3‐6 圧倒的な差
セクチレはノベレ付近で売られている――。
スタッツからそう言われたクロウス、シェーラ、イリスは、翌朝急いで宿に戻り、支度をし始めた。早朝に出発するハオプトからノベレ方面の馬車に乗るためだ。
クロウスは夜遅かったが、酒の量も許容範囲だったので、いつも通り起きれ、行動出来ている。だがシェーラの様子が少し奇妙だった。そう、クロウスの視線からを避けているような感じなのだ。
やがて三人が支度を終えて外に出ると、そこに立っていた人物を見て唖然とした。
その人物は三人に背を向けているため、まだ出てきたのを気付いていない。シェーラは人差し指を唇の前に付け、静かにその人物から避けるような仕草をする。イリスが思わずそれに対して反発しようとしたときに、その人はシェーラ達の方に振り向いた。
「あ、イリスさん達! よかった、まだ行っていなかったんですね」
シェーラはクロウスにも聞こえるくらいに、しっかりと舌打ちをした。そして何気ない表情で、簡単に答える。
「今から行くのよ。それで君は何の用で来たのかな?」
外に立っていた人物――アルセドはシェーラの微妙な変化にまったく気付かないで、いつもの調子でしゃべり倒す。
「スタッツさんから頼まれたんですよ。『ノベレに案内をしてやれ』っと」
「ノベレまでなんて馬車に乗れば着くじゃない」
「ノベレの内部はわからないですよね? ですからご案内します」
シェーラが何かを言う前に、アルセドは急に寄ってくる。そしてイリスの手からカバンをさっと取った。さすがのイリスも驚く。
「あ、あの……」
「重たいですから、お持ちします。では馬車の方へご案内しましょう」
アルセドはイリスの横にいるクロウスとシェーラに構わず、さっさと歩って行ってしまう。手持ちぶたさになったイリスは自分の荷物を求め、慌てて追いかける。クロウスは不機嫌なシェーラを行くように促した。
これはまた厄介な旅になりそうだなと、クロウスは薄々感じるのだった。
今日も朗らかな陽気だ。馬車の進行方向には青々とした緑が広がっている。町の中と外では手の付け方が違い、町から離れるにつれて、手入れがされていない草が延々と生えていた。
馬車では商人が二人だけ同乗しただけで、予想以上に少ない。
そんな中で、四人は向かい合うように座った。イリスとアルセドで並び、シェーラとクロウスで並んでいるが、気持ちその間が空いているようだ。
馬車の中ではもっぱらアルセドがイリスに話しかけている声だけが聞こえている。イリスは人見知りが和らいだようで、割と以前よりも受け答えがはっきりしていた。
「ネオジム島は、割と他の島よりは物価が高いらしいけど、珍しいものがそろっているんだ」
「そうですね。何件かお店を周りましたけど、見たことのないものばかりでしたよ。それに人の量もすごいですね」
「様々な人が色々な所から来ているから、いつもあんな感じなんだ。けど、ノベレはここまで多くないから」
話をしている二人は至って楽しそうだ。
一方、シェーラは布で覆われた馬車の隙間から外を見たりしていて、クロウスに話そうという素振りさえ見せない。さすがに変だと思い始めたクロウスは、こちらからさり気なく言葉を投げかける。
「シェーラ、疲れているのなら寝たらどうだ?」
「そうね」
「外から何か見えるのか?」
「草」
「アルセドが話し倒しているが」
「もういいや」
「……会話が成り立っていないぞ」
「眠いから寝る」
そう言うと、シェーラは腕を組み、瞼を閉じてしまった。
アルセド以外のことで特に変わったことはないから、昨日も遅かったし、本当に眠いのだろうとクロウスは勝手に解釈をしてしまう。
だが未だにクロウスは、自分の言葉によって、様子がおかしいなど気付いていなかった――。
しばらくは馬が地を駆ける音と、アルセドとイリスの喋り声だけが馬車の中を満たしていた。
だが突然、シェーラは目を開けた。そして眉を寄せて、外をちらっと見る。
その様子に気になり、クロウスも外の様子を見ようと、シェーラを上から覆いかぶさるような格好になる。
シェーラは後ろの気配が気になり、少しだけ首を横に動かすと、すぐ近くにクロウスの顔があるのに気づく。あまりに近すぎるので、一瞬にして顔は真っ赤になる。そして驚きすぎて、クロウスの腹に向かって肘鉄を食らわしてしまった。
