8‐21 カケラが輝く果てに
ランプの炎によって作られた影はシェーラとクロウスの二人だけ。シェーラの目には他に三人映っているが、彼らの影は揺らめいていない。穏やかで優しそうな顔をしている中年の男性、そして活発そうな短い髪の女性が顔をほころばしている。その人達を見て、驚きながらシェーラとクロウスはそれぞれ違う言葉を発した。
「……プロメテ先生?」
「エナタ……?」
二人はにこやかに頷く。そしてエナタが前に出てきた。
「久しぶり、クロウスにシェーラ。驚いているみたいね。実はカケラに導かれて、ほんの少しだけ地上に降りてきたんだ」
「地上に降りた? それじゃあ、ケルハイトの時とは違うのか?」
クロウスはケルハイトの時に、一方的に想いを言われた女性に疑問を口にする。
「あの時とは違うわよ。普通に会話できているでしょう。カケラが力を振り絞って時間をくれたのよ。世の中には不思議なことが多少あってもいいじゃない。それとも私に会いたくなかったの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
しどろもどろにクロウスは受け答える。シェーラの視線を気にしているようにも見えた。それに勘付いたエナタはにやりと笑う。
「ふーん、二股疑惑をかけられるのが嫌なんだ」
「何でそうなるんだよ!」
素で突っ込んでいるクロウスを見て、シェーラを始めとして他の一同は思わず吹き出し、笑い始めた。声もある、笑っている、だが影はない。それはつまり生きている者ではないことを静かに示していた。例えそうだとしても、ほんの少しだけその人達と時間を混じり合わせられていることが素直に嬉しい。
プロメテは笑いながらもシェーラやクロウスを見渡す。そしてすっと目を細めた。
「まあ、そこまでにしておこう。シェーラにクロウス君、かなり体力を消耗しているようだね。特にシェーラ、封印を解いておいて、更に強固な魔法を使うとは何を考えていた?」
予想通りの厳しい内容だが、それに反論する気はなかった。きっとシェーラのことを知っている人なら誰しも言ってくるだろう。危険なことだとわかりきっていたが、やってしまったのは譲れない意志。だから後悔はなかった。
黙り込んでいるシェーラを見て、プロメテは顔を顰めていくばかり。
だが大きな溜息とともにその場の空気は緩んだ。
「無理をして……、怖かっただろう」
意外な言葉にシェーラはびくりと肩を震わす。
「本当にすまない」
そしてプロメテは深々と頭を垂れる。思いがけない行動にシェーラは戸惑った。怒られるより、よっぽど受け答えに窮してしまう。
「先生、顔を上げてください。もう済んだことです。私はただ――今をそして未来を守りたかったから、やったんですよ。怖いとか危険とか、何かを求めるにはそれなりに必要です」
まだ申し訳なさそうな顔をしているので、無理して笑顔を作って肩の荷を下ろさせる。これからは気をつけるからという意味合いも付けていた。納得はしていないだろうが、ようやくプロメテは顔を上げる。そして視線をシェーラからクロウスへと移した。
「クロウス君、エナタの想いをずっと持ち続けてくれてありがとう。これからも――シェーラを頼む」
先生としてではなく、父としての一面も持っていたプロメテにとって、シェーラのことは一人の弟子以上に想っていた。もう傍にいることはできない。それならば傍に入れる人に想いを託すのが先決だろう。
気がつくとクロウスのポケットに入れていたカケラの光が弱くなっている。光が弱くなるにつれて、なぜかシェーラ自身の体も重くなってきていた。それに気付いたプロメテやエナタ、そしてユノは目を伏せる。
「もう時間もないようだ……」
「時間? まだ再会したばかりじゃないですか」
「カケラに導かれてやってきたと言っただろう。カケラの導きがなくなれば、私達は消え、シェーラ達もここから出るのが困難になる。それに早く治療してもらわなければ、本当に危ない。さあ、早く地上に――」
プロメテの若干焦った声に、シェーラは冷めた声で返す。
「地上にって言われても、どこに行けば辿り着くのですか? ここは地下です。そう簡単に出られると思いませんが」
「ああ、そうだった。まだ言っていなかったな。これを使えばいい」
プロメテとエナタが右に移動すると、その後ろには何かが置いてある。トロッコだ。そして二人は余裕に入る大きさのトロッコの先にはレールが敷かれていた。
