私の体がこの子を殺す
※妊娠、中絶に対する価値観や法律の話が出てきますが、すべてファンタジーです。
約束の三日後、私はカーク殿下がよく利用されると言う、専用サロンの前でうろうろしていた。扉に鍵穴はなく、小さな鏡が嵌め込まれていて、覗き込んでもうんともすんとも言わない。誰かに見つかるのが厄介なのもあったが、もう一度カーク殿下にお会いするかと思うと、緊張のあまり無意味に歩き回ってしまう。
「待たせたね」
「ひっ!」
ドキッとして振り向けば、チャールズ様と教師らしき男性が立っていた。髪も目も真っ白で眼鏡をかけていたが、年齢自体は三十もいっていないように見え、殿下ともチャールズ様とも違った大人の色香と言うか、ミステリアスな雰囲気を纏わせている。
チャールズ様が鏡を覗き込むと、扉はあっさりと開いた。
「さ、入って」
「チャールズ様、この扉は魔法で開け閉めするのですか?」
「そう、鏡に王家の証の黄金眼球を写さなければ、外からは開けられない。これからする話は誰にも聞かれるわけにはいかないのでね、カーク殿下に許可を貰った」
と言う事は、殿下がここに来るわけじゃないのか……ホッと力が抜けたが、そうなると横にいる男性が気になる。とりあえず促された私は前回よりもさらにふかふかのソファに座らされ、二人は向かいに腰かけた。
「まずは、紹介しておこう。魔法薬学教授のハロルド=ミナイ殿だ。殿下やリリオルザ様が所属する、実験クラブの顧問でもある」
「よろしく。魔法薬学を習うのは特殊科の三年生だから、僕と会うのは初めてだろうね」
「ど、どうも……」
怪しげな外見とは裏腹な爽やかな声に戸惑いつつも会釈を返す。ハロルド先生と言うと、媚薬…いや例の魔法薬で殿下に協力していたと言う人か。もし使用目的を知っていて薬を渡したなら大問題だが、殿下が勝手に持ち出した可能性もあり、何とも言えない。少なくとも飲酒しない限りはただの臭い香水でしかないので、学園内であれば危険性はないはず。
それはさておき。
「ハロルド先生は、何故今日この場に?」
ひょっとして、私に紹介してくれると言うお相手かしら。教師だからそれはないとは思うけれど。
「彼には、これから君に渡す薬についての説明が必要なので、この場に呼んだ。そのために今までの経緯も話してある」
「まったく、カーク殿下には困ったものだ。いくら自分が王太子に……おっと、とにかく僕まで疑われて大変だったよ。君もうちの魔法薬のせいで、災難だったね」
ハロルド先生が何かを言いかけて誤魔化したが、彼がここに居る理由は要するに私に薬を飲ませるため…らしい。
薬、と聞いて思わず身構えてしまう。チャールズ様と薬が絡むと、本当にろくな事にならない。
「違う、別に変な薬じゃない。今、君が抱える問題の中で、一番大きな件を解決させるんだ」
そう言って目の前のテーブルにトンと置かれたのは、何時ぞやの小瓶。うわぁ、中身もそっくりなんだけど、本当にあれじゃないんだろうな……
「魔法薬ですか? これには何の効果が…」
「中絶だ」
「…ッ!!」
さらりと告げられた恐ろしい言葉に、息が止まった。解決するって、ごり押しでなかった事にする気なの!?
