4‐1 雨の中(挿絵有)
お待たせいたしました! ようやく第4章が始まります。
よろしければ、引き続きお読み頂けると幸いです。
なお、4-1の冒頭に絵師かみおさまによる、第4章のイメージイラストを挿入しています。
絵師 かみおさま
あの日も雨が降っていた。
雨に打たれながら呆然としている俺に対して、彼女はそっと橙色の石を握らせた。
手が触れた際に感じた温もりから我を取り戻し、腕を伸ばして止めようとする。
だが微笑を浮かべつつも毅然とした態度に、それをするのを躊躇ってしまう。
そして立ち尽くしている俺を見ながら、ある一つの決心を彼女はしていた。
その決心に気づいた時は時すでに遅く、俺の目の前からいなくなってしまったのだ。
やがて、あれから三年が過ぎた頃、俺は彼女の雰囲気によく似た女性に出会った――。
* * *
クロウスとイリスが沈んだ表情をしながら洞窟から出てくると、黒い雲が空を覆い尽くし、雨が降っていた。そして馬が滴る雨を振り払いながら、乗せる主を待っていた。
だが行きと違い、一人少ない。
二頭の馬は時間をかけて項垂れる二人をゲトルの屋敷まで連れて帰った。時刻は次の日を回っている。
玄関では柱に寄りかかっているアルセドがいた。クロウスとイリスを見ると、雨に濡れるのにも構わず、飛び出してくる。表情は至って険しい。
顔を俯き、歯を食い縛っている二人を見て、さらに険しい顔をしながら眉を顰める。
「一体、俺がいない間に何があったんだ?」
二人を交互に見渡しながら、さらに嫌悪を深めた。
「……シェーラはどうしたんだ?」
その言葉を聞いてイリスは顔を手で埋める。そのことを聞かないで欲しいと言わんばかりに、拒絶の意思を表す。
見ていられないイリスをちらっと見て、すぐにアルセドは詰問する相手を見定めた。
「クロウス、シェーラはどうしたんだ」
クロウスは虚ろな目をしながら、アルセドに向けて顔を上げる。その目により、一瞬にして頭に血が上った。
アルセドは自分より、少し背の高い相手の胸倉をぐっと掴むと、怒鳴り散らすように言い放つ。
「答えろ、クロウス! どうしてシェーラがいないんだ!? どうしてイリスさんがこんなに苦しい顔をしているんだ!?」
辛うじてクロウスの口元が動く。
「ん? 聞こえない。もっとはっきり言え」
「――連れて行かれた……」
「は……?」
「だから、ノクターナル島の女に虹色の書を持てるからって、連れて行かれたんだよ!」
感情をむき出しにして、強く言葉を出す。アルセドの手を強くはたき、胸倉から手を外させた。そして視線を地に向けて、肩を上下させながら乱れた心を押さえようとする。
アルセドは唖然として、ひどく怒りを露わにしている青年を見た。出会って日は浅いが、そう簡単に感情を出すような青年ではないと知っている。だが、それは常に感情を押えていた結果だったのかもしれない。
玄関の扉が静かに開かれた。そこには沈痛な面持ちのゲトル、トルナ、そしてダニエルが不安を隠しきれない顔をして立っている。
「チェスター君、詳しい話を聞かせてくれるかね?」
クロウスは微かに首を縦に振った。そしてぬかるみの中を一歩一歩進み始める。
まだ、足取りは定まっていない。
入口に近い部屋の中で、クロウスはタオルでびっしょり濡れた全身を拭いた。顔についてはよけいに激しく拭く。
借りた服に袖を通し終えると、深く息を吐いた。さっきよりは幾分気持ちが落ちついている。だが、未だに濡れた服で過ごしているであろう人を思い出すと、胸は苦しくなるばかりだ。
着替え終わると、ゲトルの部屋の隣にある小さな会議室のような所に通された。一階では事後処理をしている治安維持の人や事件部の人がいる。客達はどうやら帰されたそうだ。
部屋の中にはゲトルとトルナ、そしてダニエルと側近であろう男が二人、そしてイリスとアルセドが待っていた。
手前の椅子にイリスと並んで座り、ゲトルとは対面する形となる。イリスの目の周りは赤く腫れていた。目の前には水が入ったグラスがあるが、飲む気にはなれない。
