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例の私が陸の伴奏とともに歌う動画はそれから数日間閲覧され続け、止まらないコメント通知のおかげで携帯電話は常に充電を必要としていた。
「もうだめだ、充電器3つも持ってきたのに全然充電終わらないよ……」
休み時間、教室の隅で頭を抱える私に桜がひょいと四角形の小物を投げてよこす。
「私の貸してあげる。てか通知切っちゃいなよ」
「あ、そっか。切るってどうやんの」
「はあ? 菜々美って意外と機械オンチだよね。貸して」
今の今までそもそも通知が来ないように切るという方法を思いつかなかった私は馬鹿か。馬鹿だな。再び落ち込み始める横で、私のSNSを操作していた桜がへえと感心したような声を挙げた。
「いっぱいコメント来てるね。えーとなになに、ロックな曲を歌うナナミンもかっこいい、そういやナナミって歌上手いよな、普通に上手じゃん口パクじゃなかったんだ疑ってごめん……」
「わー、読むな読むな! ていうか口パク疑われてたんかーい」
「で、実際どうなんすか」
「そりゃあちゃんと歌ってるよ。今度テレビに出てるときによく聞いてみて、けっこう音外してる子もいるから」
「へーいへい。菜々美がちゃんと音程合ってるかカラオケ女王の桜様がチェックしてやるよ。はい、設定できた。これで充電減るのマシになると思うよ」
「ありがと……わっ」
携帯電話を受け取った瞬間に着信が来て、思わず飛び上がってしまう。画面を見ると富田さんの名前が表示されていた。
「な、なに?」
「マネージャーからメール……話あるから学校終わったら事務所来いって。な、なんだろ……最近現場同行も他のスタッフさんが多くてマネージャーさん会ってないんだよね。怒られるかな、動画のこと怒られるかな!?」
「さあ? 別に悪い事してないし怒られないんじゃない? ていうか菜々美が動画アップしてもいいって言ったんじゃん」
言ったけれども。いざ呼び出しがかかるとダメだったかなとか思ったりするわけで。急に放課後が怖くなる私であった。
結局私の心配は杞憂となり、事務所の空き部屋で富田さんは、小腹が空いたとカップ麺をすすりながらあっけらかんと私を見ていた。
「へ? 動画? 怒ってないけど?」
「あ、え、えー、そうですか」
麺を食べきった富田さんはにやりと笑うとカラのカップを脇に押しやった。
「余計な動画を載せて話題になっちゃったから怒られる、とか思ってた?」
「まあ、そうです。はい……」
「ただ歌ってるだけの動画で怒るわけないだろ。しかも上手だったし君の評判は上がってるし。今日呼んだのは、仕事の話。ナナミ個人に出演依頼が来てる。音楽番組から」
「私だけ、ですか……?」
音楽番組ならドールズ・ガールズ全員を呼べばいいのに。私はソロ曲も出していないし呼んで意味があるのだろうか。けれど富田さんは自分のことのようにうきうきした表情で番組の概要書類を手渡してくる。
「番組名は月間洋楽ヒットチャート。今月はナナミが動画で歌っていた曲がランクインほぼ確定だからナナミをゲストアーティストコーナーに呼んでカバーして歌ってもらいたいというわけだ。せっかく今SNSで話題になってるからってな。ナナミ自身がアクション起こして手に入れた初仕事だよ、おめでとう」
おめでとう。そう言われた瞬間、手にしていた書類が輝いて見えたような気がした。
それから私は断る理由もなくそのオファーを受け入れ、一人で曲の収録に臨んだ。
初めて立つひとりぼっちのスタジオは足が震えてがくがくしていた。けれど、私だけを撮ってくれるカメラ、私だけを照らしてくれる照明。私の声しか聞こえないスタジオ。そういうものたちに包まれている状態は新鮮だった。
「お疲れさま」
初めての個人仕事だからと付いてきてくれた富田さんが、収録を終えた私をスタジオの端で迎えてくれる。まだ、足は震えて感覚がおかしい。
「私、どうでしたか」
「ばっちり。逆にどうだった? 一人で歌うのは」
富田さんの質問に、私は少し黙り込んだのち、こう答えた。
「私だけのためのステージって感じで、贅沢な時間でした」
翌日、レッスンでアンナに会った私は、収録のことを矢継ぎ早に話した。
「ほんとにね、私しかいないからアンナ一緒にいて~って思ったりしたんだけど、スタッフさんたち超優しくてさ。楽しかったなあ。みんなが私だけを見てるってあんな感じなんだね。経験ないから変な気分だったよ」
「そうでしたか。なんだかナナミ、嬉しそう。良かったですね」
アンナがそっと私の頭をなでてくれる。今日もアンナは可愛くて優しい。
「レッスン始めるよー。ちょっとアオイ、カヨ? また言い合いしてんの? お互いハタチ過ぎてるんだからよしなさいよ」
