外伝‐3 閉じられた過去
宿に荷物を運び入れ、レイラが追悼式の主催者から簡単な説明を受け終わる頃には、辺りは真っ暗になっており、屋内から漏れている光が道を照らしている時間帯となっていた。
事前に手配しておいた宿の一階はとても広い食堂で、そこで再び一同は顔を見合わせている。他に式に出席する人も多数泊っているためか、比較的混んでいた。
「こういう風に一息つくのは久しぶりだわ」
レイラが椅子に深く腰を沈めながら、ブラックコーヒーを飲んでいる。変わらない光景にシェーラは少しだけホッとしていた。時が経てば様々なことが変化していく。それは当り前のことであり、避けては通れないことだろう。だが、変わらないものも必要なことだ。
「なあに、そんなにじろじろ見て。何か顔についている?」
「いえ、別に。ただレイラさんもいいお歳だなって思っただけですよ」
その言葉にレイラがむせたのに対し、シェーラは澄ました顔で紅茶を喉に通す。局で飲んでいるのよりも少し香りが違うようだ。
「……シェーラ、言うようになったわね」
「事実を言っただけです。だってレイラさん、あと数カ月で三十じゃないですか」
「あなたはあと一週間経たずに歳を取るでしょうが!」
「まだ二十代前半ですよ」
「隣に十代がいるのに、そんなことを平気で言っていられるかしら?」
そう言われると、首を動かして左隣に座っているイリスの方を横目で見る。愛らしい目をして、きょとんとした顔つきでシェーラを見つめ返す。元々体力差はあったから、彼女といてさほど体力の衰えを感じたことはない。だがその健気で無邪気な様子には勝てる要素がなかった。
苦笑いしながら視線を前に戻すとレイラが勝ったとばかりに、淹れなおしたコーヒーを意気揚々と飲んでいる。悔しかったがこの人の口車には勝てないと改めて実感し、話題を別に逸らした。
「ルクランシェ部長、そう言えば昨日、スタッツさんに会いましたよ」
話しかけられた本人は眼鏡を拭きながら、驚くでもなく普通に返される。
「彼は昔から放浪癖があるらしいじゃないか。どこにいても驚きはしないだろう」
ルクランシェとスタッツが昔、関係があったことはここにいる誰もが気づいている。だが二人は決して自分たちからは言い出したことはない。
「まあ確かにそれはごもっともです。それよりもスタッツさんが人を探しているらしくて、珍しくないですか?」
ルクランシェの手の動きが若干止まった。だがすぐに動き始め、平然と続ける。
「情報屋の彼だって万能じゃない。知らないこともたくさんある。珍しい話じゃない」
「そうですか……。ただ、いつもより様子が荒々しかったので、変だなあと思いまして。ねえ、クロウス」
話を振ったクロウスに若干鎌を掛けるよう、視線で訴えた。それに応じたのか、本当に微かに首を振る。
「ああ。どこか焦っていた雰囲気もあった気がする。一体どうしたんだろう? 『ゾンビが動いていると聞いて、気になっただけ』って、可笑しな例えだよな」
「死者が動くはずないのに、何を言っていたのかしら。誰か死んだと思っていた人が生きていたのかしら?」
ルクランシェの表情に特に変化はなく、涼しい顔をしている。それはただ話を流しているようにもみえるが、じっくりと聴きこんでいる風でもあった。
それ以後、シェーラはスタッツ関係の話は出さず、式や町のこと、最近の局を巡っている話題など、とりとめのない話を持ち出したり、持ち出されたりした。それには簡単に相槌を打つ程度にルクランシェは返しており、いつも通りに見える。だが気持ち会話数が少ない気がした。
時間はあっという間に過ぎていき、夕飯はお開きになり、それぞれの部屋へと戻っていく。アルセドはイリスとの相部屋を望んでいたらしいが、ここはあくまで仕事に近い状態で来ているため、そうはいかない。シェーラとイリス、アルセドとクロウスという、いつも通りの組み合わせになった。
久々にイリスとのんびり話でもするかとシェーラは思っていたが、急にアルセドが部屋に入ってきてイリスを外に連れて行ってしまったのだ。それはよくあることだが、あの勢いには唖然としてしまう。まるで風のように連れ去っていたのを見て、ぽかんとしていた。
しかし、次に控えめのノックを聞いて、慌てて我に戻る。
「空いていますよ」
そこに現れた人物にシェーラは一瞬目を丸くした。だが範疇内の人物であったので、すぐに応対し始める。
「どうしましたか、ルクランシェ部長。用事があるのなら、部長の部屋に行きますよ」
「しらじらしいことを言うな。こうなるよう差し向けたのはシェーラ達だろう。……話を聴きたい、もちろん彼も一緒に」
ルクランシェが振り返ると、漆黒の髪の青年が立っている。クロウスはシェーラに軽く笑みを浮かべて、成功の意思を伝えた。シェーラはちらっと部屋の中を見て、あまり散らかっていないところを確認すると中に招き入れる。
「どうぞ。しばらくはイリスも帰ってこないと思います」
