Pure,Girl
清く正しい教会での日々。末路がどうあろうと、この誇りは確かなものなのです。
朝7時ぴったり。
私は今朝も柔らかな絹のドレスを着させて頂き、良い香りを漂わせる広い食卓へと赴きました。
真っ白で清潔な壁には、至る所に聖母の神々しいお姿が刻まれています。その細工の美しさは言葉では言い表せないほどです。
テーブルにはすでに数人の少女達の姿があり、私は特に仲の良い少女の隣の横に行き、慎み深く席につきました。
「お早よう。ついに明日ね」
座った途端にそのように言われ、私は思わず真っ赤になってしまいます。
「嫌だわ。そんな風に明から様に」
「あら、どうして?あたし達はその日の為に、この潔癖な体を守り続けてきたんじゃないの」
清潔なテーブルクロスの上に、シスター達が朝食の盛られたお皿を並べていって下さいます。
真っ白なパン。じゃが芋とアスパラと人参が入ったポトフ。枝豆のスープ。
これが今朝のメニューです。質素だとお思いになるでしょうか?
私達は肉を摂りませんし、チーズやバターなどの乳製品も極たまにしか口にしません。
この身を清らかに保つ為には、そういった食事が一番適しているのです。
更に材料となる野菜も穀物も香草も、全てシスター達によって育てられています。余所から取り寄せた物では、農薬や添加物などの『不浄の毒』が含まれている危険性がありますから。
私達は《聖女》と呼ばれ、尊ばれる存在です。
私達はここで十数年の清らかな生活を送った後、それぞれ高貴な身分の殿方の元へと行くのが定めです。
それまでに清らかで純潔な肉体を維持すること。
それだけが、《聖女》に課せられた唯一、最大の使命なのです。
朝食を済ませると、私と友人のミネアは庭に遊びに出ました。
私達は、食事、入浴、就寝、起床の時間が決められている以外、後は基本的に自由です。
健康的な生活習慣を守り、ストレスを受けずにのびのびと暮らすこと。シスター達が《聖女》に望むのはそれだけですから。
「一緒に遊べるの、今日が最後だね」
青々と茂った芝生の上に仰向けに横たわり、ミネアはそう囁きました。
「ええ……。そうね」
そんな簡素な答えしか返すことができず、私は空を見上げました。
綺麗な空でした。絵の具を垂らしたみたいな青い空に、ポツポツと浮かぶ真っ白な雲。
庭と呼ぶにはあまりに広すぎる草原の中で、私とミネアはどちらともなく手を握り合いました。空を仰いで寝転んだまま、そっと。
「…実はあたしも、来月に決まったんだ。西の都の領主様のご子息の所に」
「………そうなの」
握り合う掌に、思わず力がこもりました。
幼い頃から親しんだ、この清らかな自然。綺麗な食物、綺麗な水、綺麗な空気、柔らかで優しい時間。
それらに充分に育まれた私達は、ついにここから巣立つ時を迎えてしまったのです。
「……さようなら」
ミネアは首を横向け、微かに微笑んで見せてくれました。
その笑みがなぜか逆に胸を締め付け、私は何か言おうと口を開きました。けれど、開いた唇から紡がれる言葉は、一つもありませんでした。
翌日、早朝。
私はシスター達と聖母に祈りを捧げた後、誰に挨拶することも無く、静かに教会の門をくぐりました。
教会の敷地内から出たのは、これが生まれて初めての経験でした。
初めて乗った車のガソリンの臭いには閉口しましたが、すぐに見慣れぬ光景の数々に気持ちを奪われ、私はすっかり夢中にさせられてしまいました。
土ではなく石に固められた道。見たことのない形の建物。街道を歩く人々の様々な衣服の色彩。
全てが魅力的で不思議で新鮮でした。
堪え切れずにあれこれと質問を浴びせる私をいさめることもなく、シスター達は丁寧に答えを返して下さいました。
その慈悲深い和やかなお喋りはこの上なく楽しく、車が目的地に到着した時には、少しがっかりしてしまった程です。
「さあ、お疲れさま」
シスターに促されて車から降りると、見たこともないような豪華なお屋敷が私を迎えました。
庭だけでも教会の何倍くらいあるのでしょうか?白い敷石は長々と続き、大きな池の周りを囲む緑は、全て白鳥の形に刈られています。どんな魔法使いが、あの木をあんな風にしたのでしょう?
「さあ、こっちですよ」
煌びやかな景色に心奪われた私の手を優しく引き、シスターはお屋敷の玄関に静々と進んで行きました。
金の細工で縁取られた重々しい扉を開き、タキシード姿の老紳士が、丁寧に敬礼して下さいます。
シスターに習って敬礼を返した私は、顔を上げた拍子にふいに気付いてしまいました。
(………あ)
玄関の斜め上にあるバルコニー。そこからそっと密やかに、微笑みを湛えてこちらを見下ろしている優雅な存在……。
私の様子に気付いた老紳士が、訝し気に視線の先を追い、彼に気付きました。
「フィレツィオ様!」
咎めるような、けれど決して鋭くない声が彼の名を呼びました。彼の姿がバルコニーから消えたのは、ほぼ同時だったでしょう。
「申し訳ありません。祝杯の前に聖女様を拝見なさるなど、あの方ときたら何とはしたない…」
慌てて謝罪する老紳士の声を聞きながら、私は心臓の鼓動が苦しいほどに早まるのを感じていました。
(ああ。あの方が、私の)
ほんの一瞬でしたけれど、その美しい金色の髪。引き締まった均整の取れた体。優美な身のこなしは、はっきりと私の目に焼き付いていました。
(ああ)
私はそっと自分の高鳴る胸を押さえました。
(今夜、私はあの方と一つになるのね)
老紳士が説明を加えながら案内してくれた廊下を、私はほとんど夢現つのまま進みました。
やがて銀色の大きな扉の前まで来ると、シスターはつないでいた私の手をゆっくりと離しました。
「ここで準備をして、宴に備えることになります」
僅かに伏せ目がちに、シスターが私の頬を優しく撫でて下さいました。
「………シスター。これまで育てて頂いて、本当にありがとうございました」
別れの言葉と共に恭しく頭を下げ、私は老紳士の開けてくれた銀扉の向こうに、静かに足を踏み出しました。
背後で扉が閉まる瞬間、シスターの消え入るような〈さようなら〉を聞いたような気がしました。
そこは、全面真っ白なタイル貼りのお部屋でした。
真っ白な服を着た何人もの男女が、既に私の為の準備を、忙しく進めて下さっていました。
大きな大きな調理台。ぐつぐつと湯気を立てる銀の鍋。研ぎ澄まされた様々な形の包丁。新品の大型オーブン。たくさんのスパイスやオイル。
私は着ていた物を全て体から落とし、調理台へと自ら向かいました。
これから私はここで丁寧に切り分けられ、炒められ、茹でられ、煮られ、特上の美味へと姿を変えるのです。
清潔な空気と飲食物、伸び伸びとした自然に育まれたこの肉体が、不味いことなど絶対にありえません。
私は先程見た美しい方のことを想い、調理台に横たわったまま少しだけ微笑みました。
今夜、この肉体はあの方の口にだけ入り、血となり肉となり、絡んで溶け合い、一つに混じり合うのです。
カニバリズムネタでした。楽しんで頂けたなら、幸いなのですが…†