「何考えてるんですか、聖マリエール教では中絶は禁止ですよ!?」
「正確には、禁止されているのは中絶手術だな。法律の方は妊娠四ヶ月以降の無許可での堕胎が殺人扱いになる」
聖マリエール教において、中絶は罪深い事とされる。とは言え、避妊薬も中絶に含まれると言えばそうだし、推奨はされないものの罰則も特にない。ただ母体を心身共に傷付ける上に手術代も高いので、大抵は産む方を選択される。
「処置は遅くなればなるほど体に負担がかかる。今は三ヶ月……これを飲んだ後はしばらく体調不良が続くが、通常よりも母体の安全を守れる。最近やっと完成まで漕ぎ着けたそうだ」
「一体、何のために魔法薬で中絶なんて……」
最近完成したと言う事は、私の件は無関係のはずだ。と言うか、魔法薬の研究をしていたのって、ハロルド先生以外では主に実験クラブの面々よね? 殿下やリリオルザ嬢が絡んでいるのかしら。
「君は、孤児院の抱える問題についてどう思う?」
「孤児院…?」
何の話かと思いつつも、伯爵領の孤児院を思い出す。教会への寄付で運営が成り立っているが、場所によっては建物を改築出来なかったり、孤児の受け入れ問題が発生していると聞く。それと魔法薬に何の関係が……
「リリオルザ様は孤児院出身だが……常々考えていた。何故、育てられないのに子供を産み、捨ててしまう親がこんなにも多いのか。倫理や経済の問題もあるが……一番に取りかかるべきは中絶の状況改善だと。
教会では中絶は推奨されず、対処に二の足を踏む御婦人は多い。また強い薬や手術により、中毒や合併症になるケースもある。魔法薬でこれらの負担を軽減すれば、産まない選択によって孤児を減らす事にも繋がる…のだと言っていたな」
産まない選択ね……教会に睨まれそうだけど、望まない妊娠をした女性を大いに助ける事になるし、将来的には受け入れられるだろう。孤児院はまだまだ必要ではあるが、親のない子を増やさないに越した事はない。
私はハロルド先生に確認する。
「実現すれば大変素晴らしいと思います。ところでこの魔法薬、おいくらですか?」
「開発したばかりだからねぇ…まだ特許も取ってないし、金貨二十枚ってとこかな」
「かはッ!!」
高っ!! こんなちっちゃい瓶一本で金貨二十枚!? しかも学生が趣味で作った扱いでこれだから、正式に申請すれば……ダメだ、今のとこ貴族がやらかした後処理ぐらいにしか使えない。庶民の皆さんごめんなさい、私は非力な伯爵令嬢です。
「これは私からの賠償の一つだから、値段は気にする必要はない。本来なら私があの場できちんと説明して、事後薬を飲ませるべきだった……
頭に血が上っていたとは言え、思い至らなくて本当にすまなかった」
「いえ、思い至らなかったのは私も同じです。それに……」
謝るなら計画を立てた時点から、つまりベアトリス様にでしょう?
その言葉は喉元で飲み込んだ。この期に及んでまだ他人の方の心配をしていると、変な目で見られる。
「それで、引き続き結婚相手の紹介はして頂けるんですよね。私としましては、子供がいなければ修道院でも構わないのですが」
修道院では子連れで入る事は出来ない。産んだ後で離れ離れにされて、孤児院に入れられるくらいなら、連れ子ごと受け入れてくれる人との婚約を決めておきたかった。どうせ産むなら適切な環境で育てたい。
「そう言うわけにもいかない。君の婚約が白紙にされたのも、私のせいなんだろう? 結婚後もできる限りサポートさせてもらうつもりだから」
…この御方、思っていたよりも律儀だった。まあ慣れているだけとも取れるが、後腐れをきっちりなくしておくのもこちらとしては願ったり叶ったりである。何はともあれ。
「安心しました。では、せっかくなのでここで……」
私は小瓶を手に取る。後回しにしたせいでこんな事態になっているのだから、さっさと目の前で飲んでみせるのが精神安定上よろしいだろう。
