君は一体、何なんだ
『アッハハハハ……!』
この場に似つかわしくない、軽快な笑い声。
カランコエだ。
私の心が裂けてしまいそうな時は、いつでも居てくれる。
「な…何だ突然、君は……」
『ああ、笑って悪かったね。なに、あんまり可笑しかったもんで、ついね』
チャールズ様が呆気に取られている。無理もない、それぐらいカランコエの登場は、あまりにも唐突だったのだ。
『で、何だっけ……そうそう、子供を殺してしまった方が幸せ、だっけ?』
クックッと含み笑いを漏らしていたカランコエは、ぴたりと収めると鋭い視線でチャールズ様を睨み付ける。
『ふざけんな、このカス。他人の幸せ決められるほど、お前は人生経験積んでんのか? まあ女性経験は多いみたいだけどな、キシシシ』
あまりにも口が悪いので、私はヒヤッとした。学園内とは言え、公爵様にこんな下品な揶揄して許されるわけがない。
案の定、チャールズ様は顔を引き攣らせている。
「君は…女狐のような事を言う。確かにアイシャ嬢を傷付けた私が言う事ではないかもしれない。ただ……かつて経験してきたのは確かなんだ。祖父の罪と血の宿命から、私は逃れる事はできなかった」
『ああ、お前はそうなのかもしれないなー…でもさ、それってまったく同じ人生になるって、断言できんの? だってそうだろ、アイシャ=ゾーンはお前の母親じゃない』
カランコエの助け舟は、私に光明を見せた。そう、この子が同じ道を歩むとは限らないのだ。チャールズ様が王家に反逆など、しようと思ってもできない。それを証明するための、双鷹の誓いなのだから。
『そもそも、お腹の子の父親がお前だって、いつ言ったよ?』
そこで溜息交じりに大前提を引っ繰り返され、チャールズ様は仰天する。
「はあっ? 今まで当たり前のように言って……たか? いや、そんなはずは」
混乱するチャールズ様だが、私もそうだ。当然、チャールズ様以外にいないのだが、カランコエはここに来て何のハッタリのつもりだろう。
『お前もそんだけトラブル起こしてりゃ、一つや二つあったろ。貴方の子よって騒ぎ出す女。まあ生まれてみりゃ正しいかどうかは判明するが。
……だったら逆に、生まれてくるまでは絶対にお前の子だって言い切れないだろ』
前回、チャールズ様から聞いた話を持ち出すカランコエ。私がそうだと思われるのは納得いかないのだが、何故かチャールズ様はムッとした声を上げた。
「なら、君には他に心当たりでもあるのかい」
問われてカランコエは、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、得意気に胸を逸らした。
『決まってんだろ、男神ブラッド様だよ。あれ、知らない? ゾーン伯爵領では年末に、啓蒙な聖マリエール教徒のためにブラッド様が肉をお恵み下さるんだ。嘘だと思うなら領民に聞いてみなよ。
そんなわけで、神の御意志により領主の娘が受胎する事だってあるのさ』
うん…それはさすがに、無理があるわカランコエ。チャールズ様もポカーンとしているし。…ハロルド先生は堪え切れずに爆笑していた。
直後、我に返ったチャールズ様は怒鳴り付けた。
「そっ、そんな屁理屈が通るか! 大体、外から来た宗教の神が我が国に奇跡を起こすなんて戯言…」
『あれー? お前がそう言う事言っていいわけ。確か親愛なるカーク殿下のお気に入りチャンも、聖マリエールの生まれ変わりって話じゃなかったっけ』
「……っぐ」
カランコエにやり込められ、屈辱的な表情で唇を噛むチャールズ様。ベアトリス様以外にこの御方にこんな顔させるなんて、さすがカランコエ。
それにしても、チャールズ様は聖マリエール教に対してはあまりよく思っていなかったのね。神官長に育てられたと言う話だけど、それはそれなのかしら。
『まあ、宗教談義はどうでもいいよ。国外に出れば関係ないし』
「国外!? このまま貴族である事を捨てて、逃亡する気か…ダメだ、この国のすべての王族は監視されている。特に国内外の行き来はすぐにバレるし、当てもない。危険過ぎる!」
そうなの? この学園の修学旅行には当然カーク殿下も参加されるはずだけれど……最中に監視から逃れて国外で潜伏、なんてのも不可能なのかしら。
あと、チャールズ様が不穏な事を口にしていた。すべての王族は監視? 何それ、ウォルト公爵だけではなかったの?
