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虹色のカケラ  作者: 桐谷瑞香
第五章 笑顔とともに
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5‐6 穏やかな午後の茶話会

「だから遅いって! そんなんじゃ、魔法使い相手にすぐに反撃されるわよ」

「この状態から左手で短剣を取り出すつもりだったんだよ。こっちも言うが、これだけ近ければすぐに剣が振りかざされる。もう少し間合いを遠く取れ」

「そうですね、わかりましたよ。ありがとう。じゃあ、もう一度」

 剣と魔法の鍛錬所にいる人達は体を動かすのをやめ、一組の男女のやり合いに目が釘付けになっている。どちらかが傷を負いそうになったら一度手合いをやめ、互いに直すべきところを言い合う。それがひたすら繰り返されていた。

 二人はすぐに飛びつけられるぎりぎりの境界まで下がり、剣の握り具合を確かめて精神を落ち着かせる。

 そしてお互いの目があった瞬間に間合いは一気に詰められ、かきんと辺りに音が響き渡った。

 男性の方が腕力には分があるためか、すぐに押す側に回る。

 だが女性は両手でしっかり持っていた短剣を一瞬で力を抜き、少し距離を取って男性の足がもつれた所へさらに風を送ることで、さらに足が不安定にさせた。

 表情に曇りが浮かんだところを女性は逃さず、左手からもう一本短剣を抜き、二刀流で男性に向かう。

 女性が男性の目の前まで来ると、突如彼の視界からいなくなっていた。

 軽やかに男性を飛び越え、女性は後ろに回る。

 そして口元に笑みを浮かべながら、剣を振り上げた。

 だがそれは空を斬り、女性は僅かな殺気を感じて転がる様に右へ移動する。

 左から突きが来たのだ。

 お互い再び間合いを取り、息を上げながら様子を見始める。

 両者は引くところを知らず、そのような展開が何度も続く。観衆はただ固唾を呑んで見守るしかなかった。

 やがて突然、女性の手から剣が滑り落ちる。そのまま膝を付くと、悔しそうな顔をしながら剣を突き付けている男性を見上げた。

「ごめん、ちょっと疲れた……」

「そろそろだと思ったよ。まったく病み上がりなのにこんなに飛ばして。ここでシェーラが無理したら、俺がレイラさんにとばっちりをくらうじゃないか」

「本当にごめんね、早く実戦の感覚を思い出したくて。レイラさんがクロウスに何か言っていたら、私が全力で言い訳するから」

 若干目が泳ぎながらも確かにそう言う。クロウスは腰が抜けているシェーラが立つのを支えながら、近くのベンチまで歩かせて座らせた。いつもより少し呼吸が速い。呼吸が整えているのを見つつ、コップに水を入れて持ってくる。シェーラはそれを大人しく飲み干した。

 観衆となっていた人々はようやく自分たちの鍛錬を再開し始める。

 シェーラが意識を取り戻してから日は流れ、実戦的な動きができるまで回復していた。

 意識を取り戻した後、知らせを聞いたレイラが急いで駆けつけてきた。そしてシェーラを見るなり、手を振り上げたのだ。唐突に乾いた音が鳴り響く。唖然としながらシェーラは自分の左頬を押さえ、整った顔が崩れているレイラをぼんやり見つめていた。その表情はシェーラにしか見えない。

 ――――今にも泣きそうだったのだ。

 その後ぶつぶつレイラは愚痴を吐き散らし、会議があると言ってすぐにいなくなってしまった。

 そこで何を言っていたのかシェーラはほとんど覚えていない。ただあの表情が印象的すぎたのだ。

 一休みしていると、場違いな格好をしたイリスがきょろきょろ首を振りながら一人鍛錬所に入ってきていた。鍛錬所にいる者達は、それなりの防具をしているか、少なくともズボンをはいている。その中でひだの入ったスカートを着ている少女は浮きだって見えた。

「おーい、イリス!」

 誰かを探していると言われれば、おそらく自分たちだろうと思ったシェーラは呼びかける。案の定、イリスはシェーラ達を見るなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「今度は何? レイラさんの言い付け?」

