4‐14 書と七つの石
イリスは石に心あたりがある人を求めて、人を押しのけて走る。その必死さは見る者の多くに不思議と活力を与えていた。まだ大人に成りきれていない少女が懸命に動く姿は、毎日仕事を無感情で当たり前にこなす人々には眩しすぎるようだ。
イリスはある人に駆け寄ると、しゃがみ込み心配そうな目でその人を覗きこむ。
「クロウスさん、お体の方は大丈夫ですか?」
肩で呼吸をしているイリスに、クロウスはふっと笑みを浮かべた。
「ああ、動けはしないが大丈夫だ。何か用か?」
この状況で駆け寄ってくるくらいだからそれ相応の理由があるのだろうとクロウスは判断できる。しかしイリスから発せられる言葉には驚いた。
「あの、以前見せて頂いた橙色の石を貸してくれませんか?」
「……あの石か? 構わないが、一体どうして……」
「ここから出るのに必要なんです。どこにありますか?」
クロウスは胸ポケットから戸惑いながらも石を取り出した。橙色の石が煌めいている。それをイリスは両手でしっかりと包み込んだ。
「ありがとうございます。これできっと道は開けるはずです。クロウスさんは安静にしていてくださいね!」
元気よく再び駆けだす少女に微かに手を振りながら、事の成り行きを見守ることにした。
イリスの手に橙色の石が握られているのを見るなり、シェーラは口をあんぐりと開ける。
「早い……っていうか、一体どこで手に入れたのよ!?」
「詳しいことはあとで話します。今は魔法の方が最優先です」
シェーラの追随もあっさり受け流し、イリスは黄色い石と橙色の石を持った状態で書に触れる。七つの石がそこに集まった。
三人が静かに見守る中、ゆっくりと文字が浮かび始める。そして書全体も光り始めたのだ。
光は大きくなり、何事かと他の人もシェーラ達のいる方に顔を向ける。ただ光るだけでなく、微かに色が移り変わりもした。
やがて文字はくっきりと浮かび終え、光は治まった。
イリスはぱらっと白紙であったページを見る。呪文は三種類あるようだ。それを一つ一つ声に出す。
「光の章と闇の章。そして虹の章――」
虹色の書に隠された呪文が今、イリス達の目の前に現れたのだ。
「それぞれの呪文はどんな内容なの?」
「そうですね……、ざっと見ますと光の章は創造に関すること。闇の章は破壊に関すること。そして虹の書は未来に関することでしょうか」
古代文字をすらすらと読み上げるイリスに感心しつつも、シェーラは今の言葉からふと心が明るくなった。
「よくわからない所がいくつかあるけど、破壊に関することって、上手くいけばこの壁も破れるんじゃないの?」
「そうかもしれません。ですが、それが果してものを破壊する魔法なのか、そしてその威力はどれくらいなのか予想ができないと危険だと思います」
判断に決めかねる所だ。呪文を使う魔法は威力が予想できないくらい凄い。虹色の書は下手をすれば島一つを破壊しかねないものだとも言われている。あまりにも凄まじい魔法を使ったために、ここにいる人達に被害を与えてしまったら意味がない。
レイラはその成り行きを見ながら、副局長と言う立場から冷静にそのことを決めようとしていた。選択の余地はないとわかりながらも、言いだすにはまだ躊躇っている。
そんな中、大勢の人の足音が近づいてきた。振り返ると、項垂れた人を担いで走ってきている。イリスが頼んだ、気を失った純血の人を助けてくれた人達だ。
「これでこの研究所にいる人達は全員揃いました! 皆無事です」
その声を聞いて、その場にいる人たちは安堵の息を吐く。
だが安堵はすぐに恐怖に変わった。火がもう目の前にまで近づいてきている。消火を試みようとしていた護衛達も悔しそうな顔をしながら戻ってきていた。今にも火はそこにいる人たちを食べつくそうとしている。そして、レイラは鋭い視線をイリスに向けた。
「イリスちゃん、どんな展開になっても私がフォローする。だから魔法を発動させましょう」
「わかりました。しかし、少し問題がありまして……」
「問題?」
「……今更ですみませんが、この魔法、私が使ったら失敗します」
レイラの目が見開く。シェーラは眉を顰めながら、質問をする。
「どうして? イリスの魔力だってそれなりにあるでしょ?」
「……私、魔法の威力を操ることができないんです。そういう風に今まで使ったことがないから。いつも地の温もりを感じて、ただ出すだけの魔法。だから地でもない魔法を出すのは余計に修正が効かないと思います。すみません、純血と言ってもその程度なんです……」
イリスはぎりっと歯を食い縛った。あそこまではっきりとどうにかすると言ったのに、結局は自分の力では何もできないということに、悔しさを感じているようだ。
だがつい最近まで村娘として生きていた少女に、自分の主戦魔法以外を使えと言っても無理な話でもある。この少女は純血であり、古代文字も読めるが、それ以外は普通の少女と変わりはない。
その言葉を噛み締めて、レイラは軽く首を縦に振る。
「いえ、いいわ。イリスちゃんはそういう環境で育っていなかったのだから。……私が出された魔法を操る。だからイリスちゃんは――」
「レイラさん、その役、私がやります」
すぐ横にいる聞きなれた声にレイラは表情を顰めながら、すぐに反論をした。
