6‐17 道交
スタッツはクロウスと別れたあと、ハオプトへの定期馬車に乗ってクルールを離れた。徒歩で帰るにはあまりにも荷物が多すぎたのだ。ノクターナル島で仕入れた懐中時計や小さな陶器、色鮮やかな布などたくさんの品物を担ぎ込んで、久々に我が家の一つとしている部屋に戻る。
だがノクターナル島で最も欲しかったのはそのような物ではなく、情報だった。大量に書き込まれたメモ帳を常備しながら移動するほどだ。長くノクターナル島にいたため、それなりに奥まった事情まで得ることができたのは大きな収穫であった。そしてクロウスと知り合えたことは、今後のスタッツに多大な影響を与えることになる。
ハオプトにはクルールを昼前に出たため、日が落ちた頃には到着した。両手いっぱいに荷物を持ちながら、喧騒が響き渡る町へと入っていく。
早く部屋に戻って今まで持っていた情報と得た情報を照らし合わそうと思いながら、足を進めていくと、喧騒の中に一つ異様な雰囲気を発している場所が目につく。道端でシートを広げて、絵画を売っている商人と褐色の髪をした十五歳前後の少年が剣呑な雰囲気で睨みつけているのだ。商人の方は何度か顔を合したことがあり知っていたが、少年の方は見たことがなかった。大きなリュックを背負っている。
「何を言っているんだ! 変な言いがかりをつけるんじゃない!」
「だから何度も言っているじゃないか、それは偽物だ。あの有名な画家がこんな下手なタッチで描くわけない。だからもっと安くしろよ!」
どうやら偽物か本物かで言い争っているらしい。まだ大人にはさぞ遠い少年が食ってかかっている姿が微笑ましくも見えた。
ハオプトでは絵画が時として偽物で売られている。だがそこに住んでいる人は黙認のことだ。
言いあっている様子を見ていると少年はまだここに来たばかりなのだろう。商人の額には薄らと青白い血管が浮き出し、顔を真っ赤にしている。面倒なことは避けたい習性だが、その少年の真っ直ぐさにどこか惹かれた。クロウスに似てなくもない真っ直ぐさが。
商人が立ち上がろうとする前に自然な成り行きで少年の隣に行くと、胡乱下な目で二人に見られる。
「スタッツじゃないか、どうしたんだ?」
「済まなかった。私の連れが迷惑を掛けた」
「この子供が?」
「そうだ。なかなかいい目をしているだろう。ちょっと約束の時間に遅れたから探していたら……。ともかく、行くぞ」
スタッツが呆けた少年の袖を持ち、ずるずるとその場から無理矢理離し始めた。商人は多少口を吊り上げていたが、すぐに何もなかったかのように商売顔に戻り、自分の仕事に戻る。
裏路地に入った所でスタッツは少年の袖を離し、顔を見合した。脇から入る光によって不機嫌な少年の顔が浮かび上がっている。
「一体何なんだよ。あれは偽物だったのに、そのまま売っていていいのかよ!」
スタッツは溜息を吐く。
「まだハオプトに来たばかりの家出少年と言ったところか」
「……何で分かるんだよ」
「こんな時間帯にお前くらいの年代の子供は、ハオプトに住んでいる者ならまず家から出ない。それに、ここではたいしたものでなくても高値で売られているのはよくある。まあ、田舎から出てきたお前みたいな子供にはわかるはずもないか」
眉を激しく顰めている少年に対して遠慮なしに言ってしまった。自分らしくもなく出した言葉に何だか可笑しくなってしまう。
スタッツは荷物を持ちなおして再び歩き始める。少年がその姿を眺めているのに対して、後ろをちらっと見て口をとがらす。
「ほら、行くぞ。宿なんてないんだろう。泊めてやるよ、狭い部屋だが。俺はスタッツ・リヒテング。お前は?」
少年ははっとしてスタッツの方に走り込んできた。
「俺はアルセド・スローレンだ!」
スタッツはその言葉と仕草に思わず笑ってしまう。元気よく言う姿につられて笑顔になってしまっている。初めて会った少年に対してこうも気を許せるようになってしまったのは、最期まで他人に優しかった少女のおかげだと何となく分かっていた。
* * *
夜遅くになっても副局長室にはまだ光が灯っていた。レイラは大きな欠伸をする。ようやく本日の仕事が終わったのだ。一度部屋に戻るか、と大きく背伸びをした時に読みかけていた日記帳に目が行く。時計を見るとまだ少しは時間がありそうだ。そう思って、日記帳を開いた。
日記帳には驚くべきことがたくさん書かれている。魔法には限りがあると何度も書いてあった。だがそれをすぐに証明することが難しいため、ほとんど広まっていない。事実、レイラもプロメテから何となくしか聞いたことがないのだ。
しかしそれを危惧しているのがしきりに書かれている。そしてその危惧によって、気持ちが動かされたプロメテは密かに進めようとしていた内容も。
読んでいるうちに、レイラは驚きと焦り、不安とほんの少しの胸の高鳴り感で溢れていた。
――だがそれをやりきることが自分の役目だとすれば、やらないわけにはいかない。
いつか来る大きな決断のためにレイラは今を大切にし、プロメテが作っていた下地を引き続き作ることにした。
今生きている人、これから生きる人が笑って過ごせるような国を目指した偉大な局長の意思を引き継いで――。
