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虹色のカケラ  作者: 桐谷瑞香
外伝 明日へ伸びる橋
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外伝‐11 最後に微笑むのは

 ゆらゆらと揺れる船上でレイラはじっと橋の方を見つめていた。時折、下にまで響き渡る斬撃の音が聞こえてくると、びくっとしてしまう。

「レイラさん、危ないですから、船室にいましょう……。確認が取れたら移動を開始するそうです」

 イリスが胸の辺りでぎゅっと両手を握りしめながら近づいてくる。

「ええ、ありがとう……」

 ルクランシェの頭の回転には本当に敵わない。この船達はルクランシェがもしものことを考えて事前に手配をしていたもの。本当は今日のこの時間帯には出港予定はなかったが、様々な状況を考え、最終的な逃げ道の確保のために無理を言って出してもらっていたらしい。

 もしこの船達がなければ、ここに乗っている人達はもう生きていないかもしれない。シェーラ達が必死に食い止めていたとしても、守るべき人が多いとかなり厳しい戦況を強いられる。

「まだ戦いは終わっていないようですね。空気がぴりぴりしています」

「終わればそれなりの合図を出すはずよ。――主犯格の二人は私も何度が耳に挟んだことある。かなりの腕の暗殺者達、もとい情報屋だと」

「あの、夜の軍団の方々よりも、強いのですか……?」

「そうね……、任務を遂行するためにはどんな手段も選ばない人達。あまりそういう人達を相手にしたことのないシェーラ達にはきついかもね」

「そんな……」

「大丈夫よ。それなりに場慣れした人も上には残っている。そこまで心配する必要はないわ」

 不安そうな顔をしているイリスを少しでも和らがせようと、無理に微笑んだ。

 だが内心では暗雲が垂れこまれている。サーランは打算的な考えをするようで、上にいる人を殺すよりは人質などに取って、レイラの首でも要求するかもしれない。だからまだすぐに事は起こらないだろう。

 問題はグリスだ。

 ルクランシェから個人的に聞いた話では、本当に危険なやつらしい。普通に相手をしていたら、敵わないと言っていた。そして本気で殺しに来るから、こちらも本気で殺さなければ、おそらく対等な相手はできないと。

 ――皆、無事に帰ってきて。それだけが私の願い……。

 魔法が無くなってから、完全に守られる立場になってしまった。それが歯がゆく、悔しい。だが今はその事実に対して、どうこう言える立場ではない。

 戦闘を続けている彼ら、彼女が少しでも無事でいられるよう、祈るしかなかった。



 クロウスはソレルの肩を借りながらゆっくりと立ち上がり、サーランの方に目を向けた。サーランの脇には苦しそうに息を吐きながら横たわっているシェーラの姿。出血は酷くないが、体を動かすにはもう限界であろう。

 急いで駆け寄りたいが、サーランの手に持っている短剣がシェーラの胸の位置に向いていた。迂闊に動けば命はないと言いたいところか。

 少し離れたところでもダニエルが様子を窺っていた。男三人が睨みつけているのに、それに怯む様子も無く堂々とサーランは立っている。

「あら、いい男達が女性一人に寄ってかかって、何をするつもり? グリスに早く殺されてしまいなさいよ」

「残念だがその男は俺らの仲間相手に苦戦しているようだ。俺らの心配より自分の心配をしたらどうだ?」

 ダニエルが半歩だけ近づく。サーランは動じず、逆に笑い返す。

「グリスが苦戦? 何を馬鹿なことを言っているの。すぐに死体が二つ転がるわよ。――ああ、あまり近づかないで、魔法管理局事件部部長さん」

 それを聞いてぴくりとダニエルの体が止まる。

「この風使いとは親しい仲のようね。娘みたく思っているのでしょう? この子をこれ以上傷つけさせたくないのなら、近づかない方が賢明よ」

 軽くシェーラを蹴りつけ、ほくそ笑みながら、歯噛みをしているダニエルを見る。

 状況はかなり厳しい。スタッツやルクランシェがグリスと対峙しているからまだいいものの、最悪の展開を考えると早めにこの女からシェーラを取り返さなければならない。

 シェーラの険しい顔がクロウスに向けられる。その目は自分のことなど構わず、早くどうにかしろと訴えているようだ。だがそれにはクロウスはもちろん、ここにいる一同は答えられるものではない。軽く首を横に振る。

 すると僅かにシェーラは嘆息をした。何かに呆れているような、だがどこかほっとしたような顔つきで。

 ちらりと視線を空に向ける。そして今度はよりはっきりとした目でクロウスをじっと見て来た。

 ――空に何かあるのか?