「何を言っているの、シェーラ? あなた、あれだけ魔法を使って、操られて、血まで流して……。今だって立っているのがやっとなのに何を言っているの!? この世の環境を使いこなして出す魔法には精神的にも肉体的にも負担がかかるとわかっているでしょ!」
「そんなの、わかっています。けど、今後のことを考えてください。もしレイラさんに何かあったら、どうするんですか? こんなリスクが高いことを責任者に任せられません。人にはやらなければならないことが違っているんです。レイラさんは統率を、私は後ろでそれを円滑に進めるように物事をすることが一番いいんです」
「そうかもしれないけど、魔力が尽きているのに魔法なんて出せるはずが――」
シェーラはそっと首から下げた状態のペンダントを取り出した。それを見て、レイラは息を呑む。
「これを外せば、魔法はまだ出せます。……先生はこういうことを考えて私に託したんでしょうね」
その目には揺るぎない決心が宿っている。レイラが止めようとする前に、小声でぶつぶつとペンダントに語りかえると、小気味のいい音と共にペンダントを下げていた鎖は外れた。その瞬間、全身から魔力が滲み始める。さっきまで尽きかけていた魔力が今は水のように溢れ出ていた。
レイラは深く息を吐く。紫色の石を書の上に置き、踵を返してシェーラに背を向ける。
「……無理するんじゃないわよ」
「今更何を言っているんですか? 無理しなきゃ、この壁はぶち破れません」
ちらっと横目で見ながら、シェーラの表情を見る目はどこか切なそうだった。
「これが終わったら、お茶でもしようか」
「いいですね。じゃあセクチレの茶葉で、レイラさんのおごりでお願いします。もちろんイリスも一緒で。レイラさん、後のことは任せましたよ」
若干語尾に震えているのに気に留めながらも、レイラはルクランシェ達がいる方へ戻って行った。
シェーラはイリスの方に目を向ける。イリスの目は不安でいっぱいだ。
「そんな顔しないで、私は大丈夫だから。まだやりたいこと、聞きたいことがたくさんあるしね……」
憂いを浮かびながら、手元を見た。書をしっかり触れている手がある。
「さて、この状態で魔法を出すのは困難ね。どうにか放したいんだけど」
「六芒星を床に書いて石を置き、その中に私が立てば効果は持続できると思います」
「へえ、そう言う手があったか。じゃあ早速書こうか。書くものは……、これでいいか」
そう言うと、血で真っ赤に染められたタオルを取りだした。まだ血は乾いていない。
「シェーラさん、そんなに血の量を出しているのに大丈夫なのですか!?」
「大丈夫だって。それに魔力が強い人の血だから、威力も上がるわよ」
シェーラはしゃがみ込み、さっと六芒星を書いた。イリスが立てる範囲を確保しながら、擦れながらも赤い血の星が出来上がる。そして星の六つの角に黄色、橙色、紫色の石、そして青色、紺色の石が埋め込まれている腕輪、緑色の石のペンダントを置く。
その作業を見終わると、その中心にイリスが立った。
真っ白になっていたページは再び文字が浮かび上がり始める。これで場所の確保はできた。イリスは自分のやるべきことに集中するために、書を黙読し始めた。
シェーラは傷口がまだぱっくり開いているのを見て、仕方なくすでに汚れているタオルで抑えようとする。だがすぐ横から、真白いタオルを渡された。今は笑顔ではないルクランシェが眼鏡の奥からシェーラを見ている。その目から思わず逸らし、タオルを受け取った。
「ありがとうございます、ルクランシェ部長」
「シェーラ、わかっていると思うがレイラが物凄く心配している」
「ええ、わかっているつもりです。レイラさんもルクランシェ部長の想っていることも。後で始末書はたくさん書くので今は多めに見てください」
シェーラは満面の笑みで微笑んだ。それに一瞬圧倒されながらも、ルクランシェはまだシェーラが手に持っているタオルを取り丁寧に止血をした。
「これで大丈夫だ。始末書はそれなりに少なくしよう」
「すみません、ありがとうございます。……レイラさんのこと守ってあげて下さいね」
その言葉を聞いて、ルクランシェの顔が一瞬引き攣った。すぐに表情を戻すと、軽く手を振りながらすぐにレイラの方へ駆けて行く。
その先には不安と期待が相反している人々がズラリと立っていた。横の方では、クロウスの視線がシェーラに向けられている。
徐々に上がる心拍数を感じつつも、シェーラは平静を装う。
シェーラ自身わかっていた、正直これからすることは危険すぎるということを。
魔法を使い過ぎたために寿命を縮めたり、死に至ることもちらほら聞く話だ。万全ではない魔力、体力で大きな魔法を使うということは、リスクをかなり背負うことになる。それでも上回るものがあるとすれば、おそらくこれからを想う心だろう。
――ここにいるみんなの未来を創るために、私は今を救う。
シェーラは心の中で呟きながら決心を固める。
横にいるイリスを見た。そこには決然とした表情を浮かべている少女がいる。
「イリス、準備はいい?」
「はい、大丈夫です。私が呪文を唱える間、シェーラさんは魔法を徐々に出していってください。そして最後に言いきったら、思いっきり壁に突きつけてください」
「了解。微調整はこちらでするから、イリスは唱えるのに集中してね」
シェーラとイリスは目の前にそびえ立つ、白色の壁を見る。
そして、シェーラはそこにいる誰もが聞こえるくらい大きな声ではっきり言った。
「さあイリス、始めようか」