6‐4 郷愁
「先生、こちらの書類をすべて確認をお願いします!」
「またかい、レイラ……。何だか君は日に日に口煩くなっていくね」
「誰のせいですか! 副局長が居るからと言って、最高責任者の立場はまったく変わらないんですよ。総合部の方でも仕事が溜まっています。いい加減にしてください!」
ばんっと激しく机を叩いた。肩に掛かる位の金色の髪を揺らして、座っているプロメテにレイラは真っ直ぐ鋭い視線を突きつける。プロメテはその視線から逃げるように、手元にあった資料を顔の前にまで持ってきた。それがちょうど仕切りのようになる。
レイラが副局長に任命されてから数か月が経っていた。始めは部長とのややこしいやり取りが色々あったが、最近ではそれよりも局長の世話を焼くことの方が気に病んでいる。そしてその様子がわかったのか、部長たちからはむしろ慰めの声を掛けられるようになっていたのだ。
「なあ、レイラ……」
「何でしょうか?」
「また、少し二週間ばかり出かけ――」
「駄目です」
言い終わる前に否定する。プロメテはちら見する程度に資料を下げる。
「いいじゃないか、たかが二週間」
「たかがと言って、それが一体何回続いたのですか!? 行く場所もはっきりと教えてくれませんし……。こっちで残って雑用している気持ちもわかってください!」
プロメテは再び資料を顔の前に持ってきて、レイラからのきつい視線を遮る。腰に手を押さえながら、やれやれと深く溜息を吐いた。
レイラの両親は二人とも研究者で、魔法管理局実験部の町外れにある大きな研究所に勤めている。レイラもいずれはそこに勤めようと思っていた十五歳の時に、プロメテと出会ったのだ。それをきっかけにして研究だけでなく、魔法に関する人とのやり取りに興味を持ち始めた。プロメテと共に行動することで他の島とのやり取りを多く見ることとなる。それが何より刺激的だったと気づき、今、プロメテの元にいるのだった。
プロメテは普段話している分には非常に気さくで面白い人だ。よく冗談をかましたりして、場を和ませる。だがいざとなると文字通り目の色を変えて、物事に取り組む。その切り替えようと言ったら感嘆ものだ。そして素早くきっちりやり終える。それだけでも充分すごい。だが本当の凄さは他にもあった。
局長室のドアがノックされる。プロメテが元気よく返事をすると、シェーラがひょっこり現れた。肩に余裕を持って垂れかかる黒髪がふわりと浮かび上がる。深緑の丈の長い上着の下からは膝下まで掛かるスカートが見えた。
「先生、今日は大丈夫ですか……?」
遠慮深げにシェーラは質問する。プロメテはそれを見て、笑顔で受け答えた。
「ああ、いいよ。あと一時間後に鍛錬所でいいかい?」
「はい、よろしくお願いします!」
そう言うと、目をぱっちり開けて嬉しそうに再び部屋を出て行った。今、シェーラは主に情報部で資料整理などをしている。暇な時間がそれなりにあるわけではないが、どうにか時間を作って時々プロメテから魔法の使い方を教わっているのだ。
その様子を見てプロメテは思わず苦笑する。レイラはその行動に以前から思っていたことを口に滑らした。
「プロメテ先生にとってシェーラはどういう存在なのですか?」
「急に何だね、レイラ」
「いえ、シェーラと接しているのを見ると、ただの魔法の先生と生徒という感じだけではない気がして。まあ出会い方も特別だったかもしれませんが……」
「そうだな、確かに普通の感情だけじゃないのは否定しない。しかし何と言えば分かってもらえるのかな……」
「もしかして……、娘さんと同じくらいの年代ですか?」
プロメテはそれを聞いて目を丸くする。レイラはどうしてこんな鈍感な人を上司にしたのかと自分が恨めしく思った。
「一体、何年一緒に仕事をしていると思っているのですか。先生は公の場では結婚していないことになっていますけど、時折その胸ポケットに隠されているロケットを懐かしそうに見れば予想できますよ。ああ、大切な人がいるのだなって。大方、家族に迷惑をかけたくないからと言う理由で結婚の事実は伏せているようですね」
思わずプロメテは小さく拍手をした。
「おお、さすがだな、レイラ。良い目をしている」
「馬鹿にしているのですか?」
「まさか、賞賛しているだけだ。レイラの言う通りだ。私には家族がいて、それがまた可愛い娘達でな……。上の娘がシェーラより少し上の歳で、雰囲気が少し似ているんだ。だからたまに父親目線になってしまう訳だ」
微笑を浮かべながら、何となくロケットを取り出し、少しだけレイラに見せた。それを開くとそこには幸せそうな顔をしたプロメテの娘達と妻がいた。
「家族のもとには帰らないのですか?」
「ああ、二年前に会ったきり会っていない」
「二年もですか?」
「本当は二年前も会う気はなかった。だが、妻にどうしても会ってほしいと言われて……。上の娘がノクターナル島に行くから、止めて欲しいと」
ロケットを閉じ、再びしまい込む。プロメテは寂しそうな顔をしながら椅子から立ち上がり、手を後ろで組んで窓の外を見る。
