8‐15 長たる者の言葉
痛みはすぐに感じなかった。一瞬で終わるとレイラは思っていたが、何十秒経っても体に変化はない。
薄らと目を見開いてみると急に首の苦しさが消えた。そのまま重力に従って、地面に叩き落とされる。
空気を入れるための気管が一気に開かれたことにより、正常な状態に戻そうと荒く呼吸をし始める。
「はあはあ……。一体何?」
喉を押さえながら、レイラはグレゴリオを見た。不機嫌そうな顔をしながら手を見つめ、調子を整えるように指を鳴らし始める。だがちらりと振り返って自身のやってきたことを眺めると、大きく顔がにやけた。
首を傾げながらも、レイラはグレゴリオから距離を保つために少しずつ横にずれ始める。
だが突然、耳に深々と残る音が鳴り響いた。
何かが割れる、そんな音が――。
割れる音によって、シェーラは少しだけ意識を取り戻していた。痛みは全身を駆け巡っているため、動くことはままならない。だが聴覚はしっかりしており、意味深な音は聞こえていた。
ゆっくり瞼を開けると、目の前に飛び込んでくるのは誰もが探していた魔法の源。
それに――、亀裂が入っているのだ。
驚きのあまり呼吸をするのも忘れてしまいそうだった。あの色鮮やかな大きな石に、深々と入る亀裂。そしてそれは今も入り続けているのだ。
亀裂などによって源の一部は割れて地面に落ちる。地面に着いた瞬間、微かな炎や水などを出して消えていく。
「何が起こっているの……?」
グレゴリオと対峙する直前までは特におかしな所はなかったはずだ。つまりあの攻防の間に何かが起こったとしか考えられない。
源に手を触れるために、体を持ち上げようとする。だがあまりの痛みにすぐに手を引っ込ませた。激しく肩を上下するまでに呼吸をしながら痛みに耐える。腕や足に刺さった鋭い岩の破片には鮮血が染み出ていた。その無残な姿にシェーラは思わず苦笑してしまう。
「本当にぼろぼろね。でもまだ死んでいない。まずは……、グレゴリオが何をしているか見なきゃ……」
石を支えにして立ち上がろうとする。その時けたたましい笑い声が洞窟内に響き渡った。
「ははは、本当に魔法の源は凄い威力だ! ほんの少し魔力を取り入れるだけでこれだけ軽々と人を平伏すことができる。この源全てを使えば全てを破壊できるだろう。何と愉快なことだろうか!」
その言葉にシェーラは何か引っかかりを覚えた。グレゴリオはゆっくりとレイラに背を向けて、源に向かって歩き始める。
今さっき、グレゴリオは源から力を取り入れたと言った。つまり再び魔力を取り入れようとしているのだ。それを止めるために痛みに堪え、石に寄りかかりながら無理矢理立ち上がった。その姿を見てグレゴリオは目を細める。
「ほう、まだ動けるのか。もう少し刺した方がよかったのか?」
グレゴリオの言葉をシェーラは無視し、引っ掛かりを言葉にする。
「――いつか会った時には魔法で国を支配したいと言っていた。だけど、今、全てを破壊すると言ったわよね。これじゃあ矛盾しているわ、一体どっちが目的!?」
「そんなどうでもいい所まで覚えているとは、驚きを通り越して感心してしまいそうだ。国を支配するさ――全てを無くした後に」
薄らと浮かべる冷淡で、全く笑っていない目下を見てシェーラの背筋に悪寒が走る。
「人を外見で判断する人間、過去の生い立ちだけで判断する人間、自分が正しいと思っていることが世の理も正しいであろうと思っている人間。世の中なんてそんな人達ばかりじゃないか。そんな人達が生きていてどうする」
白い髪の男性がシェーラの横で立ち止まった。そして近寄って来たナータに対して、軽く頷き合図を送る。それを受け取ると、ナータはやっとの思いで削った源の一部を手渡した。青色や紫色などの七色のものではなく、黒い石が掌にのっている。
「魔法の源とやらは、人の意思によって左右されるものだ。たまたま研究をしているときに、カケラを手に入れたがお前に砕かれた。だが今回はもうそんなことはない。何て言ったって、こんなに大きなものがあるからな」
「また私の心でも操るつもり?」
平然と言い返しながらも内心では冷汗を掻いていた。だがグレゴリオはそれを軽く笑い飛ばす。
「まさか、もう力を手に入れたんだ。むしろお前達は私の実験台だよ、どれくらいで人は死ぬかというね。あの副局長の女を最初に殺そうと思ったが、考えを改めて手軽な所から行く。私はどうも氷より炎の方が性に合っているらしいしね」
