序
昔書いていたが、途中で挫折してしまったものを引き揚げて、なんとか完結させてみようとしています。
設定自体は自分の中でそれなりに気に入っているオリジナルです。
筆は遅いですが、どうかご容赦を。
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやうしこそものぐるほしけれ。
と、かの法師殿はそう書き初めましたが、果たして私の生きる現代に於いて、今は昔なその書き回しで日記を始めて良いものかと思案しながらも、前文を見直せば、なんとまあ、結局その書き初めになってしまっているではないか、と、思うままにつらつらと手を動かしてしまう私の性分を恨めしく思っている次第でございます。
そもそも、この文体にしても、どこぞ地層奥深くから発掘したかのようなそれではありますが、これは・・・私なりの意地とでも申しましょうか。必ずこれを読むであろう一人の彼女への、ちょっとした見栄張りのようなものであります。口調や言葉遣いなどを指で矯正出来るこの「文字」というものは、あるものそのままでしか残せない映像や録音と違い、こういうちょっとしたこだわりに対して便が利くものです。・・・決して普段真逆の話し方をしているというわけではございませんこと、念を押しておきます。
しかし、書き出しこそ既存のそれになってしまいましたが、私のこれは日記でありまして、決してかの法師殿が描かれたような御立派な随筆などではございません。一人居というわけでも、ましてや硯など目の前にあらず、下に向けていればインクが勝手に落ちてくるように作られた怠惰な品が、私の指の間でくるくると回っております。
ただ。
私はこの日記に、心に映っては消え映っては消えゆく、我が家庭の奇妙な日常を、是非とも一度書き綴っておきたい、そういう思いに駆られたのでありました。
さて、前に「日記」と申しましたからには、これからこのページの後には、その当時の日付とそれに沿った事柄が綴られなければなりませんが、そういう意味では、こと「日記」という表現には些か語弊があったやもしれません。
ここに描かれますのは・・・ああ、そうですね、有り体に言うなれば、「後日談」とでも申しましょうか。
私にとっては総て過去の出来事ですから、思い出し思い出しでインク溜まりの出来ること、先んじて御了承頂きますよう、お願い申し上げまして。
私こと、姓は朝霧及び岡本、名は夏子の「後日記」の書き初めと致します。
当時、ちょっと特殊な視点での物語を作ってみたいと思って始めたものです。
少しばかり堅苦しいと思える点がちらほらありますが、とりあえずこの文体を貫いてみたいと思います。
御意見ご感想大歓迎です。御指摘などあればもっと嬉しいので、是非よろしくお願いします。