6‐2 別離
カッシュの背中が徐々に遠ざかっていくのを見ながら、ミマールは堪らず蹲り涙を流し始める。これが最期の言葉の交わしになる可能性が高いと気づいていた。だから娘がいる前でも何の躊躇いもなく涙している。
呆然とその様子を見ていたシェーラだが、そのミマールの行動が逆に現実へと引き戻してくれた。自分でも気づかないうちにある言葉を出す。
「お母さん……、行くよ」
「シェーラ……?」
「私たちが行かなきゃ、お父さんの行動は無駄になる」
シェーラはミマールの手を握った。シェーラ自身の手も震えていたが、しっかりと握り締める。
「さあ、行こう」
外では剣と剣が交り合う音が聞こえた。それを皮切りに、激しく音が鳴り始める。
二人は意を決して洞窟の外へと出た。
木の五、六本先にカッシュと男達が斬り合っている姿が見える。男達の一人に手から炎を出している人がいた。炎はまるで蛇のようにくねらせながら、カッシュへと襲っていく。ずっと見てきたカッシュの大きく広い背中を見て、溢れそうな想いを抑える。シェーラはその様子を一瞥して、さらに森の中へと走って行った。誰かが叫ぶ声が聞こえるが、そんなのに耳を傾ける暇はない。
ひたすら走って、走って、走り続ける。森の中をただがむしゃらに走る。
奥に行くほど森の中はより鬱蒼とし始めた。木々から漏れる光は徐々に少なくなり、胸の中は不安でいっぱいになっていく。果たしてこのまま走り続けて町に着けるのか、誰かと会うことができるのか。それともそれができずに、このまま彷徨う状態になってしまうのか……と考えるだけで恐ろしくなる。だが他にも恐ろしい事はあった。
この森の奥ではシェーラとミマールだけが走っていると思っていたが、すでに後ろから数人の足音が聞こえてきたのだ。シェーラがちらっと振り返ってみると、さっきの男達のうちの二人が追ってきている。予想以上に早く追いつかれそうになることに、くっと唇を噛み締めた。
そしてあまり体力がないミマールを気遣いながら、もう少しペースを上げようと考える。
「お母さん、大丈夫? もう少しスピード上げられるかな」
「大丈夫よ……。もう少しだけね。さあ頑張って走りまっ――」
変な風に言葉を切ったと思うと、ミマールの体は前へと倒れこんだ。
「お母さん!?」
慌てて腰を折り、ミマールの表情を伺った。何やら唸っている。視線を足の方へとずらすと、右足を見て息が止まった。ざっくりと十本以上のナイフが突き刺さっている。どうやって刺さったのかわからないが、深く刺さっているものまであり、その出血はおぞましい量だ。必死に体を揺するが、呻き声が聞こえるだけ。
やがて男達は息を整えながら、ゆっくりと近づいてきていた。
「まったく……ちょこまかと逃げやがって。俺が風の魔法を上手く操作できたから、ここで止められたが……。さて、どうやって料理しようか」
「イライラしているからって、手を出しちゃいけませんよ。血だけは丁重に扱わなければ。まあ体を痛めつけるぐらいなら、いいんじゃないですか?」
「そうだな。まずはちょっと肌を露わにしてもらおうか。おっ、ガキもいるな。確かそう言う趣味の奴もいたはずだ。純血じゃないのなら邪険に扱っていいだろう」
ミマールはシェーラに向かって微かに言葉を漏らしていた。だがシェーラにはその言葉は聞こえない。ただ目の前に迫ってくる男達が同じ人間なのかと疑いたくなっていた。あんなに残忍なことをしたのにまだ物足りないのか。自分たちの家族をぶち壊しておいて、まだ何かをする気なのかと。
逃げるとか懇願するとかそういう考えはなかった。あるのはただ怒りという感情だけ。
歯を噛み締めながら、腰から護身用にと以前カッシュから貰った短剣の柄に手を添える。まだ実際に何かを切ったことはない、真新しい状態に近い短剣だ。
シェーラは男達を睨みつける。それを鼻で笑っている男達に対して、シェーラは――駆けだそうとした。
しかし突然男達の目の前に焦げ茶色の髪の男が現れる。引き締まった筋肉と大きな体格からは一目見て鍛えられた人物であると分かった。三十半ば過ぎだろうか、どこかカッシュと似ているようだ。
目の前に現れた男に追ってきた男達は驚くが、すぐに獲物をその男に切り替える。だが焦げ茶色の髪の男は見た目とは全く違う機敏な動きをし、男二人を剣の鞘だけで一瞬で平伏させた。
その瞬間の出来事に目を丸くする。あまりの強さに驚いて、体が硬直していた。
「どうにか間に合ったか……いや若干遅れたと言った方がいいか」
後ろから声が聞こえ、すぐに心許ない警戒心で振り返る。後ろにはカッシュよりも少し背の低い亜麻色の髪をした男性、そして金色の髪を肩の辺りで綺麗に切りそろえている二十歳に近い少女が息を切らして近づいてきていた。
表情や雰囲気からさっきの男達とは真逆で穏やかな人達だとわかる。だが体は素直に言うことは聞かず、睨みながらミマールに寄り添う。亜麻色の男は穏やかな声を発する。
「ああ、驚かしてしまったようだな。私はデターナル島の魔法管理局の者。大丈夫、私達は君達の仲間だ」
