勉強するため本を開く
《ステルスジャンプ》のアクションを使える方法を見つけた事で、雲を超える高さの巨大樹を登る速度は更に上がった。
はじめは、自らの目を使っての一人称視点で文字通り瞬間移動する感覚にすこし戸惑ってもいたのだが、少しずつだが慣れてきている。
それに、ずっと高い位置にある枝であっても、地面と平行に見て一定の範囲内にあり、枝自体が視界の中におさまっていればジャンプできる事がわかった。
おかげで木登りはさらに加速して、もうすぐ、雲に……
入った!
雲は水蒸気であり、乱暴に括ってしまえば湯気と同じものだし、霧とほぼ同じ自然現象であると聞いたことがある。
雲に突入した直後は視界がほぼゼロになって少し焦ったが、とりあえず落ちても大丈夫なのだから冷静さを保つのは簡単だった。
それに、どういうわけか視覚ではほとんど周りを感知できていないというのに、周りの地形がなんとなくわかる。
これもなにかのスキルの効果だろうか。
あと、この雲というか霧というかの中でも、各種ウィンドウは普通に視認する事ができている。これは便利だ。おそらく、暗闇の中でもこんな感じにウィンドウだけははっきり見えるんじゃないかな。
と、いうわけで、なぜかなんとなく地形を理解してしまうこの感覚にしたがって手を使った木登りをはさみながら連続でバシバシ登っていくと、あっという間に雲を突き抜けた。
そのとたん、風景が一変した。
「うお?」
太い枝が急に少なくなる。代わりに小さな枝がいくつも編み物のように折り重なって、葉っぱの助けもあって屋根のようになっている。
『あら、途中で気配が途切れたと思ったら、急にこんな所に現れたわ』
「え? あっ」
声を出してしまった瞬間に《ステルス》状態が解けたらしい。
そして今目の前に居るのは、間違いない、落下中に見たあの人影。
深緑の長い髪、若葉色の肌。丸みを帯びた体型は間違いなく女性のものだが、大事な部分は上手いこと髪が隠していて見えない! 見えない!!
「惜しい!」
『うん? 何が?』
しまった、また声に出してしまった。俺の内心を読んだりはできなかったようで、目の前の緑色の女性はきょとんと首をかしげている。
とりあえず言葉は通じるようで、本当によかったと思う。
「いえ、失礼しました。ええと、リオン・ロードといいます」
『リオン・ロード? 名前?』
「はい」
『そ。私は、名前は無いわ。ただの精霊、大樹の精霊よ』
おお! やっぱり精霊的な存在だったか。というかまんま精霊か。
「大樹の精霊、という事はこの大樹に宿っているとか?」
『うーん。今はね』
ほう、ほう。やっぱりか。
「えっと、俺が空からおっこちてきたところは見てたよな」
『ええ。そうね。それにあなたの事はマールヴァ様からだいたい聞いているわ。本当はもっと人里に近いところに送るつもりだったみたいだけれど、あなたの持っている素質と、異界の加護が思っていたよりも強かったって言ってたわ。ごめんなさいって言っておいてって頼まれちゃった』
「そうなのか。マールヴァ様?」
あの三柱の神様のうちの誰かだというのは予想できるんだが、誰の事だろう。
『マールヴァ様は維持と繁栄を司られる神様。今の私の姿はマールヴァ様の姿をまねているの。一番、初対面の人を警戒させないから』
あっ! 天女神さまか。
あの中で女性的な見た目なのは天女神さまだけだった。そうか、マールヴァという名前なんだな。
「そっかそっか。君は神様たちと話せるのか?」
『たまにね。とても強い力を持った方々だから、私たちみたいな小さな精霊にただお声を届けるためだけでも、大きな余波をもたらしてしまうの。さっきだってマールヴァ様がほんの数秒くらい話しかけてくださっただけで、この辺りの木々が二年分は成長してしまったわ』
んお。おおう。なんかえらい規模のでかい話をしている気がするが。
「じゃあ、俺が何をしに神様たちからここに呼ばれたのかも、聞いてる?」
『ええ。骸特点を消すためでしょう? あと、人々に会っていい影響を与えるためね』
こっちの事情もだいぶわかっているみたいだ。
「それじゃあもしかして、ええと?」
『ええ。マールヴァ様から、色々とあなたの手助けをするように仰せつかったわ』
