8‐19 秘めたる想いの告白
誰かの温もりが直に伝わってくる。身体のあちこちから小さな痛みが走っていることや、体全体が重いのも気にしないくらい不思議と安心できる温かさだ。このまま、この態勢で目を開けずにいた方がいいのかもしれない。だが、誰かが言葉を発した気がしたのだ。
起きろ――と。
その言葉と共にシェーラは薄らと瞼を開けた。ぼんやりとした視界にまず目に飛び込んできたのは傷付いている黒髪の青年である。
その人が覆いかぶさるようにしっかりと抱きしめられた状態で、シェーラは横になっていた。どうしてそんな状態になっているのか。
何気に視線を正面から横にずらした。そこに広がる光景にシェーラは唖然とする。瓦礫の中にいるのだ。
意識を失う直前に、魔法の源を破壊しようとしたはずだった。それがなぜこんな状況になっているのか、全く理解できない。とりあえずこの青年を起こそうと決めた。
「クロウス、ねえクロウス」
呼びかけたが返事をする気配はない。だが死んではいない。直接伝わってくる鼓動がそれを証明しているからだ。多少揺らしても気づく気配はない。それならばと思い、シェーラは無理矢理クロウスを押し上げ始めた。彼の背に乗っていた小さな瓦礫がパラパラと落ちる。
少し横にずらしてクロウスから離れようとした。固く抱きしめられていた手は少しずつほどけていく。やっとの思いで離れられると思ったが、急に何かの力で戻されてしまった。そして戻ってきた場所ではクロウスが薄らと目を開けていたのだ。
「よかった、無事だったか……」
「無事って、クロウスの方は大丈夫なの!? 私をかばってくれたみたいだけど……。それよりも何が起こったの?」
「ああ、全く覚えていないのか。後で説明する。今はここから抜けだそう」
クロウスが体を持ち上げると、音を立てて瓦礫が落ちる。途中で苦しそうな顔をしながらも一気に起き上がった。シェーラは差し出されたたくましく大きな手を取り、立ち上がる。そして改めて惨状を目の当たりにした。
「何……これ」
開かれた空間に、天井などの落盤跡、何かが細かく降った瓦礫、そして鉱物が砕かれたようなものなど様々なものがシェーラ達の周りにあった。遥か彼方上の方からはわずかな光が漏れている。
「運が良かったみたいだ。俺達の上に致命傷になりそうなものが降ってこなかったらしい。風が流してくれたのか? さすがシェーラだ」
クロウスはそう言ったが、シェーラの耳にはしっかり入ってこなかった。ただ、あまりの状況の変化に驚いているばかり。
「どうやら、地下空洞にでも落ちたみたいだな」
「だから一体何が起こったのよ!」
クロウス一人で納得しているのに、腹が立ったシェーラは思わず声を上げてしまう。その衝撃かはわからないが、天井の一部が落ちてくる。そして、シェーラ達から少し離れた所で音を立てて地面についた。その一部はシェーラ達を悠々と潰してしまう程の大きさだ。状況の恐ろしさに思わず乾いた笑いを上げる。
「なんか、滅茶苦茶……」
「今は些細なことでも瓦礫などに影響を与えるらしい。少し移動しよう。歩けるか?」
「大丈夫、歩けるわ。さて、どこに行こうか」
シェーラがぐるりと回すと、どこかに続いているかもしれない通路が四つある。
「どれも変わらない気がするが……。あっちの方にしてみるか」
クロウスはシェーラの左の方に目を向けた。
「根拠は?」
「そんなものない。勘じゃだめか?」
「いいわよ、勘でも」
当てなどどこにもない。クロウスの勘に頼ることにし、にっこりと微笑み返した。
通路の方までゆっくりと移動する。シェーラもクロウスも何かしらの怪我は負っていたし、急ぐ理由も特にないので本当にのんびりと、真っ暗な闇の中で微かに灯したランプと共に歩いていた。
