6‐6 再会
クロウスとエナタはマイワールの隅にある喫茶店の椅子に腰を掛けていた。そこでスタッツと話し込んでいる。
スタッツはネオジム島出身で骨董品に目がないらしく、時折こうして色々な島に足を運んでいるらしい。今回は数年ぶりにノクターナル島に来たばかりで現在の状況がよくわかっていないそうだ。そのためスタッツから投げかけられる質問に答えているうちに、つい二人は自分たちが兵士の一員であるということを話してしまっていた。
それを聞くと、スタッツはほんの少しだけ目を見開く。
「それは……驚いたな」
紅茶を喉に通しながら、じろじろとスタッツは二人を見渡す。エナタは整った顔立ちから送られる視線に対して、若干視線が落ちがちだ。
「……誰も私達みたいな人があの軍団だと思いませんよね」
「そうだね。君達みたいに心が清い人が兵士だとは思わないだろう。だが全ての人がさっきの男のようではないだろ?」
「その通りです。いつも騒ぎを起こすのはああいう輩で、大半は大人しく仕事をこなしています。ただその大人しくが逆に良くないのですがね……」
エナタは苦笑いをしながら話し続ける。それをクロウスは横で聞いていた。実際に良くない行為をしている人はそんなに多くはない。一番多いのは傍観し、見て見ぬふりをすることだ。エナタの言葉を聞いて、クロウスはまるで自分のことが言われているようで耳が痛い。先日もそうだ。クロウスが何もしなかったが故に記者が殺されたと言っても過言ではない。
再び自己嫌悪に陥りそうになると、横からエナタがじっと見つめていた。
「クロウス、どうした? また眉間にしわが寄っているよ。何かあった?」
「……別に、何でもない」
視線をそっとエナタと逆側の方に向ける。それが癇に障ったのか、彼女は口を尖らせた。
「何よ、人が心配しているのにその言い草は!」
「心配されるほど困ってないが……」
「もう張り合いがないわね! この前済んだ事件に対して、いちいちくよくよしないでよ。後悔しても何も始まらないんだから」
それはいつもの調子のやりとり。だがスタッツには新鮮だったのか、くすくすっと笑い始めた。その笑いによってエナタは怒る気力が削がれてしまう。
「何ですか、スタッツさん。失礼ですよ、人の会話を笑うのは」
「いやいや、すまない。お二人は本当に仲がいいのだなって思っただけだ。ほら、喧嘩するほど仲がいいって言うじゃないか?」
クロウスとエナタはそれを聞いて、恐る恐る再び視線を合わした。そしてすぐにスタッツへ視線を戻す。
「仲良くないわ!」
「仲なんて言い訳ないだろ!」
たまらずスタッツは声を出して笑い始める。クロウスは肩を竦め、エナタはスタッツに抗議をし続けていた。
そんな風に穏やかな午後は過ぎて行く。夕方近くになり、さすがに寮に戻らなければならない時間となっていた。それを知って、エナタは残念そうな顔をする。
「もう少しスタッツと話をしたかった」
いつのまに親しくなったのか、エナタやクロウスはスタッツに対して打ち解け、ため口を使うまでになっていた。五歳以上も離れているが、どこか兄貴風の肌にいつしか二人は惹かれていたのだ。
「また会うかい? 俺もクロウスやエナタと話せて、面白かったし」
「本当? それじゃあ、次、私達が同じ休みを取れるのは……だいたい一ヶ月後なんだけど、どうかな? もう他の島に行っちゃう?」
スタッツは使い込まれた手帳を捲る。かなりたくさんのことが書かれているようだ。
「……大丈夫だ。マイワールはいい所だからな、ここを起点として色々動こうと思う。それでは、またこの町で会おう。場所はここでいいかな?」
「もちろん! いいわね、クロウス」
「ああ。必ず空けておくよ」
この数時間だけだったが、クロウスにとってエナタ以外に心を許してもいいと思える人となっていたスタッツの存在は大きいものとなっていた。だから必ずその日は行こうと決めていた、エナタと二人で――。
そしてエナタは魔法研究所に遠征に行った。クロウスはナハトの近くで再び見回りをしており、その時に他の島から来たという調査団と出会う。このまま大人しく去ってもらおうと促そうとしたが、それがローグに見つかり、逆にクロウス共々酷い暴行を受けてしまう。表向きは仕事で負った怪我を癒すため、だが本当は不審な行動をしようとしたために対する謹慎処分ということで、しばらくはナハト、いや寮からすら出られなかった。
そのことが余計にクロウスの中で兵士に対する疑惑が浮上する。だが何もできずにただ愚図ついた日々が続く。
二週間ほど過ぎて、エナタと一緒に行った部隊が帰ってきた。それを心待ちにしていたが、その部隊の一人から発する言葉に目を丸くする。
エナタは途中で崖から落ちて、依然行方不明だという。
