6‐12 鮮血
入口からプロメテが険しい顔をしながら入ってくる。レイラが緊張な面持ちでその後に付いていく。そして数歩進んだ所で立ち止まった。シェーラの更に奥には男一人が手を広げた大きさくらいの石が静かに置いてある。
プロメテは皮肉たっぷりに言葉を発する。
「グレゴリオ、お久しぶりと言ったところか。大層な歓迎をどうもありがとう」
「久しぶりだな、プロメテ。相変わらず政治とかそっち系のことをやっていて、剣や魔法の腕が鈍っていると思ったが、そうではなかったな」
「最近は物騒だから、自分自身も鍛えなければな。さて、その少女をこっちに引き渡して、さっさと要件を言ってもらおうか!」
いつになくきつい口調にシェーラはびっくりした。普段怒るときは、優しく諌めるようにしているが、今日は感情を露わにしている。グレゴリオはそれを笑い飛ばした。
「はははっ……! そんなにこいつが大切なのか。大変だなあ、局長っていう奴は。ああいいだろう、すぐに返してやるよ。その前に一つだけ聞いていいか」
「何だ?」
「俺と手を組まないか? お前の魔力と俺の頭脳があれば、魔法を利用して国を支配することができるのは可能だ。そう、一つの国と言いながら結局は四つに分かれているこの国を再び一つに統合するのさ。魔法があれば何だってできる」
その言葉にプロメテは即座に否定した。
「それは断る。魔法があれば何だってできるわけじゃない。魔法は決して万能ではない! それに無理に統合すれば、穏やかだった日々が壊される。今、小競り合いも確かにあるが、それぞれの特色ごとに島が分かれているから、激しい争いもない。お前の思惑だけで無理矢理島を統合しようとして、戦乱が起きるのならば、それは許されることじゃない!」
「……お前ならそう言うよな。だが再び統合することで、得るものはあると思うが?」
「そうかもしれないが、やっと得た平穏を壊すのはよくない。もし統合まで考えるのなら、もう少し策を練ってからした方がいいと思うが?」
「そんなことをしていたら、時間がなくなるだろう。魔法を使えば、すぐに国中の人々を平伏させることができる。それから策を練ればいい」
グレゴリオはにやりと笑みを浮かべる。だがプロメテは首を横に振った。
「駄目だ。魔法を使って支配するなんて、愚か過ぎる。魔法は極めて不安定な存在だ。それを利用するのは危険すぎる。誤って使えばとんでもないことになるぞ!」
「何を言っている。今までだって、魔法を散々利用してきたのに、危険なはずはないだろう」
「それは魔法を過度に使い過ぎていないだけだ。統合をする上で戦乱が起こり、その過程で魔法を使うとするのならばあまりに膨大な量を使うだろう、今までになく計り知れない量を。そんなことに魔法を使ってはいけない。魔法は争いのためでなく、日々の生活に少し豊かさを得させるためにあるのだろう!」
全身全霊で叫んだ声が辺りを包む。それにグレゴリオは軽く舌打ちをした。
「……ああわかったよ。何を言っても無駄なようだな。残念だ。話はそれだけだ。とっととこの女を返してやるよ。フェンスト、縛っている縄を切ってやれ」
短い黒髪の女性はシェーラを無理矢理立たせ、両手、両足の縄を切った。
ちらっと後ろを振り返ると、グレゴリオが無表情のままプロメテを見つめていた。
「行け。もうお前は必要ない」
「シェーラ、こっちにおいで」
プロメテが微笑みながらシェーラに声を出す。静まり返ったようなグレゴリオの気配に若干の怖さが出ながらも、一歩足を踏み出し、駆け出そうとする。
その時、グレゴリオが嘲笑うような声がした。
「ああ、もう一つ伝えたいことがあった。――アテナ・ベーリンなら、死んだよ」
プロメテの目が大きく見開いた。構えていた警戒心が乱れた心によってほんの少し解ける。
