6‐3 決意
カッシュの死からしばらくシェーラとミマールは立ち直れなかった。呆然とただ一日を過ごすだけ。
二人はあれ以来笑顔を見せていない。
ミマールの怪我の具合も悪く、しばらく松葉杖を使うのが余儀なくされている。
ノクターナル島では以前から強い魔力を求めているという話があり、試しに純血の人を研究してみれば何かわかるのではないかということになっていたらしい。そこで昔、ある人がノクターナル島でも大きな町ナハトのある食堂で働いていた純血の女性を思い出したのだ。だがその女性はすでに食堂をやめており、そして町からも消えていた。しかしふとナハトに寄った旅人が黒髪の綺麗な女性を見たと言い、きつくその人を質問攻めにしたところ、どうやらその女性である確率が高いとなったのだ。そして純血の女性、ミマールへと会いに行くことになるのだったが……。
それが捕まえた人達から聞きだしたことだった。正当防衛でもないのに人に向けて魔法を使ったという事実は、魔法管理局側で彼らを詰問し捕えるのには充分だ。
ミマールはベッドの上でその話をぎゅっと手でシーツを握りながら聞いている。プロメテは簡単に話し終わると、何か質問はと聞く。するとミマールの口は微かに動いた。
「……彼らはあの人がノクターナル島の治安維持部隊から脱走した人というのは知っていたのですか?」
「知っていたよ。カッシュがあなたから気を逸らせるために、自ら言ったらしい」
「そうですか……。まったく最後まで馬鹿な人なんだから」
ミマールは亡くなった夫を思い出しながら、さらにシーツをきつく握りしめた。すぐ隣で座っている目が虚ろなシェーラに涙を見せまいと耐えている。
ノクターナル島の治安維持部隊では、特に中枢までいたことのある人間は絶対に抜けてはならないという暗黙の了解があった。だがカッシュは抜け出した、ミマールとともに。理由ははっきりとわからないが、ノクターナル島に対して嫌気が差したのだろうとだいたい予想がつく。その後はソルベー島ハイマートに移り、静かに日々を送り続ける予定であった。
「ここにずっといては危険です。ミマールさん、シェーラちゃん、あなた達のため、そしてカッシュの想いを遂げるためにも、魔法管理局へ行きましょう。それでいいですか?」
二人とも小さいが確かに首を縦に振る。プロメテはその意思を受け取った。やがて二人はソルベー島から離れることになった。
* * *
魔法管理局はシェーラにとって、未知の場所であった。見るもの聞くもの触るもの……とにかく何もかもが新鮮な所だ。だがカッシュの死から立ち直れず、ミマールも怪我で動けないことから、一人何となく庭でぶらついていることが多かった。
多くの人から話しかけられたりしたが、それに対しては簡単に答える程度。局には同年代の人はいない。大人たちはいつも忙しなく動いている。だからいつも一人でただ日々が過ぎるのに身を委ねていた。
その日もいつも通り何となく外のベンチに座っていたのだ。日の光は雲に遮られているため、少し肌寒い風が吹いている。風とは一番相性がいいシェーラにとって、それに触れているときは最も心が安らかになれる時だった。だが、その風も最近は様子がおかしい。何かを訴えている、環境が崩れていると――。
そんな中、一人の金色の髪を揺らした女性が話しかけてくる。
「シェーラちゃんよね。私のことわかるかしら?」
「……たしかレイラさん」
少し口元を緩めてシェーラはレイラの顔を見る。まだ完全な大人とは言いづらく、どこか背伸びをしている印象を受けた。
「ありがとう、覚えていてくれたのね。ねえ、隣座ってもいい?」
「はい」
レイラは特に表情を変えないシェーラを見て、困った顔をする。反応がとても鈍いのに気になったのだ。少し難しい顔をしていると、ころっと表情を変える。シェーラに興味を持った顔で質問してきた。
「ねえ、シェーラちゃんの主戦魔法は何?」
「主戦魔法……?」
「ああ、言い方が悪かったわ。そうね、火と水と風と土、この中で一番見ていたり触れていたりして、心穏やかになるのはどれ?」
「……風。風に当たっているときが一番落ち着く」
