外伝‐7 深まる謎と推測
死という言葉が脳裏をよぎり、覚悟までした――だが微かに開いていたドアから勢いよく誰かが入ってきた。
「シェーラ! 何処にいるんだ!?」
その声を聞いて、シェーラの目には涙が溢れそうになった。男が刺すのを中断し、彼の方に視線を向けようとする。その時にありったけの声を放った。
「クロウス――!」
男の目がすぐにこっちに返ってきた。そして躊躇いも無く短剣を振りおろした時――唐突に男の体が壁脇に飛んだ。
「こいつ!」
一瞬で近寄って来たクロウスを見て、シェーラは嬉しさを通り越して、目を丸くする。
そして戦闘態勢に入ろうとしていた男に対して、躊躇いも無く斬り付けた。左肩を斬られ、持とうとしていた短剣を手から落とす。悪態を付きつつも、第二撃をかわし、逆に隠しナイフを出しながら、クロウスに近寄ってくる。
黒々とした刃――毒が塗られている可能性が大いにある色だ。だがクロウスはナイフなど気にかけずに、剣を振り上げながら駆け寄る。
危ない――、そう思った矢先に次のことは起こった。
上に向けていた剣先を、瞬時に下に切り返し、ナイフごとすくい上げるように男の胴へと刺し込んだのだ。そんなに深く傷を付けていないが、ナイフの毒が体に回り始めたため、もだえ苦しみながら倒れこむ。やがてほとんど動かなくなってしまった。
クロウスの本気を直に見たシェーラは、一種の戦慄が走る。
男が動けなくなったのを確かめ、剣に付いた血を掃うと、血相を変えてクロウスはシェーラに駆け寄ってきた。
「大丈夫か、シェーラ!?」
先程まで戦闘をしていた顔つきとは違い、どこか幼く感じる慌てぶりに少しほっとした。
「どうにか生きているわよ」
クロウスは座り込み、両足、両手に固く縛られた縄を渋い顔をしながら解いていく。やがて四肢が自由になると、上着を着て、柱をつたいながら立ちあがった。
「まったく世の中物好きな人がいるものね。私なんて狙って何か得ることなんてあるかしら?」
ぶつくさと言うが、不意に両肩の痛みが全身に走り渡る。まだ浮かない顔をしているクロウスに対して倒れ込んだ。
「ごめん……」
「いや、大丈夫……」
言葉がどこかたどたどしい。不思議に思って顔を上げると、クロウスが驚愕の目で見開いていた。視線の先は変に途切れている頬の血や、ぬめりけが残っている首元。
「あ……、別に本当に大丈夫だって。昔の無茶ぶりの方が酷い怪我をしていたし……」
そんなことではないと目で訴えられる。肩から滲んでいる血を見られるより、どこか気持ちが落ち着かなかった。
「大丈夫……だから……」
声が震えているのが言っている本人でもわかった。そっとクロウスは左手をシェーラの頭の後ろ、右手を背中に回す。
そして優しく唇を乗せられた――。
数瞬で離れ、今度はしっかりと抱きしめられる。その大きな体にようやく安堵が心の中に広がった。気持ちが緩むと一気に目から涙が溢れ始める。
「ちょっと怖かった……。今まで感じたことがない別の怖さ……。情報部に所属しているんだから、これくらいの状況を想定しなくちゃね」
「いいんだよ、俺が悪かった」
「クロウスのせいじゃない、私のせい。考えが甘すぎた」
「もっと俺が気の利いたことをしておけばよかった。けど何より、シェーラが無事でよかった……」
その抱き締め方でいかにクロウスが心配していたかがわかる。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。抱擁を解いて、再びお互いに見合わす形となる。そしてもう一度――。
「無事を確認したら、すぐに行くぞ、クロウス!」
突然、スタッツの声が割り込んできた。焦っているスタッツなど珍しい。まだ現状が把握できていないシェーラは涙を拭って、クロウスに支えられながら入口の方まで歩いて外に出た。
そこは橋の近くにある高台。橋を、そしてノクターナル島まで見渡すことができる。
「いちゃいちゃは全てが終わってからにしろ。まあ……どうにか最悪の事態は避けられたようだな」
