1‐13 祈りと黄色い石
中は極めて静かで、さっきまでの争いが嘘のようだ。
日の光が窓から差し込んでいる。長い夜は明け、ようやく自分達の任務が終わりそうだとクロウスは思った。
二階に上がると、何人かのデターナル島の人が監視するようにソレルの周りに立っていた。ソレルの顔色はとても悪く、呼吸も荒い。彼はクロウスが部屋を出る状態と同じであり、縄がきつく縛り付けられていた。
部屋の脇には大きい布が人を覆っている。微かだが、血が隙間から洩れていた。
シェーラは近くにいた人に話しかける。
「お疲れ様。少し彼と話をしたいから、離れてもらってもいいかしら?」
「わかりました。ただ、あまり近くにはよらないように。この様子では何をするか検討がつきませんから」
デターナル島の人々は数歩下がり、三人はソレルに近づく。ソレルは顔を上げるとクロウスを見た。
「……戻って来たのか。放っておいてくれればいいものを……。しかも彼女も一緒とは。別の俺がまた騒ぎ始めるぞ」
縄がみしみしと音を立てる。クロウスはソレルと目線をあわせるため、しゃがみ込んだ。
「ソレル、お前は本当に操られているのか?」
「おそらく。俺は人を斬るのを好む、殺戮者じゃない」
後ろめたそうに、布の下にいる人物を見つめる。シェーラは腕を組み、眉間にしわを寄せながらソレルを見ていた。
「シェーラ、何かわかるか?」
「そうねえ、確かに魔法の匂いがしなくもないかな」
「匂いなんてあるのか?」
「ただの勘。けど、こういう手の魔法は元を断たないと効果は無くなんないから、残念ながら私には何もできないわ」
「そうか……」
クロウスは溜息を吐いた。シェーラに聞けばどうにかなるという考えは甘かったようだ。それを見兼ねて、ソレルは精一杯の声を出す。
「クロウス、お前がその魔法使いを倒してくれるのなら、俺も自分との戦いを頑張ってみるぞ」
「ソレル……」
――そんないつになるかもわからないことに、付き合ってくれるというのか。
思わず、心の中からこみあげてくるものがあった。
シェーラはこれ以上話し合っても状況は変わらないと判断し、傍にいたデターナル島の人に話しかけようとした。
だが、イリスが一歩前に出て、ソレルに近づこうとする。それをイリスの肩に手をかけて止めようとした。
「イリスさん、あんまり近づかない方が……」
「すみません、少し試してみたいことがあるのです」
イリスはそう言うと、首にかかっていたものを取り出した。それは黄色い石であり、紐で繋がれているものだ。石は仄かに光を発している。
それを手に乗せ、胸の前に持って行って両手で包み込む。それは祈りを捧げている少女のようだ。
「イリスさん……?」
クロウスにもイリスの様子に気づいたようだ。いつもの笑顔のイリスと違い、今はただぐっと口を噛み締めており、何も言おうとはしない。膝をつき、ソレルと視線の高さを合わせる。ソレルもその行動を不思議に思いながら、イリスを見つめる。
そしてイリスは静かに言葉を発した。
「石よ、もしこのことが魔法によるものなら、どうか魔法を解除して下さい……!」
シェーラ、クロウス、ソレルは耳を疑った。そんな言葉がイリスから出るとは思わなかったのだ。
イリスの顔はなおも固い。言い終わると、手を広げ、石をソレルの方へと近づけた。発する光が徐々に強くなっている。
黄色い淡い光は美しく、思わず人が足を止めて見惚れてしまいそうだ。
だが、次の瞬間、黄色い石は橙色へと変わった。三人は目を見張る。
次は赤色へと。緑、青、藍、紫色へと次々と変わっていく。そのサイクルが続き、変わる時間も速くなっていき、変わるたびに光は強くなっている。
シェーラ、クロウスはその不可思議な現象を始めは訝しく思っていたが、光を見るにつれて不思議と警戒心も薄れ、魅了されていった。
ソレルはその光を見つめていると、次第に目が虚ろになる。やがて静かに目を閉じ、項垂れた。
イリスはソレルの変化に気づき、はっとして、石を手で覆う。輝きは薄れ、黄色い石が仄かに光を発している状態に戻る。
慌ててソレルに触ろうとするのを隣にいたクロウスは手で静止した。
「イリスさん、一体何だったんだい?」
「ひとまずソレルさんを起こして下さい」
「わかった」
クロウスはソレルの肩を軽く揺する。すると、呆然とした目をクロウスに向けた。
「ソレル、大丈夫か?」
「ああ。特に違和感はないが……。なんだか妙に心が楽になった」
「楽になっている?」
「そう。心の中を占めていた、何かが無くなったというか」
言っているうちにソレルは戸惑いから、驚きへと変わっていった。
一部始終を後ろから見ていたシェーラはぽつりと言う。
「目的のためなら人を斬る自分が無くなった? つまり、操られているという部分がなくなったの?」
ソレルは少し考えてから、ゆっくりと首を縦に振った。クロウスは唖然とした。
――まさか、こんなことがあるなんて……!