その一瞬の間に、シェーラの背中に激しい痛みが走り渡った。
悲鳴を上げる間もなく、痛みが全身を駆け巡る。険しい顔をしながら振り返ると、血が付いた剣を振り払うグレゴリオがいた。その表情は大きくにやけている。
右肩から左腰まで背中が一直線に斬られていた。そのまま力なくシェーラはその場に倒れ込む。
息を吐く暇もなく、プロメテはシェーラを庇うようにグレゴリオの目の前に移動していた。悔しさと怒りが混じり合った表情を向け、吐き捨てる。
「グレゴリオ、お前は……!」
「賛同しないなら……全て排除する。こんな弱っちい子供のために来たのを後悔するんだな!」
「グレゴリオ、お前は……! レイラ、シェーラを頼む!」
そう言うとプロメテは大きく跳躍した。それに続いてグレゴリオも飛ぶ。剣同士が音を立てて交じり合う。
レイラは言われたとおり、血相を変えてシェーラに近づこうとしたが、突然足もとに火の玉が飛んでくる。軽く飛んでかわすと、細剣でレイラを突こうとするフェンストの姿があった。それを寸前のところでかわし、護身用に持っていた短剣で受け止める。
「あなたの相手はこの私。魔法に関してはそれなりに心得があるようだけど、接近戦はどうかしら?」
レイラの頬に剣先がかする。フェンストは妖艶な笑みをしながら、次々に剣を振り回していく。
それを基本的には避け、時に氷の盾を出しながら防いで行った。
防戦一方だ。
しかし隙を見て、氷の塊を作り、落としていく。地味ながら多少は効果があるようだ。
シェーラは背中の痛みに耐えつつも、二組の戦闘を必死になって見ようとする。だが突き刺さるような痛みは依然続く。視線を下に落とすと、体の周りには大量の血が出ていた。
その光景を見て、思わず息を呑んだ。手を動かせば生温い感触がある。
――悔しい。
その言葉が頭の中を駆け巡る。何をやっても足手まとい。プロメテやレイラに被害が及んだのも自分のせい。どうしてこんなに弱いのか、ただただ悔しかった。
――何一つ変わっていない。
ぐっと口を噛み締めつつ、一人心の中で泣いていた。
プロメテは焦っていた。シェーラの出血量からしてそう長くは持たない。グレゴリオをどうにかしてから、いち早く駆け付けねばならなかった。
グレゴリオは元々剣術が上手い方ではないため、すぐに魔法主体の攻撃に切り換え始める。
初めて手を合わすがどこか普段相手している魔法の感じとは違っていた。小さな炎も出す。そして小さな風や水、土の塊も出す。全ての種類の魔法を出していくのだ。ただその威力はプロメテから見たらたかが知れている。土の魔法や剣であしらいながら、跳ね返していく。
これくらいの男だったかと疑問に思う。発せられる殺気からはまだ何かを隠しているのかもしれない。それが現実化する前に、戦闘不能にさせようと試みる。
ふと、激しい魔力の迸りが出た。目だけ動かすと、レイラが間合いを置いたところでフェンストの周りを一気に氷の壁で閉じ込めているのが見える。
フェンストはその中から氷を溶かすために、炎を出しているようだ。
レイラは一気に魔力を出した反動で足が縺れている。
だがそれにも怯まず、止めにフェンストの頭上に大きな氷を作り、勢いをつけて落とす。そして触れる頃にはまた氷が分解して、鋭い刃のように突き刺さって行った。
「きゃあ!」
フェンストの悲鳴が聞こえる。レイラは頬の血を拭うと、その光景を見ながら淡々と呟く。
「私の妹分に手を出した罰よ。悪かったわね、つい本気を出しちゃった。すぐに適切な治療をすれば、死にはしないはず。早くここから消えなさい」
言い終わるとフェンストを囲んでいた氷が割れた。その中には地面に倒れ伏しながら、鋭い氷の刃が全身に突き刺さっているフェンストが声を荒げている。