 サーランに悟られないよう、少しだけ視線を上に向けた。黒々とした雲が見える。今の自分達の状況をそのまま映し出したような黒で覆われた空。そこには何もありはしない。鳥も何も――。

 だがそこまでして思考を止まらせた。本当に何もないのか。あの空の先には何もないのか。

 そんな中、微かに吹く風が肌に当たる。そして唐突にシェーラが訴えていたことに気付いた。

 サーランは相変わらずダニエルやクロウス達に目を光らせながら、シェーラに向けている短剣の先を外そうとはしない。神経はその二つに働いているようだ。

 剣を気づかれないように握りしめる。そしてぱちりとサーランと視線があった。気付かれたか――、そう悟ったが、すぐに杞憂に終わる。

「あら、そんなにこの子が欲しいの? 役立たずの風使いを」

 いちいち勘に触ることを言ってくる人である。

「――役立たずなんかじゃない。俺にとっては大切な人だ」

 溜息混じりに仕方なく返す。

「そうなの? 魔法が無くなってからかなり戦力が落ちているのに、のこのことここにいることで、足を引っ張っているじゃない」

「……あなたとは考え方が違うようだ。魔法が無くなって技術は落ちていても、よりよくなっているものはあるのさ」

「あら、何かしら」

「それは――」

 頭に何かが当たる。まるでクロウスだけに知らせるために落ちた、小さな合図。

 次の瞬間、何の前触れもなく一気に大量の雨が降り始めた。

 ダニエルやソレルは突然のことに驚きを隠せない。サーランも同様だった。一同の視線が空に向かう。

 その瞬間、足の痛みを呑みこんで、俊足(しゅんそく)でサーランに近づいた。

 雨に気を取られて反応が遅れたサーランの短剣を跳ね上げる。

 左胴を斬りながら、後ろに回って首筋に手刀を下ろす。

 サーランが小さな悲鳴を上げながら、橋の上に倒れ込んだ。悔しそうな顔をしながら、意識を失った。それを確認すると剣を納め、すぐに身を翻して、大切な彼女へと近寄り、腰を屈めた。

「大丈夫か、シェーラ!」

 シェーラの手に刺さっているナイフをゆっくりと引き抜きながら、声を投げかける。痛みを堪えているのが切実に伝わってきた。それぞれの手に持っていた布切れを巻きながら、止血をし始める。

 その時、シェーラの口が微かに動いた。よく聞こえなかったため、少し耳を口元に近付ける。

「……よく……気づいたわね……」

 シェーラの視線がクロウスを通り過ぎて、空に向かう。冷たい雨がさらに勢力を増して降り続けていた。クロウスは口元に笑みを浮かべて答える。

「一体何年付きあっているんだよ。何となくわかるさ。俺達には目に見えない何かが通っているから――。それにしてもどうしてわかったんだ? 雨が降るって」

 疑問を口にすると、シェーラは小さく微笑んだ。

「……風よ。雨が降る直前に吹く……独特の風が……吹いたの。この戦いの終わりを意味する……風が」

 魔法が無くなってから、風を操ることができなくなってしまった風使い。だが、今でも確かに彼女は風と共に生きていた。風を感じるという行為を通して――。



 その頃橋の脇では、スタッツとグリスの激しい攻防が繰り広げられていた。なるべく橋から離れるように移動し、そこまで来ている。

 スタッツは怪我をしているとは思えないほどの速さで、グリスに拳を向けていた。辛うじて簡単に止血はしているが、普通では耐えられないほどの痛みが走っているはずだ。

 ルクランシェは木の陰に隠れながら、そんなスタッツを気にしつつ、静かに二人に近づく。逸る想いを落ち着かせながら、右手に飛び道具用のナイフを五本ほど取り出した。

 そしてスタッツとグリスが一瞬、間隔を空けたところで、即座に投げ飛ばす。グリスはそこから飛びのき、増えた相手に無表情の視線を送る。僅かに視線が合ったのを逆に睨み返しながら、スタッツの脇に駆け寄る。