* * *
「スタッツ!」
息も切れ切れにして、クロウスは喫茶店に飛び込む。ようやく謹慎も解け、顔の痣もひいたところだ。スタッツは読んでいる本から目を上げる。
「……エナタが行方不明にでもなったか?」
それを聞いて、クロウスは飛び上がる思いになった。
「どうして、それを……!」
「俺は情報屋も営んでいるんだぜ?」
涼しい顔をして言いきる。ああ、そんな発言もしていたなとクロウスは思い出した。スタッツと対面するように椅子に腰を掛ける。
「どれくらいの期間、行方がわからないんだ?」
「二週間前ぐらいに遠征先で崖から落ちてから。相当な高さから転げ落ちた……って」
「事故だったのか?」
「そうらしい」
言いながらクロウスの顔色は青くなっていく。スタッツは紅茶を一口飲むと、声を顰めて言う。
「エナタは事故ではなく、人の手によって落とされたんだ」
「何だと!?」
思わぬ言葉にクロウスは声を上げる。スタッツはその行為を睨みつけた。
「そんなに大きな声を出すな」
「すまん。だがどうしてそう言いきれるんだ?」
「ちょっと風の噂でエナタのことは聞いていて、先週辺りに現場へ足を運んだ。そこでそこの現場と天気等の具合、そしてどこか抵抗した様子が見られる所から、事故とするのはあまりにも不自然な現場だと思った」
自身の経験や直感のみで言っているのだろうが、確かな証拠はないのにスタッツから出る言葉には何故か説得力があった。
「それにエナタに反感を買っている輩は多いんだろ?」
「ああ。女であんなに秀でていて、男にもはっきりと口答えもする。大半はエナタには好意的だが、一部では妬みの対象となっているとは聞くよ」
「そしてその輩が今回のエナタと一緒に行動をしていたら、どうなる? しかも隊長格が」
それを聞いて、クロウスは今回の隊長がエナタのことを研修時代から酷く嫌っているのを思い出す。
「それじゃあ、エナタは……」
「突き落とされたな。表向きは事故と言い張り、隠蔽させる気だろう」
「そんな……」
クロウスは背もたれにぐったりと背中を付けた。一気に思考が目まぐるしく変化して、そして突きつけられた事実に呆然としてしまう。誰よりも強く清い人が抵抗しながら、気付けば足を滑らしていた――。クロウスは最悪の事態を想定する。
「エナタはもしかして、もう……」
「クロウス、もう少し彼女を信じてやったらどうだ?」
諭すように出る言葉を聞いてクロウスは視線を上げる。
「確かに高さはあった。だが下は木で覆われている部分もある。上手く行けばクッションになるかもしれないだろう。遺体も発見されていないのに、最悪のことを考えるのは失礼だ。エナタは……強いだろ?」
必死にクロウスを慰めようとしているのが、切実に伝わってくる。ただその想いと言葉には頷くだけしかできない。
エナタはきっとどこかで生き延びて、目の前にひょっこりと帰ってくるかもしれない、そう思いながら彼女を信じることにした。
* * *
香ばしい匂いが漂ってくる。そしてどこか懐かしい匂い。ただ毎日を楽しむことしか考えていなかったあの日――。それと共に、目を開いた。
そこは山小屋のようで、誰かが小さな台所で料理をしている。視線を横に持って行こうとすると、全身に痛みが走った。
「痛っ……!」
堪らず声を上げると、台所にいた人は近づいてきた。そしてほっとしたような声を出す。
「よかった、やっと目覚めたんだね、アテナ……」
エナタは久しく呼ばれていなかった自分の本名アテナという言葉を聞き、そして現れた人物に目を丸くする。
「お父さん……」
呟く言葉にエナタの父、プロメテ・ラベオツの偽名で通っている、セクテウス・ベーリンは嬉しそうに首を縦に振った。
「どうしてお父さんが……」
「それはこっちのセリフだ。ノクターナル島に調べたいことがあって、こっちに来ていたら、木の合間によく見た顔が見えて……。足を滑らしたのか酷い怪我をして意識を失っていたが、幸い致命傷はなかったし、傷の具合から何かあったと思い、町の病院には連れて行かないでこの小屋で治療した。骨が折れていたり打撲も多い。しばらくは思うように動けないだろう。三週間くらいは大人しくした方がいいかもしれない」
エナタははっとして足に意識を持って行く。崖から突き落とされる直前、必死に抵抗したときに斬られた傷だった。それから事故と事件を判断するとは、自分の父親ながら感嘆するものがある。
「しばらくはここにいなさい。ちょっと父さんは調べることがあって、昼間はいない時が多いが、夜はいるから」
「ありがとう……。でもお父さん、確か魔法管理局で局長をしているって聞いたよ。そんな人が何日も帰らなくていいの?」
