木の実とインベントリ
朝が来た。
昨日は太陽が落ちるまで一日中、この世界についての基本的な知識を詰め込んでいて、なんか勉強をしている気分になった。
卒業後はすぐに旅に出るつもりだったので受験勉強なんかまともにやってなかったが、べつに勉強が嫌いというわけではない。
好きでもなかったけど。
数学の、証明とか関数系は将来どこで使うのかさっぱり欠片も想像すらできなかったので苦手だったけど、現国は勉強しなくてもなんとなく理解できたし、古文は響きが面白くて好きだった。歴史は日本史世界史ともに地理とセットで、いつか現地に行った時に地元の人と仲良くなるために使えるかも、なんて思っていたのでけっこうまじめにやった。
日本史の教科担任は、日常会話でさえ他人を眠らせる超能力者だったからあの人の授業だけは苦手だったけど、教科書を真面目に読んでりゃそれなりの点数は取れた。
そんなわけで、知識を頭に詰め込んでいくのはどちらかというと好きなタイプだ。
この世界の法則は見た目には地球とあまり変わらない。
高い所で支えを失えば物は下に落ちる。
重い物が速く動いている時ほど急には止まれない。
けどよく見るといろいろと違う所も見つけた。
この世界には四大元素というものがある。土、水、風、火。
地球にも昔からあった考え方で、錬金術とかの基本。
現代科学の基礎にもなっていて、そのまま固体、液体、気体、熱エネルギーと置き換える事もできる。
ところが、この世界の火は火という物質の一形態であって、熱を伴った急激な酸化現象ではない。乾いた木の枝に火をつけたあと、その火から木の枝を再生させた時は度肝を抜かれた。
そして、これら四つの元素の間に必ずあるのが、魔力という地球ではそれこそセコンドテラオンラインなんかのゲームの中でしか見られなかった不思議パワーだ。
というか、この世界のありとあらゆるものが、突き詰めて分解していくと魔力になってしまう。
地球の、というか、地球のあった宇宙のように、量子、素粒子などになるわけではないらしい。
この辺はもう、こういう世界なのだから、と割り切るしかないだろう。
ただ、魔力は素の状態だと非常に不安定であるらしく、普通は四大元素のいずれかの形態をとって安定していて、安定した状態だと、俺が知っている地球の物質と同じように扱う事ができる。
「面白いなあ」
『ふふ、昨日からそればかりね』
この世界の事があまりにも面白かったせいか、昨日からこっち興奮して一睡もできなかった。今もまったく眠気がない。
「俺も、精霊さんみたいに魔力を目で見るようになれんかね」
『できるかもしれないし、できないかもしれない。私はあまり人間について詳しくしらないし、あなたはその人間の中でもだいぶ特殊な部類になるから、私程度の知識じゃなんともいえないわ』
「そうかー」
私程度の、なんて謙遜しているが何百年も生きているらしい精霊さんの言う事だ。
ここは、頭から否定されなかっただけでも良しとしよう。
あと、精霊さんという呼び方はなんだか味気ないが、当面はこれで通す事になった。
なんでも、大樹の精霊さんのようにある程度の力を持った精霊は名前をつけられると、それだけで契約というのがなされてしまい、精霊さんは俺に宿ってしまうらしい。
この辺も地球にはなかったシステムだ。ついでに言うとセコンドテラにも無かった。
名前というのは不安定な素の状態の魔力に、素の状態のまま安定を与える力があるとかで、名と名付け親には密接な関係があるとか、まあいろいろだ。
神様の一柱にいいつけられたとはいえ、まだ出会って一日の俺を信用しきる事はできないんだろう。悪用される事を恐れたのかその辺も詳しくは教えてくれなかった。
『あ、そうそう。あなた食事は必要?」
「食事? そういえば昨日から今までまったく何も食べてないな」
『やっぱり食事は必要なのね? まってて、いま精霊樹の果実をいくつかとってくるわ』
昨日からずっと、精霊さんは教師役もやりながら俺を甲斐甲斐しく世話を焼いてくれようとする。
暑くないかとか寒くないかとか、暗くないか明かりをつけようかとか。
気温の上下は肌で感じられるものの、大気圏突入時の大気との摩擦熱すら耐え切ったこの体はいまさら日の出日の入りによる気温差くらいではどうともならない。
日没後は確かに周囲は暗くなったものの、ゲームの仕様を持ち込んで表示されている各種ウィンドウは周りの明るさ暗さに関係なくはっきり見えているので、メモとりのための本への書き込みもまったく問題なかった。
眠気と食欲はさっきも言った通りだし、あとは排泄とかもしたくならない。
おかげで、勉強だけではなく世間話としてお互いの事を話しをする時間まであったが、それはそれで面白く、精霊さんの話はすべてこの世界で起きた事だから、とうぜん俺にはすべて未知の事ばかりだった。
おかげで世間話からも色々と学べたと思う。
いつか会ってみたいなー、ドラゴン。
『とってきたわよ。はい』
「ありがとう」
ほうほう。これが精霊樹の果実か。見た目はほとんどリンゴだ。全体的に赤いが、果実と枝を結んでいた果柄と呼ばれる部分が非常に青い。日本では古語にならって緑色を青と表したりするけど、そういうレベルではなくブルーに青い。
かじってみる。味は、スターフルーツによく似ていた。リンゴとオレンジを足して二で割ったような感じだ。
もぐもぐすると果肉からじんわり果汁が広がる。うまい。
それに、これを朝飯と言うにはちょっと抵抗があるが、正直なところ空腹感もあまりないのでとりあえず食べるにはちょうどいい。
それに、セコンドテラの仕様を落としこんでこの世界に来ている俺が、この世界原産の食べ物を口にできるのだろうかという実験もできた。
結果、問題なく食べられた。今後も、美味しい物が目の前にあるのに食べられない、なんて事は――
《まだまだ空腹だ》
ん!?