不思議なことに通路に入ると、地面にランプが落ちていたのだ。崩壊の際に落ちたのか、それとも以前使われたものかはわからないが、どちらにしても有り難く使っていた。
「この通路、どこに続いているのかしら。ちょっと試してみようか」
そう言うとシェーラはすっと手を広げて風を出そうとした。だが何も感じられず、何も起こらない。そして掌を見ながら目を瞬かせた。
「あら、本当に魔法が使えないんだ」
「それ崩壊する直前にも言ったぞ」
「そんな記憶残っていないわよ。あの時は必死だったの。詠唱ってあそこまで体力を消耗するなんて知らなかったわ」
「何も知らずにあの体力で魔法を使ったのか? これは始末書行きだな」
「クロウスまでそのこと言わないでよ……」
今更ながらに気付く、聞きたくない事実にシェーラは苦笑いをする。
道中、穏やかな会話が続いていた。その間にシェーラはクロウスから事の詳細について教えてもらった。光が治まった後、音をたてて源や天井、洞窟全体が崩壊し始めたこと。レイラやアルセドの元に駆け寄ろうとしたが、地割れの影響で行けなく、為す術もなくシェーラを抱きしめて崩壊の渦に巻き込まれていったこと。
その内容にきょとんとして聞いていた。
「それって、生きていることがかなり不思議じゃないの?」
「俺も目を覚ました時はびっくりしたよ。人って以外に死なないんだな」
「本当に悪運が強いや、私……。何度目だろう、死にかけたの」
手を広げながら数えようかと思ったが、それを思い出すと気分が塞ぎ込みになりそうだからやめた。
「レイラさん、きっと物凄く心配しているだろうな」
「最後に一瞬だけ見たレイラさんの顔、壊れそうで見ていられなかった。早く元気な顔を見せてやろう」
「そうね……。レイラさん達は無事だとしても、グレゴリオ達は一体どうしたのかしら」
「わからない。崩壊は奥から始まっていた。そして入口までの道のりを遮るように、大きな地割れが走った。正直、生きているとは言い難い」
「……あの人達、結局何を求めていたのかしら。全てを滅ぼして何を得たかったのかしら」
魔法という、便利なものの存在で人生を狂わされたと言ってもおかしくないグレゴリオ達。直接聞いていないからはっきりとは言えないが、もしかしたら夜の軍団はあのような心の傷を負っている人が多くいたのかもしれない。
例えそうだったとしても、もうその元凶ともいえる魔法はない。魔法が有限であるということを知っていれば、もっと違った見方をしていたのだろうか。
「魔法はやっぱり諸刃のものだったんだな。ほとんどの人が利点しか見ていなかったが、本当はとても深く、恐ろしい産物だった」
「恐ろしくするかは私達の使い方次第よ。何でもそう。人がどのように使うかで全てが変わる。きっと魔法がなくなっても、また他のことを通じて同じようなことが起きるかもしれない」
それはただの個人の推測ではない。きっと現実に多くの人が気づいていることだ。そう思うと、二人は黙りこくってしまう。
陰鬱とした雰囲気が続く中でのランプの炎はあまりにも乏しい。先の見えない道に視線をやってシェーラは口を濁した。
「地上に出る場所は本当にどこかにあるかしら」
それを言うと二人で溜め息を吐いた。どこかに水でもあればいいが、そうはいかない。まだ何時間も歩いていないのに、漠然とした不安だけが脳内を占め始めていた。
不安――、それを感じるだけで無意識に我慢していたものがでてきてしまいそうになる。
シェーラの目の前にはボロボロになった青年の姿。その彼の姿がぼやけ始める。
暗闇の中、立ち止まって壁に手をつく。急に呼吸が荒くなり始めた。異変に気づいたクロウスが慌てて近寄ってくる。それに目もくれず、シェーラは胸の辺りを握りしめた。どうしても痛みから解放されない。
「おい、どうしたんだ!?」
