カランコエ=ボゥ=ルージュ
『
カランコエとの初めての出会いは、私が十歳の頃。サラにあげたお人形をバラバラにされ、怒ったら父に打たれて、泣きながら庭にお墓を作ってあげた。
それでも涙は止まらなくて、日が暮れても部屋でグスグス泣いていたら。
「ありがとう、キミは優しい子だね」
突然…そう、突然現れたのだ。窓は鍵をかけ忘れたのだろうか。気付けば開いていた。
「あなた、だぁれ?」
「ボクの名はカランコエ=ボゥ=ルージュ。キミの従兄になるのかな」
「じゃあ、ルーカスと同じ?」
「ううん、キミのお母さん……カトリーヌ様はアディン伯爵家の養女になったけれど、元々はルージュ侯爵家の血を引いているんだ」
その話は、かつて生前の母から聞かされた事があった。公には出来ないので、周りに言ったりしないようにと念を押されていたけれど。
「それで、ボクの父さんはカトリーヌ様の腹違いの弟、ガラン=ドゥ=ルージュなんだよ。冒険者になって勘当されてしまったから、ボクも隠し子みたいなものだけど」
「ぼーけんしゃ?」
聞いたところに寄れば、国外には冒険者ギルドなる組織があり、そこに登録して依頼を受ける職業らしかった。その日暮らしで不安定な収入の上、この国にやってくるのは粗暴で無教養な連中のため、国内での扱いは頗る悪い。
けれどフィクションの世界では凶暴な魔物を倒す英雄として描かれていて、実像がいまいち分からないのが冒険者と言う存在だった。カランコエの話してくれる父親の武勇伝も、魔王軍の残党を狩ったり妖精女王から求婚されたりと、どこかで読んだ記憶のある作り話のようだった。
「カランコエは、どうして私に会いに来てくれたの?」
「大切にしていたお人形の墓を作ってくれただろう? ボクは半分妖精だから、キミのお人形と仲が良かったんだよ。だから、お礼がしたかったんだ」
「わ、私……サラに、大切にしてねって言ったのに、ひどい事されたの。髪を切られて、服を切られて、体をバラバラにされて悲しかった。だから怒ったのに、みんなサラは悪くないって言うの。お姉ちゃんなんだから、私ががまんしなさいって」
「うん……サラは酷いね。友達に酷い事されて、悲しかったね。それで、どうする? 仕返しにサラにも同じ事してやろうか」
何でもない事のように恐ろしい提案をするカランコエを、私は慌てて止める。
「ま…待って! そんなのいいから……あのね、私ともお友達になって欲しいの」
「ボクと? アイシャは友達になってくれるの」
「うん! だって…こんなに優しくしてくれたの、死んだお母様以外だとカランコエだけだよ。だから私ともお友達になってくれる?」
いきなり部屋に現れた怪しげな存在に向かって、私の口は自然に動いていた。このままカランコエと別れてしまったら、一人ぼっちになってしまう。そう思うと、縋るような気持ちで懇願してしまう。
「キミがそう望むのなら、喜んで。よろしくね、アイシャ」
ニコッと微笑むカランコエ。その顔立ちは、同じ従兄であるルーカスよりも自分に似ていた。
「あ…あれっ、カランコエ??」
そして気付けば、カランコエはいなくなっていた。
消えてしまった……と認識した途端、胸に穴が空いたような寒々しさを覚える。もう一度、来てくれないかしら。今度会ったら、もっとたくさんお喋りしたい……
その望みは、意外と早く訪れた。サラの部屋で彼女が眠るまで本を読み上げていた私は、ふと窓の外を見て仰天した。カランコエがそこにいて、部屋の中を覗き込んでいるではないか。
「カランコエ!」
「しっ! サラが起きるよ。本を読んであげていたんだろう? ボクもこっそり聞いていたんだよ」
「恥ずかしいわ……私もまだ読み終わってなくて、文字を追いながらだから情感も何もなくて」
「じゃあさ…今、ボクにも読んで聞かせてよ。アイシャの声、すごく好きなんだ」