「いいわよね、風って。大気の循環で動かしている、素敵な四大元素の一つよね。私も他の主戦魔法だけど風にはよく憧れちゃうわ」
「……レイラさんの主戦は?」
レイラはその言葉を聞いてにやりと口元を作る。
右手を目の前にかざし、少し手に力を加えた。すると見る見るうちにその空間に塵や水が現れ、凝縮していく。そして氷ができてきたのだ。ある程度目にもはっきり見られる大きさになると手で掴み、シェーラの手に乗せた。
「冷たい……。レイラさんの主戦は水……」
「ええ、その通り。私はすぐそこにある水を動かしたり、大気中にある水元素を利用して小さいけど氷を作ることができるのよ。それが私の水魔法」
「そうなんですか……」
シェーラはじっと乗せられた氷を見つめる。しばらく氷は原型を保っていたが、一定時間経つとすぐに溶け始め、シェーラの手から水が零れ落ちた。だが最後まで氷でいようとしているものもある。何とも不思議なものだとシェーラは思った。
レイラは罰が悪そうにシェーラに言う。
「まだ学び途中だから大層なことはできないの。ごめんなさい」
「……魔法って、学んでどうにかなるものなのですか?」
シェーラの心に最期に聞いたカッシュの言葉が思い出される。
急に振られた質問にレイラは少し驚く。予想よりもいい食い付き方をしてきたからだ。
「学ぶことで、ただ魔法を放出させるだけじゃなくて、もっと理論的に使えるようになるわ。そうね、無駄なくあるものを使うということかな」
シェーラは顔を上げ、ちらっとレイラの顔を見る。
「……強くなれますか? 自分を守り、誰かを守ることはできますか? そしてずれ始めている環境を止めることはできますか?」
真っ直ぐな視線をレイラに突きつけた。小さな体から発せられる雰囲気が少しずつ変わり始める。
レイラは返答しようとしたが、その眼差しに口を開くのがままならなかった。下手なことを言えないからだ。だが渋く低い声が二人を遮る。
「それは自分次第だ」
横を向けば、プロメテがゆっくり近づいてきていた。威厳たっぷりに歩み寄ってくる。
「魔法は人の意思によって大きく振り回されるものだ。そしてこの国を取り巻く環境を使う。それは万物の創生主と同じような行為をすることを意味している。上手く使わなければ、魔法はこの国の環境を壊す。その上、使い方を間違えれば、自分を守るどころか、自分の身を危険に晒してしまう」
「危険と言うのはどういうことですか?」
「魔法を自身の能力以上に使って命を落とすことだ」
レイラがその言葉に目を見張る。
「先生、何もこんな歳の子にそんなことを言うなんて……!」
「レイラ、何事も始めが肝心だ」
「それはそうですが、魔法は悪い面よりもいい面の方が多くあるじゃないですか」
「そうだな。確かに魔法は上手く利用すれば使い勝手がよく、便利なものだ。だが分かっていないことも多い。だから魔法について研究しようとする人が今も少なくないのが現状じゃないか」
研究と言う言葉を聞いて、シェーラは眉を顰めた。
「研究ですか……、お母さんを捕まえようとした人達も……」
呟かれる言葉にはシェーラの今の想いが積もっていた。少しだけ上がっていた顔を再び下げる。だがプロメテは慰めようとはしない。
「ああそうだよ。そんな諸刃の剣とも言える魔法を使って人を守るなんて……、危険だと思わないのかい? 魔法なんか知らずに他のことについて熱中した方が幸せだと思わないのかい?」
レイラはきっとプロメテを睨みつける。若干十一歳の少女に言うにはあまりにも酷な内容だったからだ。その視線を敢えて無視をする。
シェーラは俯いたまま、言葉を発さない。
しばらく沈黙が続く。
その間に風は吹き、一体何枚の葉っぱが飛んで行っただろうか。
そんな中、急に雲間から光が差し込んできた。シェーラは意を決したように立ちあがり、二人に背を向けながら口を開く。
「お母さんとお父さんは生まれの血が違うからと言ってまったく違う扱いをされていた。どうして生まれが違うだけで、その後の人生も変わってしまうのか。どうして最近、少しずつ風の雰囲気が変わり始めているのか――」
