4‐7 闇に染まる研究所
「それじゃ行ってくる。アルセド、イリスさんのこと頼んだぞ」
「大丈夫だって。この町の雰囲気そんなに悪くないし、必要な時以外は部屋で待っているから」
「昼には戻る。明日の夜までに戻ってこなかったら、急いでノベレに戻れ。これは命令だ。拒否するな」
「……そうならないようにしてくれよな」
アルセドはいつもと違い、やけに素直だった。表情は暗いが。
半日かけて歩き、シェーラがいると思われる第九研究所から最も近い町に到着した一同。そして夜も更けて行く時間となっている。
そんな時間の中、クロウスとスタッツは研究所に向けて出発しようとしていた。その見送りとして、イリスとアルセドは町の入口まで出てきている。アルセドの顔もそうだが、イリスの表情は今の外の景色のよりもっと暗い。俯いて、何も言葉を発しようとはしなかった。
さすがに心配したクロウスは言葉を投げかけようとする。だが上手い言葉が見つからない。この状況では何を言ってもしらじらしく感じてしまう。
「クロウス、もう行くぞ」
スタッツが素っ気なくクロウスに視線を送る。これ以上待っても、何も起こらないと判断してのことだろう。
「ああ、わかった……」
その時イリスの顔が少しだけ上を向いたように見えた。不安ではち切れそうな表情を見せて。
それを見て、自然にクロウスは右腕を伸ばしイリスの頭をそっと触った。彼女は目を丸くする。クロウスは視線を合わして少し顔を綻ばせながら諭した。
「行ってきます」
「行って……らっしゃい」
イリスは自分でも驚くほどに、言葉が喉を通り抜けていた。そして、無理して笑顔を繕う。
「絶対に戻ってきてくださいね!」
クロウスはしっかりと頷いた。この少女が発する言葉はいつも心に深く響く。それが新たな活力を与えられる気がする。その言葉をぐっと心に刻み込みこんだ。
そしてクロウスらは手を振りながら町を後にした。イリスは姿が見えなくなるまで振り続ける。見えなくなると、イリスはそっと手を下ろした。アルセドはさり気なくイリスを自分に近づける。
「……宿で待とうか」
「そうですね」
アルセドに促されるままにイリスは宿に向かう。夜はまだ長い。体を冷やす前に早々と歩きだす。
そんな中、建物の影から金髪の青年がイリスらの方を見ているような気がした。不思議に思いつつも早めに宿に戻ろうとした。
* * *
足元に気を付けながら、歩き続けるクロウスとスタッツ。やがて湖の傍に紺色の建物を発見した。周りに警戒しつつも、裏口のほうに回る。
馬が何頭かいるだけで、誰もいない。スタッツは裏口を指で示す。特に誰が見張っているという訳でもなく、人の気配は感じられない。だがクロウスは顔を顰める。鍵が施されているようだ。それくらい当然の行為か、と思い少し愕然とする。
これでは中に入れない。意見を求めようとするが、スタッツは何も動じず裏口に近づく。そして、ポケットから先の細い金属を取り出すと、慣れた手つきで、鍵穴をいじり始める。唖然とするクロウスなどお構いなしに、すぐにガチャリという小気味のいい音が聞こえた。
「ほら、入るぞ」
「ああ……って、一体何を!?」
「俺を誰だと思っている。これ位出来なきゃ、商売になんないんだよ」
乾いた笑い声を出すしかなかった。何故あんなに情報が集まるのかが薄々わかった気がしたのだ。
静かに裏口を開けると、仄かに灯されている電球がぽつりぽつりと並んでいる。異様なまでに静かで、非常に恐ろしく感じる程だ。
「まずは、図書室」
ぽつりと呟くスタッツの声だけが頼ることができる。極力足音は鳴らさないように、気をつけて歩く。
しばらくして不意に別の足音が聞こえる。なるべく人とは出会わないように、静かに物陰に隠れた。研究員らしき人が、重そうな本を抱えて、何も気づかずにクロウス達の横を通り過ぎた。
首を伸ばし先の方を見ると、一つの部屋が見える。
クロウスとスタッツは目でお互いの意見を一致させると、さらに警戒しながら足を忍ばせた。部屋に近づきドアの上の方を見ると、“図書室”と書かれている。
