8‐4 夜の軍団との激突
一同はスタッツを先頭にして暗い道を躓かないように走っていた。特に道中何事もなく進めている。意外にも罠はほとんどなかった。いや、あるが発動されていないと言った方が正しいかもしれない。
虹色の書に付いている赤いカケラは煌めき続けている。鞄の布から透けて、その赤さがよく見えていた。まるでこのカケラが人々を守っている気がする。
プロメテを始めとするベーリン家にはいつまでも頭が上がらないだろうと思っていると、急に目の前が開けた。
上にも横にも広い空間の中に簡素な燭台が外側を囲むように置いてある。その半分ほどが松明によって灯りがついていた。
明らかに人がいる形跡に身構えながら、空間に足を踏み入れる。
「あー、本当に来たよ。魔法管理局の連中」
高めの男の声が聞こえてくる。灯りのない所にいるのか、顔は見えない。
「さて、俺達も仕事するか。ムスタ、好きなだけ痛め付けていい」
「ああ。わかった、チートスト」
低く、口籠っている声も聞こえる。相手は二人だろうか。
だが、後ろからも気配が近づいてくる。どうやら挟み撃ちにされたらしい。
シェーラは咄嗟に松明を手にとり、火が消えない程度に風を起こして、声のする方に飛ばした。
一瞬で目的地に着くと、声の主たちの正体が露わになる。背が高く、右頬に傷跡が残っている筋肉質の真黒な髪の男、そして小柄な白衣を着た赤茶色の髪の男だ。
そこにいるのは二人だけ。だが、おそらくそれなりに力がある人達で、手合いにも慣れているだろう。殺気が普通の人とは比べ物にならないほど感じられるからだ。
後ろから来た人達は、剣を握りしめながら、胸当てをしている、いかにも兵士という感じである。人数は十人弱と多いが、手こずり加減を見れば、両方とも同じ程度と言うところかもしれない。
後ろにいたダニエルと事件部の二人、そして情報部の一人は剣を抜き、後ろから迫ってくる兵士達と対峙する。
ルクランシェはレイラをかばうようにしながら、壁沿いに連れていく。
そしてシェーラ、クロウス、スタッツは一目散にムスタとチートストに向かって走り始めた。
クロウスは走りながら剣を抜き、ムスタの前に来ると、思いっきり右腕を斬ろうとした。だが甲高い音を立てて跳ね返される。
暗がりでよく見えなかったが、ムスタの両腕は鉄の小手を仕込んでいたのだ。手の甲にまで伸びている小手は、すぐさまクロウスの顔に向かってくる。
後ろに飛びのき大怪我は避けたが、意外な速さに若干遅れ、頬に血が一線入った。次々と拳が飛んでくる。
それを器用に交わしながらも、距離を取ろうとするが中々難しい。
クロウスよりもはるかに巨体で、リーチも長いため、彼自身の間合いでは上手く機能しないのだ。慣れない相手に思うように動けないのに、多少腹が立つ。
だが、すぐにスタッツが助太刀をしてくる。
チートストを任せたはずだったが、どうやらこっちが苦戦しそうな雰囲気を出していたためか、飛んできたのだ。
スタッツの長い足が、ムスタの右小手と交わり、そのまま突き上げた。一瞬隙が出来た所で、クロウスは腹を斬ろうとする。
だが、奇妙な雰囲気に、咄嗟に後ろに下がった。
その直後、本来ならクロウスがいた場所に、鋭く尖った土の塊が出てきたのだ。
「魔法……使い」
「この国は基本的に誰でも魔法が使えるんだぜ。これくらいで驚くな」
冷静に分析するが、スタッツの額にも薄ら汗が浮かんでいた。
ただの筋肉質の猛突進野郎かと思ったが、魔法もそれなりに使えるとなると、今まで通りの戦い方では勝てない。
シェーラに手を借りたら、また違った展開になるかもしれないが、彼女は今、チートストの相手で精一杯だった。
――守りに行かなくては。
だが、そんな余裕はこちらもない。砂埃が起こり、目を手で翳した瞬間、ムスタの強烈な拳が飛んできた。それを剣で精一杯耐えたが、その重い衝撃で手が痺れる。
格闘家であり魔法も使う、初めてのタイプの相手に対し、この戦況をどう打破するかと考えながら、風使いの娘のことが脳裏に浮かびつつ、クロウスはぎりっと奥歯を噛み締めた。
外見や雰囲気的にチートストの方がすぐに戦闘不能にできるだろうと思ったシェーラは、すかさず相手に対して仕掛け始めていた。
動きは圧倒的にシェーラの方が早く、チートストは振りあげられる短剣を必死に交わすくらい。辛うじて護身用の剣を出したが、いとも簡単に弾き飛ばせそうだ。
――あまりにも弱すぎる。研究所で会った、ナータっていう子と同じ程度。戦うためにここにいるわけじゃない?