ソレルの顔は少しだがさっきよりも穏やかな表情を浮かべている。嘘とは言い難い雰囲気だ。
シェーラはイリスの肩を掴むと、ぐいっと彼女の顔を自分の前になるように回した。
「イリスさん、一体何をやったの? ソレルさんへの魔法は解かれたの!?」
イリスは何かを渋ったようになかなか口を開かなかった。
「イリスさん!」
「――上手く言えないんですけど、魔法を解く魔法を使えたみたいです」
「そんな魔法存在するの? だって、魔法は自然現象を操るだけじゃ……」
「魔法については未解明な点も多くあります。今、私がやったことは昔聞いた話を実践しただけですので」
そして、ちらっとソレルを見た。
「もしかしたら、操られていないというのはソレルさんの勘違いかもしれず、魔法は解除されていないかもしれないので、しばらくは様子を見てあげてください。お願いします」
じっと見つめるイリスに対して、何が何だかよくわらないというシェーラは、ひとまず意見を聞くしかなかった。
「詳しくは、よかったらイリデンスに戻ったら話してほしい。イリスさん、私が知っていること以上のことを知っているみたいだから」
「いいですけど、その前に左腕の方を治療して下さい。ずっと顔が引きつっていますよ」
苦笑いをしているシェーラの顔が固まった。
腕のほうに細かな刃が刺さったのと、先ほどの肩を貫通するほどの怪我はかなりシェーラにダメージを与えているのだろう。だが、それとは反対に元気に返答する。
「え、ええ。まあ、そんなに酷い怪我でもないから、大丈夫よ」
「シェーラ、無理するなよ。顔がひきつりすぎだ」
横からクロウスは容赦なくつっこんだ。シェーラはクロウス、イリスを交互に見る。
冷や汗を掻きながら、どういう言葉を返せば考えているようだ。突然、後ろからシェーラの左腕を掴まれる。
「痛いっ!」
「全く、酷い怪我じゃないか。シェーラ、村に戻るぞ!」
シェーラは悲鳴に近い声を上げた。そして、ダニエル部長は腕を掴むのをやめ、いとも簡単にシェーラを担ぎあげる。
始めは抵抗していたが、すぐにそれが無駄だとわかったのか、大人しくなった。いや、相当疲労が溜まっていたのだろう、眠ってしまっていた。
ダニエルは見張り塔の階段を降り始める。クロウスとイリスは慌ててそれについて行く。クロウスはその際に、近くにいたデターナル島の人におそらく暴れないと思うからソレルを邪険に扱わないように言伝をしておいた。
クロウスは横にいたイリスを見た。穏やかな表情を浮かべている。
さっきの不思議な魔法などから、この子はやはり普通の少女ではないなと思いつつ、見張り塔を後にした。
* * *
次にシェーラが目を覚めた場所は診療所のベッドの中だった。左腕のほうを見ると肩から腕にかけて白い包帯できつく締められている。
はあっと嘆息をつくと、窓を見た。日の光が差し込んでいて、小鳥のさえずりが聞こえる。どうやら丸一日眠っていたようだ。
起き上がると、左腕を軽く動かす。若干痛むが、頑張れば動けそうなくらいだ。そう酷い怪我ではないと再認識すると、ベッドから降りようとする。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
小さな音をたててドアは開いた。そこには目を丸くしたクロウスが立っている。