「さすがシェーラさん、よくわかっていますね」

「気にいった人をとことん使いまくる人だから……。それで?」

「そのレイラさんがお呼びですよ。『約束を守りたいから、休憩室で待つ』と言われました」

「約束……? 何かあったかしら」

 訝しげに思いながらも、イリスと一緒に休憩室へ行くことにする。クロウスはダニエルから書類整理の仕事を頼まれていたので、そちらの方に行ってしまった。もうクロウスは事件部の立派な一員なのだ。



 休憩室は食堂とは逆の位置にあり、そこには日頃の疲れが溜まった人がベッドに倒れ伏せていたり、他の部の人と食堂以外で交流する場として使われている。シェーラはどちらかというと食堂の方が利用するため、休憩室はあまり行かない。今日休憩室に行くのも、意識を取り戻してからは初めてだ。

 休憩室のドアを開けると、たくさんの草花が目に入ってきた。

「前は水をテーマにしていたけど、今は緑をテーマにしているわけか」

 室内なのにそれを感じさせない雰囲気にシェーラは感嘆する。休憩室と食堂の大きな違いとしては、ある時期ごとに内装が変化することだ。その気の利いた配慮からそこらの下手なデートスポットよりも密かに人気がある。今は昼間であるからか、女性達が話に華を咲かせていた。

 シェーラは見渡しながら、レイラを探そうとする。すると奥の方で綺麗に整えられた金色の髪が見つかった。そこから発せられる様子はいつもとは違うように見える。

「レイラさん、こんにちは」

 レイラは現れたシェーラやイリスに特に驚くでもなく返事をする。

「ああ、こんにちは、シェーラ、イリスちゃん。その後の調子はどう? 体を動かし過ぎて、足がもつれたなんてないわよね?」

「……それはもう、おかげさまで元気ですよ」

 元気そうに腕を振りまくるシェーラ。その大げさっぷりが逆に嘘っぽく見える。それをレイラは敢えて突っ込みはしなかった。向かい合う形で座り、その澄ました反応に驚いたシェーラは多少の皮肉を込めて付け足す。

「レイラさんこそ、大丈夫ですか? お肌のケアがなっていませんよ」

「そうね……。仕事の方がそろそろ山場に入るから、疲れが溜まって。話がまとまり次第、みんなには話すわ。いえ、話さなければならないと言ったところかな。これは全員の力が必要だから」

「わかりました。でもそんな忙しい中、どうして私をこんな所に呼び出したのですか? 副局長室でもいいじゃないですか」

「私にも息抜きが必要なのよ。二時間空けてもらったから、その間は呼び出されることはない。さてと……」

 レイラは抱えると少し大変な大きさの茶袋を机に乗せた。中から少し古びた小さな缶を取り出す。ラベルには“セクチレ”と書かれている。シェーラとイリスは思わずそれを凝視した。

「レイラさん……、まさかセクチレが入っていた缶に他の茶葉を入れて、これがセクチレよと、言うつもりじゃないですよね!?」

 次の瞬間、シェーラの額に角砂糖が一粒投げつけられた。綺麗にど真ん中に当たり、思わず涙目になる。

「痛いですよ。突然何ですか!」

「もうちょっと私を信用しなさい! これは正真正銘のセクチレの茶葉よ」

 缶の蓋を開けると、すぐに香りが漂ってくる。上品な香りは、一瞬でシェーラの表情を緩ませた。イリスも言葉を漏らす。

「あの洞窟での香りと一緒だ……」

「セクチレですね……」

 ささやかだが一度この匂いを嗅いだら、やめられないという印象を受ける。

「前にゲトルさんから頂いたのよ。今日はあの時の約束を果たすためにあなた達を呼んだのよ」

「約束って、なんでしたっけ?」

 レイラはシェーラの言い方に肩を竦める。

「あの時は色々あったからね、覚えていなくてもしょうがないか。シェーラとイリスちゃんが虹色の書で魔法を出す間際に言ったでしょ、今度セクチレの茶葉でお茶をしましょって」

