幕間 雨が降り始める
「ちょっと待ってよ、お姉ちゃん!」
「まったく、早く帰らないとお父さんが先に帰ってきちゃうでしょ」
「疲れたよ……。私、走るの苦手だって知っているのにひどいよ」
弱音を吐いた二つに髪を結んだ十歳に満たない少女は、走るのをやめ、歩き、そして息を切らせながらやがて立ち止った。先に走っていた少女の姉はその様子に気づき、首を横に振りながら溜息を吐く。短髪の髪が小刻みに揺れている。
ほんの少し時間を経った後に姉は近づき、ぐいっと妹の手を握った。
「ほら、引っ張って行くから、少しでも早く帰るよ」
妹はその行為に多少戸惑いながらも、満面の笑みで頷く。
姉妹の腕からぶら下げている籠には、沢山のリンゴが詰まっていた。
雲が少しずつ頭上を覆い始める。肌にも少しずつ冷たい風が吹き付けてきた。姉妹は寄り添いながら、一歩一歩家へと急ぐ。やがて村が見え始め、そしてある家の光が姉妹たちを呼んでいた。
妹はふと頭に何かが落ちるのを感じた。目を空に向けると、ぽつりと顔に水が降ってくる。
空からは雨粒が降り注ぎ始めようとしていた。
「やばい。これはすぐに本降りになる。家まで全力で走るよ!」
妹の手を強く引き、二人は一斉に走り始める。予想通り、雨はすぐに大粒になり始め、姉妹が家に辿り着く頃にはびしょ濡れになっていた。
「お母さん、ただいま!」
ドアを引き、元気よく挨拶をする。中からは温かい空気が流れてきた。優しそうな顔をした姉妹の母親がひょっこり顔を出す。
「お帰り。雨に降られたみたいね。タオルでよく拭きなさい」
「わかっているよ。はいお母さん、リンゴ」
母親は重い籠を受け取った。あまりの重さに思わず体が重力に持って行かれそうだ。
「こんなに重いの、よく持ってこられたわね」
「私はもう少し減らそうって言ったんだけど、この子がさ」
姉は軽く妹の頭を叩いた。妹は手をぎゅっと握りながら発言する。
「だってお父さんが好きだから、たくさんあった方がいいと思って!」
その言葉を聞き、母と姉は笑みを浮かべた。
「そうね、お父さんはリンゴが大好きだもんね」
「特にアップルパイが。これならたくさん作れる。当分おやつはアップルパイで決まりだ」
タオルで髪を拭き、着替え終わった姉妹は母とともに台所に並んだ。妹はリンゴを丁寧に洗い、姉は慣れた手つきでそれを剥き始める。母親はそれを見ながら、夕食の準備をし始めた。
屋根に雨がしとしとと降り注ぐ音が聞こえる。
「雨、止まないかな……」
心配そうな表情で外を見る妹。
「今日は降る感じじゃなかったのに、どうして降ったんだろう?」
「本当、最近天気が読めない。前はもっとわかりやすかったのに」
ぶつぶつと言う姉妹に対して、母は諭すように語りかけた。
「それはね、みんなが魔法を使い過ぎているせいよ」
「魔法を使い過ぎている?」
「そうよ。魔法は決して万能なものではない。だから必要以上に使ってはいけない。そうお父さんがいつも言っているでしょ?」
「そうだったかな……」
姉は視線をそっと母から逃がす。妹は興味津々で体を乗り上げようとする。
「もし魔法を使いすぎたらどうなるの?」
その問いに母は表情を暗くした。姉妹はお互いで顔を見合せながら、その様子に首を傾げる。
「……少なくとも、今のような生活はできなくなるでしょうね」
微かに震える唇に幼き姉妹は気づいていない。
「今のような生活ができない? じゃあ、アップルパイも食べられなくなるの?」
「そこでアップルパイを持ち出すのかい」
「だって、おいしいもん!」
「そうだね。ほら、口動かす暇があるなら、手を動かしな」
必死に抗議する妹を姉は簡単にあしらう。
母はその光景を見てクスッと笑みを浮かべる。そして無意識のうちに呟いていた。
「この娘たちに、幸せな未来は訪れるのかしら」
「え、お母さん、何か言った?」
すぐ傍にいた妹はその言葉に反応する。母は首を横に振り、慌てて誤魔化す。
「いえ、何でもないわよ」
そんな中、小気味よくドアをノックする音が聞こえてきた。
「お父さんだ!」
そう叫ぶと、姉妹は急いでドアに向かって駆けだした。
その嬉しがっている様子に、やれやれと肩を竦めながらゆっくりと足を玄関に運ぶ。
ドアが開くと、そこからびっしょり濡れた男性が入ってくる。
「いやあ、まいったよ。雨降るなんて、予想が付かなかったから。――みんな、ただいま」
「お父さん、お帰り!」
歓声を上げながら、子供達は父親に抱きついた。久々の再会に嬉しさを全身で表現する。
母親は微笑みながらその光景を記憶に焼きつけていた――。
雨は依然降り続けている。いつ止むかわからない雨が。
雨が降れば、外に出るのは億劫になり、気分も下がってしまう。
だがこの家に溢れる声は、そんなことも微塵に感じさせない。
どこにでもある普通の家族との再会の風景。
一人一人の心は今もなお明るく輝いている――。