クロウスはくぐもった声を出しながら、腹を押さえて座り込む。
「と、突然何をするんだ……」
「ごめん。ついびっくりしちゃって」
シェーラは脇に出ている髪を掻きながら、顔を伏せて謝る。顔の色を悟られないように気をつけながら必死だ。鼓動が速くなっているのが、明らかに自分自身でわかっていた。
そんな奇妙な様子を不思議に持たれないように、視線を逸らし再び外を見ようとする。
しかし何の前触れもなく、馬車は急停止した。
あまりの急さに一同は態勢を崩してしまう。アルセドに関しては面白いように前に転がり込んだ。
シェーラはすぐに顔色を変えて、外の様子を探ろうと目を光らせる。そこには仕事中での真剣な顔つきに変わっていた。
「突然何だよ……」
頭を押さえながら、舌打ちをするアルセド。他の商人も喋りはじめた。
「おい、危ないじゃないか。怪我でもしたらどうする気だ!?」
「外に出て、文句を言ってやる」
頭に血が上りながら、商人の一人が外に出ようとする。だがそれをシェーラは止めた。
「待ってください。外の様子がおかしいです。少し待ちましょう」
「お嬢さん、何の根拠があってそんなことを……」
「聞こえませんか? 話声が」
一同は静かにし、外から聞こえてくる話声に耳を傾けた。
ざわざわしている。何が話されているのか、よく聞き取れない。だが、断片的に聞こえてくる。
「あなた達……何者です……え……商人を……ですよ」
「……だから……大人しく……ないのか!?」
「いい加減……どいて……」
「そういう……では……しくしてもらおう」
次の瞬間、鈍い音と同時に男の悲鳴が聞こえた。
そして地面に倒れこむ音。
それを聞いたシェーラは、クロウスが彼女を静止をする前に、馬車から飛び出した。
シェーラが飛び出した先には馬を動かしていた、緑色のベレー帽を被った中年の男性が一人、腕を切られ、悶えながら横たわっている。
そして顔を正面に向けると、胸当てなどをした男が八人群がっていた。突然中から女が出てきたものだから、驚いている人もいる。皆、腰には長剣を携え、先頭にいた男が持つ剣先からは血が滴っていた。
「あなた達は、一体何者?」
必死に殴り倒したい衝動を抑えながら、シェーラは相手の出方を窺う。
血で汚れた剣を持っていた男は、血を払いのけて鞘に収める。そして、上目づかいでシェーラを見下ろした。
「俺たちはノクターナル兵士だ。ネオジム島は様々な人が行き来するから、その取り締まりのためにこうして話を聞いている。だが、この男が話そうとしないから、話せる様にさせた」
「ノクターナル島の人にそのような取り締まる権限はあるのかしら?」
「この道をひたすら進めば、ノクターナル島に着く。もし妙なものを持ち込まれたら、こちらも大変だから、それを未然に防ぐためにこうしてやっている」
本当にノクターナル兵士は口が達者な人ばかりねなどと、今の会話に対して感想を抱く。
そんなことは置いといて、なるべく愛想のいい顔をしながら会話をする。
「そうですか。では、私達はノクターナル島ではなく、ネオジム島にある途中の町までしか行かないので、ここは通り過ぎてもいいですよね?」
「いや、そういう訳にはいかない。たいていノクターナル島に行くやつらは、自分から行くなんて言わない。一通り、荷物と身体検査くらいしてもらおう」
「その前に怪我人の治療をしてもいいですか?」
「そいつは逆らったんだ。後でいいだろう」
鼻で笑いながら、じりっと男たちはシェーラに近づく。だが、そんなものにも動じず、シェーラは神経を研ぎ澄ませながら、静かに事務的口調で言う。
「……他の島で、許可もなく危害を加える。いいでしょう。罪もない人を傷つけたということで、こちらも強硬手段に出ます。運が悪かったと思ってください」
次の瞬間、シェーラはその場から飛びのいた。しばらく様子を見ていたクロウスもそれと同時に馬車から飛び出す。
そして、シェーラは八人いる兵士達の後ろに降り立ち、クロウスは彼らの前に立つと剣を構えた。
すぐにシェーラは振り返り、そのまま背を向けている兵士に向かって蹴りを後頭部にお見前した。兵士は力なく、前に倒れこむ。