クロウスが何も飲まないことを判断したゲトルは、体を前乗りにして重い口をゆっくりと開いた。
「さて、単刀直入に言おう。ロセッティさんと虹色の書はどうしたんだね?」
イリスはクロウスをちらっと見てくる。クロウスは軽く頷き、ぽつりぽつりと答え始めた。
「シェーラはゲトルさんを襲ったノクターナル島の女に連れて行かれました。理由としては、その女が虹色の書を持つことができないのに、シェーラは持つことができたから。それで、シェーラに虹色の書を持たせて、連れて行ってしまいました」
「では、ロセッティさんは無事と言うことなのか?」
「女と激しく攻防していたので、怪我はあると思いますが、……まだ最悪の事態にはなっていないと思います」
その言葉を聞いて、ゲトルとダニエルの表情が仄かに緩んだ。だが、それとは対照的にアルセドの表情は硬い。クロウスに向かって質問を投げつけてくる。
「その女が虹色の書を持てないって、どういうことだ?」
「俺も遠目でしか見てないからはっきり言えないが、虹色の書には結界が張られていて、その結界は人によって効力がある人とない人があるみたいだ」
「つまり、女には効力があって、シェーラには効力がなかったのか。けどどうしてだ?」
「それはこっちが聞きたい。おそらく虹色の書はシェーラの局長さんが見つけたものだから、シェーラには効かないように結界とかを張ったんじゃないかと思う」
「そうなのか。それにしても、結界を張るなんてすごい人がいるんだな」
あまり魔法についての知識がないアルセドでさえも、結界の凄さは知っていた。
結界の種類にもよるが、魔法を使える者がいないところで魔法を持続的に使用し、結界を張るのは極めて難しいと言われている。
本来なら自分の手の届く範囲でしか魔法は使えないのに、手を離れた所で出すということは高位な使い手でないと出来ない。ましてやここ何年も継続的に、そして死後も続いているというのは、むしろそのようなことも出来る人がいるのかと思わず疑ってしまうほどである。
アルセドの感想に対して、誇らしげな顔をしてゲトルとダニエルは次々と答えた。
「セクテウスは相当な魔法使いだった。おそらくこの国で一番優れていただろう。私も何度か魔法を使う機会に立ち会ったが、凄い……の一言だった」
「局長の魔法は本当に無駄がないんだ。自然の現象を最大限使って、最高の魔法を使ってくる。結界も使えてもおかしくはない」
クロウスは改めて魔法管理局の局長プロメテ・ラベオツ、つまりセクテウス・ベーリンは凄い人であったと実感する。だが、それだけ凄い人であったのに、何故この世にいないのかと疑問が生じていた。
ゲトルはクロウスの方を見て、話を続けるように促す。
「ではあの後の出来事を詳細に教えてくれるかね?」
気持ちの整理がつかないまま、まだ鮮明に脳裏に映っている数時間前の出来事を、できるだけ簡潔に話し始めた。
話し終えると、クロウスは喉がからからだということに気づく。グラスに手を付け、一気に水を飲み干した。
周りを見ると、皆はさらに表情を暗くしている。アルセドに関しては顔を引き攣っていた。
「な、なんだよ、その女。あのシェーラをそんな簡単にあしらったのかよ」
シェーラを他の人と比べて断トツに強い人だと思っている者にとっては、衝撃的なことだった。だがダニエルは予想外の言葉を漏らす。
「シェーラは風の刃を出したのか?」
「そうです。一瞬で出して、攻撃したんですが……」
「相当魔法を出して、疲れきった後にだよな?」
「肩で息をするくらいまで、疲れていました」
「そうか。ありがとう」
若干青ざめているのが何となくわかる。それはまるで子を心配する父親にも見えた。シェーラは何だかんだと言っても、ダニエルのことを好いている。ダニエルもおそらく、彼女のことを大切に思っているのだろう。
「だがロセッティさんはどうして逃げなかったのか。無理だと悟ったら引き返すように言ったのに……!」
ゲトルが悔しそうな顔をしながら、拳を握り締める。
「――私たちがいたから」