「何やっているんだ、シェーラを助けに行かなくていいのか」

 激しい息遣いをしながら、囁いてくる。

「クロウスがいる。今は彼よりお前の方が心配だ」

「……はっ、俺も舐められたのもだ」

 だがそう言ったスタッツはどこか嬉しそうだ。すぐにグリスが突っ込んでくるので、それ以上話はできなかったが、やることはわかっていた。

 スタッツがグリスを引きとめて、その隙をルクランシェが突く。この期に及んで作戦など建てている暇はない。だが個々の戦闘の仕方には、かなり工夫を凝らしていた。

 ルクランシェは様々な種類のナイフを距離に応じて投げたり、時折体術を使って怯ませようとする。小瓶の液体はスタッツも共に接近戦をしているので使わないつもりだ。

 ナイフの残量を確かめながら、先端が尖りつつも芯のしっかりした短剣を引き抜く。人の体などを簡単に貫通できる、滅多に使わない品。人の体を刺すにも容易な剣である。

 途中で雨が降り始めていた。だがグリスの動きはまったく劣らない。

 一方、スタッツの切れが徐々に衰えていた。それに勘付いているグリスは更に激しく攻めて来る。

 厳しくなる状況に、ルクランシェも考える余裕は無い。感覚だけで動き、急所を狙う。

 やがて少しずつだが、グリスの殺気がルクランシェにも向き始めていた。

 もう少しすれば勝機が見られそうな時――、突然スタッツの足元が滑った。押される形となっていたスタッツはそのまま地面に背を向けて倒れこむ。グリスは速さを変えずに短剣を左胸に下ろした。

「待っ――」

 グリスが突き刺す方が早いに決まっているのに、叫ばずには手を伸ばさずにはいられない。

 言いきる間もなく――鮮血が飛び散った。



 雨が降っていた。今まであったことを全て流すような、どこか不思議な雨が。

 レイラは濡れるのにも構わず、アルセドと共に橋の近くを走り回っていた。本当は大人しく町にいなければならないが、何か嫌な予感がしたのである。橋を渡ろうとしたが、その前に点々と垂れている血が気になって、そっちの方に足を向けたのだ。

 ルクランシェから事前に護身用にもらった強力な酸が入った小瓶を、ぎゅっと握りしめつつ走り続ける。雨は強くなり、レイラのローブなどびしょ濡れになってしまう。

 垂れている血を目印に走ると、少しだけ開けたところに出た。

 そこで見た光景にレイラは思わず口を手で押さえた。

 グリスの短剣が地面に転がっているスタッツに向かって突き刺さっており、ルクランシェの短剣は――グリスの背中に深々と突き刺さっていたのだ。

「スタッ――」

 蒼白な顔で駆けだしそうになるアルセドを押しとどめる。まだここから先に行ってはいけない雰囲気が漂っているからだ。

「……ルクランシェ……」

 雨の音にすぐに消されてしまう、か細いスタッツの声がする。信じられないという顔をしながら、刺されたグリスは口から血を吐き出した。

「……くそっ……お前……」

 グリスは怒りと悔しさに滲んだ表情をしている。ルクランシェは急所を貫いている短剣から手を離そうとはしない。

「……どうして兄さんを殺した……」

 ふつふつ溢れる感情を抑えながら開く口から出て来たのは、かつてルクランシェやスタッツが兄さんと親しみを込めて呼んだ人。

「……一体……誰のことだ……」

 次の瞬間、スタッツが立ち上がり、滅多に使わない隠しナイフでグリスの左脇腹を深々と刺し込んだ。ルクランシェにより固定されていたグリスはその奇襲に逃れことなく、刺された。さらにグリスから大量の血が流れ出す。

