3‐5 記憶の片隅
骨董品アンチクエを後にし、再び大通りに戻ってくると人が溢れ始めていた。小さな子供から大人まで様々な人でざわついている。
宿に戻って休んでもよかったが、せっかくだからということで、シェーラとイリスは少しだけ店を巡ることにした。クロウスも仕方なくそれに付いていくことにする。二人だけでも特に問題はないのだが、こんなに不特定多数の人と接触する場所では離れるべきではないと思ったからだ。
後ろを歩いていたクロウスは、楽しそうなシェーラの顔と驚いているイリスの顔を眺めていた。普段の戦闘での険しい表情は微塵もない、普通の女の子の表情だ。その顔がクロウスへと向けられる。
「クロウスは何か欲しいものとかないの?」
「これといってはない。旅していると、無駄なものは買わなくなるから。敢えて言うなら、ワインが一本欲しい」
予想外の単語にきょとんとするシェーラ。
「ワイン? クロウスって、お酒飲む人だったの?」
「嗜み程度には飲むよ。スタッツが好きで、よく二人で飲んでいたものだから」
この国ではお酒を飲める年齢は特に決まってはいない。だが体の成長と比較しながら、大体の人が十八歳前後くらいから飲み始める。好き嫌いや体質などもあるから、一概には言えない。
「そうなの。今夜はゆっくりと久々の再会を楽しむんでしょ。買ったらいいじゃない。どこのお店がいいとかあるの?」
「特にないけど、スタッツが好きな銘柄は知っているから。まあ、重いから後でもいいよ」
「それもそうね」
人が騒々しくいるところで、三人は他愛もない会話をしながら歩き回る。
シェーラが武器屋へ行こうという発言から、むさ苦しい店長の店に入ったり、イリスはイリスで、変わった本が見たい、ということで年齢がかなり高い老人が経営している古本屋に入ったりと、色々と変わった店へと入っていった。
クロウスは行く場所に何も口を挟んでいない。だが傍から見れば、男が武器屋に行こうと言ったから、行っているんだろうなって思われてもしょうがない状況だ。
もう何時間も経っただろうか。少し疲れてきて、そろそろ宿に戻ってもいい時間になったとき、次の二人の会話に対して、クロウスは耳を疑った。
「さすがに商業の島の首都だけあるわ。色々なものがあるわね」
「はい! 珍しいものがたくさんあります」
「もう少し回ろうか」
「ええ!」
クロウスはかなり戸惑った。入った店の割にはあまり買っていないが、相当歩いた気がする。それに日もいい感じに照り付けていて、体力の消耗が著しいはずだ。だが、まだ行くというのかと、正直かなり驚いてしまう。
次はどの店に行くのかと考えていると、すでに二人はクロウスの前からいなくなっていた。慌てて見回すと、二人は少し歩いたところにある、小さい雑貨屋さんへと入っていく。武器屋よりましかと思いながら後を付いていった。
中は可愛らしい置物などが並んでいる。時計や鏡、腕輪、ネックレスなど、シェーラやイリスくらいの年代の女性が使っていそうなものがある。二人が特に注視していたのは髪飾りだった。派手なものから、少し地味なものまで色々だ。
シェーラはあるものを見て、つい言葉を漏らす。
「あら、可愛い……」
イリスは目ざとく、髪飾りの一つを指した。
「シェーラさん、これきっと似合いますよ」
イリスが指した先には、中央にエメラルドグリーンの小さな宝石が輝いている髪飾りだった。髪に対して挿す形で、宝石を中心にして幾つものリボンが垂れ下がっている。シンプルだがそのシンプルさが逆にいいという感じだ。
「似合わないわよ。それにこんなにたくさん付いていたら、動きづらいし、仕事がしにくい。しかも高いし」
即座に否定する。だがそう言ったシェーラの横顔は少し寂しそうだった。
