8‐17 ゼロに戻る瞬間
「ああ、サブや皆、ご無事でしょうか……」
ようやく魔法管理局へと引き上げてきたメーレは外に出て、真黒な雲で覆われた空を見上げていた。この果てしなく続く空の下に、皆は無事でいることをただ願うしかできない。このままずっと帰りを待ちたい衝動に駆られたが、うるさいおじ様部長達に現状を適当に話をしなければならなかった。
肩をすぼませながらドアへと向きなおり、重い足を動かして歩き始める。
だがその時、血がざわつく様な胸騒ぎがした。
孤島がある方に再び視線を向ける。すると孤島にある山の頂上から光が漏れ始めたのだ。目を剥いて、その光景を見ようとする。
「どうして、孤島から……。しかもただの色じゃない。――虹色?」
光は円を描くように徐々に広がって行く。不思議に思った人達が窓から顔を出したり、外に出始めている。ある男性が光の方向を指しながら叫ぶ。
「何だ、あの光は。まさかグレゴリオのやつらの仕業か!?」
「そんな、それなら早く逃げなくちゃ。サブ達は間に合わなかったのね!」
「……違う」
メーレは小さく呟く。その呟きにその場にいた人達が訝しげな顔をする。
「じゃあ、何だって言うんだよ」
「あれはきっと――始まりが終わる光」
何を言っているんだと突っ込まれそうになる。
だが、虹色の光が国中を包み込む方が先だった――。
* * *
詠唱後、光に包まれている中で、シェーラをぎりぎりまで保っていた意識が急に遠のき始める。ふらふらとしながら、前に倒れそうになったのをクロウスは目を凝らしながらも慌てて抱えこんで、そのまま座らせる。
周りが眩しすぎて、何が起こっているかわからない。ただすぐ傍にいる彼女の存在を確かめて、抱きしめるしかできなかった。心臓は動いているが、呼吸はあまりにも弱々しい。光が止むまでは、大人しくしていようとした。
「う……何、この気持ち悪い……」
だが、シェーラからようやく辛うじて発せられた言葉は意外なものだった。
「どうしたんだ!?」
「何かが出ていく感じ……。体が熱い……」
苦しそうな様子に思わずシェーラのおでこに手を触れ、目を丸くする。普通の人以上に熱を帯びているのだ。手などをよく触れば、全身が異常なほどに温かい。出血により菌が入り、熱でも出したのか。それならば急いで治療しなければならない。
だが、急にシェーラの体から何かが出始めた。薄らと緑に色づいた、空気らしきものが。
「何だ、これは……」
「血が騒いでいる……。血から何かが抜けていく感じがする。もしかして……私の中にあった魔法?」
緑色の空気は次々とシェーラから抜け去り飛んで行き、光に紛れて消えてしまう。それが止めどなく溢れているのだ。
「シェーラの体から出ていく魔法だって?」
「そう……。魔法が何故使えるかって、その人達の血の中に魔法の一部が通っているから。それを俗に魔力ともいう。それが――、消えているみたい」
「確かなのか?」
「ええ。静かにしていれば、風が耳元でこう囁いているのよ。――『魔法は消える』って」
多少その状況に慣れたのか、シェーラの表情からきつそうな様子はなくなっていた。
上を見上げれば、いくつもの色づいた風が上り、消え去っている。それは美しくも儚い現象であった。
何かが確実に終わることを静かに物語っている。だが、何かが始まるということも意味していた。
そう、国は大きな転換期を迎え、まさにゼロに戻ろうとしているのだ。
やがてシェーラから溢れていたものが出なくなった。疲れ切ったのか、そのまま目を閉じて体をクロウスに委ねる。そんな彼女の髪を優しく触っていると、瞬く間に再び辺りは激しい光に包まれた。
レイラはルクランシェに支えられながら、その光に包まれていた。シェーラと同様に溢れてくる魔力の放出に耐えながらも、必死に我を保とうとする。そして体が楽になった頃、光は一瞬だけ激しくなったが、すぐに消え去った。