周りを気にしつつ、ゆっくりドアを開けた。
そこには魔法管理局の書物部とはおよそ比べられないほどの小さな部屋が広がっている。壁の方に机が少しあり、本棚が奥の方まで続いていた。広さは入口から奥の壁がはっきりと見えるくらい。ぐるっと全体を見渡すが、人はいないようだ。
「少し調べてみるか」
スタッツはするりと部屋の中に入った。これまた慣れた手つきで本をざっと調べて行く。クロウスは外の様子に気を付けながら、入口で待機する。
この研究所に入ってから、何か不思議な感じがしてならなかった。心がえぐられるような感じがする。あまり時間をかけてはいたくない場所だ。こんな所に長時間いたら、精神的にもまいってしまう人もいるだろう。
少し考え事をしていると、本棚の間からスタッツは首を横に振りながら歩いてきた。
「特にここで虹色の書を解読しようとした様子は見られない」
「どうしてそんな風に言いきれるんだ?」
「古代文字を訳す時に使われる辞書に埃が被っている。それにこの図書室自体があまり使われていない。おそらくまだ書の封印は解かれていない。それに感じるだろう?」
「何を感じるって?」
スタッツはしまったという顔をする。
「そうだ。お前は魔法が使えないんだ。魔法のことに対して、気づけと言っても無理な話か。この研究所から強い魔力が感じるんだよ。常に膨大な魔力を使って無理矢理魔法を出している感じがな。おそらく書の封印を解く魔法だろう……。つまり虹色の書はこの研究所にあるのは間違いなさそうだ。まあ自然の流れを生かさず無理矢理解こうとしている人の魔法なんて、たかが知れているがな」
「無理矢理だと解けないのか?」
「いや解ける。だが時間はかかるだけだ。ひとまず他を回るぞ。そうだな、次は――」
「……待て、隠れるぞ!」
スタッツもすぐにクロウスの意図を察すると、ドアから死角にある所に急いで身を潜める。
男の話声が次第に大きくなり、廊下に反響している。そのおかげで、内容がはっきりとわかった。
「それにしても驚きだよな。まさかグレゴリオ様にお会いできるなんて」
「ああ。僕達は相当幸運に恵まれている。たまたま純血……、いや半純血の人を連れてきただけの時に」
「そうそう。でもどうしてグレゴリオ様はこんな研究所にいるんだ?」
「黒扉の奥で何かしていると小耳に挟んだ。まあ実験の一つだろう。僕達には関係ない。あまり下手に近づくと、手痛くやられるから」
「そういや酷く痛めつけられていた男が奥に連れて行かれるのを見たな。グレゴリオ様には会いたいけど、痛いのは嫌だからとっとと戻るか」
他にもぶつぶつ言っていたが、はっきり聞こえたのはそこの内容だけだった。だがその内容がクロウス達にとっては複雑な意味で大きな収穫だ。
「なあクロウス、グレゴリオって……」
らしくもなく冷や汗を微かに掻いている。そして信じられない顔をしながら目をやる。
クロウスはごくりと唾を飲み込んだ。言葉が微かに震えている。
「グレゴリオは、……ノクターナル島の影の支配者」
表にあまり顔を出さないが、グレゴリオはノクターナル島の兵士や研究員を仕切るトップに立つものだ。しばらくそこに属していれば顔は知らずとも名前は知るという、平の者にとっては雲の上のような存在。崇高する人も少なくない。
そんな人がこの研究所にいる――。
虹色の書がいかに重要なものかと再び頷ける時だった。
言いかえればクロウス達は非常に危険な地帯に踏み入ったとも言えなくもない。はち合わせたらただでは済まないだろう。大人しくグレゴリオが去るのを待つのが無難な選択だ。だが、それは別の意味を示している。
――虹色の書を諦めるということ。そして……。
思わず躊躇いが生じる。決して無理はするなと言われた。だが本当にこんな無理しなければならない状態になるとは思っていなかったのだ。
「クロウス、安心しろ。俺はお前に着いて行くからな」
呟かれた言葉が耳に入ると後ろを振り返った。何もかも悟ったような顔をしたスタッツが立っている。クロウスの胸の内はわかっているということか。
「だがスタッツ……」