おお……アフターケアもばっちりか。
成層圏の外から落とされた時にはどうなる事かと思ったが、神様たちもきっちり面倒を見てくれるつもりでいるらしい。
それがわかっただけでも、やはりやる気が湧いてくる。
「それじゃあ、早速色々と教えてほしいんだ」
『いいわよ。何から聞きたい?』
こうして、神々から色々とおおせつかったらしい大樹の精霊との、勉強会が始まった。
東西南北の概念は地球と同じ。
星というか大地が球体である事は神々だけでなく、この星のあちこちで魔力の流れを管理している力ある精霊さんたちなら知っているらしい。
ただ、この大樹の精霊さんはあまり人間と交流がないらしく、人間たちがこの世界をどのように捉えているのかは知らないようだ。
けど、あの神様たちは過去にも俺と同じようにして、高い技術や道徳をもった異世界の人間を招いた事がある。だからまあ天体が球である事くらいは知ってるんじゃないか、という予想らしい。
あとはこの大陸の人間が使っている共通の距離の単位、時間の単位、星の海と陸の比率と大陸の分布。さらに、この星を回っている衛星の数とその名前などを教わる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。一度には憶えきれないから、何かにメモをとっとかないと」
『いいけど、私は人間が使う紙なんて持っていないわよ?』
「ああ、こっちで探してみる」
装備と同じように、俺のインベントリの中にはゲームの世界からそのまま持ち込んだアイテムが大量に入っていた。
セコンドテラオンラインでは、基礎インベントリと拡張インベントリの二種類があり、拡張インベントリは腰のベルトの位置にポーチとして追加装備するのだが、基礎インベントリはキャラクターを作成してセコンドテラのゲームの中に誕生した瞬間からなぜか持っている謎の収納空間だ。
まあこの辺にも古いゲームだからと深く突っ込んで掘り下げる人などほとんどいなかったから俺も気にしていなかったが、謎の収納空間である基礎インベントリは勿論、一応はポーチのていを取っている拡張インベントリも見た目と中身の収納量がどう考えてもつりあっていない。
いざ現実になってみると本当に謎だが、とりあえずいっぱい物が入り動きを妨げないというのは非常に便利だ。
どうやら各種ウィンドウは俺にだけしか見えていないようで、拡張インベントリウィンドウをまさぐっている俺を大樹の精霊さんは不思議そうに見ている。
それでも何も聞いてこないのは、何かを察しての事だろう。遠慮なく荷物をまさぐる作業に集中させてもらう。
たっぷり数分ほど大樹の精霊さんを待たせてしまったが、結果的に俺は《本》というアイテムを発見した。
これは、セコンドテラの世界には数多あった、戦闘や生産活動に有利に働くような効果のない、他のゲームならば無駄アイテムとか無意味アイテムだと類されてしまうような、雰囲気作りのためだけのアイテムだった。
機能としては、中にプレイヤーが自由に文字を書き込める、というだけのもの。
ところがゲームのタイトルの通り、二つ目の地球を称するセコンドテラオンラインでは、単純に戦闘や生産活動だけを楽しむのではなく、ゲームの中で擬似的にファンタジーな生活をする楽しみを見出す、という事を公式に推奨していたおかげで、ゲーム内職業作家などというキワモノのプレイスタイルまで出たほど、この《本》は幅広く利用されていた。
とはいえ俺はそんなキワモノロールプレイをしていたわけではなく、倒したモンスターがなぜか持っていたドロップ品をなんとなく拾って持っていただけである。
「これ使えそう」
何も考えずにインベントリの中からゲームの時と同じグラフィックで、ドット絵でしかない《本》をつまみ上げる、そのままインベントリウィンドウから取り出すと、その瞬間に《本》は本になった。
いや、何を言っているのかわからないと思うが、本当にそうとしかいえないような事が起きたのだ。
いうなれば、ただゲームの中でしか使えない紙っペラのようだったそれが、急に厚みを帯びて実体化したような。いや、ようなではなく完全にその通りの事が起きた。