そしてルクランシェはクロウスを先に入れると、ドアをしっかり閉じて、鍵をしっかり締めた。その慎重ぶりに若干驚きつつも、シェーラは机に備え付けられている椅子をルクランシェに進め、クロウスと共にベッドに腰を掛ける。
「さて、何の話を聴きたいのでしょうか?」
ちらっと窓の方を見る。窓が閉まっているかどうか確認をしたのだろう。
そしてようやくルクランシェが意を決して口を開いた。
「……スタッツ・リヒテングが探している人は、黒髪で割と背は高め。もしかしたら眼帯を付けているかもしれない。そして近寄りがたい暗い雰囲気を兼ね備えている、グリス・テマイトという男じゃないのか?」
さらっとルクランシェは言い放った。だがそれに反して、シェーラとクロウスは予想外の言葉を出され、驚きすぎて開いた口が閉まらない。
「ええ、その通りですが、部長は彼を知っているのですか?」
ルクランシェは視線を下ろし、口を一文字にして自分の拳を強く握りしめた。眼鏡の奥で何を考えているのだろうか。しばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。
「突然すまない。少し気持ちの整理を付けていただけだ。……スタッツ・リヒテングはどこかであいつが生きているという情報を得たのか。やっぱり生きていたか……」
「あいつ……って、親しい間柄だったのですか?」
「親しくはない。ただ共に行動をした機会があっただけだ」
若干吐き捨てるように言う。どこか苛立っているように見えた。
「ルクランシェ部長はスタッツとどこかで過去を共有していますよね。それに関係があるのですか?」
クロウスが誰もが言えなかったことをすんなりと言いのける。その真っ直ぐな言い方にルクランシェは思わずふっと笑った。
「そう切り返してくるとは、君もいい度胸をしているよ。……ああ、そうだ。私とスタッツは十年近く前に二年ほどある人を介して出会い、共に行動をしたことがあった。その間にあいつとも会った」
踏ん切りがついたのかスタッツのことを気兼ねなく呼び始めたが、グリス・テマイトに関しては名前を出すのを躊躇うように、言葉を濁す。
「十年前……。確か部長が実験部を去られ、局を離れていた時ですよね」
「……レイラから聞いたのか。本当にシェーラにはよくしゃべるよな」
やれやれと肩をすくめている。
「まあ、そういう頃だ。実験部にいた頃に色々とあって、その後少し国を放浪していた。だが旅を甘く見ていて、ネオジム島を回っている時に性質の悪い団体に絡まれた。危うく殺されかけたが、その時に助けてくれたのがスタッツと兄さんだった」
少しほどけていく、隠されたルクランシェとスタッツの過去。
その過去をゆっくりと遡っているのか、一文一文の間がいつもより長い。懐かしそうにも感じるが、どこか哀愁帯びているようにも感じた。
「兄さんとは当時情報屋を営んでいた男性だ。三十もいっていないのに、かなり優れた情報屋であり、人の良さから多くの人に慕われていた。スタッツはその時点で兄さんに一年ほど付いていて、情報を得るために様々な技術を得ていた。――二人もすでに勘付いているだろうが、スタッツの少年時代はかなり厳しい状況下で、親を嫌い、家を飛び出していた。その際に兄さんと出会ったらしい。私も彼らと出会って、今以上の能力を何か得たいと思い、無理を言って弟子に取ってもらった。もう実験部ではやっていけないとわかっていたから……」
シェーラが知らないところで、それぞれの人が様々な苦境に立たされていたのだろう。ルクランシェやスタッツはそれを打破するために、偶然出会った情報屋のエキスパートに頼み込んだ。何か人とは違う能力を得るために。
「私はスタッツほど情報を得るのは上手くはなかった。だがそれを的確にひも解き、実行するよう指示をするのは上手いと褒められたこともあった。――色々なことを学んだ。あのデターナル島の温室の中では決して教えられないこと、一歩間違えれば悪と言われてもおかしくないこと、状況によっては手も染めた。そうでもしなければ自分が殺られてしまう裏社会だ」
もう戻れない裏社会をしらない自分を思い出しているのだろうか。
『――戻ってきたときは、すっかり変わっていた』
レイラの言葉が反響する。彼女は知っていたのかもしれない、ルクランシェがたった数年で全く違う世界の道を歩み始めていたことを。だが、どんな経歴を持っていても、レイラや今は亡きセクテウス・ベーリンは真正面からルクランシェを見ており、彼の能力を称賛し、やがて情報部部長という立場を与えた。それはきっと信頼があってこそのことなのだろう。
「私がスタッツ達と出会って二年ほど経った後だ。あいつが現れたのは」
ルクランシェの声のトーンが下がり、急に空気が張り詰めてきた。殺気が若干ながら滲み出ている。
