5‐3 静かに浮かぶ孤島
「まだ目を覚まさないんだな」
魔法管理局へ移動する前日となった夜、クロウスは一人でシェーラの部屋に訪れていた。松葉杖を突きながら、死んだように眠っているシェーラを見下ろし、息を深く吐く。
その表情を見るたびに、胸が締め付けられた想いになり、拳をぎゅっと握り締める。守ると言った人が、自分が動けない間に、必死にみんなを助けるために頑張り、その結果いつ目覚めるかならない状況になってしまっていた。それほど悔しいものがあるだろうか。
布団が微かに上下に動くのを見て、生きているということはわかる。だがそれだけでは、非常に寂しいものがある。
「明日から数日使って局に戻るそうだ。シェーラ、久々の魔法管理局だな」
何も返事はない。クロウスは顔をシェーラの顔に近づける。微かに吐く息を肌で感じられるくらい近くに。
こんなに近づいても、何も反応はない。触れることも躊躇ってしまう。
しばらくして顔を遠ざけた。
毎日が歯がゆく、エナタが逝ってしまったときよりも辛く感じている気がしている。
確かに寂しい。
だが微かに伝わってくるシェーラの想いを風に乗って感じられた。
それが――、唯一の励みだったかもしれない。
* * *
出発の朝は朗らかな天気だった。過ごしやすい気温、適度に吹く風、どこまでも果てしなく続く青空――。弁当を片手にどこかに行ってしまいたい陽気だ。
屋敷の前には馬車が二台停められ、馬が何頭かいる。その前にレイラが背筋を伸ばして立っていた。
「さて今から魔法管理局に戻ります。怪我をしている人を中心に馬車に乗せて、他の人は馬、もしくは徒歩で移動します。ネオジム島とは言え、いつどこで何があるかわかりません。気を引き締めて移動するように」
レイラが若干疲労を顔に残しながらも、凛とした声で事件部の人達を中心に指示を仰ぐ。徒歩で移動する部隊が馬車を挟む形として道を移動する。規模が大きめになることは間違いなかった。ダニエルやルクランシェもレイラの脇で質問等に答えている。滞りのないように事を終えるには、極め細やかな事前準備が必要だ。
やがて馬車に乗り込む時間となる。
レイラ、クロウス、イリス、アルセドと事件部の護衛が数人、もう一台にシェーラとルクランシェと事件部の護衛が数名乗り込もうとする。
ダニエルが屋敷から依然意識が戻らないシェーラをしっかり抱えながら馬車へと連れて行く。壊れものを扱うかのように大切に抱える。そして指定された場所に丁重に寝かした。その後ろで待機していたルクランシェの脇で一度止まり、一言だけ伝える。
「よろしくな」
「了解」
それだけ言うと、ダニエルは最後に事件部の人達に最終確認をしにその場から去った。ルクランシェはゆっくりと馬車に乗り込んだ。
「私達も乗り込むわよ」
レイラに促されると、クロウスとアルセドは慣れた手つきで松葉杖を突き、中へ支えながら入った。そこにはすでに乗っていたイリスがちょこんと座っている。
「イリスさん!」
予想された言葉にイリスは笑顔で返す。それを苦笑いしながらクロウスは流した。
レイラも指示が終わったのか軽々と乗り込む。
そして、馬車は静かに動き始めた。
「レイラさん、こっちの馬車に負担が掛かりすぎていませんか?」
馬車が動き出してからしばらくして、まだ動くには万全ではないが、使い慣れた剣を携え、常に警戒の意識を保ちながらクロウスは目の前で書類を捲っているレイラに質問する。彼女は書類から目を逸らさず、軽く受け流す。
「確かに怪我人が二人いるのには心配かもね。それにイリスちゃんも。でも何かあったらクロウス君はイリスちゃんを抱えて逃げるくらいできるでしょ」
「そう言いきられても……。状況によってはそうなるとは限りません」
「……あなたはイリスちゃんを絶対に守るわ。いえ、守らなければならないのよ。どんな状況になってもね」
