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もう誰にも奪わせない  作者: 白羽鳥(扇つくも)
第二章 針の筵の婚約者編
26/99

兆し

※嘔吐描写があります。

「お姉様、ここのところ太ったんじゃない?」


 お茶の時間に、サラに不躾にそう言われ、私は首を傾げる。体重計と言う代物はこの国では主に医療機関に置かれていて、健康診断の時ぐらいしか世話にならないので、身長よりも変動しやすい正確な体重は分からない。よって見た目で判断するしかないのだが、自分ではそんなに変わったとは思えない。


「そうかしら?」

「そうよ、顔が何となく丸くなったと言うか。ダメよ、もうすぐ伯爵領で聖誕祭の劇をやるんだから。魔女リリータがそんな丸々としてちゃ締まらないわ」


 聖誕祭……もうそんな時期か。

 年末には聖マリエールの生誕を祝う行事が行われる。大まかな内容は各教会に任せられているが、我が伯爵領の大教会においては素人劇が数本と、スープの炊き出しが振る舞われている。サラが私のドレスと役柄を奪って大恥かいた子供劇も、この聖誕祭での出来事だったのよね。

 私、大勢の前で演技するのが苦手なんだけど、領主の娘と言う事で、聖誕祭の劇だけは出る事になっていた。ここ二、三年は経典を元にした脚本で、毎回私は魔女役、サラが聖女役だった。彼女の恋人ブラッド役だけは毎年違うのだけれど、今年はルーカスが参加……通し稽古が気まず過ぎて本当やり辛かった。


「そんなお姉様のケーキの苺は、私が貰ってあげるわね」

「別に、苺で太るわけじゃないと思うけど……」

「ケチ。苺をくれたら私のチョコレートと交換してあげたのに。それとも薔薇の砂糖漬けがいいかしら?」

「余計太るからお断りよ。それより、レモンティーのおかわり頂ける?」


 紅茶に入れられていたレモンを口にしていると、サラが目を丸くする。


「お姉様、本当にどうしちゃったの。レモンティーそんなに好きだった?」

「サラもレモンが食べたい? これもあげましょうか」

「い……要らない」


 顔を引き攣らせてサラが砂糖たっぷりのミルクティーを飲む。何でも私の物を欲しがるサラだけど、そうではないケースもたまにある。例えばメディア子爵との婚約だったり。酸っぱいレモンだったり。ベアトリス様から戴いた扇子だったり……サラが欲しがらないと言う理由で選んでる所あるわね、私も。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 年末に帰郷したゾーン伯爵領では、聖誕祭ムード一色だった。聖マリエール大教会の隣の孤児院からは、孤児たちが聖歌隊の衣装を着て讃美歌を披露している。一緒についてきたクララの弟たちもいるらしく、彼女は頬を火照らせてステージを見守っていた。


「そろそろ準備をしなきゃ。クララはスープの方を手伝ってくれる?」

「あっ、はい! お芝居頑張って下さいね」


 私たちの劇が終わる頃、お昼の時間になる。普段は啓蒙でなくとも、このスープ目当てに聖誕祭にだけ来る領民も多いのよね……まあいいけど。




 本日の演目「聖マリエールと愛の伝説」。

 この世界を創った神の一人ブラッドは、ある時一人の少女に恋をしてしまう。少女マリエールはブラッドからの祝福で「光の乙女」と呼ばれるようになるが、それに嫉妬したのが魔女リリータ。魔女の呪いにより、ブラッドはマリエールを殺そうとするが、彼女の愛の力で呪いは解け、魔女は倒される。そして二人は、来世での再会を誓う……と言う筋書き。


 去年まではタイトルは「光の乙女伝説」で、もっと経典に沿った内容だったんだけど、今年は魔女の悪辣ぶりがパワーアップしているし、台詞にも「運命」がやたらと出てきてドラマチックだ。

 カーテンコールでサラとルーカスの婚約を発表すると言うから、この劇自体が壮大な前振りって事なんですけどね。要するに今までルーカスの婚約者だった私は二人を引き裂く悪い魔女、聖女と男神を演じる二人は生まれ変わりだったんですよ……と。しょうもな過ぎて、こんな茶番でも断る気力すら失せる。どうせ多少の手直し以外は、去年とほぼ一緒だしね……



「出たな、醜き魔女め! マリエールは穢させないぞ」

「ククク……愚かな男だ。創造神である己の本分を忘れ、雄へと堕ちたか」


 仰々しい演技をする男神姿のルーカスに、黒いローブを纏い邪悪に微笑みかける。…私って狸顔(ラクーンタイプ)だから、こう言う魔女メイクが本当似合わないのよね。醜いって言っても意味が違うし、そもそも今年の脚本は経典とは設定が変えられている。男を惑わせるから魔女、つまり本来リリータは美人なのだ。

 ここは狐顔(フォックスタイプ)のベアトリス様なら……おお! 想像したらかなり妖艶だったわ、リリータ衣装のベアトリス様!


「確かに魔女(あなた)の言う通り……神と人間が結ばれるのは間違ってるのかもしれないわ。だけど私……ブラッドを愛してしまったの!」


 陶酔した表情で声を張り上げるサラ。練習の時から思ってたけど、これ絶対自分たちの事を重ねてるわよね。台詞がどれも聞き覚えあるもの。マリエールの愛が悪い事だなんて、聖誕祭の日に大教会のど真ん中で叫んでいいのかしら?