拙すぎる動きに、この男は果たして軍団の一人なのかと疑ってしまう。
それならば早めに動きを封じてしまおうと、間合いを詰め、右肘で思いっきり攻撃しようとする。
だがその時チートストの口がふいに歪んだ笑みを作った。そして懐から薄い赤色の液体が入った瓶が取り出され、シェーラに向かって投げつける。
それを剣でなぎ払おうとしたが、触れた瞬間、瓶が破裂し、右手にその液体を浴びてしまった。
劇薬ではなく、特に痛みは感じられない。ただの目暗ましかと思い、すぐに魔法を出そうとしたが突然右手が重くなった。
一瞬の驚きが隙を生み出す。その結果、目の前に剣先が近づいていた。
それを交わしたが、チートストはすでに避けた方向に回り込んでいる。明らかにさっきよりは動きが早い。
シェーラは左手に短剣を握りなおし、険しい顔をしながら向ってくる剣を受け止める。
そしてお互いに構えたまま動かず、ただ睨みあっていた。
「こうも上手くいくとは。もう少し頭使いなよ、迂闊に敵の間合いに入ってはいけないだろ?」
「一体、何をした……」
「それを教えたら、不利になるだろう。まあ、世の中は力や魔法だけじゃないってことさ」
再び瓶が二本取り出される。今度はかなり濃い赤さだ。あれはかなりヤバいと感じつつも、重たくなっている右手の影響で思うように動けない。
投げられた瞬間、即の所で掛かるのは避けられたが、地面に付いた瞬間、激しい爆発がした。
その爆風に押されながら後ずさる。意外な攻撃に気を取られていて、首筋が斬られていた。
「やっぱりこんな色じゃ、逃げるよな。これは後で見直さなきゃな。……君、確かグレゴリオ様にはむかった風使いだろう? ちらほら話しには聞いているよ」
ゆっくりとチートストは近づいてきた。シェーラは警戒をしながら間合いを詰められないようにする。
「君の血……、欲しいな」
剣に付いたシェーラの血をにやにやしながらペロッと舐める。そして、次の瞬間いなくなった。
消えた人物に唖然としていると、突然肩を掴まれて、後ろに投げ出される。
前には金色の髪がなびく眼鏡をかけた青年がでていた。そして、現れたチートストとの剣を青年が弾き飛ばす。
だがチートストは攻撃の手をやめない。しかしその前に青年がナイフを三本程出し、投げつけると慌てて後ろに下がった。
シェーラは呆然としながら、大きくもひょろっとした背中を見つめる。その肩越しから声が投げかけられる。
「シェーラ、お前は下がれ」
「え、ルクランシェ部長!?」
「相手が悪い。時間をかければ倒すことはできるだろうが、今は早く終わらせたいし、余計な体力を使ってほしくない。シェーラは魔法使いの双子とやりあうんだろう? こういうせこい手を使う相手は、俺の方が得意だ」
その言葉を聞いたチートストは不機嫌な顔をしながら口を吊り上げた。
「せこいとは何だ。立派な攻撃の仕方だろう!」
「他人の血と薬品を調合して、投げつけているだけだろう。他人の力をさも自分のように誇っている辺りがせこい」
はあっと溜息を吐きながら出す言葉を、シェーラはゆっくりと後ろに下がりながら聞いていた。炎使い達と相手をする前はなるべくなら体力を温存しておきたい所が本音だ。だから、頼りになる部長に任せようと思った。
「何だと!? ここまで調合するのに時間がかかったんだぞ」
チートストの怒りに満ちた声が響く。
「……最初の液体は土魔法の純血の血と密度の高い試薬か。一時的だが重力をより感じるように作った。そして二本目は炎使いの人と多少の劇薬辺り。そしてシェーラの血を利用して、素早さを一時的に高めたというところか。……くだらないな」
