ハロー異世界
どこに光源があるのかもわからないままそこに居る人たちを全て見る事が出来ていたあのマーブルカラーの空間から、俺は唐突に真っ暗闇の中に落とされた。
正真正銘の真っ暗闇の中で上下もわからなければ左右も前後もわからない。自分の両手両足の場所すらわからず、とりあえず落下しているんだろうな、という事だけは漠然と理解できた。
だがその落下にしても、体のどこから先に下へ向かっているのか、わからない。
ただ、全身がうずくというか、成長期の時にリアルタイムで骨が伸びていくあの痛みがだいぶん緩やかになったような、痛みというか、むず痒さがある。
あの女神はこの真っ暗闇の中に俺を落とす直前、魂に忠実に肉体をケンゲンさせるとか言っていた。
ケンゲンってのは顕現でいいんだろう。
たしか、実体化させるとか実物を作るとかそういうニュアンスの事を神々しくしたい時に使う表現でよかった筈だ。
ということは、この全身のむずがゆさは、今まさに俺の肉体が形づくられている最中の感覚、って事でいいんだろうか。
……肉体がリアルタイムで生成される様、というのは、ちょっと想像したくない。下手すれば相当なグロ映像だったかもしれない。
とすればこの真っ暗闇もあの神様たちの気遣いなんだろうか。
でも、じゃあ、なんで落下する必要があったんだ。
俺はこのどうあがいても落下中という事実に嫌な予感を禁じ得ずにいる。
「何が起きてるってんだああああ!」
思わず叫ぶ。そして違和感。
ついさっきまでと、たった今の叫びと、自分の声が自分の耳に聞こえる音が明らかに違う。
いや、今が正常に戻った感覚だろうか。
同時に、弱い痛みのようなむず痒さが消え去っている事に気づく。
どうやら、俺は完全に肉体を得たらしい。
さっそく確認したいがまだ真っ暗で確かめようが無い。
どうしよう、このまま落下に身を任せるしかないのか、と腹を括ろうとしたその瞬間、視界の中に青と白と緑と、少しの茶色が混ざった渦が広がった。
「! !! ――――」
わけもわからず叫ぼうとしたがこんどは声が出ない。空気が肺から抜けていくばかりでまったく音にならない。
え、なになに、さっきから急展開ばっかりなんですけど!
叫ぶ文句は音にならず、そして更なる急展開が俺を襲う。
こんどは、視界全体が真っ赤に燃えたのだ。
視界だけではない、俺の全身から火が出ている。
「っっっつ! っつぁ、つっぁぁぁっぁあああ!」
熱い! 熱い熱い熱い!
何これ! 何コレ! 助けて! 助けてくださいシャ○少佐!
シ○ア少佐!? そうだこれ! 大気圏突入のシーンそのまんまだ!
いやそんな場合じゃない! 熱い熱い! 熱いって! なんで生身で大気圏突入させられてんだよ俺!
そしてなんで耐えられてんだ! 普通に考えたら真空空間に生身で放り出された瞬間にデスだよ!
「っつ! うおおおおお!!」
そうこうしているうちにどうやら熱い層を抜けた。
声が戻ってくるが自分の喉から口を通して出ている叫び声のはずなのにえらく遠く感じる。耳から入ってくるのはもっぱら豪風の音だ。
と、とりあえず大気圏突入はできてオゾン層のところは抜けたらしい。
上空、何千メートルだろうか。よくしらんが、俺のにわか航空知識では、ここはまだまともに生命が保たれるほどの酸素濃度が無いエリアの筈。なんだったら音を伝えられるほどの密度もない。
この辺が、世界の違いによる法則の違い、なんだろうか。
などと腕を組んで考えていたら、薄い雲の層を顔面で突き破った。
「ぶっは!」
薄くてよかった。雲の中ってなんとなく息しづらそうだし。
あと腕を組んでいる場合でもない。
両手両足をめいっぱい広げてスカイダイビングのような姿勢になる。
正直、落下速度が下がった気はあまりしないが、何もしないよりはマシだ。
真下に、というか視界いっぱいに広がる大地はまだまだ遠くにある。これにぶちあたる前になんとかしてこの状況から生還するすべを考えださないといけない。
と、と、とりあえずまずは所持品の中に起死回生の一品がないか確かめる。
ぶっちゃけついさっきあの闇の中で得た新たな肉体だろうから所持品に期待なんてできんのだが、というか新しい肉体なのにちゃんと服を着ている事が驚きで……おや?