それを合図として、兵士達はシェーラとクロウスに斬りかかった。
「外が物凄く騒がしい気がするんだけど」
アルセドや商人達は外から聞こえてくる、剣と剣が交り合う音や人が地面に倒れる音など、普通に生活していたら聞かないであろう音に疑問を投げかける。一方、イリスは平然として座っていた。
「大丈夫ですよ。罪もない人を斬りつけたりするから、こういうことになっているだけです。安心して、待っていましょう」
「安心してって、言われても。イリスさんは意外に肝が据わっているんだね……」
「シェーラさんとクロウスさんは強いですから」
イリスの目には一点の曇りもなく、信じ切っている表情だ。アルセドは正直二人のことがよくわからないので、イリスの様な気持ちにはなれなかった。ただ、漠然とした不安が心の中を漂っている。怖いのだろうか、微かに手が震えていた。
そして、その不安はすぐに的中する。
突然、がばっと馬車の中と外を繋ぐ布が開いたのだ。そこには目の辺りが大きく腫れあがった兵士がいた。息遣いは荒く、馬車の中を見渡す。
「はあ、はあ……。なんだ、まだ中にこんなにいたのか。ひと先ず、手っ取り早く人質を捕って――」
兵士の視線の先には、イリスがちょこんと座っていた。さすがの彼女も次の兵士の行動に予測がつき、若干身構える。
アルセドはその視線に気づくと、震える手を必死に動かして、声を上げながら兵士を殴ろうとした。だがいとも簡単にあしらわれて、イリスの傍に弾き飛ばされる。アルセドは飛ばされた衝撃で頭を打ってしまった。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫。無駄に体だけは丈夫だから……。イリスさん、早く逃げて……」
「いえ、逃げません」
イリスははっきりと言うと、馬車に登ろうとしている兵士を睨む。そして、右腕を真っ直ぐに伸ばし、掌を地面に向けた。
数秒後、小さな地震が突然起こり、急に出てきた土の塊に兵士は押し上げられてしまう。
その様子に一同は目を疑った。そうこうしているうちに、あっという間にアルセド達の視界からは兵士がいなくなってしまう。
アルセドはぽかんと口を開きながら、イリスの方にゆっくりと首を動かす。
「今のは、イリスさんが?」
「はい。少し土の魔法を使っただけですけど。それが何か?」
悪気なく、首を傾げる。アルセドは首を微かに横に振りながら慌てて言う。
「いや、ただ凄いなって」
「私なんか、凄くないですよ。お二人の方がずっと凄いです。――外、静かになりましたね」
イリスが言った通り、いつの間にか外の喧騒は聞こえなくなり、静かになっていた。
そんな中シェーラがひょいっと馬車の中へ顔を覗かした。イリスを見るなり、すまなそうな顔をする。
「ごめん、兵士がそっちに行くのを防げなくって。大丈夫?」
「アルセドさんが頭を打ったくらいです。来た兵士は魔法で追い払ったんですけど……」
「そうね、きれいな土の塔だったわ。それよりも私の鞄から応急処置セット取って。馬車のおじさんが斬られちゃったの。命に別状はないけど」
イリスの顔がすぐに曇った。言われた通りに鞄から取り出し、シェーラに手渡した。
「あの兵士さん達はどうなったのですか?」
「一通り懲らしめて、今クロウスが縄で縛っている。あとは張り紙でもして、道の真ん中に置いとけば死にはしないでしょ。一日に何度か見回りの人が通っているらしいから、それに見つけてもらおうと思っている。今はそれよりもおじさんをきちんとした所で治療を受けてもらわなきゃね」
身を翻すように颯爽と行ってしまった。イリスの顔は少し複雑そうだ。
アルセドは恐る恐るイリスに尋ねる。
「あの二人は一体何者なんだ? あの兵士達を全員倒したのか? それにイリスさんだって普通の魔法使いじゃないよね?」
「私は他の人よりも少し魔法の血が濃い、ただの村娘ですよ。二人を何者って言われても、何て言えば……。以前、私をノクターナル兵士から、守ってくれた方々です。後で聞いた話ですけど、その際に二十人くらいの兵士に対して動けなくさせたそうです」
にこりと微笑む姿にアルセドは思わずでれっとしてしまう。
だが今の会話で、ある事実がアルセドの中に植えつけられた。
――この三人と自分には決定的な力の差がある、と。