体はヴァーチャル、心はリアル
色々と発見があるなかで、俺は《本》にメモしてあるできる限りやるべき事リストに、この世界の基礎知識を知るのに加えて、今の俺自身の性質をちゃんと理解する事も追加した。
色々と手探りに調べた結果をざっくり纏めると、“セコンドテラの仕様をできる限りこのファンタジー世界の現実に落とし込んだ形”という事になる。
まず食べ物だ。
この世界で、おそらく俺だけは食べ物を二通りの方法で摂る事ができる。
一つは普通に口から食べる事。この方法だと、インベントリに入れた時のグラフィックで一番それっぽいと思える食べ物と同じ回復量を、一口ごとに得られる。
例えば精霊樹の果実だと、小ぶりなリンゴくらいの大きさだが十二回くらいに分けて食べる事ができる。リンゴの回復量は《2》だから、その回復量を一つの果実から十二回得られる事になるわけだ。
二つ目の食べ方は、インベントリに入れてダブルクリックする。こちらの方法だと、一個の果実が一瞬で無くなり、回復量もリンゴ一つ分。
一つの果実から得られる回復量を考えればインベントリから出して実体化させた状態のものに口をつけて食べたほうがだいぶお得だが、食べる速度でいうと二つ目の方が圧倒的。
さらに、色々と試した結果食べる物によってはインベントリで使用した方が何かといいなと思う物もあった。
平均的に回復量の多い肉系の食べ物がそれだ。
弁当として常備していた何かの動物の肉の《ステーキ》はインベントリに大量に入れたままこの世界にやってきた。《ステーキ:312》だ。
卒業間際だったとはいえ健康な男子高校生である俺がステーキを実体化させられる事に気づいて試さないわけがない。
ところが、いざ実体化してみると期待はずれもはなはだしい結果に終わった。
冷めていて、パッサパサで、味気なくて、量だけはやたらと多い。
塩コショウでもあればだいぶ違ったと思うんだけど、生憎と調味料の類までは常備していなかった。
だというのに、一口ごとに一枚分の回復量を得てしまうわけだ。
ステーキの回復量は《10》。五枚食べれば完全に空腹な状態からでも満腹になれるのに嵩張らないアイテムなのでゲームの時は重宝したものだが、1キログラムはありそうな大きなステーキは五口では食べきれない。
結果、意気揚々と実体化させたステーキは半分以上を残してしまうという結果になった。
精霊さんは、こんな魔力の塊のような肉を捨てるなんてもったいない、といって代わり食べてくれたから無駄にはならなかったのだが……
精霊さんの食べ方というのが、口からじゃないのだ。
髪の毛が木の根っこが伸びる様を早回しにしたようにわしゃわしゃと動いて、俺が食べ残したステーキに一本ずつ突き刺さる。すると見る見るうちにただでさえパサパサだったステーキが更に萎れていき、最後には塵になって風に吹かれて消えてしまった。
食べ終わったあとの精霊さんはやけに肌の色艶がよくなっていたが、なんか、ね。
この人はやっぱり人間じゃなくて、大樹の精霊という存在なんだという事を見せ付けられたような気がして、なんかすごくテンションが下がった。
まあでも! 俺のテンションが下がっただけでそれなりの収穫はあったと思う。
セコンドテラの世界から持ち込んだ《ステーキ》というアイテムも、実体化させた状態で一口でもつけてしまえば再びインベントリ内に戻す事ができなくなる。
インベントリから一度出したアイテムでも未使用の状態ならまた戻せるし、未使用であればポーションなんかはガラス製の器に傷がついたり少し欠けてしまってもインベントリに収めると同時に修復されてしまう。
この世界にもともとあるアイテムでも、セコンドテラの中にあるアイテムの色違いや若干の差分化など巧妙に改変した形でドット絵化してインベントリ内に収めてしまえる。
さらに、満腹になったあと無理やりにでも口に詰め込もうとしても無駄で、噛み千切った感覚は確かにあるのに、実際には食べ物がそれ以上減る事はなく、口の中に食べ物は残らず、飲み下すこともできず、口に入れた物の味だけがそれとなく残る。
