髪を指で梳く……サラッサラだな! 私は毎朝癖毛と格闘していると言うのに、嫌味なまでの輝きと指通り。きっと現実でもこうに違いない。
そうこうする内、チャールズ様が船を漕ぎ出した。
『お疲れなのですね』
『人目がないとつい、気が緩んでしまう……ここは居心地がいい』
部屋を褒められて悪い気はしない。と言うか滅茶苦茶嬉しい。私もこの部屋、大好きだもの。世界中に自慢したいくらい。
薄く瞼を押し上げたチャールズ様は、私の膨らんだお腹に顔をすり寄せる。もう胎児の性別は決まっているそうなのだが、未だに怖くて聞けない。引き延ばしたって生まれてくれば判明するのだけれど、心の準備が、覚悟がまだ固まらないのだ。
『そろそろ、名前を考えなくてはな』
『名前?』
『その子の』
言われて、今まで頭から抜けていた事に気付く。大事な事だったのに、男か女かで頭がいっぱいになって忘れていた。こんな調子で母親が務められるのか…つい心が沈みそうになるのを作り笑いで誤魔化す。
『どうしましょうか…』
『アイシャの時は、どうだったんだ?』
どうだろう、父には完全に放置されていたからな……私は自分の名前について、お母様から聞かされた時の事を思い起こした。
『名付けたのは母でした。「幸福な人生」と言う意味があるそうです』
『良い名だな』
実際にはそうはならなかったけども……ちなみにサラと言う名の意味は「お姫様」だそうな。嘘か真か、自己申告による。
『なあ、アイシャ……他者から名を受け継ぐのには、どんな意味があると思う』
突然、チャールズ様がそんな事を訊ねてきた。
『他者、ですか』
『私の名は、祖父から取られた。母は何を思い、付けたのだろう。私に復讐して欲しいのだろうか』
いきなり話題が重くなってきた。夢でくらい、もっとのんびりしたいのに。私はチャールズ様の髪を梳きながら考える。ウォルト公爵家は反逆した王族の生き残り。その先代チャールズ様…殿下? と同じ反逆者の名前なんて、何のつもりかと聞きたいのだろう。
『そうは言われましても、私はチャールズ様の御母上ではありませんので』
『そうだな』
『その御母上も、もう亡くなられているのでしょう?』
『…そうだな』
『だったら』
私はチャールズ様の頭に乗せた手を、ゆっくりと撫でる動きに変える。
『一番都合の良い解釈をすればいいんです』
『都合の良い……しかし』
『本当の答えなんてもう、誰にも分からない。それなのにあれこれ悪い方向に考えたって、疲れるだけです』
私の手の中で、チャールズ様の瞼が開く気配がした。…この人、睫毛も長い。
『君は、強いな…』
『強くなんてありません。私は臆病でちっぽけな、卑怯者です。いつだって現実から逃げて、自分は悪くない悪くないって言い聞かせていなきゃ、すぐに潰れてしまうんですよ』
どうしてこんな話、チャールズ様にしているのかしら。ただでさえめんどくさい現状なのに、この上愚痴まで聞かせるなんて、現実だったらきっとうっとおしがられる。まあ夢なので許して欲しい。
『だってそうでしょう。私はケイコ=スノーラじゃないんです。血は繋がっていても、関係ない……全然別の人間なんですから。たとえその人から何か託されたとしても…どう生きるのかは、私が選ぶ』
ああ、そうか。夢が見せる深層心理。私はチャールズ様を通じて、ネメシス様に訴えている。祖母の罪を、私に背負わせないで。恨みを私の子にまでぶつけないで…って。
答えが出たところでスッキリしたせいか、私も何だかうとうとしてきた。変なの、夢の中なのに。逆にチャールズ様は喋っている内に目が冴えてきたのか、私の膝から起き上がった。抱き上げられ、運ばれるのが分かる。もう私は、目も開けていられなかった。
チャールズ様はそっと、私をベッドに横たえた。
『アイシャ、起きているか』
『んん…』
最初から寝ていますよ。これは夢です。
『私は…諦めていた。私が存在するばかりに、一人の女の人生を不幸なものにしてしまったから。誰かと手を取り合い、お互いを幸せにする人生なんて、送る資格などないと。
でも今は、こうも思っている。こんな私だからこそ、せめてたった一人の幸福を護れる男でありたい』
(たった一人の幸福…ああ、カーク殿下の事ね)
そう納得していると、チャールズ様が覆い被さり、寝息を立てる私の唇にキスをした。
…意味が分からない。入り口のドアは閉まっていて、監視者たちに見せ付ける必要は今はない。これも深層心理? 眠ってしまった私をお姫様抱っこでベッドまで運んだチャールズ様に、甘く口付けられたいと。
……
「っそんなわけ…!!」
がばりと跳ね起きると、寝室だった。心臓がバクバク鳴っている。そこにチャールズ様はいない……当然だろう、私は夢を見ていただけだったのだから。
そこへ、コンコンとノックする音がしたので、私は急いで起き上がってドアを開けた。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「お帰り、クララ。デートは楽しかった?」
「…何か勘違いされているようですが、買い物に付き合っただけですから。お嬢様にお土産もありますよ」
頑なに認めようとしないクララに苦笑すると、つんと顔を逸らしてキッチンへ入っていく。直後、ドアを閉めずにこちらに顔を覗かせた。
「お嬢様、宅配が届いております。受け取られました?」
「…? いいえ、さっきまで寝ていたから」
裏口付近に積まれた箱に首を傾げていると、目の前のドアがトントンと叩かれる。
「ちわーっ、ミカワ屋ですーっ。すいません、先程宅配ミスがありまして、こちらに追加のお届け物に上がりましたーっ」
コボルトのサブちゃんが包みを渡してきた。この前注文した、魔界にしかないオオカムヅミと言う、とても甘い果物だ。
「あの、サブちゃん……さっきこの箱を届けた時、誰が受け取ったのかしら。私、寝惚けていたもので……」
「ああ、それならお客さんの旦那様ですよ。いやー、魔物の僕から見てもかなりのイケメンでした。奥さん、やりますねー」
「え、旦那……え??」
衝撃のあまり、まともな言葉が出てこない。私の旦那を名乗った…少なくともそう言われて否定しないと言う事は、もしかしなくてもチャールズ様よね? 魔物であるサブちゃんと言葉を交わして、驚かれなかったのかしら……いやその前に、私が寝ているのにどうやって部屋に入ったの? ここ、中からドアを開けないと入れないのに……ちょっと待って。
(完全に夢だと思ってたけど……まさか現実だった? いいえ、あり得ないでしょ。だって、だって…!)
「あのー、お客さん?」
「ごめんなさい。お嬢様は混乱中だから、また出直して下さる?」
つい先程の夢の内容を思い返してパニックを起こしている私に代わり、クララはそう言ってドアを閉めた。
ああ……チャールズ様には怖くてとても確認できないけれど、一体どこからどこまでが現実だったのかしら。まさか全部って事はないわよね? だってあんな……
「~っ!!」
「お嬢様!? どうされたのですか、熱でもあるのですか?」
「何でもない、何でもないの!」
あれは夢だった、忘れよう! そしてチャールズ様に聞かれても、覚えてないで通すのよ!