3‐11 夜の底に
パーティが始まる一時間程前、警備の人々は自分達の配置に着き始めていた。日は暮れ始め、少しずつ辺りは闇に落ちている――。
クロウス達以外にも、元からゲトルの護衛をしている人達や、町の治安維持をしている人など全部で二十人くらいの人が集まっていた。ゲトルはノベレでも影響力のある人物の一人であるため、あまり大きくはないパーティにしても、それなりの警備が付いている。
クロウスとアルセドは大広間の端の方にいた。いつものラフで動きやすい格好とは違って、今日は窮屈そうにネクタイと黒いスーツを着ている。
アルセドは首が苦しいと言い、すでにネクタイを外して首周りを楽にしていた。だが、クロウスは涼しい顔をして立ちながら、長年使用している剣を腰に付けている。
アルセドはそんなクロウスをまじまじと見た。
「クロウス、お前ってこういう格好も似合うんだな……」
「ありがとう。アルセドもきちんと着ていれば、似合うと思うが」
「俺は片っ苦しいことは嫌いなんだよ。今日だけは仕方なく我慢してやる。それにしてもイリスさん達は遅いな。まだ支度しているのか?」
アルセドは入口の方をちらっと見る。そこには料理を運んでいる料理人や、見回りをしている警備の出入りしかない。
さすがに遅いなと思っていると、このパーティの主催者であるゲトルが近づいてきた。
「こんばんは。今日はよろしく頼むよ」
ゲトルが手を差し出したのを、クロウスは両手で握る。
「こちらこそ何かあった時には全力を尽くします。まあ何事もなければいいのですが」
「そうだな……」
「何か心当たりでもあるのですか?」
ゲトルの浮かない顔にクロウスは気にかける。
「いや、大丈夫だ。まさかこんなに人が大勢いるところで、現れはしないだろう」
「一体、誰を――」
クロウスが口を開こうとしたときに、大広間にいた人達から感嘆の声が上がった。
何事かと思うと、入口から気恥かしそうにドレスを着ている二人の娘が現れたのだ。
クロウスは声を失い、その場で硬直する。アルセドも見とれていたが、かろうじて声を発した。
「き、綺麗だな、イリスさんにそれにシェーラも」
シェーラとイリスは目でクロウスとアルセドを探している。そして見つけると早歩きで近寄って来た。
イリスは薄い桃色のふんわりとした生地出来ているドレスを着ている。肩は丸出しであるが、二の腕から手先までは同系色の手袋で覆われていた。所々レースであしらわれている。
髪は何も結ばず、美しい亜麻色の髪がドレスに流れていて、品のいいお嬢さんという感じが瞬時に浮かぶ。
一方シェーラは緑を基調としたドレスで、引きしまった腕を露わにしている。生地を無駄なく使い、ふんわりというよりもぴしっとした感じがした。
腕にはいつもの腕輪が付けられている。黒色の髪はひとまとめにしたのを上の方で結ばれており、その結び目には、クロウスが上げた髪飾りが刺さっていた。
そしてほんのり薄く化粧をし、落着きを払っている姿からでは、普段活発に動き回っている彼女とは想像できなかった。
アルセドは目を輝かせながら、二人を見つめる。クロウスはまだ硬直したままだ。
ようやくクロウス達の元に辿り着いたシェーラは困ったような顔をする。
「そんなに見るものでもないでしょ。……やっぱり変よね。着替えてくるかな」
クロウスは慌てて首を横に振った。
「い、いや、いいよ」
「何が、いいよ?」
「……着替えなくてもいい。似合って……いるよ」
やっとの思いで視線を逸らしながらも口から言葉を出す。額に微かに汗をかいているのを感じていた。
シェーラはそんなクロウスを見ながら微笑を浮かべる。
「ありがとう」
それだけ言うと、シェーラは後ろの方で微笑んでいるゲトルに挨拶しに行った。
どうにか動悸を押さえながら、クロウスは周りを見回す。警備をしている人はシェーラとイリスの出現により、視線をこちらの方に向けている。
横を見れば、アルセドがイリスを口説き倒そうとしている。だがイリスはいつものように軽く受け流していた。
何だかとんでもないことになったと思いながら、近くの壁に寄りかかる。シェーラ達への視線から、こちらに向けられる視線が少々痛い。