増え続ける謎に頭を抱えたくなる中、カランコエは知った事かとばかりに踏ん反り返った。
『できるよ。父さんの馬車を使えば、この世界の理なんてどうとでもなる』
「何の事か分からないが……君は魔法の存在を知ったばかりだ。その恐ろしさは想像も付かないだろう……あの女の事も」
カランコエの言う「父さんの馬車」とは、ナイトメアの引くキャンピング馬車の事。魔界の城と繋がる、まさにチャールズ様の言う「魔法」そのものなのだが、ここで彼に明かすわけにもいかない。
『ああ、お前等がビビッてんのって、ネメシスのババアか? あんな旦那一人の心も掴んでおけない女なんて、恐くも何ともないね』
心底バカにしたようにせせら笑うカランコエに、チャールズ様も私も凍り付いた。あの御方に比べたらカーク殿下もまだまだ可愛い子供でしかなく、絶対に怒らせるなと言うのがこの数十年、王侯貴族の間での暗黙の了解となっていた。
密談中とは言え、あまりにも命知らずな発言に、私は戦慄する。
(カランコエ、それ以上は!)
『おっと、失言失言……まあ子供が生まれるのが面倒事なら、最初からこんな行為に浸らなきゃ良かったんだ。
お前も色々あるんだろうが……人に当たるか当たらないかの乱れ撃ちでスリルを楽しんで、うっかり流れ弾に当たった相手に文句付けるようなもんだろ』
私の批難にカランコエはペロリと舌を出すが、毒舌は止まらない。ズバズバと斬り捨てられたチャールズ様を無言のまま凹ませてしまうが、ネメシス様にすらあそこまで言った後では、最早咎める気も起きなかった。
(でも何か……スッキリした)
元凶とは言え、抵抗してこないと分かっている相手を一方的に責め立てるのは気が引けるけれど。三ヶ月前、ベアトリス様の扇子で殴ったあの時よりもずっと、カランコエが代弁してくれた今の方が、彼に本心をぶつけられた。
私の様子にカランコエはふふんと満足げに笑うと、ソファから立ち上がった。
『と言うわけで、この話ももう終わり。アイシャ様はお優しいから、クズで頼りにならないお前を忘れて、この子の事を全力で守ると決めたんだ。
じゃあな、一生そこで後悔してろよ』
そこまで一気に捲し立てると、カランコエはサロンから出て行こうとする。と、項垂れていたチャールズ様はすぐさま立ち上がり、私の腕を掴んできた。
「分かった……分かったから。君の意思を尊重する。もう子供を殺せなんて言わない。過ちを犯した分は…一生かけて埋め合わせするから」
このままでは一人で産みかねないと悟ったのか、チャールズ様は必死に引き留めてきた。一生とは重い話だけど、人一人分の命を養うのだから、時間もお金も相当必要になるだろう。私はホッと息を吐いた。
「本当ですか? あの、絶対にご迷惑はおかけしません。どのような身分でも構いませんから、結婚相手と子供の養育環境をお願いします」
「……ああ。ただし、君が思う以上にこの血が持つ因果は厄介なんだ。子供の存在はいずれ周りに知られる事になる……だから君には、一番安全な場所に居てもらう」
血が持つ因果って……また大袈裟な。確かにどちらも出自が特殊ではあるけれども。それでも血筋のために苦労したチャールズ様の気にし過ぎだなどとは言えず、私は黙って承諾した。
とりあえず話がまとまった頃には、チャールズ様はぐったりとソファに沈み込んで顔を伏せ、ハロルド様は面白そうに私たちを見比べていた。すっかり蚊帳の外にしてしまったけど、この人にとってはいい見世物になってたな…
「しばらく彼についててあげるから、もう先に戻りなさい」
「はい、よろしくお願いします」
二人に頭を下げ、部屋から失礼しようとすると、チャールズ様が呻くようにカランコエに投げかける。
「……君は一体、何なんだ」
それは、当然の疑問だろう。私も何と説明したらいいやら迷っていたが、カランコエは飄々と肩を竦めて答えた。
『何だ、調べたんじゃなかったの?
…お前もよく知ってる、リバージュのイトコだよ』
それだけ言うと、カランコエは私をあっと言う間に廊下へ連れ出したのだった。