悲痛な声が飛び込んでくるが、それに笑顔で受け答えられない。止める間もなく、口から血を吐きだした。
シェーラはそのまま壁に背を付けて座り込んだ。それでも呼吸の荒さは変わらない。体がもう限界だと言っているようだった。
クロウスが屈んでシェーラの顔に手を当て、軽く頬を叩いてくる。
「おい、大丈夫か。シェーラ、シェーラ!?」
「……そろそろ無理かもしれない……」
「何言っているんだ。さっきまで動けていたじゃないか!」
「体力もあまり残っていないのもあるけど……、精神が大分疲れたみたい。魔法を使うって、かなり体力や精神を使うの……。しかもさっきは物凄い魔法を使ったのよ、体力がない状態で。やっぱり反動は大きかった……。眠りだけじゃ済まないほどに」
気を張ってどうにか地上までは行こうと考えていた。だが隙の出来た心に付け込んできた不安は一瞬でシェーラの体を蝕む。
「俺の背中に乗せるから、そんなこと言わないでくれ……。もう誰も先に逝ってほしくはない」
そんな風に言うクロウスだって充分辛そうに見えた。もう乾いたのか、赤黒く変色した血が服の至る所に飛び散っている。大丈夫だと言いきれる状態でもない。
シェーラは目の前にいる泣きそうな青年をじっと見る。
この人を導き、導かれて、今日まで来た。彼との出会いが自分の終わりへと導かれていたとしても、悪いことではない。
魔法の源を破壊するという役目を終えた今、安堵や達成感の部分が多々あった。しかしそうは言っても、やり残したことはまだある。そのうちの一つは今実行できることだ。
「クロウス……」
声を振り絞って、なるべくはっきりとしたものを出す。クロウスは顔を近づけた。
「どうした?」
「私、エナタさんみたく強くないから、もしものことがあった場合、この胸の内を何も伝えないで逝くことはできない。だから……言わせて」
「シェーラ……」
今までの思い出が頭の中を流れてくる。出会い、共に戦い、時には敵対したあの日――。何気ない買い物の日々や意見が対立したこともあった。それらは今にも溢れ出る一点の想いがあったからこそ、起こったのかもしれない。
黒髪の魔法が使えない剣士クロウスにシェーラは出会ったときからずっと――。
「クロウスのことが――好き。……ずっと一緒にいたい」
涙が頬をつたりながら、胸に秘めていたものを言葉に出した。喉は乾いているし、体は重い。考えることもままならないが、様々な想いが再び浮き上がってきた。
――生きられるのなら、生きたい――そんな風に強く想えるきっかけを作ってくれたあなたと生きるために。
クロウスはその告白に驚いたように目をパチクリさせていた。そしてシェーラの目から流れ出る涙をぬぐいながら、顔をより近付けさせる。例えではない、目と鼻の先にクロウスはいた。
「俺も好きだ。今まで会った誰よりも――」
囁く声が耳元で聞こえたと思うと、大きな両手が両肩に乗せられる。
顔を寄せられると唇を塞がれた。
それをシェーラは目を閉じて、驚く間もなく受け入れる。
クロウスの吐息がシェーラの体の中に入って行く――。
ほんの数秒、お互いの存在を確かめるかのように、長いようで短い時間を過ごす。
やがてゆっくりとクロウスはシェーラから顔を離した。涙を耐えているクロウスが目に入る。さっきよりもより鮮明にその表情が見えた。
「頑張ってくれ、シェーラ。体力が尽きようとしても、心でどうにか持ちなおしてくれ。俺が――ずっと傍にいるから」
不安でいっぱいで、闇に埋もれかけていたシェーラの心の中に手が伸ばされた。その手は光の先に続いている、そう感じられるのだ。
ゆっくりと流れ始めた二人の新たなる時間。
その時間を長く共有するためには、どんなにかっこ悪く、どんなに辛くても、限界まで彼と生き続けなければならないと、そう心の中でシェーラは誓ったのだ。