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旧校舎・階段の上の魔法陣  作者: むめみつき梅
7/8

ギスギス 2

本日、2話目の投稿です。

 その日の放課後、帰りにどこか寄っていこうとアサに誘われた。

 今日は金曜で明日は休み。誘いに乗りたいところだが、天音は丁重に断った。

「これから日本史のノートを提出しに行かなきゃならないから」と言って。

 昨日、ノートを忘れてしまって、授業後にノートを提出できなかったのだ。

 日本史教師は抜き打ちのように突然、ノートを集める人だった。

 天音はもともと忘れ物が多いのだが、そんな日にノートを忘れてきてしまうのだから、間が悪い。

 これからノートを持って行くが、ついでにお小言も食らう羽目になるだろう。

 アサは珍しく、つき合うよと言ってくれた。

 天音がそれをも断ったのは、このあと、倫の件でダンタリオンに文句を言いに行くつもりだったからだ。

 普段は休み時間のトイレにだって、一緒に行ってくれないアサがわざわざつき合うと言ってくれたのに……。

 少々心が揺らいだけれど、部活がなくなった今、放課後に遊ぶ機会はこの先いつでもあるだろうと、天音は気にしないことにした。

 教師たちが主にいるのは、教室のあるA棟と平行に並ぶB棟だ。

 一階には大職員室や事務室、保健室などがあり、教科ごとにわかれた教員室は二階、三階にある。

 A棟とB棟をつなぐのは、二階の渡り廊下で、それを屋根にしてすのこを渡し、一階部分もつながっている。

 しかし、三階からは一旦、二階に下りる必要がある。日本史教師のいる社会科教員室は三階にあるため、天音は階段を下りたり上ったりしなければならない。

「あぁ、面倒くさい」

 自分がノートを忘れたからいけないのだということはすっかり忘れて、天音はぶちぶち文句を言いながら渡り廊下を歩いている。

 放課後のB棟はひと気が無く、A棟の騒がしさが嘘のように静まりかえっている。

 大職員室のある一階ならば、訪れる生徒も多少はいる。試験前ならば、質問をしに各教科の教員室は質問をしにくる生徒でにぎわう。が、今、廊下を歩くのは天音だけ。

 他にここを歩く生徒がいるとしたら、あとは生徒会役員くらいのものだろう。三階の一番奥にある生徒会室に行くために。

 でも、きっともう会議が始まっている時間だ。閉めきられた扉から、中の様子はうかがい知れないが。

 天音は社会科教員室の扉をノックした。

「二年六組、八神天音です。昨日、忘れたノートを提出しに来ました」

 天音がお辞儀をして入室すると、返ってきたのは気の抜けた返事。

「ん、ああ」

 日本史教師は顔も上げない。

「その辺に置いといて」

 天音が思うほど、教師は暇ではないらしい。何やら書きものに必死で、天音に説教をする時間も惜しいようだ。

 ならば、長居は無用だとばかりに天音はさっさと部屋を後にした。

 叱られずに済んでラッキーと思ったのもつかの間、廊下に出た途端に天音は三年生の女子にバッタリ出くわしてしまった。

 名も知らぬ彼女もちょうど隣の部屋から「失礼します」と言って、出てきたところだった。

 あちらは天音のことをよく知っているようで、すぐに突っかかってきた。廊下にひと気がないのを幸いと思ったようだった。

「ちょっと!」

 こういう呼び止められ方は、大抵いい用件ではない。とはいえ、無視するわけにもいかず、天音はしぶしぶ足を止めた。

「あなたさあ、加納くんから田中先生に乗りかえたんだって?」

「え……、乗りかえるも何も……」

「この間までは加納くん、今は田中先生につきまとって。図々しくない?」

「つきまとってなんか……」

 ダンタリオンが新任教師として現れた、月曜日の放課後、天音は旧校舎に出向いた。言いたいことがたくさんあったのだ。

 前任の美術教師・村山先生はどうしたのか。

 これから、一体どうするつもりなのか。

 問いただす気満々で鼻息荒く校庭を歩いていると、旧校舎から聞こえてくるのは楽し気な笑い声。

 忍び足で近寄って、昔は保健室だった一階の部屋を窓の外からのぞいてみれば、中は大勢の生徒であふれかえっていた。

 女子だけでなく、男子生徒もいる。一年生もいれば、二年も三年もいる。ダンタリオンを取り囲むようにして、談笑している。まるで青春ドラマのワンシーンのようだ。

 悪魔は初日で、相当数の生徒の心をつかんでしまったのだ。

「ウソでしょ……」

 天音がポツリとこぼしたつぶやきを、悪魔の地獄耳は聞き逃さなかった。

「ようやく来たか、天音」