「仲間って、そんな証拠なんてないくせに!」
「それはそうだ。まあひと先ずミマール・ロセッティさんの様子を見せてくれないか? 出血が酷過ぎる。ここで言い争ってもいいことはない。さあレイラ、早く見てやれ」
「はい、プロメテ先生」
レイラと呼ばれた少女は背負っていたリュックからタオルや消毒液を取り出す。そしてシェーラの横に座り込む。
「急いでお母さんの治療をするから、少し離れていてね」
何が何だかわからずにそのまま座り込んでいると、プロメテに立たされミマールから少し離れさせられた。顔を見上げると、憂いの表情が目に付く。
「信用するかどうかは君次第だ。私はプロメテ・ラベオツ。私達はカッシュ・ロセッティの友達で今日の夕方に君達の家に行くことになっていた。だが少し早めに出てみたら、こんなことに……」
カッシュの名を出されると、シェーラは抑えていた感情を呼び覚まされた。プロメテに向かって必死に訴える。
「お父さんのお友達? ねえ、お父さんが危険なの! この人と似たような男達と対峙している! お願い、助けて!」
プロメテの顔が暗くなる。そして襲ってきた男を縛りあげている、焦げ茶色の髪の男に視線を送った。
「ダニエル、カッシュが危険だ。ここは私達でやるから、加勢に行ってやれ……。だがおそらく……」
「わかりました。さあお前らも行くぞ」
ダニエルはプロメテが言い切るのを遮り、後ろからようやく追いついてきた二十代の男性二人にカッシュの加勢に行くよう指示をする。そしてシェーラ達が来た道を駆けだした。他にも男性は二人来ており、その者たちがダニエルによって捕まえられた男達を拘束し始める。
シェーラはほんの少し安堵した。安堵するとふいに前へよろける。そして目の前にいたプロメテに寄りかかった。それをプロメテは手で優しく包み込む。カッシュとはまた違うが、安心できる雰囲気を帯びていた。
「もう大丈夫だから。安心していい」
「ありがとうございます……。でも……お父さんが……。お父さんはどうなるの!?」
シェーラは父親と離れてからもう何時間も経っているような気がした。実際は数十分だが、それでも感じる時間は長い。
じっと待つことができず、すぐにプロメテの腕から無理矢理逃げ、ダニエル達の後を追い駆け始めた。
プロメテは一瞬の出来事に呆然としていたが、すぐに傍にいたレイラに伝える。
「ミマールさんの方、頼んだぞ。私はシェーラちゃんを追いに行く」
「わかりました。それでは先に町の方へ戻っています。このままではミマールさんの足に後遺症が残る可能性が非常に高いですので」
「すまん。後で合流しよう」
プロメテはすぐに走り始める。歩幅の違いですぐにシェーラに追いついたが、止めもせず少し後ろの方で追う形を取った。
シェーラは無我夢中で転びそうになりながらも必死に走る。胸に渦巻く不安は全く消えていない。行ってはいけないとわかっていても、走っていた。不安が的中しないよう願いながら。
やがて森の中で開けた所に出た。そこにはダニエルを始めとして、追いかけた人達がシェーラ達を追っていた男達を縛っている。彼らは所々血を流してはいるが、致命傷とは程遠い。
息を整えながらその場所へ少し近づく。すると視界に足を地面に放り投げている人間が見えた。視線をそっちに向けて、恐る恐るその人に近づく。ダニエルがシェーラの存在に気づき、来るのを止めようと声を発する。だがシェーラには伝わらない。
その人の顔が見られる位置まで来ると、シェーラは膝をがくっと折った。
「お父……さん……」
呟く言葉と一緒に、目からボロボロ涙を流れ始める。カッシュは安らかに目を閉じて横たわっていた。体中至る所に切り傷や火傷の痕が見られる。首筋からも傷があり、そして心臓の辺りからどくどくと血が流れていた。
「……最後まで抵抗していたそうだ。苦手な魔法によって火傷をしても、どれだけ斬られようとも最後までこいつらを行かせまいと足の裾を握っていた。……すまなかった。来るのが遅かったばかりに」
ダニエルから謝罪の言葉が漏れる。悔しさを滲みだしながら、ただ口を一文字にしていた。
だがそんな言葉はシェーラの耳には通らない。目の前にいる父親を見ることで精一杯だった。より近づいて、カッシュを揺すり始める。ダニエルやプロメテらはその行動を静かに見守った。
「お父さん、お父さん、お父さん……! 起きて、起きてよ!」
カッシュに触れると、べたりと手に血が付く。その血をじっと見る。肉親の血、つまり自分に通っている血を。
急にわなわなと震え始めた。
そして声をあらん限りを使って叫ぶ。
「やめて、やめて……。お願い。そんな、そんな……嫌だーー! お父さーーん!」
手と服を真っ赤にしながら、カッシュに抱きつこうとする。そんな様子を見てプロメテは堪らずシェーラをカッシュから離して強く抱きしめた。
シェーラはプロメテの腕の中でわんわん泣きじゃくる。その声がそこにいた一同の心に突き刺さった。
ただただ泣き疲れるまで泣き続けた。永遠の別れをしてしまった父親を想いながら、ただひたすらに。