「ああ大丈夫だ。数日に一回は町に行って電話をしているし、何より優秀な後継者がいるからな。好き放題やってもそこまで影響は及ぼさない」
きっとその後継者はエナタの父親に対して相当なストレスを溜めているのだろうと、悟った。
ノクターナル島はほとんど他の島とは交流がないとはいえ、マイワールなどで密かに発行されている他の島のことを載せた記事には目を通すことが多い。魔法管理局と言えば、デターナル島に影響を与えているだけでなく、エーアデ国全体にも大きな影響を及ぼしている。そんな所のトップが変わったとなれば、一面となり顔写真が掲載されるのは必然だ。
久々にクロウスやスタッツ以外の心から許せる人と再会したが、エナタはそれを振り払うのかのように明るく振舞う。
「けどお父さん、私なら大丈夫だよ。動けるようになったら、ここから出ていくし」
「その後……どこに行くつもりだ?」
その言葉を聞いて、エナタはどきりとした。娘が羨むほどの観察眼が心を貫く。
「女ながら、男に負けない強い兵士がいると小耳に挟んだ。それがアテナとわかるまでは時間がかからなかった。それだから、一部の妬み深い男達に殺されかけたんだろう? わざわざそんな所に戻る必要はあるのか?」
「……まだノクターナル島での魔法の位置づけがわからない。もう少しなの。あの研究所で何をやっているかわかれば、きっと……」
「もうあんな所に行くな」
有無を言わずに否定する。それが却って、エナタに反抗心を生みだす。
「どうしてよ!?」
「あの研究所で何をやっているか、お前自身の目で見た時にはもう遅い」
「それじゃあ、お父さんは知っているの? あの研究所を始めとして、ノクターナル島がやろうとしていることを」
「……ああ」
「じゃあ、教えてよ。それを聞いたら、少しは考えが変わるかもしれない」
鋭く突きつける視線にはあっと溜息を吐く。そして意を決したように言う。
「ノクターナル島のトップは多くの魔力を得て、エーアデ国を支配しようとしている。魔法があれば何でもできると思ったのだろう。自然を操り、力を誇示する。それは昔からよくやることだ。……まあ支配だけなら可愛いものだろうな」
薄く冷笑する姿にエナタは悪寒を感じた。
「そんな中、その魔力を得るために、秘密裏に純血の人を集め、その血を利用しようとしている噂がある。もう何人か目星をつけているそうだよ……、お前もその一人だ」
思いもよらない言葉にエナタは驚きを隠せない。
「治安維持部隊に入隊する際の試験で血液検査が行われるだろう。それで純血と見なされれば、自動的に入隊が確定する。そうじゃなきゃ、お前が入隊するなんて無理な話だ。表向きはノクターナル島の出身としても、ソルベー島出身とすぐに割れるからな。治安維持部隊に入隊するには、ノクターナル島出身というのが暗黙の了解となっているのに気付かなかったのか?」
ゆっくりと言葉を噛み締めながら、結論を出した。
「アテナ、お前は純血であるから入隊できたんだ。後々、利用できる人材として。だから戻っても待っているのは……」
言わずとも察しれくれると思い、敢えてプロメテは続けなかった。エナタはぐっとシーツを握りしめる。このまま行方を暗ました方がいいのかもしれない。だがそこに思い浮かぶのは優しく接してくれる少年――。きっととても悲しい顔をして過ごしているのだろうと思う。
「お父さん、それでも私は――」
「……男でもできたのか?」
エナタはその発言に極力平静を装って答える。
「え、違う、友達よ。いつも一緒にいてくれる友達がいて。その人を残して……私は兵士をやめられない」
「ならその人も一緒に行方を暗ませばいい。エナタと一緒にいる人なら、さぞかし心が綺麗な人なんだろう。そんな人がこれから起こることに心を痛めずに加担できるはずがない」
「これから起こる? ちょっと待って、何が起きるのよ。ねえお父さん、一体何を知っているの? お父さんは一体何をしようとしているの? 教えてよ!」
「言ったら、兵士をやめてくれるかい?」
「それは内容によるって言っているでしょう。もう十年以上もまともに父親業やっていないんだから、少しくらい教えてくれてもいいじゃない」
「痛いところを突くな……」
困った顔をされる。前にノクターナル島に行くといったときに、久々に会った時も似たような仕草をしていたのを思い出す。次に発する言葉をじっくりと待つ。そして娘の願いに弱い父親は溜息を吐きながら言った。
「わかった。怪我が回復したら、話してあげよう」
「そんな、保留にするなんてずるいわ!」
「違うよ。これは実際に見た方が早いんだ。それには怪我を治すのが先決だろう?」
その言葉に訝しげな感情を抱く。
「一体、何を見るのよ」
プロメテはそれを聞き、少しだけ切なそうな笑みを浮かべた。
「偉大な魔法の真実を見に行くんだ」