 上機嫌で手を振ったのは『田中先生』だけ。

 それまでおしゃべりを楽しんでいた生徒が一斉に押し黙り、なんとも言えない気まずい空気になってしまった。

「なんか……お取り込み中みたいだから……」

 そう言って帰ろうとする天音を、田中は「いや、彼らはもう帰すから、上がってきなさい」と引きとめようとする。

 田中がそう言った瞬間の、生徒たちの刺すような視線といったら……。

 天音はとっさに背を向け、「私は別に用はないので!」と叫んで、逃げ帰ったのだった。

 それから、なるべく接触しないように過ごしてきたのだから、まとわりついているなんて、とんだ言いがかりだ。

 だけど、天音はうまく反論できなかった。

 これまでにも嫌味を言われることは多々あった。そのたびに、この人、嫌だなあ、苦手だなあと思うことはあっても、怖いと思ったことはない。

 でも、今、目の前にいる人からは、肌がヒリヒリするような強い敵意を感じるのだ。

 後退りした分だけ、彼女が前に出る。気がつけば、壁際に追いつめられていた。

「加納くんにも田中先生にも近寄るなって言ってんの、わかんない?」

 怒鳴られて、天音が首をすくめたとき、階段から人影が現れた。

「そう言うあなたは加納くんと田中先生とどういう関係よ。関係ないのに、随分と偉そうじゃない」

 生徒会副会長の伊東美園いとうみそのが立っていた。仁王立ちで腕組みをして、彼女の方こそ誰よりも偉そうだが、この場でそれを指摘できる者はいなかった。

 天音に対しては居丈高だった人が、伊東には何も言い返せない。

 いや、何かもごもご言っていたようだが、結局恥ずかしそうに顔を赤くして去っていってしまった。

「なんなの、あれ」

 伊東は呆れたようにため息を吐いた。そして、お礼を言おうとする天音を手で制す。

「別にあなたのことを助けたわけじゃないわよ。ああいう人間が嫌いなだけだから」

 ――助けてくれた人にこんなことを言うのもなんだけど、前に伊東さんも私に同じようなことを言ったんだけどなあ。忘れちゃってるのかなあ。

 思ったことが顔に出てしまったのか、それとも言った後から過去の自分の行いを思い出したのか、はたまた読心術を使えるのか。

 顔をほんの少し赤らめて、伊東が言い訳を始める。

「言っとくけど、前に私があなたに加納くんに近づくなって言ったのは選挙対策のためだから。あんなのとは全然違うわよ!」

 いくら天音でも、この言い訳にはうなずけない。

「えー。鏡ちゃんのことを好きっていう動機の部分は同じなんじゃ……」

 天音がおずおずと意見すると、伊東は「はあっ?」と目を剥いた。

「私が加納くんのことを好き? 冗談でしょ。えっ、もしかして、私があなたに嫉妬して、あんなことを言ったと思ってた?」

 天音がコクンとうなずくと、伊東はこの世の終わりのような顔で絶叫した。

「ぎゃああ、やめてっ! あんなすかした男、全然私のタイプじゃないから! こっちは必死に試験勉強やってるのに、涼しい顔で学年一位を取っちゃったり、球技大会でも運動部より活躍しちゃったり。こんな厭味ったらしい奴、私、大っ嫌いだから!」

 ――うーん、これ、悪口かなあ? 悪口には聞こえないんだけどなあ?

 天音は首をひねるが、伊東の絶叫は止まらない。

「生徒会長だって、本当は私がやりたかったの!」

 二人三脚で生徒会の仕事をこなしていると、周囲から思われてきた鏡一郎と伊東だが、実情はどうやら少し違うらしい。

「ライバルのサポート役なんて、好き好んでやるわけないでしょ。本当は私が会長に立候補したかったの! でも、私って、人望ないでしょ?」

 ここでうなずいてはいけないことくらい、天音でもわかる。かと言って、そんなことないですよと否定するのもわざとらしい。

 肯定も否定もできずに笑ってごまかす天音を、伊東はフンと鼻であしらった。

「いいのよ。自覚してるんだから。知ってる? あいつ、人気があるくせに立候補に乗り気じゃなかったのよ。ムカつくから、わざとあいつを推薦して、クラスメートを焚きつけて、断りづらくしてやったの。そうやって困らせておいてから、私を副会長に指名すれば面倒なことを全部やってあげるけど? って持ちかけたってわけ」

 ふむふむと真剣に話を聞いていた天音の鼻先に、ビシッと人差し指がつきつけられる。

「だから、あなたが邪魔だったの。あなたに加納くんの周りをウロチョロされたら、女子の票が逃げるじゃない。当選のためには、みんなの加納くんでいてもらわないと困るの。これで落選なんてことになったら、副会長でもいい、あいつの下でもいいっていう私のせっかくの妥協が台無しになるじゃない!」