「ノクターナル島を回っている時、あいつは急に話しかけて来た。兄さんは裏の社会ではそれなりに名が出回っていた。それを知っていた上で近づいてきたらしい。私やスタッツは警戒したよ。始めから兄さんの本性を知っていて近づく人など、ろくな人間ではない。だが私達と同い年のその男に兄さんは心を許していた。もしかしたら無口でどこか危なっかしい孤独な男に同情でもしたのかもしれないな。……事件が起こったのはそれから一カ月も経たない頃だ」
ぎりっと歯を噛み締める音が聞こえる。ルクランシェの溢れる憎悪に思わず後ずさりそうだ。
「――野宿をしていた翌日、あいつが突然消えた、兄さんが持っていたある情報のメモを持って。すぐに気付けたから、あっという間に見つけ、追いつめられた。だがあいつは谷に背を向けて、近づいてくる兄さんをじっと見つめていた。兄さんはまるで子供をあやすかのように、笑顔を振りまいて近づいて行く。だから一瞬の行動に動けなかった、――毒が塗ってあるナイフを深々と刺されたことに」
ルクランシェがそっと左胸に手を添えた。淡々と語る姿がむしろ怖い。シェーラは目を丸くし、鼓動が速まっていることに気付いていた。
「あの時のスタッツの異常な怒り方は最初で最後だろう。ナイフから手を離してニヤニヤしているあいつを、全身全霊で腹を一発殴り、反撃されそうになったところを、滅多に使わないナイフで右目を切りつけ、怯んだところを何発も急所を狙うように殴りつけた。私も止めはしなかった。それよりも麻痺して震えている兄さんに声を掛けるので精一杯――。そして、あいつは高笑いをしながら、スタッツからの最後の一撃から逃れるように谷底に落ちて行った。あの傷ではまず助からないはずだったが……」
自嘲気味に言葉を零す。そしてきつく握っている手を広げ、ゆっくりと頬を緩ませながら顔を上げた。
「だがあいつは生きていたということだ、十年の時を経て。兄さんが息を引き取った後は、一緒にいる必要もなくなり別れた。再会しても知らぬふりをすることを暗黙の了解として。……簡単に言えばそういうことだ。スタッツはおそらくどこかでグリス・テマイトが生きているという情報を得た。兄さんに固執していたやつのことだ、血なまこになってでも探し続けるだろう」
「スタッツがそこまで……慕っていた人がいたなんて、知りませんでした」
クロウスが若干ショックを受けた声を絞り出す。
「おそらくこのことは私しか知らない。自分の過去はとにかく捨て去る男だ。知らなくてもしょうがない」
「ルクランシェ部長は、その男に対して、スタッツさんのように憎んでいないのですか……?」
殺気が治まったところで、シェーラがおずおずと質問をする。それに首を横に振って受け返す。
「もちろん憎んでいる。だが今の私は昔の私ではない。迂闊に下手な行動はできない。スタッツのように自由に動ければまた違ったかもしれないが、幸か不幸か私はある団体に所属し、役職持ちだ。そんな人が何か起こしたら長に申し訳ないだろう」
しかし微笑んでいる姿はどこか儚かった。自身の欲望を必死に抑えている部分と大切に想っている人を考えている部分があるようだ。人は誰でも相反することに板挟みになって、その中で必死にもがいているのかもしれない。誰でも、例外なく。
「さて少し話が長くなった。私はそろそろ部屋に戻るよ」
立ち上がり、ドアの方へ歩いて行く。そして入り口付近で、ルクランシェは片目だけ二人の方に向けた。そして諭すような言葉を出す。
「聡い二人だから何となくわかるだろう、何故私がこういう話を敢えてしたか。二つ程頼み……いや命令をしておく。一つ、スタッツに会ったらすぐに私の元にまで連れて来ること。今の彼は我を見失っているはずだ。何かをする前に連れて来るように。過去の復讐だけに命を落とすには惜しい男だからな」
まるでスタッツがこのままでは死ぬことを平気で言う様子に、先の先を見ている情報部部長がいた。
「そして二つ目。もしグリス・テマイトに遭遇しても、決して何も手を出さずに身を引くこと。二人が弱いと言っているわけではない。だがあいつは今まで会った誰よりも違う。完全に狂った暗殺者だ。真っ向勝負で勝てるはずがない。絶対に手を出すな。――以上だ。これは命令だ。破ればそれ相応の罰に処する」
シェーラの背中に悪寒が走る。それを見て見ぬふりをして、ルクランシェは部屋から出ていってしまった。
足音が遠ざかり、ある一定の距離を保ったことを確認すると、シェーラは大きく息を吐いてベッドに座りこんだ。
「はあ、部長の本気、久々に感じた」
「本当に恐ろしいな。あの殺気を出されてまともに動けなかったぞ」
クロウスが汗を掻いている手をまじまじと見つめている。
「あれがルクランシェ部長の裏の姿よ。一生のうちにほとんど見ることはないから安心して」
「なるべくならもう二度と見たくない。――明日、もし時間があったらスタッツを探そうか」
「とりあえず、そうしましょう」
二人して深く溜息を吐いた。
重い空気が再び部屋を覆う頃、軽やかな足音が聞こえてきた。何故かそれを聞くと、ぷっと吹き出しそうになる。そして笑顔で戻ってきた、イリスとアルセドを部屋に出迎えたのだ。