クロウスはこの場で初めて声を出す、イリスの方に振りかえった。蒼白な顔をしている。か弱い少女がさらに小さく見えた。
「私たちがいなかったら、こんなことにならなかったかもしれない。一人なら逃げきれたかもしれない。もしシェーラさんがあの人にすぐに従わなければ、私たちを攻撃しようとした。それを避けるために……」
「おいイリス、落ちつけ……」
思わず小刻みに震えている少女を制止する。だがイリスは目に涙を浮かべながら続けた。
「結局私はシェーラさんの足手まといになってしまったのよ! こんなことなら、行くなんて言わなきゃよかった……」
目からは大粒の涙を流し始める。アルセドがイリスのすぐ傍に座ると、彼女は彼の胸に顔を埋めながらひたすら涙を流し続けた。
クロウスはそんなイリスが見ていられなかった。
イリスよりも自分の方が責められる立場なはずだ。イリスを守ると言いながらも、あの時はイリスどころか自分の身も守ることができないと状況だった。いくら剣の腕が優れていようが、巨大な魔法の前では対抗するには限界がある。それを悟ってのシェーラの行動だったのかもしれない。
果たしてあの時の行動は正しかったのか。
ただ耐えるという行為が正しかったのか。
しかし、シェーラはただ耐えることを望んでいたようだ。
だが、一つ気になることはあの時の目――。
そんな思惑が浮かんでいるクロウスをよそに、ゲトルは話をまとめるため、二回ほど手を叩いてみんなの気を引かせた。
視線が集まったところで話し始める。
「さて今後の問題としては、ロセッティさんと虹色の書を如何にして助け、手に入れるかと言うことだ。これに関しては……、情報をしっかり集めて、慎重にことを運ばなければならないと思う。結界を解除するまでは、おそらくロセッティさんの身の保証は大丈夫だろう」
「その結界を解除するには、どれくらいの時間を要するかわかりますか?」
魔法に関しての知識があまりないクロウスはその内容に反応する。
「正確な時間は言えないが、セクテウスの結界のことだから、最低でも一週間はかかると思う」
「それではそれまでにシェーラの居場所を突き止めて、救出するということになりますね」
「そうなる。居場所については、ノクターナル島の関係している施設を私の情報網から探らせる予定だ」
その言葉の後に、ダニエルがすっと手を挙げる。
「ゲトルさん、魔法管理局の方でも掛け合って探らせようと思うのですが、どうでしょうか?」
「それは助かります。私の方からもお願いします」
ダニエルはメモ帳に走り書きをすると、側近の一人に渡した。渡された側近はメモを読み、すぐに部屋を出て行動に移した。
ゲトルは、クロウス、イリス、アルセドに対して少し表情を緩めながら見る。
「チェスター君達にはひとまず休んでおいて欲しい。この雨などで相当疲労が溜まっているはずだ。情報が入り次第、追って連絡をする」
「こんなときに休んでいられるか! 俺も何かを――」
アルセドはゲトルに対して声を張り上げる。だが、ゲトルは表情を一転して、きつい表情をした。
「これは島同士の問題にも発展しうる。それをまだまともに世の中を見たこともない君たちに、何ができるんだ!?」
その威圧に圧倒され、声が詰まってしまい言い返せなかった。クロウスは固まっているアルセドに視線を送る。
「アルセド、俺も色々と整理したいから、今日の所は宿に戻ろう。焦っても何もいい事はない」
「クロウス……。けど、こうしているうちにシェーラは……」
「今は休もう」
有無を言わせぬ口調で、アルセドの発言を止めた。クロウスが立ち上がると、アルセドはイリスを支えながらそれに続く。
「お先に宿の方で休ませて頂きます」
「ゆっくり休むと良い」
踵を返して、ドアに近づこうとした。ふと、ダニエルは思い出したように声を投げかける。
「こっちからも連絡は入れるが、あとでサブにも連絡を入れといてほしい」
首を少し動かして、依然浮かない顔をしているダニエルを見た。
「わかりました」
クロウスははっきり返事をして、ドアをゆっくり開けた。
雨音が屋敷のホールに響いている。
雨はまだ止みそうにない。