外伝‐2 傷を負った町
夜が明ける前にクロウスは起き、一度廊下に出て、シェーラが泊っている部屋を改めて確認した。シェーラの部屋はクロウスが泊っている部屋から少し離れているが、彼女が外に出るためにはその部屋の前を通らなければならないので、足音でいつ出て行ったかはすぐにわかる。
シェーラは寝ればある程度機嫌はよくなるが、昨晩の状態を見ると一筋縄にはいかないだろう。
こっそりと後を付け、目的の町に着いた辺りで再び話しかけるのがいいか。
それとも機嫌が戻っていたら、すぐにでも一緒に行くのがいいか。
どちらにしてもシェーラの機嫌次第だ。夜明けまではまだ時間はある。準備をした後に軽く仮眠を取ろうと考えた。
ささっと支度をし、壁に寄り添いながら目を閉じようとした時、廊下をこっそりと歩く音が聞こえて来た。まさかと思いながら、外を見つつ足音に耳を傾ける。夜が薄らと明け始めている。こんな時間から行動するのかと驚嘆しつつも、音が過ぎ去ったのを感じ取ると、ゆっくりドアを開く。緑色の服の人が角を曲がっていた。
どうやらまだ機嫌は良くなっていないらしいと肩をすくめながら、クロウスは腰を上げて、部屋から出た。
早めに宿を後にしたシェーラは馬小屋の方へ向かっている。歩く速さは普通。特に後ろを気にしている風でもない。完全にクロウスのことなど眼中にないようだ。
村の入り口にある馬小屋の見張り番にシェーラは軽く挨拶をすると、彼女が乗っていた馬へと近づいて行く。屋根がある小屋の下で木の杭に縄が括り付けられている馬達。そんなに利用している人もいないためか、片手で数え上げるほどしかいない。
シェーラが馬に乗りこみ、進み始めるのを見届けると、クロウスも慌てて馬に飛び乗る。
だが進んで間もなくして、シェーラを見失ってしまった。右に左に首を振っても、見当たらないし、一気に駆けて行った雰囲気もない。
不思議に思っていると、クロウスが乗っている以外の馬の鳴き声が聞こえて来た。
その方向に首を向けると、シェーラが腕を組みながら、溜息を吐いている。
「……本当に、一回海にでも沈めてあげようか? この平和ボケしている馬鹿な元兵士」
「さり気にきついこと言っている気が……」
「私だってそこまで馬鹿じゃない。まあ叩いたことは後悔していないけど。あれくらいの女、避けなさい。次に同じようなことしたら、しばらく口きいてあげないから」
それだけ言い去ると、シェーラは手綱を握りしめ、呆気にとられているクロウスの脇を通り過ぎる。ほんの少し前にでると、鋭い視線で睨みつけて来た。それにつられるように、そそくさと馬を動かし始めた。
ほとんど休む暇もなく走っていたため、辺りが薄い赤色に彩られる前には目的の町に到着していた。ソルベー島とノクターナル島を繋ぐ橋の脇にある町として栄えていた、ブルーケという町に。
馬を所定の場所に預けると、クロウスとシェーラは町の中を歩き始めた。以前、別々にだが訪れたことがある、ネオジム島の宿場町クルールと雰囲気は似ている。橋を渡るためには必ず通らなければならない場所のため、人の交通量や物流は多くあり、同じように栄えたのは当然のことだろう。建物は一、二階建てが多いが、少し町から離れた所でひと際細長い建物が見える。橋の近くにあるもので、何らかの監視塔だろうか。
視線を下げれば、個々の家の前には出店がぱらぱらと出ていた。野菜や果物を並べる店、彩られた花、外にも机を伸ばしている喫茶店など様々である。だが――物足りない。どこか精彩を欠いているようなのだ。
「橋が壊された影響で、この町に訪れる人が減り、陰を落としたのね」
ぽつりと呟かれた口をぎゅっと閉じながら、シェーラは悔しさを滲み出す。
「シェーラのせいじゃない。あれは止められる出来事ではなかった」
「それでも――、人が大勢亡くなったのは紛れもない事実」
思いつめた表情でシェーラは拳を握りしめる。クロウスはそれに対して返す言葉が見当たらなかった。
魔法の源を得るためにグレゴリオという男は、ブルーケのすぐ脇にある橋を炎使いの女性達を使って壊させたという。その時の破壊力は凄まじいものだったらしく、橋を成していた石の一部が爆風で飛び、こちらの家屋にまで突き刺さろうとしたものもあった。
