1‐1 護衛の任(挿絵有)
絵師 かみおさま
――――そのとき、一筋の風が吹いた。
* * *
朝日が差し込む中、漆黒の髪を短く切った青年は石を握りしめてベッドの上に座っていた。手にすっぽりと覆われたその石からは、微かに橙色の光が漏れている。その青年はよく石を握りながら物思いにふけていることが多かった。
――自分がしたことを忘れないように。あの日のことを忘れないように。そしてこれからも……。
そのとき廊下から激しく人が走りこんでくる足音が聞こえた。石を胸ポケットに入れ、ゆっくりとドアを開ける。息を切らして走ってくる褐色の短い髪を乱雑に切った男が、青年を見るなり声を発した。
「おお! クロウス、ちょうどお前の部屋に行こうとしていたんだよ」
クロウス・チェスターは大声で呼ばれ、肩を竦めながら溜息を吐いた。
「朝から騒々しい。走ってまで来てどうした、アストン。何か用事でもあるのか?」
少し嫌そうな顔をしつつも、途中まで開けていたドアをしっかり開いた。
背はわりと高く、筋肉がしっかりと付いているためか、ひょろひょろとした様子を感じさせないクロウス。あまり表情を出さない中での、穏やかな空気を纏っている二十一歳の彼はよく真面目な好青年と印象を受けとられるらしい。
そんなクロウスに対してアストンは息を整えつつも真っ直ぐした視線を送る。
「ああ、俺じゃなくて村長からな。お前の腕を見込んでらしい」
その言葉を聞いて、クロウスの顔が険しくなった。
「……急ぎの用事なのか?」
「じゃなきゃ、こんな朝っぱらから来るかよ。すぐにでも来てほしいってさ」
「わかった。少し待っていてくれ」
クロウスはそう言うと、部屋の中に戻り、ベッドの脇に立て掛け、鞘に収められている一本の剣を手に取った。実用品としては非常に優れている作りだが、鞘も柄も無骨でやや薄汚れている。それは何度も何度も握られていると言うことを物語っているようだ。
入口まで戻ると、クロウスは静かに外に出るよう促した。
「じゃあ、行こうか」
クロウスとアルセドは宿屋から出ると村の中央にある村長の家に足を運んだ。
イリデンスと呼ばれるあまり大きい部類に入らないこの村は、時折通り道として使われる以外には人の往来はなく、いつも穏やかな風が吹いていた。だが、人々を包み込むような大地に偶然訪れた人は足を止めることが多い。
しかし、アストンの様子からそれとは反対の緊張感が漂よっていた。
無言のまま、村長の家に着き、召使に促されるまま部屋へと進んでいく。すぐに立派なドアが現れた。アストンはそのドアをノックし、少し緊張しつつも言葉を繋いだ。
「失礼します。アストンです。クロウスを連れてきました」
そう言うと、ドアを押して部屋に入った。中には村長ともう二人、寡黙な青年のソレルと何度か見かけたことがある少女が座っていた。ソレルもしっかりとした肉つきの青年で、剣を携えている。
少女は事情がよく飲み込めないようで、困惑した顔をしていた。亜麻色の長い髪を後ろで少しだけ結わえ、ロングスカートを着ている、かわいらしいお嬢さんという印象を受ける少女。歳としては十代後半ぐらいだろう。
茶色の髪に、多少白髪が見える村長は手招きして部屋の中央に来るように促していた。
「アストン、どうもありがとう。そして、クロウスもわざわざ済まない。さて、もう少し近くに集まってはくれんか? あまり大きな声では話したくない内容なのでな」
足早に村長の側に足を運んだ。村長はいつも以上に眉をひそめて考え込んでいる。何か良くないことが起こったのは間違いなさそうだ。
静かな声だが、四人を見渡しながらしっかりと口を開き始めた。
「――非番の日や仕事中にすまん。君たち三人の力を見込んで、一つ緊急の仕事を受けてほしい。仕事というのは、このイリス・ケインズさんの護衛だ」
護衛という言葉に、クロウス達三人は眉を動かすくらいで、さして驚かなかった。
そもそも、アストンとソレルは村の出身者で武芸に秀でていることに有名であり、クロウスも偶然滞在している旅人ではあるが、ふとした機会に剣の扱ったおかげで、一目置かれていることがある。そんな三人に対して、護衛をしばしば任されることはあった。
しかし、今回はそのような技量を兼ね備えた三人がたった一人の少女の護衛を任されるということは、普通の護衛ではないと言うことを直感的に感じ取れる。
クロウスは知るべきことであると思い、率直に聞くことにした。
「それで村長、どうして私達、しかも三人に護衛を?」
「そのことだが、昨日夜遅くにデターナル島から使者が来て、知らせに来たのだ。明日の昼過ぎにノクターナル兵士が来て、この村にいる純血のものを連れて行ってしまう可能性がある。だからそれを阻止するためにも、何人か護衛を付けてもらって、その人を一時的に避難させた方がいい、ということを言われたのだ」
その話を聞いて、青年三人、そして少女の顔がみるみるうちに険しくなっていった。
* * *
ノクターナル兵士によって、無理矢理純血のものを連れていくこと――通称“純血狩り”と言われていることは、ここ数年で活発になり始めていることだ。
そもそも“純血”とはなんなのか。
それはこのエーアデ国に今では当たり前のように使われている魔法がもたらされた、三百年程前に遡る。
この国は四つの島から成り立っている。もとは一つの四角い島だったが、約三百年前に突如起こった大地震によって、中央の山を中心に地割れが起こり、対角線を結ぶようにして四つの島に分かれてしまったのだ。
