5‐2 繋がる輪
廊下に靴音が響く。若干緊張した面持ちをしながら、イリスはシェーラがいる部屋にレイラを通す。
中は朝と変わらず、いや一週間前と対して変わっていなかった。
レイラは近づき、そっと黒髪の娘を撫でた。その娘の表情はどこか穏やかで満ち足りている。光と風が心地いいくらい入る空間だが、依然重々しい雰囲気が漂っていた。イリスはそっとレイラに報告をする。
「他の純血の方々はほとんどが意識を取り戻したそうです。おそらく数日すれば全員取り戻すとお医者様は言っています」
「ありがとう。その言い方だと、シェーラは別ってことよね」
「そうです。でも大丈夫ですよ! だってシェーラさんですもの!」
レイラは必死に弁解しようとしているイリスに対して、目を丸くする。そしてクスッと笑みを浮かべた。
「久々の休息を邪魔してはいけない。たまにはいいと思っているの。たぶんゆっくり寝たことなんてここ何年もなかったし」
「何年も?」
「三年前のあの日以来……ね。心が少し解放されたみたな表情をしているわ。……さあ、行きましょうか」
その言葉にはイリスだけでなくレイラ自身にも言い聞かせているようだ。レイラは最後にそっとシェーラの頬を触り、微かにある体温を感じて廊下に出た。
廊下にはルクランシェが腕を組みながら立っている。その表情はどこか切なそうだ。
「もういいのか?」
「いいのよ。大丈夫、今は休んでいるだけなんだから。イリスちゃん、クロウス君達の部屋に連れて行ってくれる?」
イリスはレイラに促されるまま、クロウス達の部屋へと二人を連れて行く。
歩いて間もない所に部屋はある。朝のときと同様、ゆっくりとドアを開いた。
「こんにちは」
「あ、イリスさん! ……と、どちら様でしたっけ?」
アルセドはイリスを見るなり勢いよく飛び出そうとしたが、後ろにいるレイラとルクランシェを見て動作が止まった。
「おい、イリスばかり見てないで他の人もしっかり認識しろよ!」
さすがのクロウスも突っ込まずにはいられなかった。特にレイラに至っては何度も顔を合わしているはずなのにこの言いようは酷過ぎる。
「冗談だって。シェーラの上司の人達だろ。そんな顔するなよ」
悪気なさそうに頭をかかれる。クロウスは大きく息を吐くしかなかった。レイラは表情を変えずににこにこしながらその会話に割り込む。
「まあそれだけ冗談が言えるのなら、元気なようね」
「それはもちろん! 毎日イリスさんに会うだけで元気が出ますから!」
「それはよかった。早速だけど、本題に入りましょうか」
レイラは目をきらきら輝かせながらイリスのことを言おうとしているアルセドを、華麗に無視して話をし始める。こういう方法もあるのかとクロウスは変なところで感心した。
「クロウス君、アルセド君、お久しぶり。そして元気そうでなによりだわ。今日はシェーラを始めとして、みんなを局に連れて帰るために来たのよ。いつまでもここにお世話になっていられないし」
「それはシェーラの意識を取り戻す、取り戻さないは関係なくですか?」
「そうよ。シェーラの傷はあと少しでだいたい塞がるらしいし、正直ここにあまり長くいさせたくない。もしここで攻防があった場合には、申し訳が付かないくらいの事態が起きるかもしれない。それに局に戻った方が色々と対策が立てやすいから」
毅然と答えるレイラの言葉からクロウスは恐れている事態を推測できた。
確かにここでフィンスタのような魔法使いが加減なしに使ったら、一瞬で火の海になる可能性が大きい。それは魔法を統制するのを一つの理念とした魔法管理局副局長にとっては、起きてはならない事態の一つだろう。
虹色の書を盗ろうとしに来るのも勿論のこと、グレゴリオの魔法を無理矢理破ったシェーラを危険人物として、隙があれば息の根を止めに来るかもしれない。
それらを総合的に判断して、怪我が完治する前に移動を試みようとしているのだろう。ただその予想だと引っかかってしまうことがあった。
