2‐10 守りの土
ローグはクロウスの方に向き直る。クロウスはシェーラの方を見ようとしたが、ローグにはばかれて見れない。ローグはその視線に気づくとにやりと笑った。
「まあ所詮は女。男が束になれば敵わないだろう。クロウス、久しぶりだな。いつ女でも作ったんだ? なかなかかわいい娘じゃないか」
「彼女は今、一緒に仕事をしている仲間だ」
「また検討違いのことを言って。まあいい。脱走したと聞いたときは、まあどうでもよかったよ。いてもいなくても、変わりないからな。だが今回はいると邪魔だ。だからそこをどいてくれよ?」
「断ると言ったはずだ」
「もたもたしていると可愛い彼女さんが、傷ついちゃうよ?」
「……彼女はお前より強いから、大丈夫だ」
シェーラがいるところでは微かに砂埃が舞っているようだ。ローグや男たちの壁によって彼女の表情はよく読み取れないが、こんな奴らに負けるはずないとクロウスは思う。明らかに挑発をしていた行動は、これくらい相手にできるという、シェーラの意思表示だと察した。
だから動かずにじっとマーラを守ることに専念しているのだ。
ローグはその行動に対し、けっと言いながら唾を地面に吐いた。
「その、自分は正義感に満ちていますっていう目、後ろにいる女の男もそんな目だったな。その後そいつがどうなったか知っているか? クロウス」
マーラは体を起こし、びくりと肩を震わした。クロウスは何も言わず、相手の出方を伺う。決して剣を持つ手は緩めない。
シルキスがその後どうなったかは、噂でも聞いたし本でも読んだ。だが、ここで答えてしまうと、ローグの口車に乗ることとなるので、口は敢えて閉ざしておく。
突然ローグは笑い始めた。
「全く何も知らないのか!? だからお子様なんだよ!」
黙っているということを否定と捉えたローグは、後ろで震えている女を遠目で見据えながら、言い放つ。
「俺がその男を崖から突き落としたんだよ!」
マーラはふつふつと湧き上がってきた感情に対し、俯きながら口を押さえ、目を赤く腫らしつつも必死に堪えていた。クロウスは苦虫を潰した様な顔をする。ローグは続けた。
「その後、この女が男から手記を受け取って本を出版したと聞いた時は驚いたぜ。そのせいで俺は追い出されたんだよ。仕事もまともにできない奴がここにいてもらっても困るって」
「だからその腹いせに、マーラさんを殺そうとしたのか」
「正解。俺の人生を台無しにした女に死んでもらおうと――」
「お前が先に彼女の人生を台無しにしたんだろう!」
クロウスは叫んでいた。いつもの落ち着いたクロウスからは考えられない程の声だ。
マーラは顔を上げ、目を丸くしながら、肩が震えている青年を見ていた。
ローグはその声に一瞬たじろいだが、すぐに静かにクロウスへ返事をする。
「そうか。そこまで言うのなら、先にお前の命を取ってからだな。それから、ゆっくりとその女を殺す」
ローグは笑うのをやめると、両手に持てるだけのナイフを取りだした。クロウスは少し前に出て、マーラから離れる。ローグへは少し走れば届く範囲だ。
クロウスはローグの手が動いたのを見ると、すぐに駆けだした。
投げられたナイフを器用に落としながら近づく。
一通り投げ終わると、目暗ましの粉が投げつけられた。
それが地面に叩きつけられる前に、クロウスは大きく跳躍し、ローグの左脇に降り立つ。
そして剣を右に振り、ローグの右腕に切り傷を負わす。
ローグはナイフを持とうとしていたが、その衝撃で何本か落してしまう。
大きく見開いた目で、クロウスを睨みつけた。
クロウスは何歩か離れ、ぎりぎり自分の間合いより外側で剣を握りなおす。
「お前、そんなに速かったか?」
「悪いけど、兵士だったときは本気で剣を振ったことはない。このまま大人しくデターナル島に捕まって欲しい」
「それは、慈悲か?」
「無用な殺生は避けたい」
「……忠告してやろう。その無駄に甘っちょろい所が、いつかお前自身にも痛い目に会うぜ」
ローグのその突飛な言葉に、クロウスは不審に思った。
ふと、遠くの方から誰かが叫んでいる声が聞こえてくる。それはまだ少年の声。必死に何かを求めている声。だんだんと大きくなる。
そしてやっとその声の主に気づく。クロウスはさっと顔色を変えた。ローグの右脇の方から駆け寄っている少年がいるのだ。
「お母さん!」
ルージェが叫びながら、必死に母のもとへ走っていた。クロウスとマーラがそれに気づいた時にはすでに遅く、ローグが無情にもナイフを投げつけていたのだ。
「来ちゃ駄目、ルージェ!」
マーラが叫ぶとやっとルージェは立ち止り、自身に起こっている危険がわかった。一本一本は対した傷にはならない。だが、刺されどころが悪かったり、大量に刺されば、そのあとには最悪の展開が待っているかもしれない。
クロウスはローグの後ろをすり抜け、ルージェのもとに全速力向かった。だが、どう足掻いても間に合わない――。
その瞬間、マーラは顔を手で覆って息子の悲劇から目を逸らした。
そして、聞こえる息子の悲痛な叫び――。
だが、その叫び声を聞く前に何かが激しく出てくる音が聞こえた。
数十秒してもルージェの悲鳴は聞こえない。
マーラはゆっくり手を顔から離し、ルージェを見る。
そのルージェの前には土の壁ができていたのだ。
「一体、何が起こったの?」
マーラは呆然としながら呟いていた。
ローグは自分の攻撃が何者かによって失敗に終わったということに舌打ちをする。