それと同時に激しい地鳴りがし始める。揺れ動く大地に前に転びそうになったが、ルクランシェが軽々と手を取ってくれたため、それは逃れられた。
源の前にはシェーラとクロウスがいる。どちらも辛うじて動いているようだ。ほっと一息をついたが、すぐに異常なことに気づく。
二人の目の前にあった魔法の源に大きなヒビが入り始めているのだ。音を立てて、一気に上から下まで走り渡り、左右に分けられた。
それに続けと、源全体は次々にヒビが入り、砕け散る。それが地面に激しく落とされた。その衝撃で元から地盤が強くなかったのか、地割れが走り始める。
源の脇でグレゴリオと交戦していたダニエルとスタッツは、魔力がなくなった反動なのか呆然と立ち尽くしている彼を脇に追いやって、レイラに急いで駆け寄った。気が付くとアルセドも横で立っている。
「レイラ、このままじゃ源の崩壊に巻き込まれるぞ」
「わかっているわ。――シェーラ、クロウス君、急いで戻ってきなさい!」
シェーラを抱えていたクロウスはレイラの声が耳に届いたのか、ちらっと後ろを振り返る。手元にあったカケラと書を慌てて回収して立ち上がり、レイラの元へ急ごうとした。
だが、一歩踏み出すと目の前に大きな亀裂が走る。
それを見たレイラも息を呑む。見る見るうちに地割れは広がり、あっという間にレイラ達とクロウス、シェーラの間には溝ができる。
「二人とも、早く!」
レイラは血相を変えて駆け寄ろうとするが、ルクランシェに止められてしまう。代わりにスタッツ、ダニエル、アルセドが近寄っていた。
「早くこっちに来い、クロウス!」
スタッツがいつになく取り乱している。
「ちょっと待ってくれ。上手く動かなくて……」
「この地割れが開いたら、どうなるかわかっているだろう。とにかくこっちに飛べ!」
「わかった。ちょっと待っていてくれ」
クロウスはシェーラを抱えなおし、揺れる足元でまずは我を保とうとした。そして、入口に向かって走り始める。
だが嫌な気配、そして音がした。
上を見ると、さらに天井の方から大きな震動が襲ってくるのだ。暗くてよく見えないが、天井から岩石の一部が崩れてきている。
激しい衝撃音と共に、天井は崩れ始め、地割れは広がった。そして原型を辛うじて保っていた魔法の源は細かく分かれ、ただの崩れた石となってしまう。天井の崩壊とともに、落盤が発生し始める。
クロウスとスタッツを隔てていた地割れは今やもう人が飛ぶには困難な距離になっていた。クロウス側の地面は徐々に沈み始めている。アルセドがスタッツを差し置いて、前に出て叫んだ。
「おい、何やっているんだ、早く来いよ。俺はまだクロウスから話したいことがたくさんあるし、シェーラにだってたくさん――」
「ごめんな」
「え――」
「イリスのこと頼んだよ」
クロウス達を乗っていた地面がさらに下にずり落ちる。
そして、激震と共に地面は崩れ、クロウスとシェーラは吸い込まれるように瓦礫の下へと落ちて行ってしまった――。
呆然とする中でも崩壊の音は止まない。レイラは座り込み、乾いた涙を出していた。
「そ、そんな……。嘘、嘘よ。あの子たちが……」
「レイラ、ここは危険だ。離れるぞ」
「助けなきゃ。魔力も相当使っているし、怪我もしている。――ああそうだ。この崩壊を氷で固めれば」
手を前に出して、水分子を集めるために神経を尖らそうとした。だが、全くその気配はない。
「どうしてでないの、魔法が。いつもはもっと簡単に出せているはずなのに!」
「落ち着け、レイラ!」
ルクランシェがレイラの肩を激しく揺さぶった。焦点が合っていなかった目は徐々に彼に向け始める。
「今は引くぞ」
「でも――」
「シェーラは何度も死線を掻い潜っている。胸を貫かれたわけでも頭がなくなったわけでもない。ただ崩壊に巻き込まれただけだろう!」
