助っ人続々
目を覚ますと、部屋の中が真っ赤だった。天井も壁もベッドも赤い。普通、これだけどぎつい色合いなら目がチカチカしそうだが、不思議と落ち着く気分にさせられる。ここはどこだっけ…
「おはようございます、お嬢様」
クララが寝室に入ってくる。ようやく、昨日の出来事を思い出した。ここは魔法の鍵の部屋だ。
「もうお昼近い時間です。よっぽどお疲れだったのですね」
「ええ、まあ……」
昨日は色々と事態が動いて大変だった。この部屋の事もそうだが、カーク殿下が来襲…もとい、来訪したのが大きい。それにしても今まで話した事はなかったが、リリオルザ嬢があんな人だったなんて。イメージとしてはもっとお淑やかな癒し系だったのだが、あんな嵐みたいな人が殿下はお好みなのかしら。まあ御自身もそうなので似た者同士と言えばそうだが。
「そう言えば事後承諾となってしまいますが、ジャックを部屋に招き入れてしまいました。今キッチンを使わせていますがよろしかったでしょうか」
「そのつもりだったから構わないわ。…それにしてもクララ、貴女にとってジャックはもう信用してもいい相手なのね」
「お、お嬢様が認めているのに私がいつまでも反抗するのは良くないと……それ以上の意味はありませんよ」
気まずそうに口を尖らせる様に笑みが漏れる。侍女たちの嫌がらせで階段から落ちた時、自分のために激怒してくれた事に心が動いたようだ。普段おちゃらけているけれどジャックの方も本気みたいだし、これは時間の問題かも…
なんて事を思いながらダイニングへ続くドアを開けると、ジャックが出来上がった料理をテーブルに並べていた。おいしそうな匂いにお腹が鳴るが、恥ずかしさに赤面する私とは裏腹に、赤ん坊が育っている証拠だと二人は微笑ましそうだ。
「ここ、すげえですよね。一応冷蔵庫の食材をチェックしましたが、どれも鮮度に問題はありませんでした。恐らく空間ごと時間が止められていたんでしょう。人が入ってからは動き出しているようですが」
「ジャック、そこの裏口だけど魔物が入ってくるから勝手に開けちゃダメよ」
「クララから聞いてます。大した魔法ですよね、魔物の商人が物を売りに来るなんて」
ジャックが作ってくれたパンケーキと肉のスープ、それにフレッシュジュースを頂く。ウォルト公爵邸の息の詰まるような食堂とは違い、穏やかな空気に満たされる。今までとは違い、ここには私の味方しかいない。このままずっと、部屋に引き籠れたらいいのに……とは思うが、そうはいかないのだろう。
食事が済んで寛いでいると、入り口のドアがやや乱暴に叩かれる。
「アイシャ様、起きておられますか! お客様が来られましたよ!」
昨日から来訪者が続いている。一体誰が……と思ってドアを開けると、不機嫌そうなマーゴットが私の後ろを覗き込んでいた。
「アイシャ様、ドアを完全に閉め切られると困ります。この公爵家で何か起こされては、旦那様のご迷惑になりますから」
ジャックに聞いたが、私に招かれていない者が入口付近から覗き込んでも、中は黒いもやのようなものでよく見えないらしい。
しかし公爵様のご迷惑など、よくも言えたものだ。この魔法の部屋は三階にある黄金眼球の結界と同じく、閉め切れば中の様子はシャットアウトされる。私の動向を探れないと都合が悪いんだろう。
「ごめんなさい、元々この物置周辺は誰も来ないし掃除もされていなかったから、下手に開けっ放しにすると埃が外に出てしまうと思ったの。綺麗に掃除して下さるのなら、今からドアも窓も全開にしますね」
そこは私の生活空間ではないけど。
マーゴットは青筋を立てて悔しげに舌打ちをするが、「お客様がお待ちです」と会話を打ち切って玄関まで案内した。
エントランスには、大勢の女性たちがいた。十人…いや、もっとだろうか。この場にいる男性は執事長のロバートだけだ。その中で私は、見覚えのある顔を発見した。
「リバージュ様!」
「お久しぶりです、ゾーン伯爵令嬢。ここではウォルト公爵夫人とお呼びした方がよろしかったですか?」
ベアトリス様とは従姉妹関係にある、リバージュ=ドゥ=ルージュ侯爵令嬢だった。公爵夫人と呼ばれ、私は恐縮してしまう。
「ま、まだ式も挙げておりませんので。あの…よろしければアイシャとお呼び下さい」