その爆破の際、ノクターナル島へと渡っていた三台の馬車、そして歩いていた人もその衝撃を受け、橋と共に海へと落ちたのだ。不幸中の幸いか、その時の海の流れが比較的緩やかだったこともあり、数人は喘ぎながらも岸に不時着した。だが、殆どの人は爆破の影響で即死、もしくは大海原の海へと流れてしまったらしい。
『魔法以上にあの関係者は大切なものを失ってしまった……』
そうレイラが呟いていたのをクロウスは今でも覚えていた。
人の命以上に大切なものはない。理不尽な事件のために誰かを失う悲しみと苦しみは、クロウスだけでなくシェーラも体験している。だからこそ、あの事件は深く心に残っているのだ。
「……でも、いつまでも立ち止っていられない。だから新たな橋を造るのよね、進むべき道のために」
シェーラは辛さを隠して、頬を緩めようとする。それにクロウスは優しく頷き、そっと肩を握って近付けさせた。すぐそばに目を丸くしている彼女の顔がある。今にも壊れそうな彼女――。
「……そういう時間じゃないだろう」
ぎょっとして、クロウスは手を離した。そして後ろを振り返ると、久しく見ていなかった顔と対面する。
クロウスより少し高めの身長で、整った顔立ちの赤毛の青年スタッツ・リヒテングが深々と息を吐いていた。
「まだ健全なお子様も元気に活動している時間帯だ。そんな場所で堂々と――」
「久しぶりだな、スタッツ! 確かふらりと局に寄った時以来だから、半年ぶりか? 一体今回はどこにうろついていたんだよ」
スタッツの言葉を遮り、クロウスは間髪いれずに話を入れ込んだ。その様子に呆れているシェーラには目もくれず、ひたすらにスタッツを抑え込むことに専念する。それを見て、珍しく狼狽しているのがつぼに当たったのか、はははっと笑い声を出す。
「お前のそういうところは昔からまったく変わっていないな。いや、いいものを見させてもらった」
「意図して見せたつもりはない!」
「まあいい。それよりも二人はどうしてここにいるんだ?」
さらりとかわされて、気がそれてしまう。頭を掻きながら、すでにこの男なら知っているだろう内容を説明する。
「今度、そこの橋の追悼式と新たな橋造りの声明発表があるんだ。それに参加するために、早めに二人で来たんだよ」
スタッツは特に驚いたりもせず、そうかっと声を漏らすだけだった。やはり知っていたらしい。いや知らない方がおかしい、スタッツの情報網からすれば。
「確か三日後だよな。追悼式か。俺も時間が合えば同席しよう」
「ありがとう。……それで、スタッツはどうしてブルーケにいるんだ? 何か得たい情報とか、よさそうな骨董品でもあるのか?」
何気なく聞いてみると、急にスタッツが真剣な顔つきになる。すると少し道の脇に逸れるよう促し、路地裏に連れてこられた。そして辺りを何度か見まわし、人がいないことを確認すると、腕を組みながら声をひそめて口を開く。
「……人を探している。お前らならその人物を教えてもいいだろう。だからもし見かけたらすぐに俺に教えてくれ」
特異なケースにクロウスとシェーラは一度お互いを見合う。かなり疑問がある言動だが、あまりの勢いに何も質問もせず、スタッツに視線を再び向けた。
「黒色で長めの細い髪を結い、おそらく右手に眼帯を付けている、グリス・テマイトという男だ。長髪に眼帯という妙な格好をしているから、見たら気づくだろう。身長は俺よりも少し小さいくらい。雰囲気は暗い。どこか物陰にいるのが一番似合っているかもな」
一気に情報を言われたが、しっかり脳に記憶させるように小声で復唱した。シェーラも似たようなことをして、覚えたようだ。それを確認すると、クロウスはしっかりと首を縦に振った。
「……わかった、スタッツ。もしその人を見たらすぐに知らせよう。だがこの町にいる保証はあるのか? それともここにいるという情報があって、ここに来たのか?」
「わかっていることを聞くな。俺は情報屋だ。ある程度情報を得てからではないと動かない」
「そうだったな。……さて、別に答えなくてもいいが、どうしてその人物を?」
ようやく出せた言葉に対して、スタッツの眉間に若干しわが寄る。目を細めて顎に手を添えた。
「まあ、ゾンビが動いていると聞いて、気になっただけさ」