ずいっと石を握っている拳がシェーラの目の前に突き出された。
「逃げ道はない。今度こそ――消えろ」
拳の周りから熱が帯び始める。そして一瞬のうちに黒々とした炎がシェーラを包み込んだ。
「シェーラ、シェーラ!?」
その光景を見て、クロウスは自分の傷の深さを忘れて駆け寄り始める。黒々した炎にシェーラが丸々と焼かれていく光景にクロウスは開いた口を塞げなかった。
「次はお前の番か。まあ楽に殺してやる。この前の研究所のお礼さ」
グレゴリオはクロウスを見てほくそ笑む。そしてシェーラと同様に拳を突き出される。殺される――、そう脳裏を過ぎった。
だが、シェーラを包み込んだ黒い炎が渦のように変化し始める。そして一瞬で炎が風と共に消え去った。そこにはシェーラが目を瞑りながら悠然と立っている。
ゆっくりと目を開けると、グレゴリオに向かって激しい風が吹いた。それを避けるために、グレゴリオは後ろに下がりながら間隔を空ける。
シェーラが生きていたとクロウスが喜ぶのも束の間、すぐに彼女は近くにあった石に寄りかかってしまう。慌てて近寄った。
「大丈夫か、シェーラ!?」
「クロウス……。私、生きているんだ。しぶといわね……」
「何があったんだ。だって確実に炎が――」
すっとポケットから封印を解除した緑色のカケラが埋め込まれたペンダントを差し出された。
「守って……くれた。先生が」
カケラが縦に一直線にヒビが入る。そして微かに熱が帯びていた。
「あのどす黒い炎に燃やされたかと思った。でも――、私の周りを風の膜で覆ってくれて」
黒髪の一部がちりちりと焼けている。今まで見たことがないほどシェーラは震えていた。よほど恐ろしかったのだろう。そっと体を引きよせ、険悪な表情をしているグレゴリを睨みつけた。
「どうしてそんな行動に出るんだ。双子の炎使いや、ケルハイトやお前の最終的な目的とは何だ!?」
「私が絶対的な力を得れば、誰も私に対抗するようなことはしない、そして魔法を使おうとはしないだろう!」
「だが今のように使っていれば、その先には……、何も残らない」
有限であろうが無限であろうが、どちらにしても何も得られないだろう。
だがグレゴリオはそれに対して、嘲笑い返した。
「まだ気付かないのか。――私の最終的な目的は全てを消し去ることだ。魔法に踊らされていい想いをした連中。魔法に苛まされて悔しい想いをした連中。それら全てを無に戻す――、実行するには消し去ることが手っ取り早い」
その言葉に偽りはない。本気であることが伝わってくる。
ケルハイトは魔法による因果が嫌で多くの人を殺めてきた。フィンスタやフェンストも魔法を使えるが故に辛い思いをしてきた。魔法に頼りきっている国に嫌気がさしているからこそ、この意見に賛同したのだろう。
ある意味言えば正しい。過去に何か深い傷を負えばそういう考えにもなるかもしれなかった。
だが自分勝手に今とそしてこれからの人達の未来を奪うという行為をするのは、許されない。
グレゴリオがクロウス達の息の根を止めるために歩み寄ってくる。
他にやれることはないのか。ちらっと源の方に視線をやった。魔法の根源と言われるもの。これが消え去ったら魔法がなくなると言われている。
――魔法の源を、もし……。
その先に続く言葉は迂闊に出すものではない。
グレゴリオの殺気に身を竦めつつも、シェーラを抱く手を緩めはしなかった。
レイラの周りでは、ルクランシェやダニエルが唸りながらも体を持ち上げていた。
「レイラ、大丈夫か?」
自分たちの方がよっぽど大変な状態なのに、それでもなお心配してくる人達に対して目を丸くした。二人ともまだ目の光は失っていない。
「ええ、ぎりぎりね。さて――、状況は最悪に近いけど、まだ誰も死んではいないわ。けど最悪に転じるのは時間の問題」
シェーラとクロウスがグレゴリオと対峙している。お互いに出方を窺っているのか、緊張状態が続いていた。だがグレゴリオの方がかなり余裕はあるようだ。
ダニエルが自分の傷具合を見ながら呟く。
「――このままあいつに魔法を出させるのは分が悪すぎるよな」
「そうですね……」
「何を躊躇う必要があるんだ。もう決断したんだろう? この判断が正しいかどうかなんて、今もそして今後も分かることじゃない。何かあったら俺が頑張って言いくるめるから」
「ありがとうございます、ダニエル部長……」
