4‐6 複雑な心
そして時間はクロウスがスタッツ達と議論をし始めた次の日の夜に戻る。
その日の夕食後に、クロウス宛てに一本の電話が掛かってきた。
議論も終わり、個人ごとに準備をしていた時だ。掛けてきた相手は一人しかいないとわかってはいたが、若干緊張気味に受話器を受け取る。
「もしもしお電話代わりました、クロウス・チェスターです」
『クロウス君? 遅くなってごめんね。レイラです。元気かしら?』
「はい。体の方はゆっくり休めました。レイラさんも忙しいのでは?」
『忙しいのはいつものことよ。……そっちで一人亡くなったようね。そしてシェーラはノクターナル島へと渡ったと』
レイラは声を低くしながらも、はっきりと起こっている状況を冷静に見ようとしている。
「そうです。魔法管理局の人と聞きました。相手が悪かったとしか言いようが……」
『……事件部にいる以上、何が起こるかわからないものよ。彼の気持ちをしっかりこちらで汲み取りましょう』
黙祷するかのように少しだけ沈黙が続く。今までレイラは多くの人の死と立ち会ってきたのだろう。クロウスにひしひしと沈痛な気持ちが伝わってくる。
やがてレイラは自ら沈黙を破った。
『この二日間で、ダニエルや他の部長らと連絡を取り合った結果を報告するわ』
受話器の向こうから、ごそごそっと紙が擦り合う音が聞こえる。
『まあ、シェーラや虹色の書がノクターナル島のどこにいるかはっきりとわからない以上、可能性として高いと思われるナハトの研究所五つばかり当たってみることにする。事件部とゲトルさんの護衛の方たちをね。本当はそんなリスクの高いことはしたくないんだけど。クロウス君はそれの一つに加わるみたいになるかしら……』
「すみません、それに一つ提案があるのですが」
クロウスは間髪入れずにレイラに提案を求める。今回緊張している一つの理由として、絶対に反対されることで言いたいことがあったのだ。
「俺らで個人行動をさせて頂きませんか? レイラさんが考えている研究所の他に一つ気になる所があって、そこを調べたいのです」
『調べたいって言われても、一体どこの研究所なの?』
「ナハトから北の方にある、森に囲まれていて近くに大きな湖がある研究所です。確証はないので、裏から回り込んで中の様子を見るくらいに止める予定ですが……」
『そんな場所があるの?』
レイラの複雑な表情が目に見えて浮かぶのは容易だった。クロウスは努めて、落ちついて返答をする。
「俺も昔のことを何となく思い出した時に出てきた場所です。知名度は低い場所ですから気にすることありません。……それで了承して頂けませんか?」
最後の言葉が受話器の奥へと響く。比較的クロウスがいる側では騒がしい筈なのに、電話と繋がった所だけは非常に神聖なように感じる。
そして最初に聞こえてきたのは、深い溜息を吐く音だ。
『……例え止めたとしても、クロウス君は行くんでしょ?』
諦めに近い声を上げる。クロウスも敢えて否定はしない。その意味を受け取ると、ぽつりと言葉を漏らす。
『本当にシェーラはいい人から好かれたわね』
レイラからの突然の言いように思わず声を失った。そんなことを言われるなんて考えてもいなかったのだ。固まっているクロウスに対して惜しげもなく続けて行く。
『どういう経緯でシェーラに対して特別な想いを持ったかしらないけど、それはいいことだと思う。最近のシェーラを見て思ったけど、前より変わった。イリスちゃんのおかげもあるけど、やっぱりクロウス君のおかげよ』
妹を想う姉のようにそっと優しく諭す。
『だから私は止めない。きっとあの子もどこかであなたを待っているはずだから……』
レイラの言葉がクロウスの背中をささやかであるが確実に押してくれた。これからシェーラを救出することやシェーラに対しての気持ちに――。
「どうも……ありがとうございます」
『いえ、よろしくね。一つだけ助言をしておく。ダニエル部長らにそんなことを言うとカンカンになって怒るはず。橋の検問はもう終わっているって聞いたから、まあ上手く切り抜けて行きなさい』
「わかりました。適度に切り抜けます」
『それと行先はナハト北の大きな湖の近くね? いつ頃現地に着く予定かしら?』