「あの、これ……本当に安全なんですよね? 効き過ぎて副作用とか…母体にも毒になるなんて事は」
そう、分かってはいるが未知の薬を何の躊躇いもなく……と言うわけにはいかず、つい視線をチラリと彼等に向けた。
「んー? 君、通常の薬と魔法薬の違いを分かってないようだね」
私の問いには、ハロルド先生が何故か嬉々として解説を始める。薬を作った以上はこの人にも責任の一端はあるはずだが、清々しいほどにチャールズ様に丸投げしている。この突き抜けっぷり、変じ……研究者とは皆こんなものなんだろうか。
「魔法薬とは、言わば人の体に『訴えかける』薬だ。怪我をしたなら回復するよう、眠りたいなら眠気が来るよう、変化したいなら細胞を変換するよう、脳からの指令を出させる。その際に必要な作り手の魔力は、敢えて分類するならば『幻惑魔法』とでも言おうか。各効果が体に現れるべきだと、脳に錯覚させるのだよ。
ただ、人間の体は基本的に生きるようにできている。心臓を止める、息の仕方を忘れるなど、一時的な仮死状態にはできても、完全なる死への命令は脳からは出せない。自力では死ねないんだ。それなら普通に毒薬を作った方が早い。
中絶効果とは、胎児を異物だと、有害な存在だと脳に認識させる。母体に毒を投与するのではなく、母体が胎児を毒だと判断するのだよ。君自身が、安全な方法で細胞を分解し、体外へと排出させる薬と言うわけだ」
長々とご高説賜ったが、要は毒などの害になる成分はないよと言う事。チャールズ様も、少し言い難そうに補足する。
「試薬テストも、その……中絶手術を取り扱っている病院に頼んで、希望者に受けてもらい、データが取れている」
そうか、毒じゃないのか……よかった、口封じとかじゃなくて。小瓶の蓋を開けて匂いを嗅いでみると(美男二人の前でするにははしたなかったが)、媚薬とは違い無臭のようだ。
よかった……実は不安だったんだよね。産むにしても手術にしても、女性には命張った大仕事だし、傷が残るのも怖い。連れ子がいれば、結婚相手の幅が狭められると言うのも真理だ。
だから、これでいい。元々、チャールズ様とはこのまま何事もなく終わるつもりだったし。妊娠がなかった事になる、ただそれだけ…
さあ、ぐっと飲め。
『――イキタイ』
「えっ?」
中の雫が落ちる瞬間に誰かに話しかけられ、私は傾けていた小瓶を口から離す。
『イキタイ』
「だ、誰?」
『シニタクナイ』
「どうしたんだ?」
「聞こえるんです、声が」
『アイタイ、ウマレテキタイ』
「『お、かあ…さん……』」
聞こえてくるままに声に出すと、脳内にかつて見た光景が浮かび上がった。
幼き日の私に、誕生日プレゼントだと母から差し出されたお人形。金髪を緑色のリボンで結んだ、青い目の女の子を、私はミルキーと名付けた。
私が初めて見た金髪の少女は、サラではなくミルキーだった。
『みるきーちゃん、わたしがままよ』
『ねぇ、アイシャ……貴女、妹欲しくない?』
『いもうと…?』
『アイシャがお姉ちゃんになる…としたらって事』
『んー、わかんない。おねえちゃんよりままになりたい』
『うふふ、そうね。まずはお嫁さんになってからね。それまでは、ミルキーちゃんをいっぱい可愛がってあげて』
そう言って撫でてくれるお母様の手がくすぐったくて、腕の中のミルキーをぎゅっと抱きしめようとする。
『飽きちゃった』
サラの声がして、ミルキーが腕からスッと消えた。
「あ……」
足元に転がる、人形だった残骸。
『もう、いらない』
バラバラになった体のパーツ。首だけになったミルキーが、物言わぬ目で私を見つめている。
「コ、ロ、サ、ナ、イ、デ」
カン、と私の手は小瓶をテーブルに戻していた。
チャールズ様が目を丸くして、私を見つめている。
ぼた、ぼた、ぼた…
私の目から、大粒の涙が溢れ出していた。
「……ろ、せない」
あの声を、聞いてしまったら。
「私には、殺せません……」