『あら! 不思議な魔法を使うのね。不思議な魔力をまとっているとは思っていたけど、その手元においてある純魔力の板は、収納の魔法かしら?』
「収納の魔法? そういうのが、あるのか。ていうか、純魔力の板? 何か見えているのか?」
『ええ。私たち精霊は魔力を見て感じる事ができるのよ。そこと、そこと、そことそこ。収納の魔法以外はどんな魔法のための魔力なのかもわからないけど、それぞれ機能があるのよね?』
そもそもまだこの世界の魔法というものを理解していない俺は大樹の精霊さんの問いに答えられない。
「えっ…と、とりあえずこっちをまず片付けてもいいか」
『ええ。時間はたっぷりあるのだしね』
さて、考えなしに取り出した本であるが、開いてみても何も書かれていない全て白紙のページでメモの代わりとしては確かに使えそうだ。しかし困った事に、インクもペンもないため文字をかけない。
おかしいな、ゲーム中ではインクもペンもなしに本単体で文字を書く事ができていたんだが。
『なるほど、本当にこちらへ来てまだ時間が経っていないから、自分の持つ魔力をもてあましているのね?』
「む、う、うん。じつはまだコイツの使い方がよくわからんのだ」
ずばり言い当てられてしまったが、大樹の精霊さんからは責めるような意図は感じなかった。それどころか、なんだか可愛い物を見ているようにほほえみを浮かべている。
嘲笑されるよりはよっぽどいいけど、これはこれでなんだか居心地が悪い。
『うふふ。私も今よりもっと弱い存在だった頃は色々苦労したものだわ。色々と教えてあげたいのはやまやまだけど、私は人間が使う魔法の事はよくわからないの。ごめんね』
「あ、いえいえ」
理由はよくわからなかったが、なんだか色っぽい表情で謝られてしまった。ドキッとしてしまう。
なんて事をやっていたのだが、ふと思いつく。
ひょっとして取り出した所から間違ってたんじゃないか。
思いついた通りに、再びしまおうとすると、拡張インベントリウィンドウに近づけたとたんに本は元の《本》のドット絵に戻った。
「お、おおう」
『面白い魔法ねえ。物を純魔力の塊に変えて保存するなんて』
自分でやった事ながら急な変化に驚いていると、大樹の精霊さんも感心している。
よくわからないが大樹の精霊さんにはそのように見えているらしい。
ともかく、ドット絵に戻した《本》をダブルクリック。すると、《本》の入力ウィンドウが開かれた。
やはりそうだ。インベントリ内にある限り単体でインクやペンなど使わずに文字を書ける事だったのだ。
しかも、使用方法が完全にゲームのままになっている。
具体的には、まず今のようにインベントリウィンドウの中の《本》を左ダブルクリックして独自のウィンドウを開く。あとはタイピングの問題だが、両手でクリックの動作を代行できるならこれでできるだろうと、空中に実際には存在しない仮想のキーボードを思い浮かべながら叩いて行く。
「よし」
やっぱり打てた。
基本はローマ字打ちで、変換なども問題ない。どこかに謎の日本語入力ソフトが存在しているらしい。読めるけど手じゃ書けない漢字が無数にある俺には非常にありがたい仕様だ。
ふと、実体化させた本に手書きで何かを記入した後に、再び今のようにインベントリ内で文字を入力しようとした場合はどんな風になるのだろう、という疑問が浮かんだが、今は人(?)を待たせている立場なので実験は後回しにする。
「よし、大丈夫そうだ。確認しながらメモをとりたいんだが、赤の月がルーカ、青の月がホルペー、黄の月がエッカ。この星の陸と海の比率は陸が四割、海が六割」
『そうそう、それで主要な大陸は二つで、ここは南西大陸。一日は二十で分けられ――』
向こうから見たら本がなくなっているのだからメモなんぞ取っているようには見えないはずだが、このあたりは人間などよりよっぽど異世界人に理解をもっていそうな精霊さまだった。
空中に、存在しないキーボードをカタカタとやっている俺を少しも訝らず、大樹の精霊さまは今までに教えてくれた事をそのまま繰り返してくれた。
こんな調子で、俺はこの世界についても知識を身につけていくのだった。
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