「三、四日を見ています。ぎりぎりの範囲で」
『そう……。決して無理せずにね』
「レイラさんもお忙しい中、ありがとうございます。それでは、失礼します」
受話器を置くと、ほっと一息を吐く。レイラから反対されるのは覚悟の上で敢えて言ったが、予想に反して何もされなかった。
副局長という何事に対しても局のために動く立場と、一人の個人として親しき者を助けたいという立場が、今のレイラを苦しめているのかもしれない。それで思わずクロウスに対して裏の面を出してしまったのだろう。
部屋に戻ると、端の方で何やら怪しげなものを囲んでアルセドとスタッツが座っていた。イリスは面白そうにそれを遠目で眺めている。臭いからして何かを調合でもしているようだ。イリスは後ろを振り返り、クロウスを笑顔で出迎える。
「クロウスさん、電話はどうでしたか?」
「至って穏便に終わったよ。どちらにしても、朝ここを出ていくのには変わりない。ダニエル部長やゲトルさんには悪いけど、猛反対されるのは目に見えているから。……イリスやアルセドはここに残ってほしいって、散々言っているけど、ダメなのかい?」
イリスはきりっとした表情で、首を横に振る。
「最低でもノクターナル島までは一緒に行きたいです。研究所に関しては、足手まといになるならやめときますが……」
「そうか……。そこまで言われて研究所まで連れて行きたいのは山々だけど、今回は調査だからシェーラがいない可能性も大いにある。身軽に行きたいから、そこだけはすまん」
「いえ、大丈夫です。しっかり向こうの宿で留守番していますので」
少しも嫌そうな様子を見せずに返答をする。そういう姿は歳相応の受け答え方ではない。
自分で考え、皆に負の影響を与えるのなら自ら身を引く。そう言うのは大人でも中々できないのに、イリスは自然にやってこなす。それだから虹色の書を取りに行きたいと言った時には驚いたものだ。
少し視線を落とすと、以前ソレルの魔法を消した時に使った黄色い石をイリスがしっかり握っていた。
「その石、凄いよな」
視線が石の方に行ったのに気づき、少し切なそうに答える。
「この石が凄いわけではないのです。凄いのはこの石に詰まっている人の想いです」
「石に込められた想いか……。俺が持っているものにもそう言うのがあるよ」
クロウスは徐にポケットから橙色の石を取り出した。イリスの顔に驚きの表情が広がる。
「ど、どうしたんですか? その石」
「以前受け取ったんだよ。ただ持っているだけでいいから、大切にしてほしいって」
「誰……から?」
「この前ちらっと話題に出した旧友のエナタから。握っていると何だか温かい気持ちが伝わってくる。石なのにまるで生きている石のようだよ。それがどうしたイリス?」
イリスの表情は固まっていた。だがすぐにクロウスの言葉に対して、慌てて手振りも入れながら、首を横に振る。
「いえ、何でもないです。ただ私たちの石、どこか似ているなって」
「そうだな。……石か。そういや虹色の書にも赤い色の石が埋め込まれていたよな。結界を張る石と魔法を解く石、何か関係があるのか?」
「さあ、どうでしょうか。書を読まないとその関連性は掴めないでしょう」
困ったような顔をしながら、やんわりと受け流す。
沈黙が続いた所で、スタッツが口を得体のしれないものを片手に持ちながら近づいてきた。
「さて、簡単な打ち合わせでもするか。今日は早く寝なきゃいけないし」
アルセドが後ろの方で色々なものを袋に詰めているが、気に留めることもなく続ける。
「その研究所から近い町でイリスさんとアルセドは待機、そして大丈夫そうなら情報収集。俺とクロウスは研究所に忍び込む。無難に裏口から。馬小屋の近くに裏口があるんだよな」
「ああ。他の研究所なら何度か行ったことがあって、それから判断すると馬小屋用の裏口がある」
「そう言うことだ。常に臨機応変に行動するということで。まあ俺がいる限り変な行動はしないだろう」
自身を持って言いきる。クロウスは苦笑いをしながらそれに対して、肯定の意を示す。