いつしかレイラの視線は突き刺さる様にクロウスに向けられていた。その視線は有無を言わせない雰囲気がある。クロウスは言葉に詰まりながらも、レイラの言っている意味を理解しようとした。
そう、守らなければならないと言いきる理由とは――。
「レイラさん、そんな風に言ったからクロウスさんが考えこんじゃったじゃないですか……」
イリスが横から慌ててフォローする。レイラは目を見開き、しまったという表情を浮かべた。
「あら、ごめんなさい。まあ怪我をしてもクロウス君は強いからって言うことよ。それに私がいるから大丈夫」
自身満々に言いきるレイラに、クロウスは唖然とする。
「レイラさんがどれだけ強いか、俺わからないんだけど」
無理矢理話に入ろうと、アルセドはぐいぐいと顔を押しこむ。レイラが研究所に入った時にはすでにアルセドの意識は揺らいでいて、彼女の魔法をよく見ていなかったらしいという事実を思い出す。アルセドは勢いよく質問をぶつけた。
「シェーラより強いのか!?」
「まあ状況によっては」
「マジで!? 状況って!?」
「水の近くなら私の方が上質な魔法を出せるわ。私の主戦は水、シェーラは風だからね。だけどシェーラが封印を解いたらたぶん誰も敵わないと思う」
「ノクターナル兵士のあいつらも敵わないのか?」
「そこまで言い切れない。相手の限界がわからないから。それに……」
レイラは小さく、だがその三人には聞こえるくらいの声で言う。
「無理して封印を解いて魔法を使ったら、どういう展開になるかわかるでしょ。今回は意識を失うだけで済んだ。けれども、もっと無理して使えば、最悪の展開だってなり得る」
「最悪……って、そんなこと本当にあるのかよ」
「――魔法は絶対じゃない。無理して使えば、私たち自身に負担がかかる」
レイラはそっと目を外に向けた。そこには一面青い大きな海が広がっている。事務的に近く、ただ淡々と答えた。
「……私は負担が一定を超えてしまった人を目の前で……看取ったわ。とても穏やかな表情をしながら」
アルセドはそれ以上何も言わなかった。済まなそうな表情をしながら俯く。イリスも同様に切なそうな顔をしながら、レイラの表情を追う。
クロウスはその言葉にどきっとした。穏やかな表情をしながら逝ってしまった人。それはクロウスにも経験があることだった。
あの時の表情は――絶対に忘れることはできない。
しばらく無言の時間が過ぎる。それぞれ思い思いに更けながら、時間を過ごす。
相変わらずレイラは必死に書類を捲りながら揺れる馬車の中でペンを走らせている。イリスとアルセドはいつものように喋り始めた。おそらくイリスの方は意識していないが、二人の関係はかなり近づいている。アルセドも決して悪いやつではない。ただ一直線過ぎて、空回りすることが多いだけなのだ。そんなことを考えながら、クロウスは一人外を眺める。
どこまでも続く海。そうは言ってもこの先にはソルベー島があるが、目に見える範囲では何も遮るものはなかった。
ふと一つ大きな影がクロウスの目に飛び込んできた。よく見ようと、少し顔を出そうとする。
「あれは孤島よ」
レイラが顔を上げていた。
「クロウス君、あの島見たことないの? 旅していたんじゃないの?」
「俺はどちらかというと内陸をひっそりと回っていたので。こうじっくり見るのは初めてです。孤島というのは、三百年前に地震があった時にできた、四つの島以外の小さな島のことですか?」
「そう、その島。ちょうど四つの島の真ん中にあるらしいわ」
「中はどうなっているのですか?」
「……わからない」
レイラは悔しそうな表情をしながら答えた。クロウスはその様子に気づいたが、敢えて聞き返す。
「わからないって、魔法管理局は何でも知っているんじゃないんですか?」
はあっと、大きな溜息が吐かれる。レイラは頭を抱えながら、恨めしそうに孤島を見た。
「行けないのよ、あの島に」
「え、まさか……」