「もう後悔したくないんだろう?」
スタッツは容赦なくクロウスを見据えた。
「まだやばい状態になったわけじゃない。そこら辺は臨機応変に対応するさ。クロウスも変なところで躊躇するな。優柔不断すぎる所がお前の悪い所なんだから」
クロウスは申し訳なさそうに頭を垂れた。そして正直な気持ちをすべて悟ってくれる青年に視線を向ける。
「行こう、黒扉へ」
黒扉は建物の中心の方にあった。途中で人に遭遇しそうになったが、使っていない部屋も多くあったためなんなくやり過ごす。
だが本当に正面衝突しそうな時もあった。隠れる場所もなく、仕方なく声を出されたら大人しくしてもらおうと思って構えていたが、まるでクロウス達の存在に気づいていないように、そのまま歩き去っていってしまった。目もしょぼくれていたので、疲れ過ぎて気を使う余裕がなかったのかと思われる。だがあまりにも覇気がなさすぎるのが、少し頭の中に引っ掛かっていた。
やがて歩みを進めると黒い扉が見え始める。焦る心に身を任せて、思わず走りだしたい衝動に駆られた。だがその前にスタッツはクロウスの肩を強く握り、それを制止する。
「クロウス、迂闊に入るなよ。焦りは禁物だ……!」
その言葉に、クロウスはぐっと歯を噛み締めた。今度は静かに扉に近づく。
ふと、奇妙なことに気づく。扉が若干空いているのだ。訝しげに思いながらも扉の前に辿り着く。そして意識せずとも見える隙間に目をやる。
その瞬間、クロウスの背筋が凍るような気がした。スタッツもその光景に眉を顰める。
「ど、どうして……」
「それはこっちが聞きたい!」
「早く治療しなくては! あの量じゃやばい」
「だからって、迂闊に……」
スタッツが止める間もなくクロウスは黒扉を通り抜けた。舌打ちをしながらも、スタッツはそのあとに続く。
白い部屋の中に、異質な色が床に広がっていた。真っ赤な血が――。
全身に無数の傷が広がっている血の主に駆けより、声を投げかける。
「おい大丈夫か、アルセド!」
必死に何度も声をかけると、アルセドはゆっくりと目を開けた。呻き声を上げながらクロウスを睨みつける。
「俺のことは……構わずに、逃げろ……」
「は!? 意味がわからない」
「わかれ……。罠だって……わかれ」
開いていた黒扉が勢いよく閉まった。スタッツはすぐに引き返し、黒扉を開けようとする。だが扉を叩いても、押しても、引いてもびくともしない。魔法を込めても全く動じない。スタッツは言葉を吐き捨てた。
「畜生! 閉じ込められた!」
アルセドは苦しい顔をしながら、微かに悔しげな表情を浮かべる。クロウスはどうしてこうなったのか理解できていなかった。そもそもどうしてアルセドがここにいるのか。アルセドがここにいるということは、イリスはどうなったのか。
ひとまずアルセドの出血を止めようと試みる。
その時、突然クロウス達が入ってきた方向と逆の扉が開かれた。そして一人の人間がクロウス達に向かって近づき始める。コツコツと歩く音が遮るものが何もない部屋全体に反響していた。
クロウスはその人物を見上げる。
見た瞬間、目を見開いた。開いた口を塞ぐのも忘れてしまう。この状況に出てくる人物ではない人が出てきたのだ。
黒く滑らかな髪を上のほうから結っていて、全体的に緑系でまとめた服装を着ている娘。
ずっと会いたいと思っていた人だが、この状況を嬉しいと思えなかった。不自然さを感じるのだ。
とても冷たい目をした人が目の前に近づいてくる。気がつくと、クロウスは震える中で呟いていた。
「君は一体誰なんだ?」
その人は淡白な声で答える。
「私はシェーラ・ロセッティ。グレゴリオ様に仕える者だ」
黒髪の娘は落ち着きを払い、淡々とした声を出す。再会の喜びも、恐怖や怯えといった様子も感じられない声。その言葉を聞いてクロウスは絶句していた。
シェーラはクロウスまで走ればすぐのところで立ち止まる。そして、どこから調達したのかわからない長剣を背中から抜き取り、クロウスに対して突きつけ静かに呟いた。
「グレゴリオ様の命により、邪魔者は排除する」