誰かに声を褒められた事なんて、今までなかった。サラからは一人で先に読むなと言われていたけれど、カランコエが望むのなら彼女が眠っている間だけでも聞かせてあげたい。
「う、ん……お姉様?」
なるべく声を落として読んでいたが、さすがに枕元でブツブツ言っていればサラを起こしてしまったようだ。
「タイムリミットだね……読んでくれてありがとう。おやすみ、アイシャ」
「カランコエ!」
その姿を追うように窓を開けるが、カランコエは再び消えてしまった。
それこそ御伽噺の、悪戯好きの妖精のように。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「よぉ、アイシャ。でっかくなったなぁ」
子供劇の後でサラに悪者にされて落ち込んでいたある日、巨大な二階建て馬車を不気味な馬に引かせた冒険者の男に声をかけられた。知らない男性からいきなり話しかけられてびくびくしていると、彼は面白そうに口笛を吹く。
「俺が誰だか分からないか? ま、覚えちゃいないか……お前の叔父さんだよ。人呼んで、冒険者ガランだ」
「ガラン……叔父様?」
その名は、聞いた事がある。
そうか、彼がカランコエの……
「アイシャ! ボクもいるよ」
その声に、はっとして馬車の窓を覗き込むと、そこにいたのは…
「カランコエ!」
「やあ、お芝居見てたよ」
カランコエに外で会うのは初めてだ。冒険者の父と馬車で旅をしているのだろうか。
先程の憂鬱な出来事を掘り返され、私はわざとおどけて肩を竦めてみせた。
「本当は私がお姫様の役だったんだけどね」
「じゃあ今日は、ボクがキミをお姫様にしてあげる。父さんのキャンピング馬車。これに乗ればすぐにお城まで案内できるよ」
「キャ…キャンピング馬車…? わっ!!」
近付こうとして、こちらをぬっと覗き込もうとする馬たちに尻込みしてしまう。
「こら、ゴズ! メズ! 怖がらせるんじゃない」
「この馬たち、変わってるね? 見た目も名前も」
見かけよりも大人しいと聞いて、恐る恐る撫でてみる。
「こいつらは魔界の住人、ナイトメアさ」
「父さんが名付けたんだけど、たまに変な所から知識引っ張ってくるからなあ…」
得意気なガランと呆れたように言うカランコエに、首を傾げる。
(魔界…? いつもの冗談かしら。だってあれは、作り話よね)
「さあ、乗って!」
腑に落ちないまま促され、半ば強引に馬車に乗せられる。中は普通の荷馬車と変わらず、ただ違うのは、端っこに二階に上がるための梯子が取り付けられている事だ。そして上の階に上がると、寝袋や瓶が転がった奥にあるのは……
「扉……?」
ここを開けても、外に出てしまうだけなのではないだろうか。戸惑う私に構わず、カランコエはドアに手をかけた。
「それじゃ、ご招待します。お姫様、ようこそ我等の城へ――」
「なっ、何これぇ――!!」
何が起こっているのか分からず、私は混乱した。
扉の向こうは、お城の中だった。自分でも言ってて意味が分からない。一体どう言う構造になっているのか。これではまるで、魔法――
(ううん、魔法なんておとぎばなしだって、ルーカスが……でもガラン叔父様は世界中を旅する冒険者だし、国の外に出れば魔法だって当たり前なのかもしれないわ)
「すごいすごーい!!」
「ようこそおいで下さいました」
しわがれた声に振り返ると、ぎょろりとした目の白髪の男がいて、思わず「わぁっ」と悲鳴を上げて尻餅をついてしまった。
「うちの執事だよ。父さんが造ったんだ」
「ホムンクルスのクリストファー=ブラウンと申します。お見知り置きを」
カランコエに立たせてもらいながら、にぃっと歯を剥き出しにして笑う執事にビクッと怯える。
(ホムンクルスって何かしら……ん? 造った?)