仕事柄、時には監視などの人目についてはいけないことがある。そして服も身軽なものでなければ思うように動けない。だから通りを歩いている女性のようなスカートなどの可愛らしい服装ができないのだろう。いくら武器に興味を持っていたとしても、服装などを気にする様子は年頃の女性には変わりなかった。
結局イリスが淡いピンク色の髪留めだけを購入し、店を後にする。
クロウスはちらっと店の様子を見てから、彼のことなど全く気にしていない女二人の後を追いかけた。
宿の前まで戻ると、クロウスは突然立ち止まる。シェーラは訝しげに、しまったという顔をしているクロウスを見た。
「何よ、どうしたの?」
「ワイン買い忘れた……」
「あ、そういえば。じゃあ荷物置いて、また行こうか」
「いいよ。一人で買ってくるから、先に部屋に戻っていてくれ」
「わかった。ごめんね、散々振り回したのに、肝心な所を忘れていて」
「気にするなって。それじゃ、行ってくるよ」
クロウスは持っていた荷物をシェーラに手渡し、駆け足で通りへ戻って行った。
「イリス、先に戻っていようか」
「はい、わかりました!」
* * *
日が暮れて、クロウスが戻ってきた後に、三人は再びアンチクエに向かった。大通りは比較的人がたくさんいるが、裏路地に行くとその量は激減。だが家から漏れる光によって、どうにか真っ暗という場所にはなっていなかった。
アンチクエのドアからも微かに光が漏れている。ドアを引くと、カランという音と共に、元気な少年の声がした。
「いらっしゃいませ! あ、スタッツさんのお知り合いの方々にイリスさん。スタッツさんを呼びますね」
そう言うと、アルセドは店の奥へと行ってしまった。相変わらず、誰かに対して明らかに意識をしている行動に、思わずシェーラは溜息を吐く。
「まったく世の中にはこんなにわかりやすい人がいるなんて」
「素直でいいじゃないか」
「そういうことにしといておこう」
まだシェーラは気に入らないみたいだと、クロウスは悟っていた。
アルセドに連れてこられたスタッツは、朝と同様に素敵な笑顔で出迎える。
「こんばんは。お待ちしていました。奥でお茶でもいかがですか?」
「スタッツ、それよりもいいものを持ってきたぞ」
クロウスは買ってきたワインを目に見える位置まで、持ち上げる。
スタッツはそのワインを見ると、表情がいつも以上に明るくなった。
「それはありがたい。だが、まずはメインの話をしてから飲もう」
ワインをクロウスから預かると、三人を奥へと導いた。アルセドには紅茶の用意をしてから来るように言う。
クロウス達はある部屋に案内された。そこは机と椅子が置いてあり、荷物も少なく、店の様子と比べると断然綺麗だ。クロウス達、三人と向かい合うようにスタッツは席に座る。そして、クロウスを真ん中にして、シェーラとイリスはその左右に座った。
程無くして、アルセドが心穏やかになれるような香りのするティーポットを手にしてやってくる。思わずイリスもうっとりしていた。
「いい香りですね」
「ありがとう! 僕もお気に入りの紅茶なんだ。きっとイリスさんにも気に入ってもらえる味だと思うよ」
丁寧に紅茶を分けて、ひと口位飲んだところでスタッツは口を開き、すぐに核心をついた。
「さてセクチレのことだが、ネオジム島に限定するとノベレやその周辺でよく見られたり、売られているときもあるという情報を得た」
「ノベレ辺りで売られているなら、どうしてハオプトに売られていないんですか?」
シェーラは意外な場所に驚きつつも、相手を探るような感じで聞き出す。スタッツは事務情報のように淡々と答える。
「ノベレは土地柄なのかよくわからないが、自分のものを他人には渡したくないという傾向が高い。つまり独占欲が高いというわけだ。そのためか高級品を他の町にあげたくない。まあ、本当にたまにだが、ハオプトでも売られているらしいが、値段は詐欺的な値段らしい」
