台風の目
玄関に向かうと、そこにいたのは確かにカーク第二王子殿下その人だった。たまに遊びに来る事があると聞いていたからそれはいい。ただしチャールズ様が家にいる時、ではあったけれど。ついでに当然のようにリリオルザ嬢を連れ、腰に手など回してらっしゃる。
「お出迎えが遅くなり、大変申し訳…」
「堅苦しいのはなしだ。ゾーン伯爵令嬢とは秋の式典以来だったな……今日はお前に話しておきたい事がある。三階の客室に行くぞ」
「えっ? は、はい…」
挨拶を遮られたかと思えば、一人で仕切ってさっさと階段を上っていくので、慌てて私も後を追う。チャールズ様の部屋に近い方だったので、そこには細工も何もされていない。さすがに殿下に対して嫌がらせをする訳にもいかず、侍女たちは縮こまってしまっている。
三階には、鍵が使えない開かずの間があった。私よりも公爵邸に詳しい殿下は勝手知ったるとばかりにその扉を開いた。ドアノブの上に取り付けられた、鏡を覗き込む事で。
その仕掛けは、学園の専用サロンと同じく、黄金眼球の魔力認証だった。
「入れ」
「……」
促されておずおずと足を踏み入れる。確かあの部屋には、盗聴が一切できないよう結界が貼られていたのだったか。そうなると、当然ここも……
ソファに向かい合わせに座らされ、相変わらず刺さるような威圧感に耐えていると、殿下は口を開かれた。
「何か、俺に聞きたい事があるんじゃないのか」
「…え?」
「この数日で思い知っただろうが、この家にはそこら中に監視者が潜伏している。この部屋を使えばいいと思うだろうが、あくまで俺のための客室と言う扱いだからこそ許されている。あいつが単独でここに引き籠れば、その時点で反逆の意志有りと見なされる。つまりあいつの口から機密を漏らす事はできないのさ」
「機密……」
公爵邸に来てから……違う、婚約が決まった時からずっと聞きたかった事。それが、何やら大層な事情があるらしいのは薄々察していたが。チャールズ様はここにはいないけれど、殿下が答えられると言うのであれば、私に知る権利はあるはずだ。
「では、お聞き致します。チャールズ…公爵様は私に、結婚相手を紹介すると約束されました。何故それが、公爵様本人だったのでしょう?」
「お前の胎の子の父があいつだからだが?」
「それはそうですけど、そう言う事ではなく…」
何を当たり前の事をと言いたげだが、私が聞きたい事…いや、して欲しい事ではない。
「殿下は公爵様に、ベアトリス様を口説くよう命じられたのでしょう? それなら私が婚約者になれば、不都合なのではないですか。現に妊娠を告げるまで、公爵様は御自身でそう吹聴されておりました」
事情を知っている側からすれば茶番でしかないが、チャールズ様がベアトリス様に懸想していると言う噂は学園中に広まっていた。私が現在、使用人たちから受けている嫌がらせの大半は嫉妬からだが、あとはこの噂を真に受けた者たちによる。
「不都合ではあるな。だがお前が子を産む事を望み、チャーリーが承諾したのであれば話は変わってくる。公爵家でなければ、その胎の子の命は守れん。知りたいのはその理由ではないのか」
指摘されて私は頷く。ウォルト公爵家は王族の中の反逆者の一族。その血は生涯監視されなければならないと言う話は何度も聞いたが、監視自体であればその役割を負った貴族が私を囲う事もできたのではないかと思ったのだ。
「台風の目、は知っているか」
「はい? 台風の中心は雲や風のない穏やかな状態の事ですよね」
「そうだ。チャーリー…ウォルト公爵には様々な勢力による監視が付けられている。反逆者を殺すべしとする者、逆に王家に謀叛を企む者、取り込んで利用しようとする者…公爵邸の使用人たちはお互いの主人の思惑が牽制し合って、それが却って公爵を害する事を防いでいるのさ」
納得がいった。それで普通の貴族ではダメだったのか。もしも特定の勢力の一端に囲われても、それ以外の者たちから集中攻撃を受けて潰されてしまう。ならば最初から中心にいた方が周りの動きが見えやすい。
「ですが、完全に悪意から逃れる事はできません。私も二階の客室から移らざるを得ませんでしたし……」
「お前が侍女たちの嫉妬に晒される件については、あいつの片手落ちだろう。今までチャーリーにとって守る対象は俺を除けば自分しかいなかったし、見たところまだ心の整理がついているとは言えん」
その件に関しては、つい先程解決した。秘密の部屋に逃げ込んでドアを閉めれば、こちらから開けない限り誰も入って来れない。しかもどうやら、鍵穴さえあればどんなドアからでも入れるようなのだ。
問題は、生まれてくる子の事だった。
「あの…子供がもし男の子だったら、目の周りに入れ墨をして…いずれは失明してしまうと聞きました。それはどうしても避けられない事なのでしょうか」
「ああ、ウォルト公爵子息が生き延びるための決まり事だからな。反逆者の子孫と言うしがらみから逃れるためには、完全に瞳の継承を断ち切ってしまう他ない」
「今まで逃げ出した人はいないのでしょうか。例えば……修学旅行中とか」
スティリアム王立学園では国外に研修に行く時期がある。私も在学中に行ったのだが、その際カーク殿下もチャールズ様も同じ船に乗っていた。間違いなく国の外に出られるのだ。
「お前は、王族が国の外に出るのに監視が付かないとでも思っているのか?」
「で、ですがウォルト公爵子息のように、平民になられた方が…何とか監視の目を掻い潜って、とか」
「ないな。これは王族と一部の貴族しか知らない事だが、スティリアム王国全体には王家の者――正しくは黄金眼球を持つ者だが――の国の出入りを感知できる結界が張られている。もしも公爵邸から抜け出して船で国外逃亡を考えているのなら、止した方がいい。すぐに感知されて追い付かれてしまうからな」
何となく考えていた、逃亡ルートに釘を刺されて黙り込んでしまう。無謀だと分かっているので本気で策を講じていたわけではないが、それにしてもそこまでして王族を国に閉じ込めようとしているのは、誰なのか。この国で王家よりも権力を持っている勢力など、あるのだろうか。
そして彼等はチャールズ様を、この子の存在を邪魔だと思っているのだ。背筋が寒くなった。
「不安か? ならば対抗策がないわけではない。勢力争いや女の嫉妬で命の危険に晒される事も、チャールズの足を引っ張る事もなく、お前も子供も身の安全を保障される。どうだ…?」
「そんな方法があるんですか!?」
これまで絶望的な話しか聞かされてこなかったのに、そんなあっさり解決できるものなのだろうか。上手い話には裏がある。特にこの王子様は、厄介事に何かと人を巻き込んできた。
カーク殿下はニヤリと凄みのある笑みを浮かべ、私に手を差し出す。
「俺の女になれ、アイシャ=ゾーン」