そして地震が治まった直後、山から激しい光が放たれたのである。
ほとんどの人は建物の倒壊から避けるように外に出ていたため、その光をたくさん浴びた。眩い何色もの光は、地震によって荒みかけていた心に、ほんの少しだけ光を与えたと言う。
光が放たれてから数日、依然、建物の下敷きになっている男性がいた。何日も飲まず食わずで、痛さと空腹を耐えるのに精一杯。助けを呼ぶ声も出せなくなり、僅かに出せる声を使って、一言呟いたそうだ。
「……水が……欲しい」
すると突然目の前から水が湧き上がったのだ。男性はそれを必死に飲み、命をつなぎ留めて無事に救出されたという。何もない所から水が出てきたなど、すぐには誰も信じてもらえなかったらしい。
だが、その後も奇妙な現象が起こり続けていた。家が燃え盛り、火が勢いよく舞っている時に、「火よ止まって……!」と言うと、徐々にその火は小さくなっていき、予定よりも何倍も速く鎮火されたとか。
はたまた、通行を不便にした小さな地割れの所を声に出して願うことで、その地割れが無かったかのように塞がれたり、風がほとんど吹かないために悪臭が溜まっていた場所で、願った直後に突然風が吹いたりなど、通常ではありえないことがたくさん続いていた。
やがて、復興もめどがたったところで、国を挙げてその原因解明に取り組み始めた。しかし、地震のせいで島同士を行き来するのが難しく、簡易の橋を掛けて、島々を行き来するようにはしたが、時々その橋も流されてしまう。そのため、予定よりも原因解明する時間がかかり過ぎてしまった。
その間、島々の交流でも上手くいかないところがあり、特に西にあるデターナル島、東にあるノクターナル島との交流は最低限必要な物資の輸送以外はほとんどなかった。その両者に挟まれる形で、北のネオジム島、南のソルベー島は存在することとなった。
様々な困難を乗り越え、何十年も費やした先に、一つの結論が生まれた。時期的に考え、大地震のときに激しい光を浴びた者が、その奇妙な現象を出せるという結論に至ったのだ。
実際、屋内に入っていて光を浴びていない者は、そのような不思議な現象を出すことはできなかった。
また、血を採取して検査した結果、光を強く浴びた者同士が子供を産むと、さらにその力は増大される……まではいかなくても、停滞はしないという事実もわかった。
これ以後、そのような光と浴びた血が色濃く残っている人を“純血”と呼ぶようになり、風水地火などを操り、奇妙な現象を起こすことを、“魔法”と言うようになった。
その後、魔法の力を利用して人々はエネルギーを生み出すことに成功する。それによって生活は非常に豊かになり、平和な日々を送っていた。
しかし、エネルギーによるいざこざは絶えず、特にノクターナル島の一部では魔法やエネルギーに対する、不穏な動きをしていると噂が流れていた。ここ十年くらいで、それはさらに増しているようである。そして最近になり、“純血”の人を捕まえてその能力を引き出そうとする行動をし始めたのだ。
それが“純血狩り”と言われ始める所以のことだった。
* * *
「ですが村長、その使者は信用できるのですか? ある話によると、ノクターナル兵士は北のネオジムのほうで狩っていると聞いたことがあります」
ソレルは嫌悪感を抱きながら聞いている。だがそれに答えたのはクロウスだった。
「油断している隙に狩ろうとしているのかもしれない。ありえない話じゃないと思う。そうだ、村長、その使者の人には会えますか? 直接話を聞いた方が早いはずです」
だが、村長はまだ難しい顔をしている。
「……いや、今は会えない。ノクターナル兵士を足止めするために、先に行ってしまったよ。ただ、デターナル島のある局から書状を持ってきたから嘘である可能性は極めて低いと思う」
そう言うと、封筒から一枚の羊皮紙が出す。そこには文が綴られており、上の地位であるハンコが押されていた。
「私は本当だと思う。騙すメリットは何もないはずだ。ということで、明日の昼ごろまでイリスさんを安全なところで護衛してほしい。よろしいかな?」
だがまだ腑に落ちない点があり、クロウスはもう一つ質問した。
「なぜ、昼までなのですか?」
「デターナル島から応援が来るらしい。さすがにデターナル島の局もノクターナル兵士の行為を違法とみなし、阻止するよう動き始めたのだ。ただ、急なことであったため、イリスさんの件には間に合わなかったらしい」
村長はふとイリスの顔色を見ると、少しほぐれたような言い方をした。
「なに、心配はいらないよ。安全な場所というのは昔隠れ場所として使っていたところだ。何十年も使っていたが、そこの場所に入ってきた敵兵はいない。それにこんなに強い人たちがいるのだから、心配する要素は全くないよ」
「ええ、そうですね。ありがとうございます」
これが普通の反応だろう。自分が狙われているときに平然としている人はほとんどいない。
村長は半分書きなぐったような地図を引き出しから出した。
「これが隠れ場所への地図だ。行く際は少し多めに食料は持っていくように。安全になったら、こちらから人をよこす。それまでは静かに待っていてくれ。さて、他に何か質問はある人はいるかね?」
三人は首を横に振り、その地図を手にした。
「では早いほうがいいだろう。準備ができたらすぐにでも出発してくれ。無事に戻ってきてくるように」
「了解しました」
クロウスはこの仕事を引き受けることが、自分にとって重要な人物に出会うこととなり、その出会いがこれからの壮大な出来事を左右する出来事になるとは、知る由もしなかった――。