そう言うルクランシェの手は震えていた。感情をここまで露骨に出しているのはほとんど例がない。
ダニエルとスタッツ、そしてアルセドが悔しい顔をしながらも、戻ってきていた。
「いいか、レイラ。無事に局まで戻ることが、願いであり義務だ。お前は生きて帰らなきゃいけないんだよ、副局長。なあ、局長と同じことをして、誰が喜ぶんだ?」
その言葉を聞いて、レイラの目から本当に薄い涙が頬を流れる。心の奥を突き刺された気分だ。自分の立場、残してきたもの達の想い、そして逝ってしまった人達の想い――。それを全部捨て去るところだった。
「……そうね、多くの人がどれだけ生きて帰れるかが問題だったわよね。……今は、脱出しましょう」
レイラらしさが戻ってきた所でルクランシェが手を差し伸べる。それを頼りにして立ち上がり、弱さをまた隠して一歩踏み出した。
* * *
崩壊は洞窟全体に渡っているようだ。レイラ達が魔法の源があった空間から抜けた時、一人の白髪の男性が唖然としながら天井を見上げていた。
「まさか魔法がなくなるとは」
グレゴリオは座り込み、嘆息を吐いていた。左胴からは血が流れ出ている。
「あの剣士――、この一撃にさっきの攻防全てを賭けていたな」
クロウス達がグレゴリオと対峙しているとき、それなりに厳しくもあったが、魔法をほとんど使わない相手には接近を許さなければ悠々と勝てると踏んでいた。
その最中、クロウスの足がもつれ、大きな隙が出来た。いい加減に相手をするのにも飽きてきたグレゴリオはその隙にクロウスの命を取ろうとするが――、囮だった。目にも止まらぬ速さで、魔法を出させる前にグレゴリオの左胴を斬り去る。そして、そのまま戦線を離脱し、シェーラの元へと走っていたのだ。
三人が二人になったのは助かったが、それでも傷の深さは大きい。適当に二人をあしらい、この戦場を抜け出して禁忌と呼ばれる魔法で出血を止めようと考えていた。しかしそれをする前に待っていたのは眩い光、そして源の破壊と崩壊の始まりだった。
ダニエルとスタッツがレイラの元に駆け寄った隙に回復しようとしたが、それは叶わない。血は流れ、もはや立つにも困難なほどになっている。
「皮肉だな。魔法を嫌い、逆に魔法を利用し、結果、魔法に頼りすぎた私はこういう人生の末路を歩むわけか」
自嘲の笑いを漏らす。その時、目の前にその場にはそぐわない小さな女性が近寄ってきた。
「こんな結果とは少し意外でしたね」
「ナータ、まだいたのか」
「ええ、崩壊の音に嫌でも起こされました」
「……動けるんだろう、早く脱出した方がいい」
「いえ、私もここにいます」
「どうしてだ、早く逃げ――」
ナータは座り込み、グレゴリオの手を取った。
「国を壊した後に死ぬつもりでした。私はただ何かをして死にたかっただけなのかもしれない。どうせ生きていても絶望しかないのなら、ここにいます、お父さん」
「ナータ……。だがその言葉は受け取れない。今すぐ逃げるんだ。いや、逃げろ。これは命令だ」
グレゴリオはナータの肩を軽く触り、自分から突き放した。驚いた眼で返される。
「幸いナータの顔はほとんど割れていない。普通に過ごそうと思えば今からでも充分できる。ただ封印を解除していただけの者なのだから――」
近寄ろうとする手を拒んだ。ナータの顔がグレゴリオの妻と重なる。彼の妻はあまりにも不幸過ぎる最期を迎えてしまった。それ以後自我を振り乱したと言っても、過言ではない。そんな彼女の忘れ形見を一緒に連れていくわけにはいかなかった。精一杯の想いで突き放す。
やがてナータは歯を必死に食い縛りながら立ち上がった。最後に一瞬だけ振り返り、哀愁漂う表情を見せる。
「さようなら」
そして、出口に向かって駆け出した。見えなくなるところまで見ていたかった。だが、現実はそうはさせてくれない。
繰り広げられる激しい音の中で、ひと際大きい音がする。見上げれば、ある瓦礫が一直線に落ちてきた。