この感覚と現実の行き違いががなんとも気持ち悪いが、味見をいくらでもできると考えればお得と言えなくも無い。
そして一番大事なのは、俺の意識というか、精神というか、なにかメンタル的なものが感じている欲求や感覚の一部が、この体の欲求と完全に切り離されてしまっているという事だ。
これは考えようによっては危険だ。
まず食欲と同時に空腹感と満腹感の両方が完全に失われている。
これはきっと肉体がまるごとセコンドテラの仕様になっているからだ。満腹度はパラメーターの一部でしかなく、《HP》と《ST》の自然回復速度と、何か食べた時のシステムメッセージを参考にしないと今の自分はどれだけ空腹なのかを察する事ができない。
けど、これは飢餓が生死に直結しなくなったから、それほど注意しないといけないってわけでもない。
わりと深刻なのは、痛覚だ。
痛み自体は感じるが、頭の上に数字が出る瞬間だけで一瞬の事だ。
今のところ《50》までしか食らった事がないが、もっと大きなダメージ、それこそ致命的なダメージを追っても痛みの強弱で自分が負ったダメージの大きさを反射的に理解する事ができない可能性がある。
だけどきっと《HP》がゼロになったらこんなチートっぽい体を持っている俺でも死んでしまう。
死んだあとどうなるのかは、いくつか予想している案があるが、試してみたいとはさすがに思えない。
この辺は、さらに慎重な追加検証が必要だな。
そして、おそらく最も深刻なのが、性欲と睡眠欲。こっちは完全に未知数だから余計に怖い。
さっきまでは異世界に来てテンションが上がり切っていたから眠気を感じないのだと思っていた。けど、はっきりいってテンションだだ下がりの今でもまだ眠くない。
睡魔の睡の目の字さえ見えない。とんだ盲目状態だ。
人間は一週間まったく睡眠をとらないと発狂してしまうという。本当かどうかはわからないけど試してみたい気はまったくしない。
このまま起き続けて自然と眠気がくるならそれが一番いいんだけど、セコンドテラではキャラクターアバターが睡眠をとるというのは、バッドステータスにすら存在しなかった。
経過を見るしかないが、眠れない体になったせいで発狂しました、とかになったら絶対に神様に文句を言ってやる。
そして性欲。
健康で健全な男子高校生だった身としてはこれが最も心配になる。
目の前にはほぼ全裸で局部が髪っぽい何かで隠されただけの美女がいる。美女……髪だけじゃなくて肌も奇抜な色だけどまあ地球にいた頃からこれくらいなら許容範囲だ。
その証拠に、心ではもうビンビンのギンギンなのに、肉体の方がまったく盛り上がらない。いろんな意味で。
新しい肉体のせいで、枯れて……しまった?
さすがにそんなのは嫌だ!
ただでさえDTのまま死んだのに! 異世界に来て色んな種族の女の子と出会えるのに! 現に今も目の前になんか激レアっぽい女の子がいるというのに!
何も!
何もできないなんて!
精神が耐えられない!!
『あの、どうしたの? 大丈夫?』
「あっ、あ、ああ。すまん、取り乱した」
『いいけど。勝手に一人で考え込むのはよくないわよ』
「い、いやあ。人間特有の悩みだと思うから……」
さすがに、あなたに欲情したいのにできなくて悩んでます苦しんでます、なんて言えるわけない。昨日会ったばっかりだぞ。
『そう。そりゃあまあ、私は精霊であって人間ではないから、人間特有の悩みなら理解はできないかもしれないけど、話してみるだけでもいいじゃない』
「いやほんとに、人間特有な上に、うら若き男子にしか現れない悩みだと思うから」
『あら。確かに私の今の姿は人間の女に近いけど、精霊に性別なんてないのよ? この姿のせいで話づらいっていうなら姿をおと――』
「いいえ!!」
俺は精霊さんの言葉をさえぎって肩を掴んだ。
「それだけは」
そして、相手の目をまっすぐ見て、力強く、
「それだけは勘弁してください!」
力強く否定した。
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