「ああ、憎らしや人間の小娘が……その(はらわた)を引き裂いて、喰らい尽くしてやろうぞ」


 肉を喰らうと言えば、もうすぐお昼の時間だわ。聖誕祭で毎年振る舞われるファンシアバイソンのスープ、大好きなのよね。


 ゾーン伯爵領では年末になると、野生の牛の大群が大移動を始める。畑を荒らされないよう退治されたり、塀や木に激突したりで、結構な数のファンシアバイソンの死骸が残る事になる。腐乱したまま放置では疫病が広まりかねないとして、考え出されたのが、野牛の肉を聖誕祭に出して消費する事。

 面白いのは子供の頃に見た劇で、ファンシアバイソンの大量発生は男神ブラッドから聖マリエール教信者が餓えないようにとの贈り物だと主張する話だった。スープが出るのはゾーン伯爵領だけで、そもそもこの宗教自体スティリアム王国発祥じゃないとか細かい事は言ってはいけない。


 劇に意識を戻して、サラ扮するマリエールを守ろうと、ルーカスが玩具の剣を構える。それに対し、私も呪いの魔法をかけるべくそれっぽいポーズを取った。

 観客席は、ごくりと固唾を飲む。その中から空腹に耐え切れずお腹が鳴る音がしても、誰も指摘しないほど。そうね、もう限界よね。開けられた窓から、ファンシアバイソンの脂たっぷりの香しいスープの匂いが……


「マリエールに近付くな、魔女め! 私たちの愛は、誰にも引き裂けない!!」

「フフ…アーッハッハッハッ! これが笑わずにいられようか。神であるお前が、人間に愛……おぶっ!!」


 急に台詞が途切れた私に、ルーカスも訝しげに思ったのか剣を下ろす。


「アイシャ……?」

「く、く……あい、など……くだら、な……」


 口を手で押さえ、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。汗がだらだらと額から流れるのを感じる。よろり、と足元がぐらついた。


(な、に……気持ち悪い。吐きそ……ダメ、こんな舞台の上で!)


 ぐっと堪え、口元をローブで覆うと早足で舞台上をぐるぐると歩き出す。肉汁の匂いが充満する教会内では、気を逸らしていないと暴発してしまう。


「お姉様、どうしたのかしら……お手洗いを我慢しているとか?」


 サラがぼそぼそとルーカスに囁いている。ある意味正解だけどデリカシーはない。


「アイシャ、あと少しだから辛抱してくれ」

「無理……二人共、悪いけど私の場面だけここで終わらせるから、後は頼んだわよ」

「え……ちょっ」


 観客席に聞こえないよう、小声で交わすと、私はサラに襲い掛かるふりをした。ルーカスは慌てて剣を振り回す。


「ぎゃあああ、おのれこの魔女リリータを倒すとは……っ、ぅぇ」

「アイシャ様? 何があったんですか」


 そのままクルクル回りながら舞台裏へ引っ込み、戸惑う教会関係者たちを無視して、私は出口へと全速力で突っ切った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「う、げええ…っ、けほけほっ」


 外に出た途端、限界が来て花壇に戻してしまった。土と吐瀉物と、汗で流れた化粧でドロドロになっている私は今、さぞ酷い見た目をしているだろう。これじゃ魔女じゃなくて化け物だ。


 劇を途中で抜けてしまったけれど、後はどうせ二人の愛が炸裂したポエムしかない。婚約発表も好きにやればいい。

 私は花壇を囲むレンガに座って、空を眺めた。粗方(あらかた)吐いてしまったが、胸のむかつきはまだ治まらない。すぐ近くで炊き出しをしているから、ここまで匂ってるしな……


「何やってるんだろ、私……」

「お嬢様、大丈夫ですか?」


 声をかけられて、顔を上げるとクララが水差しを持って立っていた。室内からは拍手の音が聞こえ、どうやら劇は無事終わったらしい。


「クララ……どうしてここに?」

「差し出がましいのですが、喉が渇いてらっしゃるのではないかと」


 何て気の利くメイドだろう。今まさに胃の中が空っぽで喉がヒリヒリしている。サラからはドジだの役立たずだの散々言われているが、今日のクララはまるで予知したかのようにベストなタイミングで私に水をくれた。


「ありがとう、頂くわ」


 お行儀が悪いがこの際仕方がない。私は手に付いた吐瀉物を洗い流し、直接水差しからゴクゴク飲んで、やっと人心地ついた。

 クララはぐったりしている化け物メイクの私に怯む様子も見せず、真剣な表情で耳に顔を近付ける。



「お嬢様、付かぬ事を伺いますが……最後に月のものが来た時期は覚えてますか?」

「はっ??」


 突然、こんな外で何て事を言い出すのだ。誰かに聞かれてはときょろきょろするが、クララが大真面目に返事を待っているので、困惑しながらも答える。


「何なのよ、もう……確かにちょっと遅れてるけど、色々あったせいじゃない? えーっと…前に来た時は、まだ暑かったから九の月の始め頃じゃなかったかしら。今は年末だから、大体三ヶ月半くら……い…」


 え? ちょっと待って……それって、そう言う……そうなの!?


 ぼたっと、地面に黒い雨が降った。違う、これは汗だ。狸顔を誤魔化す化け物、もとい魔女メイクが、再び大量の汗で流れ落ちているのだ。


(待って……待って、もしかしなくてもそれって、あの時の…)


「う…っ!」

「お嬢様!」


 もう出す物もないのに、また吐き気が込み上げて来て、思わず私は蹲った。頭が真っ白で何も考えられない。

 背中を擦ってくれていたクララは、涙と汗とメイクでぐちゃぐちゃの私の顔をハンカチで拭うと言った。


「お嬢様、お医者様に診て頂きましょう」



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