その言葉に面食らった。時に突飛もなくスタッツは例えを使うが、今回のも類にない突飛さだ。
呆然としている間に、スタッツは「それじゃあ、頼むよ」と手を振りながら去っていく。
残された二人はまた顔を見合わすしかできなかった。
* * *
シェーラ達がスタッツと別れて、レイラ達がブルーケに到着するまでの一日ほどしかなかったが、その間に宿の確保を確認したり、町の中やその周辺を探索したり、追悼式等についての簡単な話を聞いていたりと、濃い時間を過ごしていた。
追悼式に参加する予定の著名人や遺族の方々はまだ来ていないらしい。それよりも式を取材しようとする新聞社などの関係者の方が多い。そのためか式の日が近付くにつれて、閉め切っていた店を開け始める人もいる。
皮肉なものだ。橋が壊れて多くのものを失ったはずなのに、それに関係する出来事によって再び町に活気が戻ろうとしているとは。
そんなことをシェーラは考えながら昼もだいぶ過ぎた頃に、二人でレイラ達の到着を待っていた。続々と定期便の馬車や徒歩で町に入る遺族の人、自身の所有物の馬車で入る著名人と一目瞭然に分けられる。
「これをきっかけにブルーケは再建するかしら」
入口のベンチに腰を掛けながらシェーラは呟く。
「するさ……。人は何度でもやり直せる、生きている……限り」
クロウスは重々しく言葉を吐き出す。それに軽く頷き返した。
不思議なもので、この町に来てからどうも昔のことを思い出してしまう。特に壮絶な日々を過ごした二年前と五年前の出来事を。どこか肌寒く感じる風も気になるところだった。亡くなってしまった多くの人の魂がまだ居座っているようである。
「あの馬車、確か局のもの。きっとレイラさん達よ」
疑念などを振り払うかのようにシェーラは比較的大きな声を発した。馬を操っている人に見覚えがあり、何よりちらっと隙間からイリスとアルセドが顔を出しているのだ。イリスはシェーラと視線が合うと、微笑を浮かべながら軽く手を振る。それをシェーラも手を振りながら返した。
馬車は指定の場所まで走っていく。それを追いかけると、ちょうどレイラ達が下りてくるところだった。
長かった金色の髪をばっさりと切り、肩に触れるぐらいの長さになった魔法管理局局長レイラ・クレメン、彼女の補佐的な存在のメーレ、そして一瞬目にとめてしまいそうな容姿を持っている金髪で眼鏡を掛けている情報部部長のルクランシェがまず地面に足を付けていた。
「二人ともお出迎え、そして先発隊として動いてくれてありがとう」
ようやく局長の仕事に余裕ができてきて、疲れもそんなに残らなくなった顔つきでレイラはシェーラとクロウスに手を差し伸べる。それぞれ握り返した。
「いえ、そんなに大変ではなかったですよ。宿もしっかり確保されていました。明日、追悼式についての連絡があるようです。資料を頂きましたから、後で目を通しておいてください」
「了解。詳しい話は宿に着いてからにしましょう」
次に馬車からは未だ最前線から退こうとしない事件部部長のダニエルと、たくましい体つきになったアルセド・スローレンがより美人になった亜麻色の長い髪を下ろしているイリス・ケインズを支えて降りて来る。
二年前はただのやんちゃな少年と引っ込み思案の地味な少女の組み合わせで、どこかちぐはぐな組み合わせだった。だが今ではお世辞ではなくても、お似合いのカップルと言えるだろう。
イリスはシェーラがすぐ傍にいると、アルセドの手を振りほどいて駆け寄ってきた。
「こんにちは、シェーラさん。お元気でしたか?」
「元気も何も一週間程度会っていないだけでしょう。心配するほど無茶していないって」
「昔は数日目を離しただけでも、危ないことばっかりしていましたから心配なんですよ。まあクロウスさんがいるから大丈夫ですよね」
イリスが茶目っけぶりにクロウスの方に視線を送った。それを苦笑いしながら、適当に流している。
レイラはにこにこしながらも、話に自然に割り込み止めた。
「とりあえず宿まで行きましょう。それから話しても時間はあるから」
穏やかで懐かしい空気が流れる。かつて様々な苦難を共にした者が一度に集まるのはそう簡単なことではない。笑顔を絶やさずに皆は宿へと歩き始めた。
だがそれを物陰から見ている人物もいたのに、誰も気づいてはいない――。