シェーラの心の中では何となくだが、確かに芽生え始めていた。それは子供のうちに言えば微笑まれるもの、大人になって言ったら笑い飛ばされるもの。胸に手を押さえ、そこから出てくる言葉を振り返って二人にそのまま伝える。
「私は魔法についてもっと知りたいし、学びたい。私に何ができるかなんて今ははっきりと言えない。でも学ぶことで見えてくるものがあるはず。――いつかはこの理不尽な世の中を変えたい。風が乱れていくのを黙って見ていられない。そして大切な人がいなくなるなんて――、もう嫌だ」
シェーラがプロメテやレイラに自身の想いを必死に言う。
風がざわっと吹く。
レイラはあまりの風に目を瞑ってしまう。だがプロメテは真っ直ぐシェーラと見合う。揺るぎない心がはっきりと見えた。
風が止むと、プロメテは肩を撫で下ろす。そして軽く自分に言い聞かせるように首を縦に振った。
「……わかったよ、シェーラちゃん。私から君に魔法を教えよう」
「本当ですか?」
「ああ。君ならきっと間違えずに使い、魔法に何かあったとしてもしっかりやって行けるだろう」
「ありがとうございます」
シェーラはしっかり一礼をする。レイラはまだ少し心配そうな顔をしていた。唐突に突きつけたことに対してまだ不満があるようだ。そんな様子は知らぬふりをして、プロメテはシェーラに近づく。そして何気なく質問を投げかける。
「シェーラちゃん、魔法自身を教える前に覚えていなければならいことがある。それは魔法に対しての暗黙の二大則だ。聞いたことはあるかい?」
シェーラは首を横に振る。初めて聞く言葉に正直に反応する。
「素直でよろしい。ミマールさんは魔法のことについてあまり話さなかったようだね」
「そうです。お母さんが魔法を使っている姿はほとんど見たことがありません」
「ほほう。ミマールさんも純血として何か感じている所があるのかな……。さて今から言うことは必ず守るようにするのだよ。守らない場合には先生を辞退するから」
こくりと頷く。
「いいかい、『魔法を人に向かって使ってはいけない。魔法をむやみに使ってはいけない』というものだ。わかったかね?」
シェーラはそれを聞いて目を丸くしてきょとんとする。プロメテもその様子に少し驚く。
「何かわからない所でも?」
「いえどうして当たり前のことを言うのかと思い」
「ああそれは、当たり前のことができない人も世の中にはいるんだ。これは最低限の約束。細かいことはもっとあるよ」
微笑むプロメテにシェーラの調子は思わず狂ってしまう。だがその発せられる大らかで包み込むような雰囲気のおかげで、シェーラは少しずつ精神を癒されていった。
* * *
その日からシェーラはプロメテに弟子入りして、魔法について学ぶようになる。簡単な自分の意思による風の出し方から、少し捻くれた出し方まで。それと並行してダニエルに剣術を教わりながら、魔法と剣術両方の面で努力するようになる。それはあの時に言った、今振り返ると笑ってしまいそうな言葉があったからだ。
そしてその一年後、プロメテは魔法管理局長となった。本来なら局長というのは局に残って指示をする人なのだが、調べたいことがあると言って時々出かけることが多くなっている。だが、それは信頼されているからこそできることだ。シェーラやレイラにも引き続き魔法を教えつつ、自身もひたすらに忙しい日々を駆けずり回っていた。
年を経るにつれて、ノクターナル島の不穏な動きは隠せない。純血狩りがちらほらと出始めている。一体、ノクターナル島は何が目的でより強い魔力を得ようとしているのか。使者を出したりもしたが、教えない、の一点張り。隠れて調査しようとしたが、すぐに見つかってしまい、不法侵入だと言われる始末。それ以後は下手なことはできなくなっていた。いつもデターナル島での局長会議でも話題に出ていたが、わからずじまいである。
シェーラとプロメテが出会って六年後、つまり今から三年前にシェーラもようやく情報部に入ることができ、レイラも総合部で切り盛りしながらプロメテの補佐によく回るようになった。
そして今から三年前、ある出来事でノクターナル島とプロメテ達とが邂逅する――。