そんな時、突然横の方から呼びかけられた。
「ねえクロウス、隣いい?」
「ああ、いいけど」
その言葉を言いきって、クロウスは目を丸くする。
そして横の人物をはっきりと見る前に言葉を漏らした。
「エナタ……?」
「え? 誰その人」
クロウスはすぐに口を手で覆って、横にいる可憐な娘を見た。シェーラはぐっと右手を握りながら、戸惑いの表情を浮かべている。視線を下に落とし、口を噛み締めながら声を絞り出す。
「違う、何でもない……。ちょっと顔を洗ってくる」
沈痛な趣のままクロウスはシェーラから視線を逸らし、急いで離れる。
その様子をシェーラはぐっと胸の前で手を握りながら、出てくる気持ちを必死に抑えていた――。
ゲトルの挨拶が終わると同時に立食パーティが始まった。外はもう真っ暗である。
女性は皆ドレスを着ており、男性陣も正装の服だ。色取り取りのドレスが目に映る。ふんわりとした真っ赤なドレスを着ている人や白っぽいシンプルなドレスを着ている人、地味に黒のドレスだが深いスリットを入れている人などが様々な人がいた。
嫌々言っていたシェーラだが、それなりに充分溶け込んでいる。
パーティというよりは、お互いの情報交換の場のようだ。そちらの売り上げはどうだとか、これからもよろしく頼みますなど。このような話しやすい場ではお互いの本音が出やすいというものだ。
イリスはアルセドと一緒にジュースを片手に、二人で会話に華を咲かせていた。いくら可愛いイリスとはいえ、その仲のいい雰囲気からは誰も手出しができない。
一方シェーラはクロウスからさりげに離れ、大広間の隅の方にちょこんと立っていた。美しい女性が一人だということに目を付けて、独り身の男達は何気なく話しかけようとする。だがシェーラはやんわりと受け流す。
点々と歩きまわり、ようやく落ち着ける場所に来ると、ジュースを喉に通し一息吐いた。
「お疲れですか?」
黒い地味なドレスを着ているトルナが寄ってくる。
「ええ。慣れないことをしていますので。ゲトルさんはいつもこのような会を?」
「年に一、二回程度。損得なしに交流できる場を作りたいとおっしゃって始めたのです。まあ、今は損得なしにとは言い切れませんが」
トルナは横目で商談の話をしている男達を見る。残念そうな横顔からトルナの気持ちが伝わってきた。それに対し、少しでも話題を変えようと質問をする。
「一つお聞きしてもいいですか?」
「答えられる範囲なら」
「私達の局長とゲトルさんはどれくらい交流があったのですか?」
少し考える間を置き、トルナは丁寧に返答してくれた。
「正確な時期は覚えていないけれど、私がゲトルの秘書になる前からは交流があったそう。十年以上前からはあったと思うわ」
「そんなに前からですか!?」
「ええ。ゲトルにとっては本当に損得なしで話せる間柄だったと聞いているわ」
「そうですか。ありがとうございます……」
シェーラはもうゲトルとは顔を合わせられない気がした。そこまで仲が良かった二人。どちらかに何かがあれば、酷く落ち込むだろう。表情が暗くなっているシェーラをトルナは気を遣わす。
「あまり暗くなってはせっかくのドレスが台無しよ。何か引っかかることがあるのなら、早めに解消した方がいいのでは? そう、彼とか」
他の警備の人と話しているクロウスへ視線を少し向ける。シェーラはさっと表情を隠しながら、たどたどしく答える。
「いえ、別に引っかかっているわけでは……」
「そう。なら呼んでもいいわね。慣れないパーティに女性が一人でいたら、誰だって狙ってくるわよ。――チェスター君!」
シェーラが止めようとする前にトルナは呼んでいた。クロウスは警備の人に一礼をして、トルナ達の方に駆け寄ってくる。
「なんでしょうか、トルナさん?」
「彼女のこと、きちんと付添いなさい」
トルナは笑顔の裏に有無を言わせない言い方で、クロウスにびしっと言う。
「それじゃ、私はゲトルの補佐に回るわ。どうぞ楽しんで」
手を軽く振って、トルナは早々にシェーラの元から去って行った。クロウスは頭を傾げながら、彼女の言動に対して不思議に思う。
「よくわからないな、トルナさんって」
「そうね……」
「グラスが空になっている。何かもらってくるか?」