「分かりました、アイシャ嬢。本日伺ったのは、ウォルト公爵邸の新しいメイドを手配するためです。公爵が全て首にしたと聞きましたので」
「メイドを?」
十人は多くないかと思ったが、それはロバートも同意見だったようだ。
「お嬢様、大奥様から伺っていた人数と違うようですが」
「半分は私の選りすぐりよ。何か問題でも?」
「……いいえ」
気になるワードを残し、メイドたちを案内するためその場を離れるロバートを見て、私は恐る恐るリバージュ様に問いかける。
「あの…お嬢様、とは?」
「ロバート=ポールセンはネメシス=ルージュ元侯爵夫人の子飼いなのです」
答えたのはマーゴットだった。
ネメシス=ルージュ…ベアトリス様の母方のお祖母様だ。マーゴットを送り込んだフェイス家とは敵対関係にあるので、ロバートとは仲が悪かったのか。
リバージュ様が周りに聞こえないよう、耳元に顔を寄せる。
「ごめんなさい、私もお祖母様に逆らえなくて…精々、この程度の牽制しかできません」
申し訳なさそうなリバージュ様に、首を振って宥める。
それにしても、ネメシス様か……お母様やガラン叔父様に聞いた話だと、絶対に関わってはいけない人らしいが、実際どんな人なのかは想像しかできない。
あのお父様と結婚する方がマシとか……
(ネメシス様にとって、私の血は……表舞台に出て来てはいけないものだったのでしょうね)
何せ、お母様の葬儀にルージュ侯爵家の誰も訪問に来なかった。これだけ母の存在が彼等の中でタブー視されているのは、ルージュ前侯爵の不義の子だからだ……と聞いてはいるが、それだけだろうか。貴族が愛人を持つなど、珍しくもない。よっぽど夫を深く愛して、裏切りが許せなかったか……だとしても、もう孫の世代なんだけど。
「では、これで失礼致します。ベアトリスも貴女の事を心配していましたから、元気だったと伝えておきましょう」
「あ、よろしくお願いします」
彼女の名前を聞けて笑顔になると、リバージュ様はおもむろに私の手をぎゅっと握りしめてきた。何だろう、無表情でじっと見つめられるとちょっと怖い。
そして「お待たせしました」と後ろに声をかけると、まだ顔を合わせていなかった客人が残っていた。
「初めまして、奥様。わたくし、第二王子の乳母をしておりました、マミー=ローファットと申します。奥様のご出産の手助けをするよう、申し付かりました」
でっぷりと太った迫力ある中年女性だった。だから奥様は早いんだけど…
「困ります、そんな話は聞いておりません」
「あら、殿下直々に、双鷹の従者の未来の奥方を頼むと仰られたのですわ、殿下直々に! それについて、何か不服でも?」
マーゴットもふくよかな方だが、マミーはそれ以上に丸々とした巨体だ。おまけに何度も「殿下直々」を強調するものだから、完全に押し負けている。マーゴットが顔を真っ赤にして私を睨み付けるが、代わりに追い払えとでも言いたいのだろうか。
「あのう……マミー様はカーク殿下の乳母でいらっしゃるのですか? 公爵様のではなく?」
「まあまあ、わたくしに敬語は不要ですよ。ええ、担当は第二王子殿下でございました。チャールズ様は既に乳を飲む時期は過ぎていましたからね。それでも時々様子は見ておりましたけども」
そうなのか。ではチャールズ様の乳母は? 育ての親はパメラ神官長ではあるけど、あの人は独身だし、誰が彼に乳を与えていたのだろうか……まあいいか。
考え事から戻ってくると、まんまるい目にずいっと覗き込まれ、ぎょっとして後退りそうになるが、逃がすまいと抱き込まれた。柔らかな胸に圧し潰され、息が苦しい。
「ぐえっ」
「まあまあ、何て可愛らしい! チャールズ様は恵まれない幼少期のせいか、けばけばしい令嬢とばかり遊ばれていたので、ろくな女と結婚できないと心配していたのですよ。最近はカーク殿下の方も……いえ、それはもう置いておきましょう。生まれてくる子もきっとすごく可愛いわ。わたくしが無事取り上げますから、ご安心下さいね!」
愛玩動物か何かのように頬擦りをされ、なすがままになる。悪い人ではないんだろうけど、カーク殿下やリリオルザ嬢とは別の意味ですごい。解放されてからも、私はしばらく呆けていた。
その手の中に、カサリと折り畳まれた紙が握られていた。リバージュ様が忍び込ませた伝言だった。