「私達のご先祖様が魔法の源を見つけ、研究をしていた際に敷き、利用していたもの。百年前のだけど、数年前にお父さんが直してくれたからちゃんと使える。だから安心して」
エナタの言葉にシェーラとクロウスは目を丸くする。少し理解しづらいところがあるが、このトロッコの先には何かが続いているということだけはわかった。
亜麻色の短い髪の女性がゆっくりと二人のもとに近づいてくる。かっこよく、素敵なラインを露わにしているエナタは、シェーラにとって嫉妬を覚えるどころか、女としても感嘆しそうだった。
「さあ、ぼうっとしていないで、とっととトロッコに乗りなさい。クロウス、シェーラを早く乗り込ませて」
「わ、わかった」
きつく言われたクロウスはシェーラをトロッコの傍まで連れて行き、それから抱きかかえて、上から静かにトロッコの中に入れる。それに続いてクロウスも乗り込む。シェーラはトロッコの脇にもたれながら、微笑んでいる亜麻色の髪の三人を見た。
「そこのレバーを上げれば動き出す。何日かかかるかもしれないが、歩くよりはましだろう。到着した先に上へと続く道があるから。――早く行きなさい。手遅れになる前に」
レバーが独りでに上がった。そして低い音と共にトロッコがゆっくりと動き始める。それを見て、シェーラは慌てて立ち上がった。
「先生、あの……待ってください!」
「何だね、シェーラ?」
何となくこれが本当の最後の別れであると直感的に気づいていたから、シェーラは声を出していた。クロウスは飛び出しそうなシェーラを支えながら三人を眺める。優しく見つめてくるプロメテ達に対して、シェーラは涙を流すのではなく呑み込んだ。たくさんの言いたい事や想っている事もすべて呑みこんで――。
「ありがとうございました、私をここまで導いてくれて。何度も生死は彷徨いましたが、眠っていた想いを掴むことができました。それら全てをひっくるめて、先生や皆さんに感謝したいんです!」
「……こちらこそありがとう、私達の想いをしっかり受け止めてくれて。バラバラだった想いのカケラ達が集まり、国に新たな道が開けた。その先に何が続くかわからない。だがこれからシェーラ達に前途多難なことがあっても、立派に乗り越えられるよう祈っている」
プロメテの方が顔をしわくちゃになり始めた。クロウスもプロメテの隣にいる、少し寂しそうな顔をしている女性に言葉を投げかける。
「エナタ、ありがとう! 俺をここまで連れてきてくれたのは、そしてシェーラと出会えたのはお前のおかげだ。本当にありがとう」
「私もよ。……それじゃあ、元気でね。イリスのことも頼んだよ!」
精一杯の笑顔でエナタは言い返した。徐々にトロッコの速さが増すとともに三人の姿が小さくなっていく。だがいつまでも亜麻色の髪の人達は見守っていた。
まるで一瞬だけすれ違ったようなほんの短い時間。だが一言伝えるには充分な時間である。カケラが最後にくれたささやかな贈り物だったのかもしれない。
やがて三人の姿が見えなくなると、シェーラはトロッコの中で縮こまった。泣かないと決めていたが、我慢はとうに超えている。堪らず嗚咽を出し始めた。それを見たクロウスはそっとシェーラと包み込む。その胸の中でシェーラはただ静かに涙を流し続けた。
* * *
幻のベーリン家の三人と別れてから、一体何時間もしくは何日経っただろうか。
トロッコはシェーラとクロウスを乗せて、ただひたすら無情に走り続けている。動力源など特に見当たらないのに、下がる斜面以外でも一定の速さで走っていた。時に水が噴き出しているところでは、まるで飲んで来いとでも言うように静かに止まる。それを有り難く思いながら、水を飲んで何とかその一瞬をやり過ごしていた。
真っ暗な闇の中では、ぼんやりと燃えている炎と、それに負けないくらいささやかな光を出しているカケラ達だけが、唯一といってもいいほどの光源だ。
なるべく体力を消耗しないように動かず、そして不安にならないよう何気ない会話をしていた。お互いの小さな頃や様々に思っていることなど。本当に他愛もない会話を繰り返し、いつ辿り着くかもわからない地上を目指していた。
ある時、シェーラが眠り込んでいると、ゆっくりと肩を揺らされているのに気づく。よく見ると、クロウスの頬には少し赤みが帯びている。
「どうしたの……?」
「シェーラ、光が、前から光が見えているぞ!」
「え?」