「そのまさかよ。あの島に近づこうとすると何故か嵐が来たり、船の調子がおかしくなる。あの島には何か憑いているのよ」
「そんなの信じるんですか?」
「私が局に接点を持ってから、そうね……二十年近くだけど、あの島に行けたという話は聞いたことがない。何度か試みはしたけど。それに……」
レイラは助けを求めるかのようにイリスに視線を振った。会話を止めていたイリスはすぐにレイラの意図を把握して、クロウスに伝える。
「過去の本や記録書を読んでも、あの島に着けたという記述はありません。少なくとも公の場ですが。とにかく不思議な島なんですよ。きっとあの島には私達が知らない何かがあるのかもしれません」
「むしろ俺達が知ったらまずい何かが?」
「それはわかりません。私の予想では魔法が関係していると思っています」
「その意見には私も賛成。まあ、大体の研究者達はそう言う風な意見で固まっているから」
レイラは手を上げながら、意見を主張する。それを見てクロウスやアルセドは訝しげな表情をした。
「あら、どうしてって言う顔をしているわね。では、地震が起こった後、何が起こった?」
「何がって、山から激しい光が放たれた。……それって!?」
アルセドも同時に驚きの表情に変わる。レイラは頷きながら、にこりと笑みを浮かべる。
「あの島にある山が、光が出た山よ。それ以後人は魔法というものを使えるようになった。普通に考えればあそこに何かあるって言う考えに導かれるでしょう」
「そうですね……」
この三百年間ずっと誰も行けない島。そこは誰も予想できないものがあるのではないかと、クロウスは思う。
魔法には使える人と使えない人がいる。それは山からの光を浴びたかどうかで決まるのだ。小さい頃に魔法が使えないために多少苦い思いをし、魔法なんかと関わりたくないと思った時もあるが、やはり興味はあった。もしあの島に行くことができれば、それはきっと大きな出来事を意味するかもしれない。
クロウスは斜め前で、じっと島を見つめている少女に気づいた。懐かしく何かを考えを浮かべている瞳。そして大切そうに虹色の書をしっかり掴んでいる。今やもうなぜイリスも平気に書を持てるかなどと考えることはなかった。シェーラもイリスも何らかのおかげで持てるということだろう。
「イリス、虹色の書にあの島のことは書いてあったのか?」
呼ばれると、びくっとしてクロウスの方に顔を向ける。わかりやすいくらいに何か思い当たるようだ。
「いえ、たいしたことは。昔からあの島といいますか、山はあるということしか。敢えて言うのなら、あの山を中心にこの国は成り立ったと言いますか……。すみません、まだ訳すのが途中なので言いきれません」
「いや謝るなよ。ただ知っていたら教えて欲しいっていうだけだから」
「わかりました。何かわかりましたらすぐにお伝えします」
イリスはしっかり頷く。その表情はいつも以上に固いように見えた。
何か考えでもあるのだろうか。こういう表情は良くも悪くも人にその意識を根付かせる。クロウスの知っている女性は皆、しっかりとした考えも持っている人ばかりだ……とつくづく思いながら、外から見える景色を楽しみ始めた。
* * *
昼はひたすら進み、他愛もない話やレイラによる魔法についての講義を聞いていた。夜は近くの町で泊まる。そのような日々が数日経過した。
そしてデターナル島に入れば、より穏やかに道中は進む。やはりこの島の道はきちんと整備されているため、他の島と比べて格段と進みやすかった。
やがて目の前に大きな建物が見えてきた。アルセドは興味津々に窓から身を乗り上げて、初めて見る大きな建物に対して感嘆の声を上げる。
静かに馬車が止まると、レイラは書類を抱えてすぐに馬車から降りた。
そしてクロウスとイリスに対して笑みを浮かべながら振り返る。
「お帰りなさい」
その言葉はクロウス達の心に穏やかな温かみを持たせた。