少しだけ緊張感が緩んだスタッツは、部屋の中をじろじろと見ていた。そして眉をひそめながらシェーラに尋ねて来る。
「おい、赤黒い短い髪で、胸が大きい女は何処に行った?」
「さっきまでいたけど尋問役を交替して、外に出て行った。何か時間を気にしているみたいだったけど」
シェーラは懐中時計を取りだし、時間を確かめた。すでに式が始まっている。
「そうか、やっぱりこっちは囮か……」
「囮? シェーラを捕まえて、散々拷問したことが囮だって!?」
「落ち着けクロウス。ひとまず下まで降りるぞ」
シェーラの荷物を回収し、階段を一段一段降りながら、スタッツは頭の中にまとめていたことを口に出していく。途中で意識を失っている丸い顔の男の横を通り過ぎた。
「あの女は俺が知っている名前だと、サーラン・ヘルメシアと言って、裏の世界では名を馳せているやつだ。美しくも魅惑的で目立った容姿であるが、やり方は非常に残忍。その傷もあの女によるものだろう」
ちらりとシェーラがタオルで傷口を抑えている肩を見た。
「調べているうちに、その女がグリス・テマイトと同盟を組んでいることが分かった。だから今回の件では裏であいつが動いている」
「だけどその人達の目的は一体何なの? あの女はカケラや局の情報を得たがっていたけど、さっきの男は情報だけじゃなく金も欲しそうな感じだったし……」
「だからシェーラのことははっきり言ってしまえば、ついでだ」
再び怒りの沸点に到達しそうなクロウスを宥めながら、地上に降り立った。そしてクロウスに支えられながら馬に乗り、シェーラを支える形で彼も飛び乗る。準備ができたのを見ると、別の馬に乗っていたスタッツは速さを上げて移動を始める。
「あいつらの本当の目的は橋で行われる追悼式だ。そこに何らかの形で襲ってくるだろう。人殺しか、人質を取るか、それとも――。とにかくあの式には著名人もそれなりにいるし、人も大勢いる。だがその割には、昔よりは警備が甘い。それを狙ってくるはずさ」
「じゃあシェーラは……」
スタッツはクロウスを一瞥した。
「情報を得たいのもそうだが、おそらく戦力分散だ。どこかで式の名簿でも得て、お前やシェーラの名前を見つけたのだろう。別に過大評価をしているわけではないが、下手な護衛数十人よりもお前を相手にする方が嫌なはずだ。何といっても、世間を震え上げさせたあの剣士と対等に渡り合った男だからな。そいつが式会場にいて、作戦を止めにかかられたら何かと不都合だろう。だからシェーラを捕らえて、式には行かせず、探し回せるように仕向けたんだ」
「でも、私が一人で行動しなければどうなったの? 捕らえるのには一人になる必要があるでしょ」
「そんなの適当に呼び出して捕まえられるだろう。別にいなくなったことを知ってはいけないわけじゃない。最悪、皆がいる前でも煙玉とかまいて、拉致してしまえばそれでいい」
「……そういうものなのね……」
少し肩を落としながら、苦笑いをする。簡単に捕まえられる存在として見られていたという事実は、今まで前線で戦ったこともあるシェーラにとってはどこか切なかった。その悔しさをどうにか抑え込む。
「ええっと、結局そいつらは式を襲って、どうするつもりなんですか?」
先を進んでいたスタッツは口を開かずに、黙々と馬を進めていた。
「スタッツさん? もうあなたなら知っているんでしょう?」
「そんなにじらす必要なんてあるのか、スタッツ。今は時間がないんだ。裏の世界で渡り歩いていたやつが式に――」
変なところで話すのをやめたクロウスを変に思い、ちらりとシェーラは振り返る。首を傾げながら、何かを考え込んでいた。
「クロウスまで一体何なのよ!」
「いや……変だなあと思って」
「何がよ」
「だって、裏の世界にいた人達がどうして表の世界に関わろうとしているんだ? かなり危険な行為だろう、捕まる可能性が高くなる」
「そういえば……。けど、もしかしたら表の世界にあまり関わらないで、式に乱入するかもしれない。――そう暗殺とか」
思わず言ってしまったが、あまりに突飛な発言である。暗殺だとしても、一体誰に対してなのか。そしてもし式中なら、橋の上で手をかけることになる。そんな危険を承知で実行するのか。
