言ってしまった
お昼を挟んで、私たちはベアトリス様が用意した談話室でチャールズ様を待っていた。ちなみにランチは少しでも食べた方がいいと分かってはいたものの、途中で戻してしまわないよう、カフェテリアではオレンジジュースのみを注文した。
談話室ではベアトリス様にローズティー、私にレモンティーを淹れると、リバージュ様は退室され、二人きりになった。
「ふふ、そんなに緊張されなくても大丈夫よ」
「へっ」
きょとんとするが、カップを持ち上げると中の紅茶がカタカタ波打っている。はっ恥ずかしい……確かにまたベアトリス様とお会いできて興奮してはいるけれども。これからチャールズ様に告げる事を思うと、胃が痛いのもあるのよね。
「チャールズ様が来られるまで、少しお話しましょうか」
そうおっしゃって頂けるなら……ベアトリス様の配慮に甘えて、私は気になっていた事を聞いてみる事にした。
「あの、では……あれから殿下との婚約の方はどうなったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
他人事だと切り捨てられてしまったが、私だって巻き込まれたのだ。顛末を知る権利くらいはあると思う。あまり口外できない事情なら構いませんが、と予防線を張ると、ベアトリス様は溜息と共に扇子を広げる。
「父の判断で、とりあえず様子見となったわ。例の魔法薬は隠蔽されて殿下たちは知らぬ存ぜぬと言う態度だし、チャールズ様も表向きは禁断の恋だの何だの茶番を続けているし。まあそれを口に出せる時点で、殿下が私を何とも思ってらっしゃらない事が広まってしまって、父はカンカンですわ。
……とは言え、父の立場から下手に動けないのも実情ですの。何せここでチャールズ様を罰してしまえば、事によっては殿下の御命に係わりますし、第二王子の派閥内で揉め事が拡大する事は第一王子派に付け入る隙を与えてしまいます」
そうなのよね……ここで感情の赴くままに騒ぎ立てれば、情勢がどう傾くか分かったもんじゃない。宰相がここまで慎重になっているところを、一介の伯爵令嬢である私が踏み込んでいったら…!
そのあまりの重さに慄いていると、「チャールズ様の女性関係は別件だし、当然の権利なのだから貴女は気負わなくてもよくてよ」と言われてホッとした。
憂いているところを逆にフォローさせてしまったので、私も何とか慰めようと口を開く。
「一体何故、カーク殿下はあのような迂闊な手に出られたのでしょう?」
それは既に、あの日の夜にベアトリス様が抱いた疑問だった。けれど、確かにおかしい。リリオルザ嬢との結婚を望むなら、ベアトリス様を引き摺り下ろさなくとも側妃に迎え入れればいい。身分の方も、王太子候補に取り入るためにリリオルザ嬢を養子に、と手を挙げる貴族も少なくないはず。
それに、チャールズ様の主張する「ベアトリス様を愛している」との言い訳にしてもそうだ。ここからカーク殿下の目論見の一つが、婚約者を最も信頼する部下に下げ渡す事だと窺えるが、そうなるとベアトリス様への仕打ちは嫌がらせではない……? では、何のために…?
