5‐11 祈りの果てに
クロウスは自分の体に刃が刺すのをしっかりと感じ取っていた。
ぐっと歯を食い縛りながら、痛みに耐える。一本一本の刃による痛みはたいしたことはない。だがそれを数えきれないくらい刺さるとなると辛いものがあった。
ケルハイトにも半分くらいは刺さっている。おそらく彼は剣を破壊することと刃を飛ばすことは同時にはできないためにそうなったのだろう。
しばらくお互い睨みあいが続くかと思ったが、ケルハイトの口が急ににやける。殺気が大きくなるのを感じ取ると、クロウスの横から剣が伸びてきていた。
それをどうにか粉々にならなかった短剣で受け止める。やっとこ跳ね返し、足を縺れさせながらもケルハイトから離れ、木に寄りかかった。
ケルハイトも怪我をしているせいか、すぐに追いかけはしない。お互い呼吸を整えている間に、クロウスは自分の浅はかさを悔やんだ。怪我の状況は同じくらいかもしれないが、残っている武器を見れば明らかにクロウスの方が不利。次に間合いを詰められたら、対等に剣を交える自信はない。だがここで逃げるのにも躊躇い、その場でケルハイトの出方を窺う。
クロウスから攻めてこないことに気づくと、ケルハイトは細かな刃を再びクロウスに向かって投げつける。
ぎりぎりのところで転びながらもかわす。大量の刃はさっきまでクロウスが寄りかかっていた木に刺さる。
上手く転げることができなく少し頭を抱えていると、すでにケルハイトは目の前まで来て剣を振り下ろそうとしていた。
クロウスは左腕を突き出し、それで剣を受け止めようとする。
――出来る所まで傷を負わしてやる……!
この状況では相打ちまで持って行けば上出来だと思い、半ば自棄になりながらも瞬時に決めたことだ。
もう少しで斬られると思った矢先――、他の気配を感じた。ケルハイトはそれを察知すると舌打ちしながらクロウスから離れる。
そしてすぐにケルハイトがいた場所にナイフが五本ほど突き刺さった。綺麗に地面に刺さるナイフ。その綺麗さは一つの芸術だ。
それを見て、ある人物を思い浮かべた。右に顔を向けると、右手には握り拳を作り、左手にはナイフを構えている青年が立っている。日焼けした肌、赤毛の髪をした青年――、スタッツ・リヒテングは険しい顔をしながらクロウスとケルハイトを交互に視線を送っていた。
「どうしてここに……」
「俺は骨董品好きだ。石なんか最高だし調べがいがあるじゃないか。……あのな、そう簡単に命を投げ出すなよ。お前にはまだまだ死んでもらっては困るんだ」
にやっと歯を出して笑う。そしてクロウスまで近寄り、腰から一本使い古された長剣を渡す。
「これで良ければ貸す。ただ古いのを安く得たものだから、あまり回数は重ねて使えない」
クロウスは立ち上がり、渡された剣をしっかりと握った。
「回数なんか必要ないだろう」
クロウスとスタッツは背中を合わす。今後の動きを確認するように呼吸を合わせる。
怪我の具合、剣の様子から見ても一度きりしかできない。クロウスはぎゅっと剣を握り返し、思考を冷やす。不思議と剣を握っていると集中できた。スタッツはナイフをしまい込み、両手に拳を作る。
不愉快な顔をしているケルハイトを二人で睨みつけると、一斉にその場から飛び退く。
クロウスは左からケルハイトに接近すると、体を引かせればぎりぎり避けられるくらいのところで剣を振っていく。古く、鋭さがないためいつもより風は斬れないが、しないよりはましだ。
そしてスタッツは右から拳をケルハイトに向ける。右、左、上、下にと流れるように拳を振るう。時に蹴りも入れ、クロウスと息の合った調子で攻めて行く。
左右から攻められ始めたケルハイトは、ぎりっと奥歯を噛み締めながら守りに専念する。剣で牽制したり避けたりするのがやっとのようで、魔法を使う時間はない。
スタッツの体術は綺麗で、触れれば剣に傷つけられた程の威力があった。
ケルハイトはだんだんと後ろに下がりながらも決して体に触れることなくかわしていく。
やがて一瞬、攻撃をやめる。そしてすぐに両側から一気に攻めた。
クロウスは腹の部分へ剣を当て、スタッツの拳は胸の部分へと当てる。ケルハイトは二人から受けた衝撃で背中を地面に付きながら吹き飛ばされた。
飛ばされた場所は森を抜けた先で、眩いほどの光が見える。
急いで追いつくと、そこは崖だった。先には広大な海が見える。高さは相当なものだ。波はいつもよりしけっている。
ケルハイトは舌を切って出した血を拭いながら立ちあがった。腹からは致命傷とまではいかないものの深めの傷が、そして顔をひそめながら肋骨の辺りを押さえている。
「……肋骨、折ったのか」
「ああ。それくらいやらないと、後々きついだろう」
クロウスはすっと剣をケルハイトへと向ける。ケルハイトの後ろは崖、前はクロウスとスタッツによって塞がっていた。
「もう後はない、ケルハイト」
冷たくクロウスは言う。だがケルハイトの答えは冷笑だった。
「ははは、何を言っているんだ君は。後がないって? お互い様だ」