「そんなこともあったかな……」

「まあいいわ。とにかくセクチレ茶なんて滅多に飲めるものじゃないのだから、感謝しながら味わって飲みなさい」

 そう言うとレイラは自分が愛用しているティーポットを取り出してお茶の準備を始めた。イリスはその様子を興味深く見ている。シェーラもレイラから茶を入れてもらえることなど今までなかったので、ネタにでもとじっと見ていた。

 シェーラの予想以上に慣れた手つきで茶をカップに注いでいく。仄かに黄色の茶の香りは辺りを充満させた。

「さあ、どうぞ」

 レイラに進められるがままに、二人はセクチレ茶を口に付ける。

 一口飲んだ瞬間、シェーラの思考は中断させられた。口の中まで香るのはもちろん、全身にその香りが広まる。まるで別世界に行ったような感じだ。本当に一言で今の気持ちを言うのならば、“幸せ”だった。

 ぼけーっと幸せに浸っているシェーラは置いといて、にこにこしながら茶を飲んでいるイリスにレイラは感想を聞く。

「どうかしら?」

「いつ飲んでも美味しいですね。幸せです!」

「イリスちゃん、前にも飲んだことあるの?」

「一回だけです。茶葉は一、二杯ぐらいの分量でしたので」

「そうなんだ。シェーラは初回だから、まぬけ面しているのはしょうがないのか」

 そう言うと、レイラは首を右へ逃がした。その奇妙な空間に角砂糖が通り抜ける。

「まぬけ面とは失礼ですね。美味しいものを味わって飲んじゃ、駄目ですか!?」

「別にいいわよ。勝手に一人で自分の世界に入っていなさい」

 シェーラはその言葉に対して子供のように膨れ上がる。だがセクチレ茶を一口飲むだけで、その膨らみはなくなってしまった。

 それを面白がり、いつものように冗談をかましながらレイラはシェーラを遊んで行く。そしてセクチレの香りや味を楽しみながらイリスと他愛もないことを話す。

 セクチレ茶を飲めるのも幸せだが、シェーラはこういう風に損得なしに仕事以外でレイラやイリスと話すのがそれ以上に嬉しかった。

 忙しかった中でのほっと息を吐ける一コマ。外に出れば常に張りつめる空気の中で日々を過ごさなければならないシェーラにとって、その時間はとても貴重だった。それはレイラやイリスにとっても同じ。この穏やかな茶話会もしばらくはないだろう……と思いながら、がっつりと話の中に飛び込んだ。

 二時間などあっという間に過ぎ去り、レイラは時計を見ると立ちあがった。

「そろそろ行くわ。今日は楽しかった。またしましょう」

「レイラさん、無理しないで下さいね。局のトップなんですから」

「シェーラに心配される程無理はしてないから。勘を取り戻すためにクロウス君と相手するのはいいけど、無理しないでよ」

 どきっと痛いところを突かれた。この人はシェーラのことをどこでも見ているような感じがしてならない。

「それじゃ、シェーラ、イリスちゃん、またね」

 紙袋を抱え込み、足早に休憩室から出て行ってしまった。イリスも書物部に戻ると言い、シェーラはイリスをそこまで送ってくことにする。

 窓の先を見ると、雲行きが怪しくなっていた。心配そうに天気を見る。

「雨が降りそうですね……」

「晴れって言っていたはずなのに。最近本当に天気が読めないな」

「……皆が魔法を使い過ぎているせいだから……」

 シェーラは急に立ち止ったイリスから出た言葉に眉を顰めた。

「使い過ぎているから? それはどういう意味なの、イリス」

「何でもないです。そう聞いたことがあるだけです。ただ突然降って湧いたようなものに、人は頼り過ぎているんじゃないのかと思っただけです」

 イリスは再び歩きはじめ、すぐにシェーラの脇を通り過ぎてしまう。その時の表情を見て、一瞬固まった。慌てて追いつくと、イリスはすぐに微笑を浮かべながら話し始める。それをシェーラはなるべく平静を装って話返す。

 書物部まで送ると、イリスは急いで中に入っていってしまう。

 シェーラはしばらくドアの前で呆然と立っていた。

 さっきのイリスの表情が深く心に残る。

 何かを思いつめた様なその表情は、今までに見たことがなかったのだ。




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