部長格の中でも仲のいいダニエルにはいつも頭が上がらなかった。プロメテとの思い出を共有し、似たような考えを持つ男性にはいつも助けられている。
レイラがルクランシェの方に視線を向けると、すでに幾つかの瓶を取り出し始めていた。
「何しているの……?」
「破壊力のある組み合わせはどれかと思案していただけだ。あんなに大きい石、そう簡単に壊れないだろう。さあ――副局長、お言葉を」
それはレイラにしかできないこと。
レイラの副局長という立場、いや魔法管理局の長としてでしかできないこと。
そう――最終的な決断を発言することが。
レイラは立ち上がり、シェーラとクロウスの方、そしてゆっくりと体を動かしているスタッツにも見渡す。その様子に気づいたのか、視線がグレゴリオから若干逸らされる。今しかない、そう思うと自然と言葉が出ていた。
「――魔法管理局副局長レイラ・クレメンの名において執行します。――源を破壊しなさい」
シェーラとクロウスはすぐに、高くそびえ立っている源を見上げた。お互いに目配せすると、シェーラは両手で祈りを捧げながら、ありったけの魔力と風をかき寄せ始める。そしてクロウスは盾になるようにして立ち、険しい顔をしているグレゴリオに切っ先を向けた。
一瞬で空気の張りが変わったグレゴリオはさすがに不快感を露わにする。
「何をするつもりだ。まだ楯突くと言うのか。滑稽もいい所だな!」
「俺達には俺達なりの信念があるんだ」
「その信念、一瞬で消し去ってやろう」
グレゴリオが飛び出す直前、シェーラはある程度風を集めるのをやめると、すぐそこにある源に向かって風の塊を叩きつけた。
全部を破壊するまでとはいけないが、傷付けるくらいには充分。その行為に唖然としているグレゴリオを置いといて、シェーラは魔法に力を込めた。
上の方にある源が微かに削られて落ちていく。ある程度して魔法を出す手を緩めたが、次にクロウスの耳に入ったのは驚愕の言葉だった。
「そ、そんな……!」
グレゴリオの様子を窺っていたクロウスはなるべく隙を見せぬよう、視線を源の方に移動した。
特に源に変わりはなかった。
いや、変わらな過ぎておかしいのだ。
「全く傷付いていない。こんなんじゃ、破壊なんて――」
シェーラの震える言葉を遮るように、ルクランシェが颯爽と現れた。そして何本か瓶の液体を源に振りかけて、最後にマッチを擦って出した火を投げつける。当たると同時に大きな爆発音がした。しばらく煙で見えなかったが、すぐにその場所が露わになる。
だが見えたのは――全く変わらない源の姿。煤も何も付いていない、何もなかったかのように佇んでいた。
ようやくグレゴリオがシェーラ達の意図に勘付いたのか、薄笑いをする。
「この魔法の源を壊そうとしているのか。全く愚かなことを……。特別な質でできているとわからないのか。破壊なんてできないだろう。だがもしものことを考えると、早めに手を打っておいた方がいいな」
手を振り上げて、さっと黒い炎を掌の上に出す。
クロウスは敢えて戦いを挑もうとしているシェーラを後ろに引っ込めさせる。
「何するのよ! 私も――」
「冷静になって考えるんだ。もし魔法の源を破壊するのなら、俺の剣術ではどうやっても無理だ。魔法なら一番破壊できる可能性が高い。だからシェーラはそっちの方に専念してほしい」
「けどグレゴリオだって魔法を使うのよ。それを剣だけで挑むなんて――馬鹿にも程がある」
何かの思い出と照らし合わしているのか悲痛そうな顔をしている。クロウスは少しでも落ち着かせようと、シェーラの肩に傷ついた手をそっと乗せた。
「俺は大丈夫だよ。少しはダニエル部長から魔法を使う相手に対処できるよう指導されているから。そんなに心配なら早くどうにかするか考えてくれ。人には人のやるべきことがあるんだろう?」
いつか言われたことをクロウスはそのまま言い返した。虚を突かれたような表情をしながら、シェーラは渋々と反論するのをやめる。
何だかこの状況どこかで見た記憶があった。魔法を使っても壊せないもの、絶対絶命の状況。
どうもその時の記憶がはっきりとしない。それほどクロウスの意識が朦朧としているときだったのだろうか――。
後ろで何かに気付いたのか、シェーラが小さく「あっ」と声を漏らすのが聞こえた。そして、いつしか体と一体となっていた腰にしっかりつけている鞄に目をやる。
その鞄を慌てて開けて、一冊の本を取り出した。
“虹色の書”と言われる、古代文字で書かれた魔法の書を――。