それを一瞥すると、急いでレイラはシェーラの方に駆け寄った。
プロメテはその光景に気を取られているグレゴリオの足を覆うように、土の塊を作り始める。グレゴリオが気付いた時にはすでに自由が制限されていた。
膝上まで土は伸び、足は動けない。魔法を放つがプロメテに近づく前に心許無く消える。
「畜生、魔法よ、あいつをぶち殺せ!」
未だに消えない殺気にプロメテは土で作った鋭く尖っている塊をグレゴリの右足に向かって投げつけた。それがふとももに突き刺さり、グレゴリオは狂気じみた悲鳴を上げる。
苦悩な顔しながらも、今度は左肩にも投げる。刺さると、立つのもままならいようで、グレゴリの動きがふらついてきた。
プロメテが固めていた土を軟らかく戻すと、支えを失った体はそのまま地に伏せる。
その光景を見下ろし、口を濁らせながら話す。
「お前の力では私を傷つけることもできない」
「何だと……」
「お願いだ。このまま大人しく消えてほしい。これ以上、旧友を傷つけたくはない……」
それ以上に何かを言うべきだったかもしれない。だが最初に出てきたものは、局長という立場ではなく、一人の友人としての声だった。
致命傷を与えたわけではない。あくまで動けなくしただけである。プロメテの優しさがこんな局面にでも出てしまったのだ。
それを聞くと、グレゴリオは高らかと笑い始めた。それに顔を歪ませる。
「お前は本当に優しいな! ああよかったよ、断ってくれて。その優しさは俺の野望にはいらない」
目に力を入れながら睨みつけてきた。その視線にプロメテは心の中が動揺する。急に警鐘が鳴り始めたのだ。
グレゴリオがどうにか動かせる右手をプロメテに向ける。そして冷淡に言い放った。
「良いことを教えてやろう。俺が操る魔法は“生き物にある流れ”だ」
何か鈍い音がした。
プロメテは突き刺さる感触を抱き、ゆっくりと視線を自分の体に移す。
そこには――腹に大きな赤黒い物体が突き刺さっていた。
内臓を傷つけられたためか、勢いで口から血が出る。がくっと膝を折り、剣を地面に突き刺しながら片膝を立てた。
「プロメテ先生!」
レイラの悲痛な声が響く。シェーラも信じられないと言わんばかりに目が震えていた。
歯を食い縛りながら、プロメテは自身を刺したものを改めて見る。血を鋭く固めたものだった。
その血の主はグレゴリオ自身。大量に出血されたグレゴリオの体から、何回か軽く斬ったときに出きた血の跡を辿り、やがて血の刃へと姿を変えたのだ。
「知っているよな? 魔法は世の中の流れを使うものだって。風が吹くこと、大地が肥やすこと、水が流れること、火が発生することもだ。よく考えれば人にも流れがあるよな? 血や意識というものが。それを上手く使えば、攻撃もできるし、人の心も操れるだろう」
「グレゴリオ、お前、それをどこで……」
「禁忌とされている文献を読めば一発さ。この世にはいくつも禁忌とされている本がある。特にノクターナル島にはたくさんあるのさ。なぜならそこに住んでいる人達は自然現象の魔法を使うのがすこぶる駄目だから。そしてその中に血の魔法について書いてある本があった。自分の血なら、自分の意志で動かせるのは当然だからな。ほとんどの人は使いこなすのは無理だった。だが俺はできたというわけだ。――さて、形成逆転だな。命乞いすれば、考えてやってもいいぞ?」
グレゴリオの勝ち誇ったような声が耳に入ってくる。だが次の手を打ってこないということは、グレゴリオ自身もこれ以上は動けないと言うことを暗黙のうちに意味していた。
「――何回も言っているだろう。お前とは手を組まない。……それによって私が命を落とそうとも」
「ほお、あの女と同じ考えか。やはりお前らは親子だな。動けないのに何を言うんだ」