「あれからお互いが警戒心の塊なので推測の域を出ませんが、ある可能性に思い当たりましたの」
「そ、それは……?」
先を促すと、ベアトリス様は目をぎゅっと瞑った。
「口に出すのも憚られて…こんな事、誰にも言えませんわ。あまりにも、馬鹿馬鹿しくて……」
耐えるようなベアトリス様の手に、思わず触れる。自分の想像を認めたくなくて身を震わせるその様を、しかし私は利用しているのだ。他人の心配している内は、自分の事を棚上げしていられるから。
己の浅ましさに自己嫌悪に陥っていると、切り替えたように上品に微笑まれた。
「どう? 少しは楽になりましたかしら」
「え…あ、はい」
「そう、良かった……貴女、何だか顔色が悪いようだったから」
何もかも見抜かれていたようで、ぎくりとした。この御方にも、私は秘密を打ち明けなければならない。最初はチャールズ様と二人きりにならずに済んだと安堵していたが、今では清廉な彼女を巻き込む事が申し訳なくて、少しだけ後悔が芽生えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
数分後、リバージュ様からチャールズ様が来られたと知らせがあり、私は再び緊張で身を固くした。
「では、私はこれで失礼致しますので、鍵をよろしくお願いします」
そう言って礼をして退室する彼女と入れ替わりに、チャールズ様が入ってくる。
バクバクバク…と心臓がうるさいくらいに鳴っている。
「アイシャ嬢、お茶のお代わりを淹れますわ……新しいレモンも用意しますから」
「あ」
無意識に紅茶用のレモンを口に入れた事に気付き、真っ赤になって皿に戻す。ダメだ、頭の中ぐちゃぐちゃになってる。
「ベアトリス嬢、さっさと用件を済ませてくれないか? 私に会いたい令嬢がいるなら、わざわざ談話室じゃなくとも」
「たった三ヶ月でもうお忘れかしら? 彼女、見覚えはない?」
隣り合った私とベアトリス様の真正面に座ったチャールズ様は、訝しげに私を見つめる。まじまじと見られて、思わず私は視線を逸らした。何で私の方が悪い事したような気になってるの…
「君は……さっきの」
直近の記憶しかなかった。そうよね、もう三ヶ月も経つのだからね……。ベアトリス様は頭痛を堪えるポーズを取っている。
「呆れた、ご自分が手を付けた令嬢の顔も分からないの。記念式典の日に貴方が私と間違えた、アイシャ=ゾーン伯爵令嬢ではありませんか」
「えっ!」
俯こうとしていた私の顎が持ち上げられ、逃れられない状況でチャールズ様の顔がアップになる。
(ぎえええぇぇっ)
美しさで人が殺せるなら、私は今頃ペチャンコに潰れているだろう。
浄化の光に消滅させられる雑魚モンスターの気分で、思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。プルプル震えながら拷問に堪えていると、ベアトリス様の扇子がペシリと彼の腕を叩いた。
「無遠慮な真似はお止めなさい。殿下の品性まで疑われますわよ」
「…殿下は関係ないだろう」
ムッと手を離された事で、私はぜいぜい息を吐きながらテーブルに突っ伏しそうになった。あの時はベアトリス様たちに巻き込まれた流れで平気だったけれど、今からこんな調子で私、ちゃんと言えるのかしら。
「そうか、君はあの時の……どうして連絡をくれなかったんだい。こっちは示談の用意もしていたんだが、てっきり関わるのが面倒になったのだとばかり」
バレてる……
ウォルト公爵家の連絡先はドレスが届けられた際に書いてあったのだが、見つかる前にビリビリに破いて証拠隠滅した。残しておけばよかったような気もするけれど、絶対に面倒な事になると思ったのだ。結果は大して変わらなかったが。
「あ、あの時はチャールズ様のお手を煩わせたくなかったと言うか、お互い忘れるのが一番だと判断したのですが……あれから事情が変わりましてですね、図々しくもお力を拝借したくっ」
「アイシャ嬢は謙虚ですのねぇ……この程度のトラブル、チャールズ様は日常茶飯事ですのよ。遠慮せずに体中の毛と言う毛まで毟り取って差し上げて」
よく回らない口で必死に言葉を紡いでいると、ベアトリス様が高笑いで挑発する。……うーん、連れて来て正解だったんだろうか。
チャールズ様は話がなかなか進まないので、うっとおしそうに髪をくしゃりと掻き上げながら言った。
「人聞きの悪い事を言うな、女狐。私だってここ最近はトラブルも起こしていない。それに、さすがに人違いは今回が初めてだ」
以前はよくあったんだろうか……まあ、だからこそ噂にもなると言える。その辺あまり突っ込んでもきりがないので、慣れているのならさっさと対処してもらおう。
「ええと……それで頼みと言うのはですね、結婚をお世話して頂きたくて…」
ぴたり、と口喧嘩が収まった。チャールズ様とベアトリス様が、同時に私を凝視している。やめて、そんな二方向から麗しいご容貌を向けないで。
やがてチャールズ様が、改まった声で諭す。
「君、分かっていると思うが……ウォルト公爵夫人になると言う事は、私と同様に生涯監視対象にされるぞ。他にも大変な苦労をさせ…」
「ちがっ、違います!!」
思わず大声で否定した。そっちじゃない!
