4‐15 想う心は道を開く
「虹色の書、闇の章――」
イリスから紡がれる言葉に一同は息を呑む。それと同時にシェーラは手を大きく広げて、前に突き出した。まずは自身の魔力を放出し始める。
「風は大気と穏やかさを、地は大地とぬくもりを、水は海と清らかさを、火は炎とあたたかみを、光は日と明るさを、闇は影と暗さを与える。
――これら六つが揃ったとき、万物の創生者はこの世に降り立ち、生を与えた」
詠うように出て行く言葉に呼応するようにシェーラの手からは色とりどりの空気が出される。赤や青、黄色などの様々な色が出たり消えたりしていた。
「生を受けたものは、自身をそしてこの世を豊かにしようと日々奮闘した。
それは喜ばしい行為であり、逆に哀れでもあった。
一心不乱していた者にふと訪れる空虚な時間。
その時間は生を受けた者の心に光だけでなく、闇も住まう時間ともなる。
空虚な時間は増えて行き、それに応じて闇は蝕んでいく。
やがて生を受けたものの心に一つの考えが浮かぶ。
創るという行為があるのなら、破壊という行為もあるのだと」
それは呪文と言うより、ある神話を話しているような感じだ。
しかし確実にシェーラから出される魔力は上がっている。色が鮮明に映り始めた。
「闇に呑まれた者は破壊者と変貌しこの世を破壊し始めた。
それを見た創生者は憐れみを思い、すぐにその行為を止めるべく再び前に降り立つ。
破壊者は全てのものと破壊しようと躍起になっていた。
それを目の前にして、創生者は疑問を投げかける。
『そんなことをして、何の得になるのか?』
破壊者は答える。
『この世に創るものがあれば壊すものがいる。世界は何度も生まれ変わらなくては、進歩はしない』
創生者は言う。
『果たして全てを壊す必要があるのか。破壊することだけが生まれ変わるための全てではない』
破壊者は言う。
『それならば何か考えでもあるのか』
創生者は首を縦に振り、その問いに答える。
『生まれ変わるために、生かしつつも全てのものを打ち破る破壊は存在する。誰かを助けるという想いがその破壊に繋がる。さあ――』
創生者と破壊者はお互いに手を取り合った。
『目の前にものを破壊しよう。さすれば道の一つは開ける』」
すっとイリスが大きく息を吸った。それに合わせてシェーラも息を吸う。
そして、二人同時に言葉を連ねた。
「未来への想いを繋ぐために、道を開こう」
最後の言葉をイリスとシェーラが同時に言い終わると、シェーラの手から勢いよく魔法が放出された。
目も眩む激しい光が迸る中、魔法は虹のように鮮やかな色で白い壁に飛び込んでいく。
白い壁と衝突すると、激しく音を鳴らしながら食い込んでいった。
だがこれくらいではすぐに壁は修復されてしまう。
シェーラはさらに威力を上げようと歯を食い縛り、足で必死に踏んばりながら、魔力を強める。
風があちこちで激しく舞い上がり、止血していたタオルはいとも簡単に飛ばされた。
傷口から鮮血がぽたりと落ちて、風によって流れていく。
イリスは周りの石によって結界でも張られて守られているのか、被害は受けていない。
予想以上の魔法に驚きながら、すぐ横で耐えているシェーラに必死に祈りを上げていた。
依然、壁は破られない。
炎は皮膚で直に感じられるほど、すぐそこまでやってきている。
シェーラは自身が風で傷付いているのに目もくれず、ただ目の前の壁を睨みつけていた。
「もう良い加減に諦めなさいよ……! 私はここにいる人たちを助けたい。この人たちを生かすために、今すぐ破壊されなさい!」
その言葉とともに、魔法の威力はさらに上がる。みしっとヒビが入る音が聞こえ始めた。
もう一息だと思い、シェーラは全身全霊を込めて魔力を出し、声の限り叫んだ。
「私の想いを聞いて。道よ、開け……!」
その言葉を言いきると辺りは光に包まれ、その場にいる者達は思わず目を閉じた――――。
そして次にイリスの耳に入ってきたのは、壁が激しく壊される音だった。大きな音を立てて、白い壁は粉々になっていく。
やがて人工的な光ではなく、日の光が人々の目に射し込んでくる。
いつの間にか夜は明けていた。
外を見るなり歓声が上がる。
「壁が壊れたぞ! 外だ!」
研究者達は勢いよく外に出て行った。レイラはすぐに安堵から切り替えて、怪我人を運ぶようにてきぱきと指示をする。
「急いで! すぐに炎はやってくる。早くこの建物から離れるわよ!」
護衛達は自分の持ち場に着くと、クロウスやアルセドを抱えてすぐに外に出て行く。レイラはまだ呆然と立ち尽くしているシェーラの肩に手を乗せ、声をかける。
「シェーラ、よくやったわ。さあ急いで脱出を……」
シェーラの体が不意に後ろに倒れる。慌ててレイラは手を後ろに回し、受け止めた。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫です。ふらついた……、だけですから」
どことなく苦しそうな顔をしつつも、返事だけはしっかりとした。後ろから現れたルクランシェはひょいっとシェーラを持ちあげる。細めの体だが筋肉で引き締まっているためか、楽々と担ぎあげられていた。
「部長!?」
「大人しくしてなさい。立つのもままならい状態だろう。レイラ、それにイリスさん、早く行くぞ」
イリスは石をせっせと回収し、虹色の書をしっかり抱きしめながら、脱出をする。それを追うように、レイラとシェーラを担いだルクランシェが続いた。
外に出ると、肌に冷たい風が当たる。さっきまで熱いと感じられたのが嘘のようだ。湖の周りを沿うようにして移動をし始める。なるべく研究所から離れようとした。