「レイラさん、俺やシェーラの傷が癒えるのを待ってもらったのは有難いです。それでもリスクを考えると、十日も置いといたのは危険だったんじゃないですか?」
少しきつめの言い方をしながら、レイラの様子を伺う。彼女は目を瞬かせる。そしてにやっと口元を緩ませた。
「さすがクロウス君、いい洞察力を持っているわね」
「ありがとうございます。それで質問の方は?」
「まあダニエル部長と事件部の精鋭もいることだから大丈夫と踏んだのもあるけど、ほんの少しだけ結界を張ったから」
「結界?」
「正直結界というほどでもないわ。ここの周りの降水量を少しだけ増やしただけよ。シェーラの今の魔力はとてもか細いもの。雨が降るだけでも、その魔力を読み取るのは難しい。それに虹色の書もある人が持つときだけ魔力を発する。それ以外の人が近づいて見ても、ただの本だと思うだけよ。理由はそれでいいかしら?」
「は、はい……」
魔法のことが絡むと知識が追い付かなくなるクロウスだが、レイラがささやかに凄いことをやっていたとはわかる。確かに少し天気が悪い日が続いていた。それはレイラの手によってだったとは、驚くばかりである。
「ただし元々ここら辺の降水量は他の場所よりも高め。私の魔法も必要最低限しかやってないから数日だけよ、実際にやったのは」
澄ました顔で付け足す。それでも凄いのだ。レイラは照れを隠すのかのように、話を進める。
「それで明後日くらいにはここを出ようと思う。クロウス君やシェーラ達を第一陣として。他の純血の人達には申し訳ないけど第二陣としてもらう。局には馬車に乗りこんで戻る。アルセド君達はハオプトで降ろせばいい……わよね?」
アルセドはその言葉にはっとして反応して、イリスに視線を向けた。彼女の表情は複雑そうだ。そして見る見るうちに顔が蒼白になっていく。
「俺は……、イリスさんとお別れなのか?」
「アルセド君……」
イリスの顔もどこか寂しそうだった。
アルセドがここまで来たのは偶然が重なったことで、これ以後一緒にいる理由ははっきり言ってない。スタッツに促されるがままにこの地まで来て、結果として重傷を負った。その怪我の療養には一番住みなれている場所がいいと言われてるのが道理だ。
クロウスは思う、シェーラならこんなときどういう風にこの場で発言するのかと。きっとアルセドの気持ちを組みつつ、レイラにはっきりと発言するのかもしれない。
言葉を選んでいると、スタッツが毅然とした表情をしながらレイラの前に近寄って来た。
「すまないが、一つお願いがある」
「なんでしょうか?」
「アルセドのことなんだが、しばらくそちらで預かってはもらえないだろうか?」
その言葉にその場にいる人々は口をあんぐりしながら固まった。
アルセドでさえ、その発言に驚きを隠せない。レイラは冷静に返答するように努めた。
「それは……、何故ですか?」
「しばらく旅に出ようと思い、店を閉めてきたからだ」
「ええ!? スタッツさん、その意味がよくわからないんですけど!」
アルセドは大声を出しながら横から口を挟む。スタッツは溜息を吐いた。
「前にも何回か店を空けたことがあるだろう。それと同じ理由だ。今すぐに調べたいことが思いついたんだ。だから店にアルセドだけ連れて帰っても、逆に不便だと思った。もし魔法管理局の方々の都合が悪いのなら、知り合いに頼んで面倒を見てもらうが」
「いえ、別に構いませんよ。アルセド君がそれでいいのなら……」
レイラがアルセドの方を見ると、目を輝かせながら視線を送っている。敢えて聞く必要はないと思っても、一応確認のために聞いていた。
「アルセド君はどう思う?」
「いいですよ! お世話になります、レイラさん!」
文字通りの即答だった。その様子を苦笑いで交わしながら、レイラは改めてスタッツに戻る。
「了解しました。アルセド君はスタッツさんが留守にしている間、預からしていただきます。それで調べたいこととは? 期間はどれくらいで?」