「おはよう。どうしたの? そんな顔して。クロウスもまだゆっくり休んだら? 昨日、一昨日はいろいろ大変だったんだし」
クロウスは部屋の中に入ると、シェーラの方に近づいた。
「シェーラ、もしかして一日眠っていたと思っているのか?」
「え、そうでしょ? 不覚だわ、丸一日も寝ていたなんて。これは反省しなくちゃね」
「君は丸二日眠っていたんだよ」
「え?」
シェーラは首を傾げた。寝起きのため、思考が上手く回らないようだ。
そして、ある事実に気づくと、みるみるうちに顔が強張る。
「丸二日? ……嘘、やっやばい!」
慌ててベッドから降りようとしたが、クロウスに力ずくで押さえられ、それを止められる。
「ちょっと待てよ! まだ安静にしてなきゃいけないんだ。まだ横になっていた方がいいから――」
「時間がないの! 今日中に行かなくちゃいけないのに。こんなところで寝ている暇はないの」
「そんなに言うのなら、理由を言ってくれ。例え外出するにしても、医者やダニエル部長に話をつけなくてはいけないし。無断で行ったら、強制的に連れ戻されるよ」
「むぅ、それもそうか」
シェーラは一度頭を冷やして、布団の中に足を戻した。そして、椅子に座ったクロウスに投げやりに言葉を吐く。
「私は本来、休暇をとってハイマートという村を訪れるはずだった。だけど、急に仕事が入って、イリデンスに来たのよ。仕事内容がそう長いことでもないから、引き受けたけど……。それで、今日中にそのハイマートに行きたいの。イリデンスからハイマートまでは頑張っても歩って一日かかるのよ」
「どうしてハイマートに?」
「理由を言うの?」
「もしかして、誰かの命日か?」
クロウスはそっと囁くように言った。どこか寂しそうな表情を浮かべて。その表情に、シェーラは一瞬どきっとした。視線をそらすと、顔にほんの少し赤みが入っている気がする。
「……そうよ。父さんの命日なの」
「そうか。じゃあ、行くべきだな。まずはダニエル部長に言ってみよう。馬を使えば、そう時間がかからずにすむ」
「けど、私あまり馬に乗るのは得意じゃないのよね。左腕も上手く使えないから、危険だし」
「なら、俺も一緒に行くよ」
「はい? あなたはイリスさんの護衛でしょう?」
クロウスの発言に思わず首をひねる。クロウスは淡々と言った。
「護衛の役目は解除された。他のデターナル島の関係者は事後処理で忙しいみたいだから頼れないだろう。俺、そろそろここを離れるから、仕事もやめて暇なんだ。ソレルも落ち着いているし、アストンの状態も良好、しばらくはデターナル島の人が何人か村にいるって聞いた。だから、もうここにいなくても大丈夫だろうと思って」
「それでいいの……?」
シェーラはクロウスが無理しているような感じがした。旅をしているとは聞いたが、無理に旅を続けなくてはいいのではないかと印象を受ける。じっとシェーラはクロウスを見つめた。
そんな心配を察したのかわからないが、クロウスは視線を合わせようとはせず、椅子から立ち上がり、ドアの前に立つ。
「ダニエル部長、呼んでくるから」
それだけ言うと、静かにドアを開き廊下へと出て行った。
シェーラにとってはクロウスの態度を見て、何故かこころが苦しくなるような感じがした。