しばらく走り続け、後ろを振り返ると、さっきまでいた入口から炎が噴き出し始めている。そして建物全体が火に包まれた。もう少し遅ければ、火の海に囲まれていたかもしれない。
研究者や護衛達、レイラやイリス達が見つめる中、火は燃え続けている。
突然イリスはあることに気づくと、血相を変えてレイラに話しかけた。
「レイラさん、このままでは周りの木も燃えてしまいますよ!?」
「そうね。でもよく見てみなさい。炎が小さくなっていると思わない?」
イリスは目を凝らして、赤くなった建物を見る。あと少しで木に触れてしまうと思った時、急に火の勢いがなくなったのだ。
みるみる内に炎は小さくなり、やがて黒焦げになった建物だけが残った。
「あの研究所だけ燃やすように設定したみたい。あれだけの魔法使い、それくらいやってもいいでしょう。始めからあの炎は研究所と私たちを燃やすだけにあったのよ」
「そうでしたか……」
ついイリスは腰を抜かしてしまい、へなへなと座り込んでしまう。やっと肩の荷が下りたのか、緊張しっぱなしだった表情が和らぎ始めている。
緊張が解けた中、ふと湖の向こう側を見ると人影が一瞬ちらついた。目を凝らしてよく見ようとし、瞬きした次の瞬間には影はいなくなっていた。動物か何かだったのだろうかと、疑問が残る。
首を傾げて考えているのも束の間、後ろから肩を叩かれた。慌てて立ちあがり振り返ると、中年の研究者を始めとして大勢の人の目がイリスに集まっている。それを見て、イリスはますます首を傾げた。
その様子をシェーラは遠目に眺めていた。少し離れたところで今は木を背にもたれかかっている。弱弱しく呼吸をしながら、今は紺色から黒色へと変わってしまった研究所に視線をずらした。
ほんの数時間前まではとんでもない状況を起こしていたと思うと、再び自責の念が込み上げてくる。
クロウスの声が耳に入ってくる中、最悪の状況は脱したと思い少しだけ安堵する。そして無事に魔法を発動させて、ここにいる人たちを助けることができたことに一安心した。
今回の一件で、シェーラは考え方が随分変わったとしみじみと感じている。
今までは一人で暗い道を必死になって駆けずり回っていた。永遠に続くかと思われた夜。だがそこに微かに光が差し込んできていた。
その光はずっと誤魔化してきた過去の自分、それから揺れ動く気持ちに照らされた――。
道を歩く中、シェーラはふと立ち止まって思う。
――今までずっと何を求めていたのだろうか?
その答えは考えずともわかっていた。
自分の心に対して訴えてくれる誰かを求めていたのではないかと。
あの事件以来、レイラを始めとして魔法管理局の多くの人達がシェーラのことを慰めてくれた。それは嬉しくもあり、複雑だった。そしてその言葉を利用して、現実から逃げてしまった。
だが黒髪の青年は違った。
慰めるだけでなく、しっかり現実を見ろとはっきりと言う。
力強い言葉はシェーラをやさしく包み込んでくれた。
その言葉だけでも、今のシェーラに取っては充分すぎるほど嬉しく、励みになるのだ――。
徐々に意識が遠ざかる中、イリスに感謝の意を述べる声が殺到しているのが耳に響いてくる。
「お嬢さん、本当にありがとう。お嬢さんのおかげで俺らは助かった。代表して俺がお礼をする。改めてありがとう」
一同頭を下げる中、イリスは手をぶんぶんと横に振った。
「違いますよ! 私はきっかけを作っただけです。本当にお礼を言われるべきはシェーラさんです。ねえ、シェーラさん!」
近くの木で、木を支えにしてやっとの思いで立ちあがるシェーラがいた。疲れきった顔をしながらも、薄っすらと笑みを浮かべる。
「何を言っているの、イリスが一番言われるべきだって……。イリスが提案しなかったら、今頃みんな黒焦げよ?」
「でもシェーラさんがいなかったら、魔法は出せなかった」
「……イリスでも出せなくはなかったでしょ。ただ私の方が確率的に上手くいくから、やっただけ」
「シェーラさん……」
「私からもお礼を言わせて。ありがとう、イリス」
そう言い、シェーラはにこりと笑う。
それを見て一同はあまりの素敵な笑みに息をするのも忘れた。
シェーラはそれだけ言うと目をふっと閉じ、前乗りに倒れこんだ。傍にいたルクランシェが血相を変えて駆け寄り、シェーラを受け止める。
「おい、シェーラ!?」
ルクランシェの取り乱した声と辺りの騒然とした雰囲気から、レイラとイリスはすぐにシェーラに駆け寄り、声を投げかける。
「ちょっと、シェーラ、大丈夫!?」
「シェーラさん!」
シェーラはそんな言葉を意識の遠くの方で聞いていた。
そして小さく口に笑みを浮かべる。
やがて声が聞こえなくなると、意識は混沌の闇の中へと混じり込んでいってしまった――。
* * *
真っ暗で何も見えなかった夜はすでに明けていた。
前が見えないほどに暗かった道に、温かい光が差し込んでくる。
顔を上げると、その先には想いを交錯させた人達が笑顔で待っていた。
その人達に追いつくために、にこりと微笑みながらシェーラはその道を走りだす――――。
いつもお読み頂きありがとうございます!
今回の話を持って第4章は終わりです。これで小説全体としても大きな一区切りです。
読者さまがいて下さるおかげで、ここまで書けました。本当にありがとうございます。
もしよろしければこの機会にご意見、ご感想などを頂けたら、とても嬉しいです。
引き続きお読みいただければ、幸いです。