ダンスの先生から声がかかり、部屋の隅に座り込んでいた私たちも立ち上がった。みんなぞろぞろと先生のもとに集まって練習予定の曲のポジションにつく。相変わらず私とアンナは一番後ろだ。
「そういえばアンナ、前に行ってた私の友だちと遊びに行く話、冬休みに遊園地でもいいかな? ジェットコースターとか乗っても体壊れない?」
「冬休みということは3か月後ですね。構いませんよ、体も丈夫な作りなので大丈夫。楽しみです」
「ナナミとアンナ、もう始めるからお喋り終わりね」
先生ににらまれて背筋を伸ばす。隣に目をやるとちょっぴりばつの悪そうな顔をしたアンナと目が合った。ごめんねの意をこめて小さく小さく両手を合わせると、大丈夫と笑ってくれた。
「一回通してやるよー」
曲が流れ始めて私たちは再び前を向いた。一人も楽しかったけど、やっぱりアンナの隣が落ち着く、なんて思いながら踊る。
けれど結局3か月後、冬休みに遊びに行く計画はなくなってしまった。理由は……ドールズ・ガールズがめちゃくちゃになってしまったから。
「誰か、私の化粧品知らない?」
ライブ前、衣装に着替えてメイクしているとメンバーの一人であるアヤがポーチをぶらぶらさせて私たちに問いかけた。アオイがマスカラを塗る手を止めて怪訝そうに振り向く。
「知らないけど。具体的に何がないの?」
「や、全部。ファンデもチークもグロスとかもぜーんぶ、このポーチに入れてたのにすっからかん。誰か……盗った?」
一瞬で楽屋内の空気が凍り付いた。思わず気圧されて、私も髪型を直していた手が一瞬止まってしまう。
「え、なに。ナナミじゃ、ないよね」
「うえ? え? 違う違う」
突然名指しされて、私は目を丸くして首を横に振った。私が人の物に手を出すわけがないし、アヤの物を盗んで何になるというのか。
「今日はちゃんとメイク用品は忘れずに持ってきたし、そもそも忘れても私が使ってる化粧品のメーカー、アヤのと違うし盗んでも肌に合わないから使いづらい……」
ぼそりとつぶやくと、隣に座っていたカヨがぷっと吹き出した。
「ナナミ、使うために盗むとかそういうんじゃなくて、盗んだ人はアヤを困らそうと思って盗んだんだよ」
「あ、そうなんだ」
「アヤ、ナナミはこんなだから犯人じゃないよー。ポジション狙われてると思って疑った? 残念残念」
「別にそんなんじゃ……」
「ナナミ、上位に来れば来るほど疑われることが増えるよ、気をつけな~」
カヨに背中を軽く叩かれて、私は曖昧に笑った。
歌を歌う動画が拡散されて話題になってから約2か月。私はおかげ様で知名度が少し上がり、人気投票も最下位レースから脱出していた。今はアヤと5位6位あたりを抜きつ抜かれつしている状態だ。だからアヤが私を一番に疑うのもわからなくは、ない。
「疑ってごめん、ナナミ」
「ううん。化粧品、私の使う?」
「いや、メーカー違うし……ううん、やっぱチークだけ貸して」
「はい」
「ありがと。誰かー、私と同じファンデ持ってたら貸してー」
アヤが離れていくのを見て、私は小さく息を吐き、廊下に出た。
「あ、ナナミ」
ちょうど廊下にいたアンナと出くわす。
「アンナ。どこ行くの?」
「本番前の最終メンテナンスです。エンジニアさんが来てくださっているので。ナナミはどうしました? 浮かない表情です」
「うーん、あのね……や、なんでもない。緊張してるのかも」
心配そうな表情に促されて、化粧品の件を言おうとしたけれど私は途中でごまかしてやめた。彼女に言ったところでどうにもならないだろう。
「久しぶりの大きなコンサートですからね。機械の私でも緊張しそうです。頑張りましょうね」
アンナはいつものように優しく微笑んでガッツポーズをした。
私は確実に仕事が増えている。あれから一人で番組に呼ばれることも増えたし、新曲では歌いだしのソロを任されてしまった。実は冬から放送されるアニメのオープニングテーマでソロデビューも決まっていたりする。それぞれは嬉しいことではある。けれど、仕事が増えれば増えるほど、アンナとの距離は離れていく。
「それでは、次の曲は来週リリースする新曲です! 皆さんにいち早くお届けします、聴いてください」
アオイのMCとともに照明が真っ暗になっていく。
大きなコンサートホールで観客が振るペンライトやうちわが揺れる中、私だけにスポットライトが当たって新曲が始まる。ワンフレーズ歌い終えると証明は一気に明るくなって全員を照らした。全体の真ん中くらいのポジションで踊っていると、後方にいるアンナが着ている衣装のスカートの端が目に入った。
この曲が終われば、次はドールズ・ガールズのデビュー曲になる。私がまだ一番後ろにいた頃の曲。今日のパフォーマンスのポジションも後ろに下がることになる。早くアンナの隣に行きたい。