「……と言うことは、ノベレに行かないと、セクチレは手に入らないというわけですね?」
「そういうことになる」
シェーラは腕を組みながら、難しい顔をする。
こうなるとレイラはシェーラ達をノベレに連れて行きたく、あんな回りくどい言い方をしたのだろうか。だが、今のノベレははっきり言って、安全な町とは言いにくい。あれだけ口やかましく、怪我をするなと言っている人が、わざわざ危ない場所へと送り込むのだろうか。
それにノベレにはダニエルを始めとして、多数の魔法管理局の人が滞在している。シェーラに頼まなくても、彼らに頼めば事足りる用ではないのだろうか。
頭の中を回転しながら考えるが、結局結論は――わからないに尽きるのだった。
ふと、スタッツは少し意味深な言葉を漏らす。
「……セクチレというものだけでなく、それから派生する別の何かを考えれば、真の意図に辿り着くんじゃないかな?」
「派生する?」
「そう、例えばセクチレを誰か好んでいて、その人物を言わせるためにとか」
「人物ですか……」
シェーラはさらに考え込んでしまう。
セクチレなんて初めて聞いた言葉なのに、そこから人物を連想させるとは――。
頭の中で歩き回っているもう一人のシェーラ。だが、そこで急に立ち止まる。
――果たして、本当に初めてなの? 記憶の片隅に何か残っているかも?
暗がりの中、後ろを振り返ると、過去の記憶が道に大量に落ちている。それを一つ一つ拾っていけば、わかるかも知らない。だが、拾いたくない記憶もある。
しまいには地中に深く埋めた記憶も。もしかしたら、その中に――?
震えながら、そっちの方に足を伸ばそうとする。心が張り裂けそうになるくらいなのに。
しかし、その前に急に誰かに止められた。
「おい、シェーラ、シェーラ!」
シェーラは横に座っているクロウスに激しく揺り動かされて、我に戻った。
「大丈夫か!?」
「え、クロウス、何よ突然」
「急に顔色が悪くなって、ぼーっとしていたから……」
「ああ、ごめん。少し考えすぎただけだから、心配しないで」
シェーラは考え込んでしまい、迷惑をかけるなんて、とんだ失態をした気分だった。
スタッツはそんなシェーラに対して、紅茶を飲むように促す。
「悪かったね、変なことを言ってしまって」
「いえ、私が勝手にしたことですから、スタッツさんが謝らなくても」
「まあ、本当に純粋に飲みたいって言っているだけかもしれないし、そんなに固く考えなくていいんじゃない? いずれわかることだし」
シェーラは勧められた紅茶を再び一口喉に流す。それだけでなぜか心が安らかになっていく。
「その紅茶を飲むと、ほっとするだろう? 御代わりは何杯でもあるから、遠慮しなくていいよ」
スタッツの微笑む姿が気になりながらも、紅茶を一気に飲み干す。
そしてようやく顔に赤みが戻ってくると、クロウスとイリスに真剣な表情を向ける。
「クロウス、イリス、明日にでも私はノベレに向かう。爆破の犯人も捕まっていないし、危ないことになるかもしれないから、二人は別に――」
「何言っているんだ、一緒に行こう。まだあれから爆破は起こっていない。単発だけという可能性もあるしな」
クロウスは間髪入れずに返事をする。イリスもはっきりと頷く。それだけの行為が、シェーラにはとても嬉しかった。そして再び、スタッツの方に向き直る。
「情報の方、ありがとうございます、スタッツさん。ひとまず明日、ノベレの方に行ってきます。それで……、ご依頼金の方は?」
スタッツの様子をちらっと見ると、いたって笑顔だった。
「そうだね……、クロウスのことも含めてだけど、君達の話を聞きたい」
「私達のですか? どんなのを?」