「……娘と会ったが、止めることはできなかった。どうしてもノクターナル島の現状をこの目で見たい、なるべく上の機関に入って色々見たいと言われた。娘なりに魔法について調べたかったのだろう。十七歳……、もう物事に対して分別が付いていい歳だ。変なところで性格が似てしまってな、行動的で凄く頑固、そして一度言ったことは覆さない辺りが。だから私は止められなかった……。それ以来会っていない。ダニエルに頼んだりして妻に手紙を数か月に一通送る程度だ」
レイラはプロメテの背中をじっと見つめた。局長であると同時に一人の父親。そしてその父親であることを隠し続けている。本当は会いたいのだろう、止めたかったのだろう。だが国のため、家族のためにその想いを殺してきている。
普段では見たことがないプロメテを見て、レイラは自分の幸せを噛み締めていた。会おうと思えばいつでも家族に会える。デターナル島にいれば、危険なことは少ないから――。
「レイラ、一つ頼んでもいいか?」
「な、何でしょうか?」
急に呼ばれて、慌てて返事をする。
「次の手紙、レイラに頼んでもいいか? 護衛の方を付けるから」
精一杯の笑顔で言われた。レイラにはそれが却って辛く見える。本当は自分が行きたいはずなのに人に頼むことが。
「喜んで、お請けいたします」
小さく笑みを作りながらはっきりと頷く。プロメテの表情はほんの少しだけ本当の笑顔に近づいたようだった。
* * *
時を同じくして、ノクターナル島では亜麻色の髪を短く切り揃えた女性が、マイワールという、この島でも五本の指に入るくらいの大きな町の入口で腕を組みながら立っていた。腰のラインがはっきり分かる黒色のズボンを着こなし、肩からショルダーバックを下げて少し深めの帽子を被っている。腰には隠れるように小さなナイフが何本か刺さっていた。
「まったく……時間にはあれだけ遅れるなって言ったのに」
時計をちらっと見ると針はもうすぐ一番上を向こうとしている。視線を前へ戻すと、慌てて駆け寄ってくる黒髪の青年が見えた。引き締まった体の上から服を着て、短剣を静かに備えている。これでも青年にとっては頑張った私服だった。青年は女性の前に着くと同時に謝罪を言い渡す。
「すまん、エナタ。ぎりぎりになって。実は――」
「クロウス、言い訳は禁止! それに一応時間には間に合ったんだから、謝る必要ないでしょう」
「だけどエナタが怒っているから、もう少し早く来ればよかったと……」
「もう、いちいち顔色を見なくていいわよ。私はこういう性格だって知っているでしょ? ほら、行くわよ。そんなに謝りたいのなら、昼くらい奢りなさい」
「……了解」
しぶしぶと了承すると、エナタはクロウスの手を引いた。そこから伝わる温もりにクロウスは思わず頬を赤らめる。歩みが遅いのを見ると、エタナは不審そうな目を送った。
「一体何かしら。服を一着プレゼントしてくれるの?」
「違うって。さあ、早く買い物しよう。俺、今日は早く休みたいんだよ」
手をさり気なく振り払いながら、先に進む。エナタはじっと振り払われた手を見る。そして少し眉をへしょげたが、すぐに、にやっと笑みを作った。
クロウスに慌てて駆け寄り左側に着くと、彼の左腕を両手できつく抱きしめた。予想外の行動にクロウスも驚きを隠さない。頬が一気に熱を帯びる。
「おい、何をするんだ……!」
「いいじゃない、減るもんじゃないし。今日くらいは楽しみましょう。次に休みがあるなんて、いつかわからないんだから……」
「エナタ……」
「ほら、クロウスももっと元気を出して、行くよ!」
腕を引っ張られながら、転ばないようにクロウスは着いて行く。その無理矢理さが逆に嬉しくなり、思わず隠れて苦笑していた。
クロウスとエナタはノクターナル島の治安維持部隊での同期だ。研修などで一緒の団体を組むことが多く、何気なくクロウスが接してみたら、むしろひ弱な男よりも男らしい女だった。エナタは体力の面でも男達に決して劣ることはなく、戦術など頭を利用すればさらに充分すごい女性である。そんな彼女に惹かれ、またエナタがクロウスは他の男よりも接しやすいと思ったのか、お互いによく話すようになっていた。
だが二年近くの研修も終え、違う部隊になってからはあまり話をしなくなる。そのため、エナタは二人の休みの日にはなるべく一緒に過ごそうと意識しているのか、こうして出かけることが多くなったのだ。
クロウスは言葉にはしていないがエナタにはかなり感謝していた。あまり自分から行動することが少なく、どちらかと言うと流されてしまう。それは悪い方向にもいい方向にも流れるということだ。だがエナタは多少強引なところはあるが、ちゃんといい方向へ流してくれる。それゆえ、クロウスは三年も部隊にいるが、心は穢れていなかった。むしろ部隊への不信感が溜まっている。
それがエナタにも伝わったのか、今日はいつになく強引だ。
そう――、こうして楽しく過ごせる日は数えるほどしかない。だから今日は楽しもうと、クロウスはしみじみと思うのだった。