その言葉を聞くと、チートストの怒りは急速に冷え、その場を微動だにしなかった。
シェーラは改めてルクランシェの言葉に驚く。一瞬の攻防であの瓶の中身を見極めたのだ。血をこういう風に利用するとは考えたことはなかったが、可能性は無きにしもあらずと言ったところか。
つくづく上司には敵わないと思いながら、チートストの心が揺れ動いている間にレイラの元へと駆け寄る。
レイラは壁に寄りながら、いつでも魔法を出せるような状態だった。
「あら、シェーラ大丈夫?」
「迂闊でした。右手に薬品を掛けられて……」
「焦っては駄目よ。あれくらいの手合いだったからよかったけど、もっと上だったら致命的。まあルクランシェがいてよかったわ」
右手を摩りながら、レイラの横に付く。どうやら時間が経てば重みはとれそうだろう。
「部長って、いつもああいう相手とやっていましたっけ?」
「普段はただの兵士としか相手していないから、剣や体術を使用する方が多いけど、本業はあっちよ?」
「本業?」
シェーラが首を傾げていたが、レイラは腕を組みなが悠々と立っている。ルクランシェのことなど微塵も心配していないようだ。
不思議に思いながら、金髪の青年の姿を見る。その背中はいつも以上に頼もしく感じられた。
何となく横の方を見ると、アルセドが拳を握りながら、立ち尽くしている。そう言えば、シェーラ達がすぐに飛び出していってしまったため、この少年のことは気にも留めていなかった。通路の方ではダニエル達が適度にあしらっており、アルセドのささいな力も必要ないというところだろう。
「アルセド、一人で突っ立っていちゃ、危ないでしょう」
声を投げかけると、唇をきつく噛み締めている顔が向けられる。
「俺は……」
「始めから分かっていたことでしょう。まだ実戦できるレベルじゃないって」
それが追い打ちを掛けたのか、顔を伏せてしまう。
言葉の通りだった。今はただ身近で戦闘を感じる時期。アルセドの力はあくまで今回はおまけである。適当に優しい言葉を出しても、これからを見れば利点ではない。だから、そのような優しい言葉は掛けなかった。
その時、レイラの眉が微かに歪んだ。シェーラはその視線の先を見て、目を丸くした。
クロウスの腹に土の塊が当たったのだ。くっと言いながら、スタッツの助力でどうにか第二撃を回避して引き下がる。
「クロウス!」
動揺したシェーラは駆け寄ろうとした。だが、レイラの力強い言葉によって阻まれる。
「待ちなさい、シェーラ!」
「でも……」
揺れる心にレイラが活を入れる。
「腹に衝撃が加わっただけよ。休めばすぐに動けるわ。不得意な相手に迂闊に動くものじゃないの。もっと相手との相性を考えなさい。そして、クロウス君のことを信用しなさいよ!」
シェーラははっとして、立ち止まった。
正直言って、土の魔法を使う相手は程度によるがあまり好んでいない。なぜなら、強力な土の壁の前ではほとんど風は受け付けないからだ。そして、クロウスを信じることができていない自分がいることに対して、失望してしまう。
――こういうことがあるとわかっていて、剣を託したのに何やっているんだろう。
ゆっくりとレイラの元に歩み戻る。ルクランシェの方はチートストの顔色がよくないことから、戦況は良さそうだが、クロウスの方はあまり芳しくはない。どうやら魔法を使われているのがやりにくいのだろう。それでも突破口はあった。それに気づくかどうか――。
その時、スタッツが大きな声を出した。
「アルセド、お前も加勢しろ!」
意外な人物の呼び出しに、意図がわからないシェーラは耳を疑った。