「調べることはまだはっきり決まってはいない。期間としては一か月くらい考えている」
「結構長くなりそうですね。こういう風に会ったのも何かの縁。何かあったらいつでもこちらに連絡をよこしてくれれば、サポートするわ」
そう言うとレイラは右手を差し出した。スタッツも差し出し、お互いしっかり握り合う。その光景を嬉しく見る一同。
ここに情報屋と魔法管理局に新たな繋がりが生まれた。
その後、イリスはレイラを彼女が寝泊まりしている部屋に通す。しばらくイリスと一緒に居ると言い、ルクランシェには事後処理の方を進めてもらっていた。イリスは慌てて片付け始める。窓が開いているため外から流れる風によって、カーテンが軽やかにはためかしていた。
「すみません、散らかっていまして。お茶でも入れますか?」
「そんなに気を使わなくても大丈夫」
散らかっているという割には、副局長室よりも断然綺麗だ。小さな机には本が積んである。その脇に一冊だけ丁重に置いてある本を手に取った。
「……虹色の書の翻訳はどれくらい進んでいるの?」
本文がほとんど読めないレイラはページをぱらぱら捲っている。
「だいたい半分くらいでしょうか。すみません、訳すのが遅くて」
「いいのよ。書を訳せれば何かわかるかもしれないって言ったのは私だし、そんなに急ぎの要件でもないから。ただ……」
レイラは書を元に戻し、他の図書館から借りた本もぱらぱら見始めた。
「もし虹色の書に魔法の今後について何か記されていれば、それはなるべく早く知りたいのが本音なのよね」
「魔法の今後ですか……」
「そうよ。先生がどこかの旅から戻ってきた時、どこか落ち着きのない時があってずっと気になっていて。まあその理由は何となく聞いたけど、はっきり聞けなかったから。これを訳せば分かるのかなって」
イリスの顔もどことなく暗い。レイラの顔も憂いを浮かべていたが、すぐに表情を明るくする。
「何かしんみりしちゃった。少し話題でも変えようか。それにしても今回は本当にお疲れ様。私もすぐに応援に駆けつけようと思ったんだけど、他の用事で行けなくって」
「いえ、私は何もしていません。シェーラさんとクロウスさんが頑張ってくれたおかげです」
そう言いながら、ふとイリスはあの時の出来事を思い出す。
「あの二人、どこか通じているようで通じていなかったんです。仲がいい二人だなって思っていたのですが、どこかお互い本音で言い合っていなかったんです。でも今回の件でその殻が破れた気がしました」
イリスは嬉しそうに頬を緩ませる。レイラもつられて、口元に笑みを浮かべる。
「クロウス君も中々暗い過去を持っているようだから、そのせいもあってシェーラのこと大切に想っているようね」
「そうですね。ところでその暗い過去、レイラさんは知っていますか?」
「詳しくは知らないけど、たしか大切な人が殺されたんでしょ」
「その人のこと、知っていますか?」
「いえ、その点に関しては全然知らないわ。あまり聞いても嬉しくない内容だから、私から聞こうとはしない」
レイラは首を横に振りながら、経験を語るかのように少しだけ重みを込めて発言する。
「そうですよね。聞きだすのも申し訳ないし……」
「あらその人が気になるの?」
「気になるって程でもないですが……」
イリスは視線を下げながら言うのに躊躇う。レイラはその様子に眉を顰める。
「言いたくないのならいいけど……」
「いえ、これはレイラさんに報告しなきゃいけないことだと思うので。……実は、あの時に借りてきた橙色の石、クロウスさんから借りたものなんです」
「クロウス君が? 一体どうして、彼が?」
思いもよらない言葉に若干声が上ずる。イリスは虹色の書を見ながら、視線を敢えて合わさずに言った。
「その昔の想い人からもらったそうです。自分の意思を繋いでほしいと」
「ノクターナル島の人よね……。イリスちゃん、何か知っているの?」
イリスはくるりと後ろを向き、徐に開いていた窓を閉める。
そして苦笑しながらレイラの目を真っ直ぐ見た――。