「クロウスとの出会いや魔法管理局はどういうところなのかなど。何より接点を深めたい。魔法管理局の人と接点ができるということは、情報屋として非常に利点がなあることだから。それと今後もご贔屓にして頂ければ、依頼金としては充分だよ」
意外な展開になり、多少びっくりする。話すだけでそれくらいの価値があることなのか。
沈黙を否定的と捉えたスタッツは、強制しない話し方で言った。
「ああ、嫌なら正当な金額を言って、これ以降こちらからは干渉しない」
「嫌じゃありませんよ。むしろこちらも今後、情報を色々欲しいですし。話せる範囲でしたら、お話します!」
「ありがとう。それじゃ、飲みながら、ゆっくりと話してもらおうか」
まずはシェーラとクロウスの出会いから始まり、イリスの救出、魔法管理局への入局希望――など、シェーラ目線を中心として話した。それにクロウスやイリスが付け足す。
次第にアルコールも回り始め、シェーラの頬が赤みを帯び始める。
時折笑ったりしながら、時間は面白いように流れていく。
そして夜も更けた時間、イリスは眠そうな顔をしており、スタッツがソファーで横になっていいと言うと、大人しく行き、すぐに眠りについてしまった。アルセドもはしゃぎすぎたためか、ソファーの脇で目を閉じている。
「はあ、久しぶりに飲んだ」
顔を机に付け、ぐったりしているシェーラ。スタッツとクロウスは至って平然としていた。
「二人とも強いわね……」
「無理しないで寝たらどうだ? 明日もまた移動だろう。二日酔いなんて、洒落にならないことは――」
「大丈夫……、これくらいじゃ寝ない寝ない。クロウスって、いつも心配してくれるし、本当に優しいよね」
そんなセリフはいつもは絶対に言わないとわかりつつも、クロウスはつい頬を赤くした。
そして溜息混じりに告げる。
「……お願いだから、休んでくれ」
「もう寝ているぞ」
スタッツが不意に言うと、クロウスはシェーラがすでに寝息をたてているのに気づいた。
そこにはあどけない表情が広がっている。
その表情に惹かれつつも、クロウスは自分の上着をそっとシェーラの肩の上に置いた。
スタッツはグラスに入った氷をカラカラ鳴らしながら静かに言う。
「いい娘だな。思いやりがあって、素直で」
「ああ。シェーラと出会えて、よかったと思っている」
「……それは、あの人に似ているからか?」
「似ている? 誰に」
「誰って、ずっと片隅に残っているある記憶の主だよ。雰囲気とかどこか似ているじゃないか」
すっと指先をクロウスの胸を示す。クロウスはびくっと動く。鼓動がだんだんと速くなってきている。
「……今も、悔いているのか?」
「いや、そういうわけじゃ――」
「じゃあどうして、彼女を見るときに、どこか懐かしそうな顔をする時があるんだ?」
クロウスは口を開かず、ただ俯いている。スタッツはさらに続けようとした。
「もしお前が彼女のことを――」
そのとき、ゴツンと大きな音がした。ソファの方を見ると、アルセドが床に寝ころんだ音だった。だが起きずに幸せそうな顔をしながら寝続けている。
スタッツは深く息をついた。
「話が折れたな。まあいい、後でゆっくりと話そう。明日は早いんだろう? お前ももう寝ろ。続きはノベレから帰って来たときに」
クロウスは半ば諦めながら返事をする。
「わかった……。ちょっとトイレ借りるな」
「いいよ。俺も部屋に戻って、仕事でもするかな」
「仕事って、こんな夜中までやっているのか?」
「夜の方が活動しやすいんだよ」
そう言いながら、クロウスとスタッツは部屋から出て行った。
ドアが閉まると、寝ていた一人がむくりと顔を上げる。
「クロウス……」
シェーラ・ロセッティはどうしようもない困惑した表情を浮かべながら、天井を見上げていた。
今の会話と、自身の気持ちに対して……。
そして夜も過ぎ、再び日が昇る時間となった――。