「スタッツ、何を……」

「俺はずっとこいつの息の根を止めてやりたかっただけさ。それに――お前だけに苦しみを背負わせてたまるか」

 重い空気と共に沈黙が流れる。

 すると拘束していた手が緩んだ隙に、グリスはルクランシェを腕で押しのき、ふらふらと離れ始めた。

「こいつ……!」

「待て、スタッツ」

 スタッツがもう一本隠しナイフを取り出し、駆け出そうとする前に、ルクランシェが静かに制止した。

「もう……長くはない」

 ぼたり、ぼたりと落ちる血はそのままグリスの命の消耗と同じことを意味していた。誰が見ても、確実に死は免れられない。

「ただ……強いやつを殺したかっただけだ」

 グリスの視線はルクランシェ達の方に向いたままで、ゆっくりと後ろに下がる。

「情報屋で名を馳せている男……そいつに興味があって近づいたら……ただの人だった。だから殺した……。そしたらお前達がかかってきた……それはそれで面白かった」

 それを聞くとスタッツは怒りの形相で睨みつけ、ルクランシェは冷めた目で見返した。

「だがな……俺は誰の手にもかかわらずに……終わるさ」

 島の端まで着くと、急にグリスは不自然なふらつき方をした。そして仰向けに倒れ、視界から消える――。

 数瞬その光景を眺めていた。だが、我に返ったスタッツは痛みを抑えて、慌てて駆け寄り、座り込んで下を覗き込んだ。

 グリスはいない。

 ただ少しずつ波が高くなっている海があるだけだった。

「何だよ……また逃げたのかよ……」

 拳を地面で叩き、悔しそうに呟く。逃げていないのはわかっているはずだ。だがそれでも言わずにはいられないのだろう。

 ルクランシェはじっと血溜まりになっている地面を、眼鏡を通して見つめていた。そんな彼の近くにレイラはゆっくりと歩み寄る。濡れた草を踏み分ける音でようやく存在に気付いたのか、疲れ切った顔を上げた。

「レイラ……見ていたのか」

「……ええ」

 躊躇いながらも返事をする。それを聞くとルクランシェは寂しそうな顔をした。

「そうか。……突然で悪いが魔法管理局を辞職したい」

「な、何を馬鹿なことを言っているの? どうしてそんなこと言い出すのよ!」

 乾いた笑いをしながら、突っ込む。だがルクランシェは動じずに口を開く。

「……突然じゃない。前から考えていた。きっと遠くない将来、レイラに負担をかけるから……」

「局を離れていた時にしていたこと、多くの人に対して手を染めてしまったこともすべて承諾して先生や私はあなたにいてほしいと願っているのに!?」

 ルクランシェは目を丸くしつつも、静かにその言葉を受け取る。だがそれでも一向に表情は変わらない。その切ない様子が、止めどない想いを溢れさせる。

「人を傷つけるのは、許された行為ではないし、自分自身も傷めてしまう。だけどそうなることをわかっていた上で、他人を守るためにあなたは敢えてそっちの方向に行ったんでしょ?」

 すぐ傍まで近づき、赤い血で染められた左腕に目を落とす。

「……もっと自信を持ってよ」

 呟く言葉にルクランシェは首を傾げる。レイラは声を大にして言い放った。

「私の知っているルクランシェはこんな人じゃない。もっと堂々として、自分のことを絶対と思っている人よ。今のあなたは苦い過去の思い出と共に消えようとしている、ただの意気地無しだわ!」

 それを聞いたルクランシェは口を尖らした。

「その言い方はないだろう! 勝手な思い込みだ」

「なら言ってみなさいよ、どうして局をやめたいのか」

「それはレイラに迷惑をかけるから……」

「そんな風に勝手なことを言われては困る。私は――あなたがいなくなった方が迷惑なのよ!」

 思わず言ってしまった告白めいた内容に、あっと声を漏らす。ルクランシェも呆然としていた。慌てて誤解を解こうとする。

「い、意味を取り違わないで。あなたとはずっと傍で張り合っていたから、急にいなくなると何かとつまらなくなるだけ。ほどきたくてもほどけない、絆のようなもので結ばれているだけだから……」

 後ろを振り向き、溜息を吐きながらルクランシェから離れようとした。だが急に腕が後ろから伸びて来て、レイラを抱き込んだ。

「ルクランシェ……?」

「ごめん……、ありがとう」

 耳元からルクランシェの息遣いが伝わってくる。

「少しだけこのままでいてほしい」

 こくりと頷くと、さらに抱かれる腕の力が強くなった。レイラは微かに震えているルクランシェの腕を触りながら、優しく包み込んだ。

 雨は少し小降りになりつつも、決して途絶えることはない。

 目に見えない絆はより一層強いものになっていた。



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