プロメテは嘆息を吐いた。そしてまだ残っている魔力を使ってほんの少しだけ床に力を込める。次の瞬間、グレゴリオが呻き声を発した。
グレゴリオが触れている床から鋭く尖った土が手や足へと突き刺す。それによりお互いの出血量はさらに増した。
「くそっ、プロメテ……!」
「お互いここで朽ちよう……。私達はきっと一人で知り過ぎてしまったのかもしれない、魔法というものについて。先走りはやっぱりよくないな……」
プロメテは石やシェーラ、レイラの方を見ながら呟く。そしてグレゴリオに向けて最後の魔法を使おうとする。
今まで我を失い狂気に満ちた人を悲痛な気持ちで命の灯を消してしまったことはあった。今回もその一例となるだろう、ただし最後の例として。
自身の償いを込めながら、震える手で放とうとする。弟子達や出会ったことのない人達へ未来を残すために、それは必然の行為だった。
それに対してグレゴリオは睨み返し、残り少ない血を使ってもう一度攻撃を子試みようとしている。
次で決着が付く――と思った矢先に、激しく馬を走らせる音が聞こえてきた。
突然の来訪者に一同の動きは一瞬止まる。
間もなく、一頭の馬がドアを突き破って走り込んで来た。その上には黒いローブを羽織り、フードを深く被って顔を隠した人が乗っている。
「グレゴリオ様、フェンスト、お迎えに上がりました。ここは一端退きますよ!」
滑らかに出される女性の声はどこかフェンストと似ていた。
「だがここで止めを……!」
「グレゴリオ様、あと一回魔法を使ったらあなた様が助かりませんよ!? どうせほうっておいても死ぬ人に止めを刺す必要はありません」
女性はフェンストを馬に乗せ、グレゴリオの元にもすぐに馬を寄せる。レイラはそれを見てすぐに氷の塊を落とそうとした。
だが女性から放たれる火の玉によってそれが遮られ、むしろ次々と攻撃されてしまう。レイラはその火の玉を相殺するのが精一杯だった。
「さあ行きますよ。グレゴリオ様、まだやらなければならないことがたくさんおありでしょう?」
「……すまない、フィンスタ」
グレゴリオも馬に乗せられ、あっという間に窮屈な馬上となる。だがそれでも馬は嫌がることなく走り出す。
その時、フィンスタと呼ばれたフードの女性はレイラの姿に瞠目する。
「あら、まだ元気な人がいたのね。あなたね、フェンストをこんな姿にしてくれて……。これは私からの餞別よ。さようなら」
腕を広げたくらいの大きな火の玉が投げつけられる。
レイラはすぐ後ろにいたシェーラを守るために、すっと立ち上がり、全身全霊で目の前に分厚い氷の壁を作り出した。
火がそれに当たるとじゅうっと氷が解けるような音がする。そして激しく砕け散った。
その衝撃で割れた破片がレイラの全身をかすっていく。シェーラを守るようにその場に立ち尽くし、じっと耐え続ける。
やがて氷の壁と火の玉がなくなったときには、すでにグレゴリオ達の姿はなかった。
その変わりに、小屋には火が回り始めている。
レイラはくっと唇を噛み締めながら、その火を水で消火しようとした。だが勢いよく燃え盛り始める炎に、魔力も乏しくなっているレイラの魔法では難しい。炎は水などお構いなしに燃え続ける。
後ろを振り返れば、背中から激しく血を出している妹弟子、右を向けば腹から血を出し続けている先生。
どうしても二人を助けたいと思い、ひたすらに魔法に願いを込める。
その時激しい雷が鳴り響いた。どこに落ちたのだろうかわからないが、それを皮切りにして、屋根に突き刺さる激しい音が聞こえてくる。急に雨が降り始めてきたのだ。
そして激しく渦巻いていた炎は嘘のようにすぐに消える。それを見届けてレイラはへなへなと座り込んでしまった。