「実はあれから、婚約が決まりかけていた相手に例の事がバレまして。白紙にされたのを父が激怒し……学校も今年度限りで辞めろと」
グシャッと何かが潰れる音がした。見るとベアトリス様が強く握りしめたため、紙製の扇子に皺が寄っている。
「酷いわ…」
怒って下さるんだ、私のために……それだけで、私は嬉しい。
「私の名は出さなかったのかい?」
「お伝えしましたが、まったく信じてもらえませんでした」
もしかしたら、メディア子爵が確認のために公爵家に連絡を取っていたら何かが違っていたのかもしれない。…いや、どうだろう。元々私との婚約には乗り気じゃなかったしな、あの人。
「それで、婚約が二度もダメになりまして、このままでは貰い手がないからと、強引に修道院に行かされる事になり……
ですからチャールズ様には、誰か好い殿方をご紹介願えたらと」
そう、チャールズ様は派手に遊んでいる以上、絶対に私のようなトラブル(人違いの方ではなく)を起こしていると思うのよね。だから当然、その辺の対応も素早いはず。メディア子爵のような殿方ばかりではなく、事前に説明と準備をしていれば気にしない人は気にしない。
案の定、私の頼みは快く聞き入れてもらえた。
「そう言う事なら、きっちり責任は取らせてもらうよ。何だったら、持参金もこちらが負担しようか」
「ええっ、いいんですか!?」
私の父、浪費家の癖にケチだから助かった……毛と言う毛まで毟る気はなかったけれど、この際貰える物は貰っておこう。
「元々、君には示談のためにいくらか用意していたから、どうか受け取っておいて欲しい。…そうだ、どうせなら殿下にもご協力願おう」
「お……え、いえいえ!? そんな、殿下にまでお手をわず、煩わ…」
やっぱり殿下にも事情を言わなきゃダメかー…できれば避けておきたかったわ。計画を潰されて、さぞや私を恨んでおいでだろうから。
「アイシャ嬢、鳩公さんは男友達がほとんどいないから、殿下のコネを使った方が早いのですわ」
「黙れ、女狐」
「あ、はは……」
仕方ない……ベアトリス様の件ではしらばっくれていても、チャールズ様へのお力添えと言う形で殿下には償って頂く……と言う事にしておこう。
チャールズ様はペンとメモ帳を取り出し、サラサラと書き付け始める。むっ、なかなか良いペンをお持ちで。あのデザインは見かけないな……まだ市場に出回っていないやつかな? 以前ウォルト公爵は商人ギルドから直接買う事は出来ないと聞いたから、殿下からのプレゼントかもしれない。
私も欲しいな……。すごくお高いんだろうけど、後で一応メーカーは聞いておこう。
「では、この件は殿下にお伝えしておこう。何か相手側に望む条件などはあるかい?」
「相手に望む……」
手元に落としていた視線をスイッと上げられ、私は目を細めた。金色の瞳は外の光を反射しているのか、それ自体が光っているのか、見つめ合うと比喩でも何でもなく眩しいのよね。
そうね、一生を共にする相手だし、欲を言えばいっぱいあるけど……まずはこれだな。
「大前提として、子持ちでも良いと言う方をお願いします」
サラサラ…とペンを走らせる音が止まった。チャールズ様が意外そうな顔で顎に手をやる。ドクン、と心臓が跳ねた。
「子持ち……? 君、まだ学生だろう。ああ、孤児を養子として引き取りたいと言う事か」
「いえ、これから産むのです。私……妊娠してますから」
ボキッ、と何かが折れた直後、バクバクバク…と自分の心臓の音以外聞こえなくなった。
言った……チャールズ様に言ってしまった。ベアトリス様が扇子を口に当てたまま、息を飲んでこちらを窺っている。お二人の反応が怖くてたまらないが、後はなるようにしかならない。
喉がカラカラなのでカップに手を伸ばすと、指先に何かが当たった。チャールズ様の手元から落ちて転がってきた、割れたペン先だった。
筆圧凄いな…