前半身に凄まじい風を受けながらなんとか曲げて目の前にもってきた両腕両手。
見えるのは薄い緑色に染めつつも素材の色が残っている皮の手袋。
上半身を覆っているのはエンジ色の布のチェニック。そして、その内にはグローブと同じ素材で同じ色のレザーアーマー。下半身にも同じ素材と色のレザーレギンス、となっているハズだ。
正直いってこれら装備は今まで画面の中の物を見下ろすような形でしか見た事がなかったので断定はできないのだが……
「ゲーム装備だこれ!」
瞬間、あの穴に落とされる前に、神様たちからかわるがわる言われた言葉を思い出す。
既に加護が与えられている。
そのせいであの神様たちは誰も大きな加護を俺に与える事ができなかった。
その加護は他の神のものではない。
シューゴーテキムイシキ?。
魂の形に忠実に再現した肉体。
シューゴーテキムイシキというのだけがよくわからないが、この体の元になったモノが、俺にこの世界の神様ですら入り込む余地を少ししか見出せなかったほどの何かをくれているのなら、俺はこのまま落ちても、死なないかもしれない。
その可能性に思い至った瞬間、俺は腹を括っていた。
今まで少しでも悪あがきするために、めいっぱい広げていた両手両足を思い切って閉じ全身を一本の棒に見立てる。
体を広げた時は減速なんて感じなかったが、閉じた瞬間には全体に加速を感じた。
地面はまだ遠いが一つ手前にあった大きな雲の塊がぐんぐん近づいて、突入――せずにすぐそばを掠めながら通り抜けた。
けど良く見ると、俺自身が雲を引いていて少し笑ってしまう。飛行機雲って奴か。
何個かの大小さまざまな雲のそばを通り抜けたり、突入して突破したりを繰り返し、とうとう眼下に広がっていた大地が広大な森林である事がはっきり見えた。
鳥が飛んでいるのが見える。大きな鳥だ。人間の何倍もある。
もっと見回せば、はるか上からじゃ逆にわかりづらかった山の高さが、そして広大な森林の中でも一際大きく育った、大樹!
「ざっつファンタジー! やったぜ異世界ぃいいいい!」
高度と反比例してあがっていく俺のテンション。この世界に訪れて何度目の絶叫か!
大樹のてっぺんに誰かが立っている。人型だがたぶん人間じゃない、遠目すぎてはっきりとは見えないが、髪も肌も緑色で、たぶんあの大樹に宿る精霊とかなんじゃないかなとか思う。
「っととと、うおおお!」
思っていたら通り過ぎた。
物が間近になってようやく自分がどんな速度で落下していたのかを認識した。
あっというま、なんてもんじゃない速度で木々の枝葉が近づいて通り過ぎてぶつかってあいたたたたたた!
「たたたぁつっ、た? 痛くない」
立て続けに体に衝撃は走るものの痛みはない。痛みは、無い? なんでだ。
「おふ。あだっ。どっ」
枝が体のあちこちにぶつかってそのたびに声を出してしまうものの、本当に痛くない。
あっという間に直前までの落下速度が階段のちょっと上の方から飛び降りたくらいの速度まで落ち、最後にはうまい具合に足の裏から地面に、着地したっ
「いって!」
ここで初めて、俺はこの世界に来てから初めての痛覚に襲われた。
それと同時に視界の上のはじっこに現れたのは、《50》という赤い数字だった。
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