『どうしたの? 美味しくなかった?』
「いや、そうじゃないんだけど」
脳内に響いたのは無機質な機械音声だ。あわててチャットログのウィンドウを開いて確認すると確かにシステムメッセージが残されている。
今まで精霊さんの発言はもちろん、俺自身が肉声で発した言葉すら表示してくれなかったのに、はっきりと一文だけ。
これが示すところは一つだけ、俺は確かにこの精霊樹の果実というやつを、食べたのだ。
しかし、手元には一口だけかじられた世界樹の果実が残っている。
おかしいぞ。アイテムを一つ分使ったわけじゃないのに、満腹度が回復した!
って、大事なのはここじゃない!
『どうしたの? 面白い顔して』
「い…いや、きにしないでくれ」
どうやらこの体は食事に関してもセコンドテラの仕様が適用されるようだ。
セコンドテラオンラインにはステータスウィンドウに表示されない、いわゆる隠しパラメーターと呼ばれる部分に満腹度というものがあった。
これも高さの単位と同じように公式の名称ではないのだが、やはり細かく解析する猛者がいたわけだ。
その猛者が公開していたこまかな計算式もそらんじられるけど、今はその計算式までは必要無いだろう。
要は、《HP》と《ST》の自然回復が行われる時に消費され、これがゼロになっても餓死する事はない。でもゼロの状態では《HP》と《ST》の自然回復の速度が著しく低下する。
著しく低下する、なんて言うとさも深刻そうに聞こえるが、むしろただそれだけの事だ。
《HP》も《ST》も回復手段がいっぱいあって、自然回復に頼らないと死んでしまう状況というのはほとんどなかった。
とはいえ、雰囲気作りを大事にしていたセコンドテラでは、食事はとても重要なアイテムだった。
その証拠に、単に満腹度という隠しパラメーターを回復させるためだけの食事アイテムが、百種類近く存在していたのだ。
確か、リンゴやらピーチやら、小さな果物一つが最小の回復量だった。
これも、自然回復と満腹度消費の計算式とともに公開されて大手の攻略サイトではそのリストが張り出されていいたけど、公式サイトではいつまでたっても触れられすらしなかった。
満腹値の最大は全キャラクター共通で《50》。
食べ物系アイテムで回復量が最小なのはさっきも言った通りリンゴやピーチ、レモン、プラムなど小さな果物で回復量は《2》。
満腹度が《49》の時には回復量が《2》以上の食べ物を使用できるけど、完全に満腹な状態、つまり満腹度《50》の状態では何か食べ物アイテムを使おうとしても、
《これ以上は食べられない! 一口も無理だ!》
というシステムメッセージが流れて使用を無効にされる。
さっきつい驚いてしまったのは、一口食べただけでもおそらくアイテムを一つ使用した判定が現れたからだ。けどよくよく考えれば、一度使うたびにグラフィックが変化して、実質複数回使える食べ物アイテムは存在していた。
そのような判定になるのだろうか。
ためしに、一口かじられた食べかけの果実をインベントリの中に入れようとしてみる。
だが、
「あ、あれ?」
『あら。不思議ね。あなたの魔法が拒否反応を示しているみたい』
は…入らない。一口かじった果実はインベントリに近づけてもドット絵化せず、それでもなお無理やり入れようとすると、同じ磁極同士が反発しあうように激しく抵抗して動かなくなる。
精霊さんが言うには、魔法の拒否反応だというが、なぜそうなるのか。
「こっちならどうなんだ?」
精霊さんが持ってきてくれた精霊樹の果実は四つだった。一つはもうかじっている。入らないのはかじったあとのものだ。じゃあ、まだ口をつけていない物ならばどうなる?
「あ。すんなり」
『あらあら。不思議ねえ』
かじられていない精霊樹の果実はすんなりドット絵化して、インベントリ内に収める事ができた。アイテム名はそのまま《精霊樹の果実》。グラフィックはリンゴの色違いで、果柄の部分が青くなっているのがちゃんと再現されている。
面白い。
もう一つ手にとって再度試すと、やっぱりちゃんとドット絵になってインベントリに入った。しかも、最初に入れた一個と重なって“スタック状態”になった。
今インベントリ内にあるのは《精霊樹の果実:2》だ。
「……するまでもない事かもしれないけど、いちおう、念のため」
『なあに?』
「この精霊樹の果実は、俺がかじった物も含めてぜんぶ、最初からずっとこの世界にあるもの、なんだよな?」
『うん? 最初から、の定義にもよるけれど、そうね、種の時からこの世界で生まれて、この世界で芽吹き、この世界の土と水と光と魔力を受けて育った木に実った、この世界の果物、だと思うわよ』
「そうか。ありがとう」
間違いない。
どうやら俺の中にあるセコンドテラの仕様は、あとからこの世界の存在に影響を与えて、なんだったら侵食してしまう事まで、できてしまうらしい。
「ふっひひ」
『なあに。こんどは楽しそうね?』
「あ、いやごめん。ついうれしくなっちゃって」
齧った果実には適応できないってのが謎だけど、どうやらこの性質のせいでそう窮屈な思いをする事も、なさそうだ。
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