やがて――、崩壊は洞窟だけでなく、彼自身を包み込んだ。
* * *
崩壊が始まりかけた時、一人の青年は黒髪の双子を両肩に背負い、洞窟の中を歩いていた。その際、偶然崩壊によってできた出口によって外に出ることに成功する。森の中を再び歩き回り、海が見えるところまで出た。
そしてようやく双子のうちの一人が目を覚ます。髪が短い、少し荒っぽい女性の方だ。
「う……ん。こ、ここは? そこにいるのはもしかして、ケルハイト?」
金髪の青年はこくりと頷く。
「魔力の使い過ぎで体力までも酷使したようだ。無理しない方がいい」
「そうね。それよりもどうして私達こんな所にいるの? あなたが連れ出したの? それなら、またどうして……」
「よく聞いてごらん。歴史の一つに幕が落ちる瞬間を」
フェンストは重い体を持ち上げる。その時、突如聞こえたけたたましい音と揺れに顔が硬直した。
「あの洞窟が崩壊している。魔法の源が壊されたために」
「崩壊……? そんなグレゴリオ様は!?」
ただ俯いて何も返せない。それを見て事の次第を悟り、フェンストは乾いた笑いを出した。
「そんな……。グレゴリオ様がいなければ何にも残らない。こんな結末だなんて、私達が今までしてきたことは無駄だったの?」
「わからない。無駄かどうかは二人で判断できるだろう。二人いればお互いに支え合って生きていける」
ケルハイトはフェンストに背を向けた。その背に声が投げかけられる。
「待って。どこに行くつもり?」
それをケルハイトは自然な微笑みで返した。
「愛する人の元」
重い体を進めながら、双子から離れ始める。フェンストが呆気にとられた表情で固まっているのを見ずに、ただ足を進めていた。体からはもう充分すぎるほど血が流れ出ている。双子など構わず、さっさと脱出して治療をすれば間に合ったかもしれないが、もう無理な範囲であった。
目の前には青々とした海が広がっていた。そして雲の合間からは日の光が漏れている。
それを見ながら、唯一持ってきた小刀を握りしめた。
「待たせてごめん。今、行くよ」
ケルハイトは崖から体を乗り出した。何も抵抗せずに海へと落ちる。そして海に着く瞬間、小刀を喉元に当てた――。
* * *
ルクランシェを始めとして、多くの人に支えられながらレイラは洞窟内を走り抜けていた。広まっている崩壊により、頭上から時折来る落盤を避けながら必死に抜ける。死線を掻い潜った場所も気に留めることなく、過ぎていく。だがさすがにケルハイト、そして双子のフィンスタやフェンストの姿がいなかった時には訝しげに思った。
「逃げたのかしら……」
「逃げたとしても、そう遠くには行けない。それにもう魔法はないんだ。魔法がなければ双子に関しては何もすることはできない」
レイラのすぐ横でぴたっと付いていたルクランシェに的確に答え返される。ちょっとそれが悔しかったが、今はそれどころではない。
やがてムスタ達と出会い、最初の抗争が起きた所まで戻る。そこも、もぬけの殻だったが、縄が切られたとかそういうのはなかった。おそらく先に出た三人が外へと誘導したのだろう。
プロメテが封印として残した像があった場所を通り過ぎ、前方には光が見えていた。もう少しで抜けられると、最後により力を込める。目の前で出口が塞がれたら話にもならないからだ。
数秒後――、レイラは再び日の光の元に戻ってきた。自然の光がこれほどまで気持ちいいとは感じたことがないほどだ。そのまま少し走り続け、崩壊による影響がないところでようやく止まった。
未だ激しい音と共に崩壊は続いている。それを見ながら、レイラは胸の前でぎゅっと指を組み、瞳を閉じた。
黒髪の娘と青年を思い浮かべながら強く願う。
――どうか、無事でいて……。
だがその想いを裏切るように、レイラ達が出てきた出口は落盤によって塞がれてしまう。
そして、ようやく崩壊の音は治まった。