「でも、選挙後もしょっちゅう私に絡んできてたような……」

「ああ、それは加納くんにムカつくたびに、あなたに八つ当たりしてただけよ」

 天音は目をパチクリさせてから、にっこり笑った。

「なあんだ。そっかあ。じゃあ、私、嫌われてたわけじゃなかったんだ」

「え?」

「それなのに、私、伊東先輩のこと、意地悪な人だなあって思っちゃってました。心の中でこっそり『魔女』って呼んじゃったりもしてました。ごめんなさい。これからは『いい魔女』だって思うことにします」

 てへへと笑う天音に、今度は伊東が目をパチクリさせる。

「あなたってさあ……」

「はい、なんですか、先輩」

「……おどおどしてる割にはふてぶてしいところがあるって、前からずっと思ってたのよ」

 伊東はそう言うと、憎々し気に天音の頬をむぎゅうっとつねった。

 突然そんなことをされて、びっくりしたのは天音の方なのに、「ひゃあっ!」と叫んだのは何故か、伊東の方だった。

「なんなの、このほっぺ! すごく伸びる! 餅みたい!」

 なんの遠慮もなく、反対の頬もつままれる。

「きゃあ、なにこれ! 面白い!」

「い、いひゃいれす……」

 いいように遊ばれているところへ、鏡一郎が通りかかった。

 掃除当番で遅くなったのか、これから生徒会室に向かうところのようだ。

「おい、何やってんだよ。俺の幼馴染をいじめるなよ」

 伊東はようやく手を放してくれたが、少しも悪びれた様子はない。

「私がいじめてる? その逆よ。いじめられてるところを助けてあげたんだから感謝してほしいくらいよ」

「なにっ、本当か、天音?」

 鏡一郎は気色ばむが、天音はこれまでも、これからも、いちいち告げ口する気はない。ふるふると首を横に振り、それから、余計なことを言わないでという思いを込めて伊東を睨む。

 しかし、天音が睨んだところで怖くもなんともないのだろう。

「こんなことで嘘つかないわよ。加納くん、ナイトを気取るなら、もう少し早く来ないと。もっと年上で頼りになる男の人の方がいいわあって、思われちゃうわよ。ほら、たとえば田中先生だとか」

 ――なんでそんな余計なことを言うかなあ!

 天音の心の叫びをよそに、伊東は余計なことを言うだけ言うと、「じゃあ、私は先に行ってるわね」と、手をひらひらさせて行ってしまった。

 普段は鏡一郎をすぐに連れて行ってしまうくせに。

 こんなときにかぎって、どうぞごゆっくりと言わんばかりだ。

「はあ~」

 天音と鏡一郎、ため息をついたのは二人同時だった。

 天音は心の中で即座に前言撤回する。伊東はやっぱり意地悪な魔女だ。去り際の笑顔を見て、確信した。

 鏡一郎も思うところがあるようで、しきりにぼやいている。

「あいつ……、本当に人の痛いところをピンポイントで突くのが上手いよな……」

 それからおもむろに髪をくしゃくしゃと掻きむしり始めたので、天音はびっくりしてしまった。

「きょ、鏡ちゃん?」

 ボサボサ髪の鏡一郎を、天音は真ん丸の目で見上げる。こんな鏡一郎、見たことない。

「ああ、悪い。ちょっとイラっとした」

 安心させるように笑った顔は、もういつもの鏡一郎だった。

「なあ、本当に。誰かに意地悪されたら言えよ」

 心配性なのも、いつものことだ。

「大丈夫だよ」

「伊東もさ、あいつ、クセが強いだろ? 今度また絡まれそうになったら、走って逃げるんだぞ」

 真面目な顔で忠告されて、天音は思わず笑ってしまう。

「たしかにね、伊東さんってちょっと言い方がキツイもんね。でも、そんなに嫌な人じゃないんだなあって、今日、わかっちゃった」

「でも、ここ……、赤くなってる」

 鏡一郎が天音の頬を手の甲で撫でる。

「ああ、これ? お餅みたいに伸びるって言って、面白がってただけだよ」

 天音は笑い飛ばすが、鏡一郎は不満顔だ。

 頬を撫でていた手がくるりと反転し、そのままむにっとつままれる。

「これを最初に発見したのは、俺だから。伊東なんかより俺の方が先だから」

 ――何が気に入らないのかと思ったら、そんなことか……。

 もちろん、天音も覚えている。

 幼稚園の頃のことだ。

 チョコレートを口の周りいっぱいにつけた天音の頬を、一つ上というだけでお兄さんぶった鏡一郎が拭いてくれていたときのこと。

「わっ、天音のほっぺ、柔らかーい!」

 ぷにぷにと触ってた指が頬をつまむと……。

「わわわ、お餅みたーい」

 それが相当気に入ったようで、それからしばらくは絶えずむにむにと頬を触られたものだった。

 鏡一郎がいつからそれをしなくなったのか定かではないが、久しぶりに頬をつままれて、天音はそれが嫌いでなかったことを思い出した。

「えへへ」

 自然と笑いがこみあげてくる。

 両頬をつままれながらの笑顔だ。世界で一番不細工な笑顔だったに違いない。

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