さらに謎が深まり、二人は険しい表情で唸り声を上げる。すると大きく息を吐く音が耳に入ってきた。
「もう少し頭を柔らかくしたらどうだ」
「それなら教えてくださいよ、スタッツさん」
「俺が持っている情報も少ない。ただの推測しか言えないぞ?」
「それでもいいです」
スタッツはシェーラの真っ直ぐな言葉に感化されて、ようやく黙っていた内容を出した。
「――これから話す推論の前に、ある事実を先に言っておこう。グリス・テマイトはそこまでではなかったが、サーラン・ヘルメシアやそこらの周りの人間は相当な魔法の使い手だった」
「え……?」
「そいつらは今の世の中をどう思っているんだろうな。実に不便になっただろう」
その言葉を聞いて、ようやくシェーラは真相が見えて来た。魔法を失って、暴動を起こすことはよくあることだ。そして魔法管理局があるミッタークでもそういうことがあった。治安維持局が取り締まっている所で起こし、捕まるとわかっていて敢えてする。なぜならその暴動の対象は――。
「本当の目的は、魔法管理局への恨み……?」
* * *
シェーラが救出される一時間前――。
クロウスが戻ってくる気配が全くない宿の一室では、レイラが無言のまま重い腰を上げていた。そして探しに行きたいのを我慢し続けているダニエルの肩に手を乗せる。
「時間だわ。そろそろ行きましょう」
それに頷いてしっかりと答える。イリス、アルセド、メーレが心配そうな顔をしている中、一通り準備をし終えた一同を従えて、重い空気の中、宿から出た。
外に出れば、同じく式に向かう人達が歩いている。その集団から少し逸れるようにルクランシェが先頭をきって、木々に囲まれ舗装された道を歩き始めた。
何が起こるかわからない式に、漠然とした不安な空気が流れている。シェーラの安否も不明、彼女を探しに行ったクロウスとも連絡が取れない。まるで二年前、孤島の瓦礫に飲まれて消息が絶たれたあの時のことを思い出してしまう。
「ルクランシェ、式は橋で行われるのよね」
確認のために聞いてみる。まだ雨が降らないだろうが、黒い雲が近付いていた。
「そうだ。壊された橋の上でブルーケの町長やレイラを含めた何人かの話の後に、一同で黙祷。少しだけ時間を置いて、引き続き新たな橋の建設の声明発表だ」
「新たな橋の建設……か」
式で何かが起こると言われた後、ルクランシェにこっそりと呼び出されて、グリス・テマイトのことや今後起こることの詳細なことを教えられた。レイラだけに言った理由は、あまり他人に自分の過去を教えたくないから。そして、これから起こる事件ではレイラに危害が加わる可能性が高いからだ。
――いつの時代でも、上の者が命を狙われるのは常ね……。
そうぼんやりと思っていた。局長がいなくなってからある程度は覚悟していたし、現実にこの立場のおかげで殺されかけたことはある。だから今更怖いとか言ってはいられない。
「ねえ、警備の人は増やせたの?」
シェーラがいなくなったのが発覚した後、ルクランシェがブルーケの警備隊に警備を増やすよう相談していたのだ。万が一の場合、戦える人が増えればそれに越したことはない。だが返事はそれに反していた。
「……ほとんど増えないな。物的証拠がなくて動けないと言ったし、人が足りないのが現状だな。今回の式も隣町から借り出したくらいだ」
「わかった。早くクロウス君達が合流してくれることを祈るわ」
あの二人がいないのはレイラ達にとっても大きな痛手だった。力量はあるし、ある程度場慣れをしている。そんな二人がいない中、争いが起こるなど考えたくもない。まるでこの二人を式から遠ざけたく、シェーラをさらったのかと思ってしまう。
やがて開けた道に出ると、そこには橋が広がっていた。だが奥の方で途切れている。橋は途中から跡形もなく崩れ去っているのだ。
ささやかな肌寒い風が吹く中、レイラは髪を抑えながら、その先を見た。希望と未来に溢れた新たなる橋。それを途絶えさせてはならない――そう決心すると、しっかりした足取りで橋へと向かい始めた。