クロウスも途中で立ち止まって土の壁をじろじろと見る。
「これは魔法? けど誰が。風ならわかるが、土なんて――」
一同が訝しく思う中、少し離れたところで震えながらもはっきりとした声が聞こえた。
「む、無抵抗な人に攻撃するなんて、酷いじゃないですか!」
クロウスはその声に驚き、急いで振り返る。そこにはイリスが息を上がらせながら、両手を胸の前で組んで立っていたのだ。いつもの笑顔はそこにない。ローグに対して、鋭く睨みつけていた。
ローグはイリスを見ると笑った。期待して損をしたという風に。
「なんだ、さっきの女の連れか」
「私の連れになんでしょうか?」
「何!?」
シェーラはイリスの肩をポンと叩きながら、横に立っていた。イリスはシェーラの顔を見ると、強張っていた顔が緩む。シェーラは頬に切り傷があるだけで、他に目立った外傷はない。
ローグが激しく眉を顰めるのが横にいたクロウスでさえもわかった。かなり動揺しているということも。目を凝らして見れば、広場の端では四人の男が倒れ伏していた。
「この前の兵士より少しだけ強かったけど、たいしたことなし。それにしても不意打ちはかなり好きみたいね、彼らやあなたも」
「何なんだ、お前は……!?」
「だから通りすがりの一般人ですよ。人を殺すなんて馬鹿なことを考えないことね。だからこういうことになる。まあ後でゆっくりと白状してもらいましょう。クロウス、この男は動けないくらいにまでしないと、いつまでも悪あがきをするわよ」
ローグはシェーラ達に気を取られて、すぐ横までに迫っていたクロウスに気づくのが遅れる。すでにローグの脛辺りに狙いを定め、剣を振っていた。
そして血が飛び走り、ローグは膝を折る。
クロウスは無表情にローグの鼻の先に剣を突き付けた。
「なんのマネだ? それで勝ったつもりか?」
「もう何もできないだろう」
「……俺達、暗躍する人間の本当の負けと言うのは何だか知っているか?」
「本当の負け……?」
「クロウス! 急いでそいつの意識を奪って!」
シェーラが叫びながら、駆け寄ってくるのが目に付く。ローグはその行動に不思議に思うクロウスを見ながら、にやにやと笑った。
「あの女の方がよくわかっているな。あばよ、クロウス。地獄の果てで待っていてやる」
ローグは腰に備えていた大きめのナイフを取り出し、自分の胸へと深々と刺した。けほっと血を吐くと倒れる。目を開け、そして口はにやつきながら、そのまま動かなくなった。
あまりの出来事にクロウスは固い表情をしながら剣先を地面に向ける。シェーラが息を切らしながら、話しかけてきた。
「クロウス、そいつは?」
「……死んだよ」
「そう……。暗躍する人が一番恐れているのは、情報を吐かされること。それを防ぐには命を絶つのが最終手段。だから……気にしないでよ、クロウスのせいじゃない」
あまりに悲痛な顔をしているクロウスを見るに見兼ねて、心配そうな表情で言った。そして、後ろからそっと彼女は右手でクロウスの右腕に触れる。
「あとは治安維持局の人に任せましょう。あの女性や子供が心配しているわ。イリス、もう大丈夫よ」
イリスはその声を聞くとすぐにシェーラのもとに走ってくる。後ろからはイリスが呼んだと思われる、治安維持局の男達が現場をまとめ始めていた。
クロウスがふとマーラの方を見ると、ルージェの傍に座って話をしていた。大丈夫か、痛くないかなど、必死に心配しながら声をかけている。
シェーラに促されながら、クロウスはゆっくりマーラとルージェへと近寄った。ルージェはクロウスが近づいてくると、きっと睨みつけながら警戒する。
「何だよ!」
「ルージェ、助けてもらった人に何て言い方を」
マーラは優しく諭す。
「だって、こいつはあいつらと同じ格好をしているんだよ!? きっとノクターナル島のやつらだ、お父さんを殺した人と同じ――」
「いい加減にしなさい!」
マーラは激しく叱り付けた。ルージェはびくっとし、体を小さくする。だがすぐにルージェの頭を撫でながら、やさしく言う。
「人を外見などで判断してはいけないのよ。剣を持っているから、ノクターナル島の人だから悪い、っていうのは違う。だってお父さんの日記にノクターナル島でもいい人はたくさんいるって書いてあったじゃない。だから謝りなさい。そして私達を助けたお礼を言いなさい。私は彼がいなかったら、お父さんと同じ運命を歩んでいたのだから」
ルージェは俯き何かをぶつぶつ言っていたが、立ち上がりクロウスをじっと見た。
クロウスも一瞬逃げ腰になったが、後ろからシェーラの手によって阻まれる。ルージェはぶっきら棒に、だがしっかりとお礼を言った。
「ごめん……なさい。ありがとう……ございます」
少し照れながら頭を掻く。そしてシェーラとイリスはその光景を微笑ましく見ていた。
マーラもルージェに続いてお礼を言う。
「本当にありがとうございます。あなたが気付き、身を挺して私の前に立ってくれなかったら、きっと殺されていたでしょう。それに横にいらっしゃる女性お二人にも、お礼を言わなくてはなりません。ありがとうございます」
「いえ、たまたま通りかかっただけですから。そんなに気にしないで下さい」
シェーラは右手を横に振りながら、ニコニコ笑う。イリスも静かに微笑んでいた。
空ではゆっくりと雲が流れている。
雲の流れのように、時間はあっという間に過ぎていく。
ルージェの誤解もやっと解け、ほんの少しだけ嬉しいクロウスだった。