スタッツは情報を得るために危険なところまで入って行くので、兵士だったクロウス並みかそれ以上に危険を察知するのには敏感だ。危険な場所に行くのにも躊躇いはない。共に行動するのは久しぶりだったが、クロウスにとってシェーラとはまた違ったよき仲間である。
「明日は日が昇る前にこっそりとノベレを出発する。昼過ぎにはノクターナル島に入れる予定だ。そんな感じでいいな?」
しっかり頷く三人。表情からは若干の緊張と、やる気に満ちた想いが伝わってくる。
やがて次の日の準備をするために一同は散会した。
早々に横になる人、いつまでも地図を見ている人、穏やかに本を読む人、外に出て夜空を眺める人。
それぞれの想いは絡まりながら、夜はすぐに更けて行く――。
薄暗い中、宿屋のドアが静かに開かれた。
動きやすい服装で、荷物も邪魔にならないくらいの量を持った四人は、まだ眠りに包まれている町を横目で見ながら通り過ぎる。行動は迅速にし、誰にも会うことなくノベレから出た。
ノベレからネオジム島とノクターナル島を繋ぐ橋までは、目の前に続く舗装されている道を歩けばいい。足元をランプで照らしながら、早々と歩いていく。黙々と足を進める中で、次第に辺りは明るくなり始めた。その光は少しだけ緊張を和らげるようだ。
途中で休憩も入れながらも、昼過ぎには橋に着いた。他の橋とは違って人の出入りが非常に少ない。クロウスにとって三年ぶりのノクターナル島入りだ。不思議な感覚に包まれながらも、橋を渡り切った。
ノクターナル島に足を踏み入れると、少しだけ顔を上げる。そこにはあまり栄養が行きとどいていない森が広がっていた。イリスは地面に視線を送る。
「島の端までこのような状態だなんて、中心の方では一体どうなっているのでしょうか?」
たまたま起こった気候の影響だろか、それとも魔法によるものだろうか。どちらにしても、先行きが重くなるのは目に見えていた。
ノクターナル島の道は殆ど舗装されていなく、馬が通ったあとの足跡を追うのが無難な行き方だ。だがそれでも凸凹しており、非常に歩きづらい。足を何度も引っかけ、荒々しく脇を通り抜ける馬を避ける。スタッツの誘導の元、研究所の近くの町に少しずつだが近づいていた。
さすがに一日で行ける場所とは言い難いため、途中で小さい町で一晩休むことにする。静かでいい場所と言えるが、その静けさは人工的に作られたもののようで、逆に不気味であった。
そんな中、宿に行く途中でアルセドの肩に男がぶつかってきたのだ。むっとしたアルセドに対し、男もガン付けながら睨みつけてくる。
「その態度は――」
アルセドが文句を言おうとする前に、頭を捕まれ、後ろから首を強く曲げさせられた。
「申し訳ありませんでした」
クロウスがアルセドと一緒に首を下げると、男はふんっと鼻を鳴らしながらその場を後にする。何かを言いたそうなアルセドを黙らせながら、簡素な宿屋に上がり込んだ。そして案の定、アルセドの第一声が飛び出す。
「どうしてこっちが謝るんだよ!」
肩を竦めながら、理由の分かるスタッツとクロウスは視線を合わす。そしてスタッツは息を吐き出した。
「あいつは兵士だ。この島では兵士の地位は上なんだよ。こっちに過失がなくても下手に突っかかると、あとで何が起こるかわからない。傷つきたくなければ、兵士に対してはすべて謙虚に接することだな」
「何だ、それは。横暴じゃないか!」
「それが今のノクターナルという島さ」
苦笑しながらもアルセドを宥める。未だに怒りが収まらないアルセドは、買ってきた食料を自棄食いし始めた。外に食べにはいかずに中でひっそりと食べている。下手に人目に付き、兵士といざこざがあってしまったら、非常に面倒なことになりえるからだ。
クロウスは買ったパンを齧りながら、暗くなった外を見渡す。
三年前とは明らかに状況は悪くなっている。息をするだけでも気分が悪くなるようだ。島全体を包んでいるある意味異様な雰囲気。兵士でもなく、研究者でもなく、優れた魔法の使い手でもない普通の人たちにとっては、生活するにも困難だろう。
どうすればこの状況を改善できるのか。よくよく考えると、上に立つ者は皆魔法がそれなりに使える。
――つまりカギとなるのは魔法か……?
一人物思いに更けながら、自分の故郷を遠い目をしながらぼんやりと眺めていた。