そう言った瞬間、クロウスが持っていた剣はまたしても粉々に砕けた。刃はそのまま地面に落ちる。
唖然とするクロウスをよそに、スタッツは警戒の構えを強化した。
「一応武器は破壊しといた。まああなたは私を勝つことはできないと思ったが念のために」
「俺がお前に勝てないだと……?」
「そうだ。攻撃がぎりぎりの加減で私の動きを止めようとするくらいにしか見られない」
クロウスはケルハイトにそう言われて、反論しようとしたが体が言うことを聞かなかった。ケルハイトはその様子を見て鼻で笑う。
「否定できないようなら、あなたは私には一生勝てない。本気で勝ちたいのなら、殺す気で来ることだ。さて今回も非常に残念だがここら辺で失礼しよう。グレゴリオ様から必ず帰ってくるように言われているのでね。石を破壊するという仕事はできなかったが、もう一つの方はそれなりにできたようだ」
悠然とケルハイトは左手を前に突き出す。
「おっと、赤毛の彼、近づかないでくれ。ほんの少し長く生きたいのなら、大人しくしていることだ。それ以上近づいた瞬間、グレゴリオ様の約束を破ってでも、私の全身全霊を使って決して逃げ道がない刃を放ってやろう」
クロウスとスタッツはごくりと唾を飲み込む。ケルハイトの言葉は目から判断しても嘘ではなかった。胸部や腹部を押さえている辺りを見ると、攻撃が効いていなかったわけではない。だがそれが返ってケルハイトに余裕のない状況を作り出してしまったようだ。
スタッツは複雑そうな視線を送ると、クロウスは悔しそうな顔をして頷く。そして若干警戒の色を解いた。
それに満足したのかケルハイトは最後に冷たい視線をクロウスへ送る。お互いの視線の間に電撃が走っているようだ。
「いいか、次会うときに考えが変わらないようなら、一瞬で葬ってあげよう。今回は頼もしいお仲間さんがいて助かったな」
そう言うと、ケルハイトは体を仰向けにして倒れた。クロウス達の視界から消える。慌ててケルハイトがいた場所に近づくと、激しく水に何かが打ち付けられる音がした。
崖から下を覗き込むと、ケルハイトの服らしきものの一部が浮かんでいる。
「逃げたか……」
スタッツは静かに呟く。クロウスはその服を呆然と見ていた。ケルハイトに言われた言葉がずっと反響している。『私には一生勝てない』と言うことが――。
はあっとクロウスの背中では大きな溜息が吐かれた。スタッツがクロウスの頭を思いっきり叩く。思わず頭を抑えながら、訝しげに視線を送る。スタッツは鋭くはっきしとした声で言った。
「……クロウス、ケルハイトについてはまた後だ。それよりも今は行かねばならないことがあるだろう?」
スタッツの視線から彼は全て事の流れを知っているようだ。そう諭されると、クロウスは一人の少女のことが頭をよぎった。
急いで踵を返して元来た道を戻り始める。
スタッツは海に目をやり、ケルハイトが確かに上がってこないのを確かめると、クロウスの後をすぐさま追った。
クロウスは息を切らせながら、穴の空いた壁から再び建物の中に入る。
そこにはすすり泣く声が聞こえた。光によって皮肉にも綺麗に輝いている石の近くで、少年が泣いている。
ゆっくり少年に近付くと、今にも泣きそうな娘が少女を見つめているのがわかった。悲しくて涙を堪えているのか、悔しくて涙を堪えているのかは判別しがたい。
やがて歩くのを止めた。二人に挟む形で少女が胸の上で両手を組みながら、穏やかに目を瞑っている。
その表情は――、微笑んでいた。
「イリスはどうにか生きているよ。でもいつ目覚めるかはわからない……」
クロウスの存在に気づいたのか、シェーラは虚ろな目をしつつも呟いた。イリスの頭を撫でながら淡々と続ける。
「……もしかしたらこのまま目覚めずに、心臓が止まるかもしれない。たぶんその可能性は……高い」
「どうしてこんなことに……」
「イリスは自分自身に魔法を使った。人にも動物にも生きているものには流れがある。それを利用して血だけでも止めた。だからすぐにでも連れて帰らなきゃ……」
「魔法で傷を治すこともできるのか?」
「まさか、できないわよ。自然の法則に反する。今回は特殊な呪文を使ったから、血を止めることだけでもできたようね。だけどその反動で……」
シェーラはぎゅっと手を膝の上で握っている。歯を食い縛りながらも耐えていたが、涙が一筋流れ始めると、堪えきれずに次々と流れ始めた。
「どうしてよ……どうしてイリスが……。この子は何も悪いことはしていないのに……。私は……私は……」
声を押し殺して激しく泣き始めた。先に泣いていたアルセドはシェーラの思いもよらない行動に少し驚きを露わにする。だが泣くのをやめなかった。
クロウスは拳を固く握りながら、イリスの穏やかな顔を見る。拳は震えていた。一度ならず二度までも人を救ってやることができないことが――ただ悔しい。
少女はまるで祈りを捧げているように静かに目を瞑っている。
その表情はとても幸せそうだった。