クロウスに手を伸ばされ、それに頼りながら立ち上がる。レールの先には光があった。それは徐々に大きくなっている。明らかにどこかに続いているものだった。
思わず手を伸ばそうとしたが、その前にトロッコの速さが落ち、やがて小さな音をたてて止まった。
光は上の方から出ているようだ。歩けばすぐそこである。クロウスに支えられながら、しばらく共にしたトロッコに別れを告げ、シェーラは光に向かって歩みを進めた。
そして小さな光の真下に来る。眩しすぎたため、目を細めた。あの先にもっと全身に浴びられる様な光があると思うと、一目散に駆け上りたくなるが、残念ながら今のシェーラにはそのような体力はない。
「シェーラ、ここに縄が垂れ下がっている。結構丈夫そうだから、これを使って上に登ろう」
「そうしたいけど、私……もうほとんど体力ないわよ」
「そうだった。じゃあ、背中に乗ってくれ。俺の首にできる限り手を巻きつけて。もう少しだ、頑張ろう」
すっと座り込み、乗るよう促してくる。シェーラは大きな背中の上に乗り、しっかりと腕を通した。たくましい背中はとても安心できる。
クロウスは縄の方まで移動し、手を添えて一気に登り始めた。シェーラを背負っていることなど気にしない登り方に呆然としてしまう。
光はすぐそこまで近づいていた。あまりの眩しさに目を瞑る――。
次にシェーラの目に広がったのはある建物の中だった。その建物は小屋といっても差し支えないくらい小さなところ。何箇所か天井が崩れており、その合間から光が差し込んでいるのだ。足元には鉱物らしきものが砕かれたのか、尖った破片が散らばっている。
クロウスはゆっくりとシェーラを床に下ろすと、真っ赤な顔を空の方に向けていた。
「やっと着いたな」
「ええ……。ありが――」
変なところで言葉を切る。穴の方を見ているクロウスとは逆の方に目を向けていたシェーラは、そこに広がる光景に目を丸くした。そして震える手を口に当てる。
「嘘……。待って、夢じゃないわよね?」
薄らと涙が頬を流れる。奇妙な言葉を発したシェーラを見ようと、クロウスは振り返るとその先を見て同様に止まった。
そこには一人の少女が座りながら目を閉じ、何かに向かって祈りを捧げているのだ。亜麻色の長い髪を後ろの方で少しだけ結ったその少女に二人は見覚えがあった。
抱き締めればすぐに壊れてしまいそうな華奢な体だが、内面はとても強いお嬢さん。決して曲げない精神は誰にも負けないだろう。
少女はゆっくりと目を開け、顔を上げた。顔を見たときにはシェーラは支えられるのも忘れて、少女に向かっておぼつかない足で駆け寄り始める。少女は微笑を浮かべて、そっと二人の名前を呼んだ。
「シェーラさん、クロウスさん!」
「イリス――!」
少女の前に辿り着くと、座り込みぎゅっと抱き締める。抱き締めた体は温かく、幻覚などではなかった。ましてや夢でもない――。
クロウスが慌てて近寄ってきたり、入口からアルセドがやってくることなど気にも留めなかった。イリスの存在が嬉しくて、ただただ泣きじゃくる。意識を取り戻したこの少女にようやく会えた嬉しさのために。
「よかった……、目が覚めたのね。もう駄目かと思った……」
「声が聞こえたんです。シェーラさんのカケラに込めた想いが。目覚めた時、周りは虹色で包まれていて、わかりました。シェーラさんは私の役目を果たしてくれたのだと」
「役目……、魔法の源を壊すことが?」
「いえ、違います。様々な人の想いが詰まったカケラをある場所に持って行き、それから国の行く末を決断することです」
イリスはクロウスのポケットが微かに光っているのを見て、微笑んだ。
「虹色のカケラが光を発したのは、過去の人々がその行為に承諾したこと。そして今生きている人も受け入れたからこそ、未だに微かながら輝き、国の行く末を決定づけたシェーラさん達をここまで導いたのです」
柔らかに優しく言う少女は、全てを包み込むような言葉を出す。もう一度、真正面からシェーラはイリスを見る。
そしてお互いに、にっこりと笑みを浮かべた。
デターナル島にある祈りの場所では、日の光が少しずつ移動し始め、シェーラ達を照らし始める。
温かな光に包まれながら、意識を取り戻したイリスとの再会を喜び、崩壊からの生還を導いてくれたカケラ達に改めて感謝したい。
大切な人との過ごす時間だけでなく、イリスとの人生と再び交り合わせながら、シェーラとクロウスの時間は新たなる方向へと進み始めた――――。