* * *
穏やかな風が吹く中、大地に様々な色が付き始める時期に少女は簡易に包装された花束をそっと三つの墓石の前に置いた。亜麻色の長い髪が風によって遊ばれる。
中身のない墓もあるが、どこか別の場所で大切に埋葬されていることをイリスは信じていた。
しゃがみ込み、両手を胸の前に合わし、心の中で語りかける。日々の何気ないことをただひたすらに――。
寂しさは確かにあるが、村の人が優しくしてくれるために、そこまで辛くはなかった。
やがて長かった語りかけをやめて、イリスは芝生の上に寝転んだ。
大地のぬくもりが体全体に感じてくる。風が心を癒す温かみのあるものを流してきた。
「風は大気と穏やかさと、地は大地とぬくもりを、水は海と清らかさを、火は炎と温かみを与える。これら四つの循環を乱してはならない――」
今は亡きイリスの父親が幼い頃から何度も繰り返して言っていたものを思わず口ずさむ。それは遺書とも言える手紙にも書かれている。そして父親の遺品の中からイリスが生まれる前から調べていたものの断片を発見し、そこにはその言葉についての詳細が載っていた。
それを読んで、何故セクテウス・ベーリンがイリス達とほぼ決別に近い形を取ったのかがようやく納得できようとしている。
「今、私が見える全てのものが他人にとって全て見えているとは限らない。だから私が正しいと思っていることも、他人にとっては間違っているかもしれない。だけど時間を経れば見えてくる。そう、いずれわかってくれる日が来るはず……。お父さんがやりたいこと何となくわかったよ。……私もそれに貢献したいな」
ぼんやりと考えながら、一緒に持ってきた古代文字で書かれた本に挟まれた、今にも切れそうな紙切れをじっと見る。紙切れには古代文字でこう書かれていた。
『虹色の書は古代文字で書かれている。いや、魔法の本質を書かれているものはほとんど古代文字で書かれている。だから魔法の源を追い求めるには古代文字を読み解く能力が必要だ』
幼い頃からイリスや彼女の姉は古代文字の読み方について両親から教えられていた。それはただの気まぐれや、より多くの能力を得てほしいと言う両親の願いから出てきたものだ。
だがその願いがより大きな実を結び、影響を与えるのは、もう少し後である。
* * *
防御重視の長いローブを着る格好から、身軽さを重視し緑色でまとめ上げられた、短い丈の上着に膝が見えるキュロットスカートを着て、シェーラは毅然とした顔つきでネオジム島のある町を歩いていた。
今日は情報部に入った仕事をしに、一人でここまで来ている。仕事の内容は魔法の書物を使って、暴走した魔法を放った可能性があると言うことを調査してきてくれというものだ。力がないものが呪文を唱えた魔法を使うのは極めて危険であり、その後の術者に多大な影響を与えることが多い。
それを調査して、詳細を事件部に言えば終わるはずだが――、時間がなければ自分で対処することも考えていた。どのような展開になろうとも。
真っ直ぐと前を向いて歩き続ける。前から歩いてくる漆黒の短い髪のあと数年で立派な青年になりそうな少年に目がいったが、特に気にも留めずにすれ違う。
少年も一瞬シェーラに目を向けたが、何も言わずに通り過ぎる。
すれ違った時にお互いが持っている石が微かに輝いていた。
緑、青、藍、橙の四種類の石が共鳴するように輝く様子に二人は気付いていない。
見る者の心を癒し、穏やかにする素晴らしい輝きを――。
* * *
その二人、風使いと剣士が再び合間見るまで、三年の月日を必要とした。
長く、振り返れば一瞬で過ぎたように感じられる三年の間に、ノクターナル兵士はグレゴリオの指揮のもとに純血狩りを始める。戸籍や噂などで辿り着いた純血を集め、研究所に連れて行き、血液を採取しているという内容だが正確なことは定かではない。
採取した血液はグレゴリオや側近の中に注入して更なる魔力の向上を、そして平兵士で全く魔法を使えないものに投入して、魔力を持った人間を新たに生み出そうとした人体実験もあったとちらほらと囁かれている。
そしてグレゴリオは魔法の禁忌と言われるものの一つにも手を出していた。
流れがあるものを操るのが魔法使いならば、人の意思という流れも操ることができるのだと。
兵士の地位も異様に高くなり、部隊長のほとんどはグレゴリオに完全に服従する形となる。自分の意思で服従する者はいいが、能力は高いが服従できない者には意思を操られることになるとは、魔法管理局でもほとんど知らない事実であった。
次第に兵士の行為に対して大きな不満を持つものが国の各地に広まる。それを事件部はひたすらに仲介に入り、時に牽制を仕掛けもした。
だが、ノクターナル兵士とそれ以外の人で全面的に衝突するのは時間の問題だ。
それを避けるために、レイラは秘密裏にプロメテがしようとしていたことを進めていた。
そしてそれがようやく表面に出ようとした時に、運命的な出会いが起きる。
その出会いは今まで謎に包まれていた魔法の源について明らかになるだろうとは、当時は誰も予想してはいない。
そしてエーアデ国の魔法の行く末を左右することなど露ほども思っていなかった――――。