「ええ、お願い」
シェーラはクロウスにグラスを渡し、近くのテーブルに行ってジュースをもらってくるよう頼む。
その間、一人ぽつんとしていると男がにやにやしながら言いよってきた。
「彼女一人なの? 俺と少し話さない?」
「いえ、連れがいますので。それに仕事が忙しいので、お付き合いできません」
「お連れさんが見えないけど……。今日は仕事なんて忘れてぱーっとやっちゃおうよ。お酒は飲める?」
「あ、連れが見えました。では失礼いたします。パーティの方を楽しんでください」
このまま逃げるように後を去れば誰も追ってこない。だが、この男は少し違った。逃げようとする前に、手首をがっちりと握られたのだ。
さすがのシェーラも嫌悪を露わにする。
「怒った顔も可愛いね」
追い打ちをかけるようにその言葉が地雷を踏んだ。シェーラは自分がドレスを着ていて、可憐な女性になっていることも忘れ、一発お見前しようとする。
だが、背後から低い棘のある声がしてきた。
「俺の連れに何かようか?」
振り返らなくても、シェーラはその声の主がわかっていた。
男は戸惑った顔をする。そして、「し、失礼します」とだけ言って、その場を急いで後にした。
「こんなに綺麗なシェーラを迂闊に一人にさせてられないな」
クロウスは悪戯っぽく笑いながら、グラスを差し出した。
「別にあんな人、蹴りを一発すれば逃げるわよ」
「おい、その格好でそれはないと思うが。せっかくのドレスが台無しだろ」
「いいじゃない。人が何をしたって」
シェーラはグラスの波面から自分の顔を直視した。
頬が赤く浮かない顔をしている。そして鼓動の速さが普通ではないことが、意識しなくてもわかった。
気持ちとは裏腹な言葉が出てしまう。それに敏感に反応したクロウスは怒ったような顔をする。
「その言い方は……、失礼じゃないか。心配しているのに」
シェーラはクロウスを真正面から見据えた。その表情にクロウスは一瞬たじろいでいる。なぜならシェーラが歯を食いしばりながら、泣きそうな表情を浮かべているからだ。
「だって他人でしょ? どうして干渉されなきゃならないの」
「他人でも特別な他人なら、それなりに干渉する権利はあると思う」
「特別な他人ですって!? それは、私が、私が――――」
震える声を絞り出して言葉を続けようとしてしまう。
だが喉を潰して、次の言葉を言わせなくさせたかったのも真実である。
言ってしまえば、まるで自らの首を絞めるかのような行為をしたのと同等のことをしたことになるだろう。
しかし止めようとするのが間に合わずに、無情にも続けて言ってしまう。目には薄っすら涙を浮かべていた。
「私が……エナタさんに似ているから、そんなに干渉するの?」
シェーラの肩を握ろうとした手が止まった。予想外の言葉を聞いて、クロウスは思わず目を大きく見開く。
「私がその人に似ているから、あの時助けたの? その人に対して何か悔いが残っているから、代わりに私を……?」
「ち、違う、シェーラ。そう言うわけじゃ――」
慌てて答えようとしたのは、逆に今のシェーラにとっては逆効果だった。
噛みつくようにクロウスに言い放つ。決して言わないと心に留めていたものまで、止めどなく流れて行ってしまう。
「じゃあエナタって人は誰よ。どうしてクロウスはこんな所まで私に着いてきたのよ。魔法管理局に入ろうと決めたのだって、その人の言葉とかがあったからでしょ」
「それは……」
「否定しないんだ。そうなんだ。私がクロウスにとって大切な人に似ているから、今までこういう風に大切にしようと接してきたのね。そうじゃなきゃ赤の他人のために、崖から飛び降りたり、勝てそうにない相手に勝負を挑もうなんて、考えられないわよ」
シェーラは、はあはあと呼吸を乱しながらクロウスを睨む。せっかくの化粧は台無しだった。
俯いたまま何も反論しようとしない。だが最後の方になって徐々に眉が険しくなっていった。
泣きそうになりながら言いきったシェーラは踵を返して、パーティの雑多の中に行こうとする。
それを、顔を上げたクロウスは叫びながらシェーラの腕を掴もうとした。
「シェーラ――――」
その時激しい音を立てて、大広間のガラスが割れた。