「造ったって、執事さんを、叔父様が!?」
「そうだよ、クリスは錬金術を学んだ父さんが造り出した、人造人間だ」
目を白黒させる私に、クリスはその顔に似合わないほど優雅に一礼する。
「残念ながら不完全な魔法生命体であり、このお屋敷でしか生存できませんが、お嬢様にはご滞在中、快適なお持て成しをお約束致します」
そう言って再び、にぃっと不気味な笑いを見せるクリスだったが、どうやら愛想笑いのつもりらしい。私も笑うのが苦手なので、何だか親近感が湧いてきた。
それから私はカランコエと一緒に、お城の中を探検した。グランドピアノをめちゃくちゃに弾いたり、離れた場所でも声が聞こえる機械でお喋りしたり、食べた事もないおいしいお菓子をたくさんごちそうになったり……驚いたのは、空が燃えるように真っ赤だった事だ。
「不思議な所ねぇ……このお城、どこに建っているのかしら?」
「アイシャ、外には出ちゃダメだよ。戻れなくなるから」
そう言われて急に怖くなった私は、窓からそっと離れる。さっきのナイトメアの話からして、きっとここは魔界なのだ。魔界の城と繋がる馬車を持つ冒険者の叔父……普段の日常とはあまりにもかけ離れた話に、私は胸をときめかせた。
やがて、ゾーン伯爵邸に馬車が着いたとクリスが呼びに来た。全然馬車に乗っている感覚がないのが不思議だ。
「じゃあ、またなアイシャ。今度来た時は面白い土産話持ってきてやるから」
城の玄関でガラン叔父様と挨拶を交わしていると、カランコエが鉢植えの花を持ってきた。薔薇のように赤いがもっと小ぶりな、可愛らしい花。
「アイシャ、これを持って帰りなよ」
「もしかして……これって魔界にしか咲かない花?」
こんな不思議なお城なら、それもおかしくないと思ったのだが、彼等には大爆笑されてしまった。
「あははは、何言ってんの? ちゃんと地上に咲くよ。でも、アイシャの国ではちょっと見ないかもね。
あのね、ボクは何の妖精だと思う? ……『カランコエ』、それがこの花の名前だよ」
「そうなの? どうりでちょっと変わってるなって思…」
うっかり失言した口を手で塞ぐと、カランコエはフフッと愉快そうに笑う。そして耳に顔を近付けて、言った。
「この花はね、別名『紅弁慶』と言って……まあ、異世界の騎士から取ったと思ってよ。
それで、花言葉は―――
『キミを守る』」
その言葉は私の耳を、心を震わせた。
胸が、顔が熱い。
気付けば私はゾーン伯爵邸の前で、ぼーっと突っ立っていた。
今までずっと夢でも見ていた心地だったけれど、その手にはカランコエの鉢植えがあったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その後、ガラン叔父様とは年に一度の頻度で会って、色んな話を聞かせてもらった。不思議な馬車には、あれから乗せてもらった事はない。もしもあれがただの夢だったらがっかりするし、現実ならあまりの素晴らしさに、きっと日常には帰りたくなくなる。
それに父はルージュ侯爵家の人間と相性が悪い。しかも冒険者とあっては関わるのにいい顔をされなかった。
その代わり、カランコエは好きな時に部屋に招いて、一緒にお喋りをした。
「父さんって、変わってるだろ? 自分が異世界にいた頃の記憶があるなんて言うんだ」
「でも、だからこそ冒険者なんて破天荒な道を選んだのかもしれないわね。それに私、叔父様の話は面白くて大好きよ」
「……」
「どうしたの、カランコエ?」
「父さんの事はもういいからさ、アイシャの話をもっと聞かせてよ」
「私の話なんて、面白くないよ。いつものサラの愚痴ばかりよ?」
「いいんだ。それにどうせ、ルーカスのバカはサラの肩ばっかり持つんだろう? ボクはいつでも、キミの味方だよ」
そう言って笑ったカランコエにつられて、私も笑顔になる。明るく振る舞うのが苦手な私だけれど、その時だけはキャンディーのような甘い幸福感に包まれるのだ。
カランコエとの秘密の時間は、誰にも譲れない私だけのもの。
』